第3話 最弱の二人
翌朝。
ルークが目を覚ますと、最初に目に入ったのは青い塊だった。
「…………」
枕元にいる。
ぷるぷるとした青い身体が、ルークの顔のすぐ横にあった。
「プル?」
「ぷる!」
名前を呼ぶと、元気よく身体が跳ねる。
「おはよう」
「ぷる!」
昨日までとは明らかに反応が違う。
名前を呼ばれたことが分かっているのだろうか。
「もう覚えたの?」
「ぷる!」
「本当かなあ」
ルークが笑いながら身体を起こす。
するとプルも、ぴょこんとベッドから飛び降りた。
「おっと」
傷は母の回復魔法のおかげでかなり塞がっている。
それでも完治したわけではない。
「母さんに無理するなって言われただろ」
「ぷる?」
分かっているのか、いないのか。
プルは身体を傾けた。
その姿を見て、ルークは少し考える。
「……やっぱり、言葉そのものが分かってるわけじゃないのかな」
共生契約を結んでから、プルの感情が以前より分かるようになった気がする。
嬉しい。
怖い。
嫌だ。
安心している。
そういった単純な感情なら、なんとなく伝わってくる。
だが、会話ができるわけではない。
「これも調べないとね」
「ぷる!」
やることが、どんどん増えていく。
それがルークには楽しかった。
朝食を済ませた後。
ルークは家の裏へプルを連れてきた。
目の前には畑が広がっている。
今日は森へ行かない。
母からも、あと数日は無理をさせるなと言われている。
だからまずは、プルに何ができるのかを調べることにした。
「じゃあ、やってみようか」
「ぷる!」
ルークは地面に座り、プルの情報を表示する。
【種族:スライム】
【Lv:1】
【スキル】
【吸収 Lv.1】
【変形 Lv.1】
昨日と変わっていない。
まず気になったのは【変形】だった。
「プル。身体を伸ばせる?」
「ぷる?」
伝わっていない。
「こう……びよーんって」
ルークが両手を左右へ広げてみせる。
「ぷる?」
プルが身体を揺らす。
「伸びる。長くなる。こう」
今度は両手を頭の上へ伸ばす。
「…………ぷる」
プルの身体が少しだけ縦に伸びた。
「おお!」
驚いたルークの声に、プルが元へ戻る。
「今の! もう一回!」
「ぷるっ!」
再び伸びる。
今度は先ほどより少し長い。
「できるじゃん!」
「ぷる!」
褒められたことが分かったらしい。
得意げに身体を揺らしている。
「じゃあ横は?」
ルークが両手を広げる。
プルも横へ伸びる。
「丸く」
「ぷる」
「細く」
「ぷるっ」
形が変わる。
ただし、何にでもなれるわけではない。
細く伸ばそうとしても、せいぜい元の身体の二倍ほど。
複雑な形を作ろうとすると、すぐに崩れてしまう。
「Lv.1だからかな」
ルークは地面に小枝を立てた。
「これに巻きつける?」
「ぷる?」
指で小枝を示す。
さらに手を巻きつけるように動かす。
「こう。ぐるって」
プルが小枝へ近づいた。
身体の一部を伸ばす。
ぺたり。
小枝に触れる。
そこから――。
「ぷるるる……!」
ぷるぷると震えながら、身体を伸ばしていく。
一周。
なんとか小枝へ巻きついた。
「できた!」
「ぷるー!」
次の瞬間。
べちゃ。
力尽きたように地面へ広がった。
「……疲れるんだ」
「ぷぅ……」
明らかに疲れている。
「なるほど」
使い放題ではない。
身体を変形させれば、その分だけ疲労する。
これも重要な情報だった。
ルークは持ってきていた紙へ書き込む。
『変形』
『単純な形なら可能』
『伸ばせる距離には限界あり』
『長時間使用すると疲れる』
前世でもよくやっていた。
新しいゲームを始めると、分かったことを片っ端からメモする。
何回使えば成長するのか。
使用時間なのか。
成功回数なのか。
それとも別の条件なのか。
まだ分からない。
「次は吸収だけど……今日はやめようか」
「ぷる?」
「傷が治ってから。変なもの食べさせて具合悪くなったら困るし」
「ぷる」
ルークはプルを抱き上げた。
「焦らなくていいよ」
ひんやりした身体が腕の中で小さく揺れる。
「ゆっくり強くなろう」
「ぷる!」
それから三日。
ルークは毎日プルと訓練した。
一日目は小枝に巻きつくだけだった。
二日目には少し離れた場所から巻きつけるようになった。
三日目には――。
「プル、あれ!」
ルークが指差す。
「ぷるっ!」
プルの身体が伸びる。
一メートルほど先に置いた木片へ巻きついた。
「引っ張って!」
「ぷるるるる……!」
ずるっ。
木片が動く。
「よし!」
「ぷる!」
最初は身振り手振りで説明しなければ何も伝わらなかった。
だが今では、
「あれ」
「伸ばして」
「引っ張って」
その程度なら、ルークの声と指の動きだけで理解する。
共生契約の影響なのか。
単純にプルが覚えたのか。
まだ分からない。
それでも確実に。
二人は少しずつ、お互いのことを理解し始めていた。
四日目の朝。
母がプルの身体を確認した。
「もう大丈夫そうね」
「本当?」
「傷は塞がってる。でも、いきなり無茶させたら駄目よ」
「分かってる」
「本当に?」
「…………たぶん」
「ルーク」
「分かってるって」
母がため息をつく。
その横ではプルが、
「ぷる!」
元気いっぱいに跳ねていた。
その日の昼。
ルークとプルは森へ向かった。
目的は戦闘。
ではない。
「今日は森を歩くだけだからね」
「ぷる!」
「戦わないよ」
「ぷる!」
「……分かってる?」
「ぷる!」
少し不安になった。
とはいえ、実戦を経験させたい気持ちがないわけではない。
進化条件にはレベルが関係している可能性が高い。
そしてレベルを上げるには、魔物を倒す必要がある。
だが、プルはLv1。
攻撃用のスキルすら持っていない。
ルーク自身も魔物使い。
剣士のような身体能力補正はない。
父から短剣の扱いを教わっているとはいえ、戦闘経験などほとんどなかった。
「二人揃って弱いんだよね」
「ぷる?」
「いや、何でもない」
そんなことを話しながら森を歩く。
プルはルークの足元を跳ねていた。
時々、草へ触れる。
虫を追いかける。
知らないものを見つけるたびに立ち止まる。
「そっち行きすぎないでね」
「ぷる!」
少しずつ。
本当に少しずつ。
人間への恐怖も薄れているようだった。
少なくとも、ルークの前では。
ガサッ。
その時。
前方の草むらが揺れた。
「プル」
ルークが足を止める。
プルも止まった。
ガサガサッ。
何かいる。
ルークは腰の短剣へ手を伸ばした。
現れたのは――。
「ホーンラビット……」
額から短い角を生やしたウサギ型の魔物。
森の浅い場所に生息する。
気性はやや荒いが、魔物の中では最弱に近い。
駆け出し冒険者が最初に戦うような相手だ。
ホーンラビットがこちらを見る。
プルがルークの足元へ隠れた。
「ぷ、ぷる……」
震えている。
「怖い?」
「ぷる……」
無理もない。
少し前に冒険者に斬られ、死にかけたばかりなのだ。
「大丈夫。今日は帰ろう」
ルークはゆっくり後ろへ下がった。
戦う必要はない。
そう思った。
しかし。
「キュッ!」
ホーンラビットが地面を蹴った。
「え?」
速い。
「プル!」
ルークは反射的にプルを抱えて横へ飛んだ。
ザッ!
角が服をかすめる。
「危なっ……!」
地面へ転がる。
プルを抱いたまま、すぐに身体を起こした。
ホーンラビットが向きを変える。
「逃げるよ!」
走る。
だが。
「キュッ!」
後ろから地面を蹴る音。
「速すぎる!」
ウサギとはいえ魔物だ。
普通の十五歳が走って逃げ切れる速度ではない。
ルークは木の陰へ飛び込んだ。
ドンッ!
ホーンラビットの角が木へ突き刺さる。
「今だ!」
ルークは短剣を抜いた。
だが。
手が止まった。
「…………」
刺せない。
ゲームでは何万匹と魔物を倒した。
けれど、現実は違う。
目の前にいる生き物へ刃物を突き立てる。
その感覚は、画面越しとはまるで違った。
迷った一瞬。
ホーンラビットが角を引き抜いた。
「まず――」
体当たりを受けた。
「ぐっ!」
ルークの身体が地面へ転がる。
「プル!」
腕からプルが飛び出した。
「ぷるっ!」
ホーンラビットが再びルークへ向く。
地面を蹴る。
「プル、逃げ――!」
その時だった。
「ぷるうっ!」
プルが動いた。
逃げなかった。
小さな青い身体が。
ルークとホーンラビットの間へ飛び出した。
「プル!?」
震えている。
身体全体が震えている。
怖いのだ。
それでも。
プルは逃げなかった。
「ぷる……!」
ホーンラビットが突っ込んでくる。
ドンッ!
角がプルの身体へ食い込んだ。
「ぷるっ!」
プルが吹き飛ばされた。
「プル!」
地面を転がる。
塞がったばかりの傷が揺れる。
「…………」
頭が真っ白になった。
自分を守ろうとした。
あんなに怖がっていたのに。
プルが。
ルークを守ろうとした。
「……ふざけるな」
短剣を握る。
怖い。
手が震えている。
それでも。
「僕が守られてどうするんだよ」
ホーンラビットが再び地面を蹴った。
ルークへ向かってくる。
「来い!」
今度は逃げない。
直前まで待つ。
怖い。
足が動きそうになる。
それでも待った。
「今!」
身体を横へ投げ出す。
ホーンラビットが通り過ぎる。
「プル!」
「ぷるっ!」
倒れていたプルの身体が伸びた。
三日間。
何度も練習した動き。
細く伸びた身体が、ホーンラビットの後ろ脚へ巻きつく。
「引っ張って!」
「ぷるるるるっ!」
ホーンラビットの体勢が崩れた。
「キュッ!?」
転倒する。
「そのまま!」
ルークは走った。
短剣を両手で握る。
怖い。
それでも。
目を逸らさなかった。
「ごめん!」
短剣を突き立てた。
「キュ――!」
一度。
暴れる。
ルークは必死に短剣を握り続けた。
やがて。
ホーンラビットの身体から力が抜けた。
静かになった。
「…………」
ルークは動けなかった。
短剣を握る手が震えている。
初めて。
生き物を殺した。
「…………ごめん」
もう一度、小さく呟いた。
嬉しいとは思えなかった。
ゲームのように、勝利の音楽が鳴るわけでもない。
ただ。
生き残った。
その事実だけがあった。
「プル!」
ルークは我に返って駆け寄る。
「大丈夫!?」
「ぷ……る」
弱々しい。
しかし返事はある。
「よかった……」
抱き上げる。
傷はある。
だが、昨日までの傷ほど深くない。
「なんで前に出たの」
「ぷる……」
「怖かったんでしょ?」
「ぷる……」
震えている。
やはり怖かったのだ。
それでもプルはルークを守った。
「僕を守ってくれたんだね」
「ぷる」
ルークは何も言えなくなった。
代わりに、小さな身体を抱きしめた。
「ありがとう」
「ぷる……」
その時。
二人の前に文字が浮かび上がった。
【ホーンラビットを討伐しました】
【経験値を獲得しました】
【プルのレベルが上昇しました】
【Lv:1 → Lv:2】
「…………」
ルークは表示を見る。
そして腕の中のプルを見る。
「レベル……上がった」
「ぷる?」
たった一つ。
Lv1からLv2。
それだけだ。
ゲームなら何とも思わなかったかもしれない。
序盤のレベルアップ。
数分もあれば到達する数字。
けれど今は違う。
死にかけた。
怖かった。
プルも傷ついた。
二人で必死になって。
ようやく一匹を倒した。
その結果のLv2だった。
「やったね、プル」
「ぷる?」
「僕たち、勝ったんだよ」
「…………ぷる」
「Lv2だ!」
「ぷる!」
「やった!」
「ぷるー!」
森の中で。
一人と一匹が喜ぶ。
最弱クラスの魔物を一匹倒しただけ。
誰かが見ていたなら、きっと笑っただろう。
けれど。
ルークとプルにとっては。
間違いなく、大きな一歩だった。
そしてルークはまだ知らない。
この小さな一歩が。
やがて世界に名を轟かせる一匹の魔物にとって。
最初のレベルアップだったことを。




