第29話 王の誕生
岩壁の上空で、ハーピークイーンが巨大な翼を広げた。
周囲に集まった風が何本もの刃となり、逃げ場を塞ぐように広がっていく。これまでの【風刃】とは違い、一発を避ければ終わる攻撃ではない。
「固まらないで! 全員、散って!」
ルークの声と同時に、レイが右へ走り、プルは左へ身体を跳ねさせた。ウィンドホークも高度を下げながら岩壁へ接近し、四人はそれぞれ別の方向へ動く。
直後、風の刃が降り注いだ。
岩が砕け、地面が裂ける。
一発がルークのすぐ横を通過し、風圧だけで身体が大きく揺れた。
「っ……!」
共生恩恵による【身体操作補正】がなければ、そのまま転んでいたかもしれない。踏み込んだ左脚でどうにか体勢を戻し、ルークはハーピークイーンを見上げる。
高い。
プルの触手でも届かない。
レイの爪はもちろん、ルークのスタッフも意味を持たない距離だった。
唯一届くのは、ウィンドホークの【風刃】だけだ。
しかし威力には大きな差がある。
ウィンドホークが翼を振る。
放たれた風刃を、ハーピークイーンは正面から自分の風で弾き飛ばした。
「真正面じゃ駄目だ!」
ルークは敵の動きを追いながら考える。
これまでの戦いなら、レイが敵の側面へ回り、プルが動きを止め、その隙をルークが広げていた。
だが今回は、それができない。
敵が地面へ降りてこない限り、三人は攻撃することさえできない。
ならば。
「降ろすしかない」
ルークの呟きに、レイの耳が動いた。
プルも身体を向ける。
「プル、さっきみたいに動きを見て。レイは僕についてきて」
「ぷる!」
レイが短く吠える。
そしてルークは空を飛ぶウィンドホークを見た。
「君にも頼みたい」
言葉がどこまで伝わるかは分からない。
それでもウィンドホークはルークを見返した。
その目に、逃げる気配はなかった。
ルークはハーピークイーンへ視線を戻す。
「もう一度、僕たちを狙わせる」
敵が高い場所から攻撃してくるなら、こちらから届かせるのではなく、向こうに降りてきてもらえばいい。
そのためには、狙わせる相手が必要だった。
「僕が前に出る」
レイがすぐにルークを見る。
プルも激しく身体を揺らした。
「大丈夫。無茶するつもりじゃないよ」
ルークはそう言ったものの、危険なのは分かっている。
ハーピークイーンの鉤爪をまともに受ければ、軽装の革鎧など簡単に裂かれるだろう。
それでも、敵が最も警戒していないのはルーク自身だ。
プルやレイほど素早くない。
ウィンドホークのように空も飛べない。
敵から見れば、最も仕留めやすい。
だからこそ使える。
「レイ、来たら教えて」
レイがルークの横へ並ぶ。
ルークはスタッフを握ったまま、岩場の中央へ歩き出した。
ハーピークイーンが上空から見ている。
「ほら。僕はここだよ」
当然、挑発の言葉が通じているわけではない。
それでもルークが仲間から離れたことは理解したらしい。
巨大な翼が傾く。
身体がこちらを向いた。
レイが低く唸る。
来る。
ルークは動かなかった。
まだ遠い。
ハーピークイーンが高度を下げる。
十メートル。
八メートル。
鉤爪が前へ出る。
「まだ……」
レイの身体が緊張している。
プルも触手を広げたまま待っている。
ウィンドホークは上空へ回り込み、ハーピークイーンよりさらに高い場所を取った。
五メートル。
ルークにも巨大な鉤爪がはっきり見える。
怖くないはずがなかった。
心臓が速くなる。
それでも目を逸らさない。
「今!」
レイが吠えた。
ルークは横へ飛ぶようにして地面を蹴った。
直後、巨大な鉤爪がさっきまで立っていた場所へ振り下ろされる。
ハーピークイーンは獲物を逃した。
だが、すぐには上昇できない。
「プル!」
三本の触手が同時に伸びた。
一本が右脚。
もう一本が左脚。
最後の一本が翼の付け根へ巻きつく。
「ぷるぅぅ!」
プルが身体を大きく広げ、触手を【硬化 Lv.3】で固定した。
ハーピークイーンが翼を羽ばたかせる。
プルの身体が地面を滑った。
一匹だけでは止められない。
「レイ!」
レイが走った。
ハーピークイーンへ攻撃するのではなく、プルから伸びている触手の一本を前脚で踏みつける。
自分の体重まで使って押さえた。
ルークも同じように別の触手へスタッフを差し込み、岩の隙間へ押し込んだ。
「上がらせない!」
それでもハーピークイーンの力は強い。
翼を一度振られるたび、プルの身体が引きずられる。
触手が一本、外れかける。
その時だった。
上空から青灰色の影が落ちてきた。
ウィンドホーク。
【急降下 Lv.2】。
これまでで最も速い。
狙いはハーピークイーンの翼だった。
鉤爪が翼の付け根へ食い込む。
「ギィアアアッ!」
ハーピークイーンが初めて大きな悲鳴を上げた。
ウィンドホークはそのまま翼を振る。
【風刃 Lv.1】。
至近距離から傷口へ直撃した。
羽が舞う。
巨大な翼の一部が裂ける。
ハーピークイーンが激しく暴れ、プルの触手が一本切れた。
「ぷるっ!」
プルが弾かれる。
拘束が緩む。
敵が再び浮かび上がろうとする。
「逃がさない!」
ルークはスタッフを握り直し、地面を蹴った。
狙うのは足。
ハーピークイーンが飛び立つために蹴ろうとした瞬間、その関節へ金属部分を叩き込む。
鈍い手応え。
敵の身体が傾く。
そこへレイが飛び込んだ。
【疾走 Lv.3】の速度をそのまま乗せ、傷ついた翼の付け根へ【爪撃 Lv.3】を振り抜く。
さらに傷が深くなる。
ハーピークイーンは飛び上がった。
だが、先ほどまでとは違う。
片方の翼がうまく動かない。
高度が上がらない。
「届く!」
プルがすぐに体勢を立て直した。
二本の触手が伸び、再びハーピークイーンの脚を捕らえる。
今度は引きずり下ろす必要すらなかった。
傷ついた敵は低い高度しか保てない。
ウィンドホークが側面から追い立て、プルが逃げる方向を塞ぎ、レイが地上から走る。
三匹が自然に動いていた。
ルークの指示を待っているわけではない。
互いの位置を見ている。
互いが何をするのか分かっている。
そして、その中心にいたのはプルだった。
「ぷる!」
一本の触手が右へ振られる。
レイがすぐに方向を変える。
もう一本が上へ向く。
ウィンドホークがハーピークイーンの左側へ回り込む。
「そうか……」
ルークは気づいた。
プルは、自分が一番強いから指示しているのではない。
自分で全部を倒そうとしているわけでもない。
レイならどこへ行けるか。
ウィンドホークなら何ができるか。
ルークが何を狙っているか。
それを見て、それぞれが最も力を出せる場所を示している。
キング。
王。
その意味が、ようやく分かった気がした。
「プル! 僕も使って!」
プルが振り返る。
ルークはスタッフを構えた。
「僕はどこ?」
一瞬の間。
そしてプルの触手が一本、ハーピークイーンの右脚を示した。
「分かった!」
ルークは走る。
レイが正面から敵を牽制する。
ウィンドホークが頭上から風刃を放つ。
ハーピークイーンは左へ避けようとするが、そこにはプルの触手が待っている。
逃げ場がない。
ルークは右脚へ回り込み、これまで何度も狙ってきた関節へスタッフを振り抜いた。
一撃。
まだ折れない。
二撃目。
ハーピークイーンが鉤爪を振るう。
ルークは【危険察知】に従い、身体を後ろへ引いた。
爪が胸元をかすめる。
革鎧の表面が裂けた。
「まだ!」
もう一度踏み込む。
三撃目。
鈍い音が響いた。
ハーピークイーンの右脚が崩れる。
身体が大きく傾いた。
「ぷるぅぅ!」
その瞬間、プルが全ての触手を引いた。
ハーピークイーンが地面へ叩きつけられる。
レイが走る。
ウィンドホークが急降下する。
二匹の攻撃が同時に入った。
【爪撃 Lv.3】。
【風刃 Lv.1】。
狙う場所は同じ。
傷ついた翼の付け根。
ハーピークイーンが激しく鳴き、最後の力で身体を起こそうとする。
まだ動く。
「終わってない!」
ルークが叫ぶ。
巨大な翼が動く。
風が集まる。
至近距離から【風刃 Lv.3】を放つつもりだ。
この距離では避けられない。
だがプルは逃げなかった。
ルークたちの前へ出る。
青い身体が大きく広がった。
【硬化 Lv.3】。
身体の前面が硬くなる。
「プル!」
風刃が直撃した。
プルの身体が大きく歪む。
硬化した表面が削られ、青い身体の一部が飛び散った。
それでも後ろへ下がらない。
レイを。
ウィンドホークを。
ルークを。
全員まとめて守っている。
「ぷるぅぅぅ!」
プルが耐える。
風が止んだ。
身体は傷だらけだった。
それでも倒れない。
ハーピークイーンは最後の攻撃で力を使い切ったのか、翼を動かすことができなくなっていた。
その姿を見たレイが地面を蹴る。
ウィンドホークも翼を広げる。
だが、二匹はすぐには飛び込まなかった。
一度だけプルを見る。
プルが触手を前へ向けた。
行け。
そう言っているようだった。
レイとウィンドホークが同時に動いた。
銀灰色の影が地上を走る。
青灰色の影が空から落ちる。
【爪撃 Lv.3】が首元を切り裂き、【急降下 Lv.2】を乗せた鉤爪が胸元へ食い込んだ。
ハーピークイーンの巨大な身体が揺れる。
ルークも最後の一歩を踏み込んだ。
「これで、終わりだ!」
スタッフを両手で振り抜く。
狙ったのは首の付け根。
レイが作った傷へ重ねる。
金属部分が深く入り、ハーピークイーンの身体が地面へ倒れた。
しばらく翼が小さく動いていた。
やがて、それも止まった。
静かになった岩場に、荒い呼吸だけが残った。
ルークはその場に座り込みそうになるのを堪え、真っ先にプルへ向かった。
「プル、大丈夫!?」
「ぷ……る」
返事は弱い。
それでも身体は動いている。
風刃を受けた場所には深い傷が残っていたが、核までは届いていない。
「よかった……」
ルークが手を添えると、プルは安心したように身体を預けてきた。
レイも近づく。
ウィンドホークも降りてきた。
三匹が自然とプルの周りへ集まった。
その時だった。
ルークの目の前に、いくつもの表示が浮かんだ。
【強敵の討伐を確認しました】
【複数個体を統率した戦闘行動を確認しました】
【仲間を守るため、自ら前へ出る行動を確認しました】
【仲間からの自発的な追従を確認しました】
そして最後の一行が現れる。
【統率行動:3/3 達成】
ルークは息を止めた。
すぐに次の表示が続いた。
【キングスライムへの進化条件を全て達成しました】
【Lv:20/20 達成】
【統率行動:3/3 達成】
【硬化 Lv.3:達成】
【変形 Lv.2:達成】
【吸収 Lv.2:達成】
【特殊条件:硬質素材三種吸収 達成】
【進化が可能です】
「プル……」
ルークが名前を呼ぶ。
プル自身にも何か分かるのか、傷ついた身体を小さく震わせた。
「やっとだね」
最初は、森で傷ついていた一匹の小さなスライムだった。
まともに戦うこともできず、魔物に追われれば逃げるしかなかった。
それでもルークを守ろうとした。
レイを守った。
野生のスライムたちを守った。
そして今は、自分より遥かに強い敵を前にしても仲間の前へ立った。
ルークはプルに触れた。
「進化しよう」
「ぷる!」
今度の返事は力強かった。
【進化を開始します】
プルの身体から淡い光が溢れ始める。
最初の進化とは比べものにならない。
青白い光が岩場全体を照らし、プルの身体がゆっくりと大きくなっていく。
レイが一歩下がった。
ウィンドホークも驚いたように翼を広げる。
光の中で、プルの輪郭が変わる。
丸い身体は一回り、さらにもう一回り大きくなる。
透明度の高かった青色は深みを増し、身体の内側に淡い金色の光が生まれていく。
そして頭部にあたる場所へ、何かが浮かんだ。
王冠。
本物の金属ではない。
プル自身の身体から作られた、半透明の小さな冠だった。
光が収まる。
そこにいたのは、今までのプルとは明らかに違うスライムだった。
【進化完了】
【ハイスライム → キングスライム】
【Lv:1】
【スキル】
【吸収 Lv.3】
【変形 Lv.3】
【硬化 Lv.3】
【統率 Lv.1】
【守護 Lv.1】
ルークは表示を見たまま動けなかった。
新しいスキル。
二つ。
【統率】。
そして。
【守護】。
どちらも、これまでプルが積み重ねてきたものそのものだった。
「プル……すごいよ」
キングスライムになったプルが身体を揺らす。
「ぷる!」
声は変わっていなかった。
それが妙に嬉しかった。
見た目が変わっても。
強くなっても。
プルはプルだった。
レイが近づき、鼻先でプルの身体を軽く押した。
プルも嬉しそうに触手を伸ばし、レイの頭へ乗せる。
その横では、ウィンドホークがじっとプルを見ていた。
そして少し迷った後、自分から一歩近づいた。
「キィ」
プルが触手を伸ばす。
ウィンドホークは逃げない。
触手の先が、胸元の羽へ軽く触れる。
「ぷる」
昨日までなら、すぐに嘴で突いていただろう。
だが今日は違った。
ウィンドホークはその場に残ったまま、プルを見返している。
その光景を見ながら、ルークは笑った。
「君も一緒に戦ってくれて、ありがとう」
ウィンドホークがルークを見る。
「僕たちはこの先も旅を続ける。もっと色んな場所へ行くし、今日より強い魔物とも戦うことになると思う」
ウィンドホークは静かに聞いている。
ルークは手を差し出した。
「だからって、無理に来てほしいとは言わないよ。決めるのは君だから」
契約を使うつもりはない。
命令もしない。
ただ選んでほしい。
森へ戻るのか。
空へ帰るのか。
それとも。
一緒に行くのか。
ウィンドホークはルークの手を見た。
プルを見る。
レイを見る。
そして大きな翼を広げた。
一度だけ羽ばたく。
青灰色の身体が宙へ浮かんだ。
そのまま上昇する。
ルークは何も言わず見送った。
空へ戻る。
それが選択なら、それでいい。
ウィンドホークはどんどん高く飛んでいく。
やがて小さな影になった。
「行っちゃったね」
「ぷる……」
プルの身体が少し縮む。
レイも空を見上げたままだった。
ルークは寂しさを感じながらも笑った。
「元々、空を飛ぶ魔物だからね」
そう言って荷物へ手を伸ばした時。
レイの耳が動いた。
風が吹く。
ルークが顔を上げる。
青灰色の影が、空から真っ直ぐこちらへ降りてきていた。
ウィンドホーク。
大きく旋回し。
一度ルークたちの頭上を通り過ぎ。
もう一度戻ってくる。
そしてルークの目の前へ降り立った。
「……戻ってきたの?」
ウィンドホークは答えない。
その代わり、自分からルークへ近づいてきた。
嘴が差し出していた手へ触れる。
今度は一瞬ではない。
そのまま離れなかった。
目の前に表示が浮かぶ。
【対象個体からの自発的な契約意思を確認しました】
【主従関係を拒否】
【対等な関係を希望】
そして。
ルークが初めてプルと出会った時と同じ文字が現れた。
【共生契約が可能です】
ルークは思わず笑った。
「僕たちと来てくれるの?」
「キィ!」
力強い声だった。
「それなら――よろしく」
ルークが触れる。
淡い光が二人を包んだ。
【共生契約が成立しました】
【新たな共生個体が加わりました】
光が消える。
ウィンドホークはもう逃げなかった。
ルークは青灰色の羽を見ながら、少し考えた。
空を自由に飛ぶ姿。
どこまでも高く、遠くへ行けそうな翼。
「名前、ソラっていうのはどうかな」
ウィンドホークは一度首を傾げる。
「空を飛ぶから、ソラ。単純だけどね」
「キィ!」
気に入ったのかどうかは分からない。
ただ、そのままルークの肩へ嘴を軽く当てた。
プルが嬉しそうに跳ねる。
レイも静かにソラを見る。
ルークは三匹を順番に見た。
最初はプルだけだった。
そこへレイが加わった。
そして今。
空を飛ぶ新しい仲間がいる。
プルはキングスライムへ進化した。
レイも次の進化まであと僅か。
まだ見たことのない場所は、この世界にいくらでもある。
「帰ろう」
ルークが言うと、三匹がそれぞれ反応した。
プルが跳ねる。
レイが先頭へ歩き出す。
ソラが翼を広げ、空へ舞い上がる。
グランゼルへ来た時、ルークたちは三人だった。
山を下りる今。
仲間は一匹増え。
プルは新しい姿になった。
そして次に進む準備も、もうできている。
ルークは山の向こうへ続く空を見上げた。
ここでの冒険は、もうすぐ終わる。
だが三匹の仲間と歩く旅は、まだ始まったばかりだった。




