第30話 旅立ち
グランゼルへ戻ったのは、ハーピークイーンを倒した翌日の昼だった。
ルークたちは山を下りる途中で一度野営し、傷の手当てをしながらゆっくりと町へ向かった。戦いを終えた直後は気づかなかった疲労も大きく、特にプルとソラには無理をさせたくなかった。
キングスライムへ進化したプルは、見た目こそ以前より大きくなっているものの、いつも通りルークの隣を楽しそうに跳ねている。頭部には身体の一部から作られた半透明の小さな冠が浮かび、遠目から見ても普通のスライムではないことが分かるようになった。
「やっぱり目立つなあ」
「ぷる?」
プル自身は気にしていないらしい。
ルークが苦笑しながら頭を撫でると、冠の部分も柔らかく形を変えた。見た目は王冠でも、材質そのものはプルの身体と変わらないようだった。
少し前を歩くレイは、昨日の戦いで負った傷もほとんど塞がっている。Lv19まで成長した身体は以前より一回りたくましくなり、歩いているだけでも周囲を警戒する余裕が感じられた。
そして上空には、新しくソラと名付けたウィンドホークがいる。
まだ左翼を完全には動かせないため高く飛び続けることはできないものの、短時間なら問題なく飛べるまで回復していた。先へ行っては戻ってきて、時折ルークたちの頭上を旋回している。
「ソラ、あんまり無理しないでよ」
上空へ声をかける。
「キィ!」
返ってきた声は元気だった。
契約してからも性格が急に変わったわけではない。
ルークが触ろうとすれば気分によっては避けるし、プルが近づけば今でも嘴で突こうとする。ただ以前のような警戒ではなく、今では半分ほど遊びになっていた。
プルもそれを理解しているらしく、突かれそうになるたびに身体を横へ動かして避けている。
「仲良くなったのか、喧嘩してるのか分からないな」
レイがちらりと二匹を見る。
その後すぐ前を向いたが、尻尾は少しだけ動いていた。
グランゼルの門が近づくと、ソラは目に見えて高度を落とした。
以前は冒険者の武器を見るだけで身体を強張らせていた。
共生契約を結んだからといって、その恐怖まで消えるわけではない。
ルークは門の少し手前で足を止めた。
「ソラ」
呼ぶと、ソラが近くの岩へ降りてくる。
「町に入るけど、大丈夫?」
ソラはグランゼルの門を見る。
出入りする冒険者。
荷車を引く商人。
武器を持った衛兵。
しばらく見つめた後、ソラは一度だけルークへ顔を向けた。
「嫌なら外で待っててもいいよ」
無理に慣れさせる必要はない。
時間をかければいい。
しかしソラは逃げなかった。
岩から飛び降り、ルークの横へ歩いてくる。
「……一緒に来る?」
「キィ」
小さな返事だった。
ルークは笑った。
「分かった。じゃあ行こう」
門へ近づくと、案の定衛兵に止められた。
「おい、その魔物はどうした?」
衛兵はソラを見ながら槍へ手をかける。
その瞬間、ソラの身体が強張った。
翼が僅かに広がる。
「大丈夫」
ルークはソラと衛兵の間へ入った。
「僕の契約魔物です。昨日、契約しました」
「契約魔物?」
衛兵がソラとルークを見比べる。
「登録証は?」
「今からギルドで追加登録するつもりです」
ルークが冒険者証と魔物使いとしての登録証を見せると、衛兵はしばらく確認した後で頷いた。
「暴れさせるなよ」
「はい」
槍から手が離れる。
ソラも少しだけ力を抜いた。
ルークは歩き出す前に、小さな声で言った。
「大丈夫だったでしょ」
ソラは返事をしなかった。
ただ、今度はルークのすぐ横を歩いた。
冒険者ギルドへ入ると、受付にいた女性が最初に見たのはプルだった。
「え……?」
手に持っていた書類が止まる。
「ルークさん、そのスライム……」
「進化しました」
「やっぱり!?」
思っていたより大きな声だった。
周囲にいた冒険者たちまで振り返る。
ルークは少し困りながら笑った。
「キングスライムになりました」
「キングスライム……?」
受付の女性は驚いたままプルを見る。
プルは何を勘違いしたのか、嬉しそうに身体を伸ばした。
「ぷる!」
さらに目立つ。
「キングスライムなんて、この辺りじゃほとんど見ませんよ」
「僕も初めてです」
正確には、進化条件を追い続けてようやく辿り着いた。
普通に育てていれば到達できたかどうかは分からない。
「それだけじゃなくて、もう一匹増えました」
ルークが横を見る。
ソラはギルドの入口近くからほとんど動いていなかった。
人間が多い。
それだけでも緊張しているらしい。
「ウィンドホーク?」
受付の女性が驚く。
「珍しいですね。しかも若い個体……契約したんですか?」
「はい。ソラって名前にしました」
「ソラ……」
名前を呼ばれ、ソラが僅かに顔を上げる。
受付の女性は必要以上に近づかなかった。
そのまま登録用の書類を用意してくれる。
「契約確認だけさせてもらいますね」
ルークがソラへ手を触れる。
共生契約の感覚が伝わる。
普通の魔物使いが使う従属契約とは違うため、以前と同じように受付側では完全に確認できない。それでも契約状態にあること自体は分かるらしく、必要な手続きは問題なく進んだ。
「これで登録完了です」
新しい登録欄。
【従魔:プル】
【種族:キングスライム】
【従魔:レイ】
【種族:ハイウルフ】
【従魔:ソラ】
【種族:ウィンドホーク】
三匹。
ルークはその文字をしばらく見つめた。
村を出た時にはプルしかいなかった。
それが今では三匹になっている。
「増えたなあ」
思わず呟く。
「ぷる!」
プルが嬉しそうに跳ねた。
「それと、昨日の件なんですが」
受付の女性の表情が変わった。
「山の北側でハーピーの大きな群れを見たと報告を受けていたんです。調査依頼を出そうとしていたところでして」
「やっぱり多かったんですね」
「はい。最近、鉱山へ向かう荷車が襲われることも増えていました」
ルークは昨日の戦いを思い出す。
七体のハーピー。
そしてハーピークイーン。
「ハーピークイーンがいました」
受付の女性の動きが止まった。
「……クイーン?」
「Lv24でした」
「倒したんですか?」
「はい」
一瞬、受付周辺が静かになった。
近くで話を聞いていた冒険者たちまでこちらを見ている。
「ルークさんたちだけで?」
「はい。かなり大変でしたけど」
ルークとしては、それ以上言いようがない。
受付の女性は信じられないものを見るような目をしていたが、討伐証明として持ち帰った赤黒い冠羽を確認すると、本当に倒したのだと理解したらしい。
「これは……間違いありません」
羽を持つ手に少し力が入る。
「ハーピークイーンの冠羽です」
ギルド内がざわついた。
これまでルークを若い魔物使いとしてしか見ていなかった冒険者たちの視線が変わる。
それでもルーク自身はあまり実感がなかった。
一人で倒したわけではない。
プルが皆を動かした。
レイが地上を走った。
ソラが空から戦った。
自分はその間にいただけだ。
「討伐報酬と、街道の安全確保に対する追加報酬が出ます」
受付の女性が金額を計算する。
想像していたより多かった。
これなら新しい装備も揃えられる。
旅の資金にも余裕ができる。
「ありがとうございます」
「こちらがお礼を言うところですよ」
受付の女性が笑った。
「これで北側の鉱山道も少し安全になると思います」
報酬を受け取った後、ルークはグランゼルの武具店へ向かった。
スタッフはまだ十分使える。
革鎧も今回の戦いで一部裂けたものの、修理すれば問題なかった。
そこで今回は、防具を全て買い替えるのではなく旅に必要な物を追加することにした。
丈夫な外套。
予備の薬草。
携帯食料。
水袋。
そしてソラ用に傷薬と包帯を多めに買った。
さらにルークが選んだのは、腰へ取り付けられる小さな革製の投石袋だった。
「それ買うのか?」
武具店の店主が聞く。
「はい。遠くの相手に何もできないのは困ったので」
ハーピーとの戦いで思い知らされた。
ルーク自身も、近づかなければ何もできないままではいけない。
威力は低くてもいい。
敵の注意を引く。
動きをずらす。
仲間の攻撃へ繋げる。
そのための手段が欲しかった。
「こいつも持ってけ」
店主が小さな革紐を渡してくる。
中央部分が少し太くなっている。
「投石紐だ。使えるようになれば素手よりは飛ばせる」
「ありがとうございます」
すぐに使いこなせるわけではないだろう。
それでも旅の途中で練習すればいい。
ルークは腰へ新しい装備を取り付けた。
少しずつ。
自分自身も変わっている。
それが嬉しかった。
その日の夕方、ルークたちはグランゼルの宿で今後について考えた。
机の上には、この地方の簡単な地図を広げている。
グランゼルへ来た目的だった山の魔物の調査も十分できた。
プルは進化した。
レイも次の進化が近い。
そしてソラという新しい仲間まで増えた。
ここに留まり続ける理由はもうない。
「次はどこへ行こうか」
ルークが地図を見る。
グランゼルから東へ進めば、さらに標高の高い山岳地帯へ入る。
南へ戻れば最初に通ってきた地域。
そして西へ進めば、大きな川を越えた先に別の土地がある。
地図の西側に書かれていた都市名へ目が止まった。
リューデン。
周囲には広大な湿地帯があるらしい。
その下には小さく説明が書かれている。
毒を持つ魔物が多く、水棲の魔物も多数生息する。
「湿地帯……」
今まで戦った魔物とはかなり違いそうだ。
スライム系。
水棲種。
毒を使う魔物。
地面そのものが戦いにくい場所もあるだろう。
ルークの胸が高鳴る。
「ここにしよう」
プルが地図の上へ身体を伸ばす。
「ぷる?」
「次は湿地の町、リューデン」
レイが顔を上げる。
ソラは窓辺からこちらを見ていた。
「山とは全然違う魔物がいるみたいだよ」
それだけで楽しみだった。
どんな魔物がいるのか。
どんな進化条件が見つかるのか。
そして、三匹がどこまで強くなるのか。
「明日の朝、出よう」
三匹へ言う。
プルが元気よく跳ねる。
レイは静かに尻尾を動かす。
ソラも窓辺から翼を広げた。
翌朝。
グランゼルの西門。
ルークは一度だけ振り返った。
鉱山都市グランゼル。
ここへ来た時、プルはまだハイスライムだった。
レイも進化したばかりだった。
それが今では違う。
キングスライムになったプル。
さらに成長したレイ。
そして新しい仲間、ソラ。
ルーク自身にも新しい装備と経験が増えた。
「行こうか」
ルークが歩き出す。
プルが隣を跳ねる。
レイが少し前へ出る。
ソラは門を抜けた瞬間に翼を広げ、青い空へ舞い上がった。
一度高く上昇すると、大きく旋回してルークたちの進む方向へ飛んでいく。
その姿を見上げながら、ルークは笑った。
世界はまだ広い。
見たことのない魔物も、知らない進化も、この先にいくらでも待っている。
プルの進化も終わりではない。
レイにも次がある。
ソラにどんな進化先があるのかも、まだ何も分かっていない。
そしてルーク自身も、もっと強くならなければならない。
一人と三匹。
新しい旅が始まる。
次の目的地は、湿地都市リューデン。
鉱山の山々を背に、ルークたちは西へ続く街道を歩き始めた。




