第26話 傷ついた風の鳥
ハーピーの甲高い鳴き声を追い、ルークたちは岩場を駆けていた。
先頭を走るレイは【気配察知 Lv.3】を使いながら、迷うことなく岩の間を進んでいく。ルークも共生恩恵によって以前より身体を動かしやすくなっており、足場の悪い斜面でも大きく遅れることはなかった。
「レイ、まだ生きてる?」
問いかけると、レイは走りながら一度だけ振り返った。その直後、前方からハーピーの甲高い鳴き声が響き、ルークは握っていたスタッフに力を込める。
まだ戦っている。
大きな岩を回り込むと、少し開けた場所へ出た。
そこには二体のハーピーがいた。
そして二体が狙っている先には、岩壁を背にして一匹の鳥型の魔物がうずくまっていた。
青みがかった灰色の羽を持ち、翼を広げれば一メートルを超えるほどの大きさがある。普通の鳥より遥かに鋭い鉤爪と嘴を持っているが、左の翼からは血が流れ、何枚もの羽が抜け落ちていた。
それでも鳥型の魔物は逃げようとはしていなかった。
飛べないのだろう。
岩壁を背にしながら翼を可能な限り大きく広げ、二体のハーピーを威嚇している。
「怪我してるのに、まだ戦うつもりなのか」
ルークが呟いた直後、一体のハーピーが翼を広げた。
狙いは鳥型の魔物。
「プル!」
ルークが叫ぶより早く、プルの触手が伸びた。
ハーピーの鉤爪が鳥へ届く寸前、その胴体へ青い触手が巻きつく。空中で動きを止められたハーピーは甲高い声を上げ、激しく翼を羽ばたかせた。
もう一体のハーピーがルークたちの存在に気づく。
「来るよ!」
ハーピーが翼を強く羽ばたかせ、一気に距離を詰めてきた。
レイが正面から迎え撃つ。
【疾走 Lv.3】で加速したレイはハーピーの真下へ潜り込み、そのまま地面を蹴って跳び上がった。【爪撃 Lv.3】が脚を切り裂くものの、致命傷にはならない。
傷ついたハーピーはすぐに上昇した。
「やっぱり空に逃げられると追えない!」
これまでの相手とは明らかに違う。
ただ飛べるというだけで、こちらの攻撃できる機会が大きく減ってしまう。
ハーピーは上空を旋回しながらレイの背後へ回り、翼を畳んで急降下してきた。
しかし、レイには【気配察知 Lv.3】がある。
背後を振り返ることなく攻撃を察知すると、鉤爪が届く寸前で横へ跳んだ。攻撃を外したハーピーが地面すれすれまで高度を落とす。
「今なら届く!」
ルークも走った。
新しいスタッフを両手で握り、横から翼の付け根を狙って振り抜く。金属で補強された先端が直撃すると、ハーピーは悲鳴を上げながら地面へ転がった。
そこへレイが飛び込む。
【爪撃 Lv.3】が深く入り、一体目のハーピーが動かなくなった。
「プルの方は!」
ルークが振り返ると、もう一体のハーピーはまだプルの触手から逃れようと暴れていた。
プルは三本の触手を使っている。
一本を胴体へ巻きつけ、もう一本で片方の翼を押さえ、最後の一本は近くの岩へ巻きつけて自分の身体を固定していた。
ハーピーが激しく羽ばたくたび、プルの身体が浮き上がりそうになる。
それでも離さない。
「プル、そのまま引きずり下ろして!」
「ぷるぅ!」
プルが身体を縮めるようにして触手を引いた。
ハーピーの高度が少しずつ下がっていく。
三メートル。
二メートル。
そしてレイの爪が届く距離まで降りた瞬間、銀灰色の身体が地面を蹴った。
【疾走 Lv.3】の勢いを乗せた【爪撃 Lv.3】が、ハーピーの胸を深く切り裂く。
プルが拘束を解くと、ハーピーは地面へ落下した。
しばらく痙攣していた身体も、やがて動かなくなる。
「飛ぶ相手って、こんなに戦いにくいんだな……」
ルークは息を整えながら空を見上げた。
二体だったから問題なく倒せたが、もし五体、十体と現れたら話は違う。
プルは触手を伸ばせるものの距離には限界があり、レイも高く飛ぶ相手には爪が届かない。ルーク自身もスタッフしか持っていないため、遠距離への攻撃手段がなかった。
今の三人には、空から一方的に攻撃してくる相手への対抗手段が少なすぎる。
「遠距離攻撃も考えないと駄目だね」
ルークが呟くと、レイも倒れたハーピーを見ながら耳を動かした。
また一つ、三人に足りないものが分かった。
ただ、今はそれよりも先に確認することがある。
ルークは岩壁へ顔を向けた。
「大丈夫?」
助けた鳥型の魔物が、こちらを睨んでいた。
近くで見ると、思っていたより若い個体に見える。身体はまだ細く、翼も胴体に対して少し大きいため、完全に成長した個体ではないのかもしれない。
しかし、その目つきだけは鋭かった。
特にルークを見る目には、はっきりとした警戒心が浮かんでいる。
「近づかない方がいいかな」
ルークは敵意がないことを示すため、持っていたスタッフを地面へ置いた。
両手を見える位置に出したまま、ゆっくりと一歩だけ近づく。
「僕たちは敵じゃないよ。もうハーピーはいないから」
「キィッ!」
鳥型の魔物が翼を広げて威嚇した。
しかし左翼を動かした瞬間に痛みが走ったのか、すぐに翼を下ろしてしまう。
かなり痛そうだった。
「その傷だけでも治療させてくれないかな」
もう一歩近づいた瞬間、鳥型の魔物が素早く首を伸ばした。
鋭い嘴がルークの手の甲を突く。
「痛っ!」
思わず手を引く。
血が出るほどではないが、かなり痛い。
「……それだけ元気なら少し安心したけど」
鳥型の魔物は勝ち誇るようにルークを睨んでいる。
その様子を見ていたレイが一歩前へ出た。
鳥型の魔物もすぐにレイへ顔を向ける。
数秒間、二匹の視線がぶつかった。
レイは動かない。
鳥型の魔物も引かない。
「キィッ!」
先に声を上げたのは鳥の方だった。
レイの耳がわずかに後ろへ動く。
「喧嘩はしないでよ」
二匹の間へ入ったのはプルだった。
「ぷる!」
いつも通りの調子で近づいていく。
鳥型の魔物は、今度はプルへ鋭い嘴を向けた。
「ぷるっ!?」
嘴が青い身体へ突き刺さる。
しかしプルの身体は柔らかい。
嘴が沈んだ次の瞬間、弾力のある身体に押し返されるように弾かれた。
鳥型の魔物が驚いたように首を傾げる。
「ぷる?」
プルは気にした様子もなく、もう一度近づいた。
再び嘴が飛んでくる。
また身体が沈み、弾き返す。
「……何してるんだろう」
ルークは思わず笑ってしまった。
プルは攻撃されているのに楽しそうで、鳥型の魔物は自分の嘴が通用しないことに苛立っているように見える。
三度目に嘴が飛んできた時、今度はプルが身体を横へ動かした。
空振り。
「キィ!?」
鳥型の魔物が明らかに驚いた。
プルは嬉しそうに一度跳ねる。
それが気に入らなかったのか、鳥型の魔物がプルを追いかけようとした。
だが二歩ほど進んだところで左翼の痛みを思い出したらしく、足を止める。
「プル、遊ぶのは傷を治してからね」
「ぷる」
プルは素直にルークのところへ戻ってきた。
鳥型の魔物はまだ三人を警戒している。
それでも最初よりは、わずかに空気が変わった気がした。
ルークは少し距離を取ったまま【従魔鑑定】を使う。
【種族:ウィンドホーク】
【Lv:7】
【状態:負傷】
【スキル】
【飛翔 Lv.2】
【風刃 Lv.1】
【急降下 Lv.2】
「ウィンドホーク……」
初めて見る種族だった。
飛行能力だけでなく、【風刃】という遠距離攻撃らしきスキルまで持っている。
先ほどハーピーと戦ったばかりだからこそ、その能力がどれほど魅力的なのかよく分かる。
飛行。
空からの偵察。
遠距離攻撃。
どれも今の三人にはないものだった。
「すごいな……」
思わず声に出すと、ウィンドホークが警戒するようにルークを見る。
「いや、何もしないよ。ちょっと君のスキルが面白くて」
当然、言葉が伝わった様子はない。
ルークは苦笑しながら鞄を開き、母から教わった傷薬を取り出した。
「とりあえず、これだけ使わせて」
ウィンドホークの前で薬草を自分の腕へ少し塗って見せる。
毒ではないと説明したかったが、どこまで意味が伝わるのかは分からない。
だから無理には近づかなかった。
その場で待つ。
プルもルークの隣で待ち、レイは少し離れた場所に座った。
一分。
二分。
誰も動かない。
やがてウィンドホークが、警戒しながらも左翼を少し下げた。
「……触ってもいい?」
返事はない。
ルークはゆっくり近づいた。
今度は嘴が飛んでこない。
傷を確認すると、ハーピーの鉤爪によって深く切り裂かれていた。幸い骨までは傷ついていないようだが、これではしばらくまともに飛べないだろう。
「少し染みるよ」
傷口を綺麗にしてから薬草を塗る。
「キィッ!」
ウィンドホークが身体を大きく動かした。
「ごめん。でも、もう少しだけ我慢して」
逃げようとするウィンドホークの前へ、レイが静かに立った。
何をするわけでもない。
ただ見ている。
ウィンドホークもレイを睨み返したが、やがて諦めたように身体から力を抜いた。
「ありがとう」
治療を終え、傷口を守るように細い布を巻く。
ルークが手を離すと、ウィンドホークはすぐに自分の翼を確認した。
「骨は大丈夫そうだから、数日休めばまた飛べると思う」
もちろん言葉が通じているかは分からない。
それでもルークは説明した。
「僕はルーク。こっちがプルで、あっちがレイ」
「ぷる!」
名前を呼ばれたプルが跳ねる。
レイは相変わらず静かに座っている。
ウィンドホークは三人を順番に見た。
「君は……まあ、今はいいか」
野生の魔物に勝手に名前をつけるのは違う。
このウィンドホークがルークたちと一緒に来ると決まったわけでもない。
傷が治れば空へ戻る。
それが自然だろう。
ルークは鞄から干し肉を一枚取り出し、ウィンドホークの少し前へ置いた。
「食べられるならどうぞ」
ウィンドホークは干し肉を見る。
次にルークを見る。
それでも食べようとはしない。
「僕たちがいると嫌かな」
ルークはプルとレイを連れて少し離れた。
岩陰まで下がり、そこから様子を見る。
しばらくは何も起こらなかった。
ウィンドホークは干し肉を見つめているだけだったが、やがて周囲を確認しながら少しずつ近づいていく。
嘴で一度突く。
匂いを確かめる。
そして、ようやく食べ始めた。
「食べたね」
ルークが小声で言うと、プルが嬉しそうに跳ねようとした。
「今は静かにしてよう」
プルは慌てて身体を低くする。
それでも身体全体が小さく揺れているので、喜んでいることは隠せていなかった。
ウィンドホークの傷を考え、ルークたちはその日は山を下りないことにした。
この状態で一匹だけ残せば、またハーピーや別の魔物に襲われる可能性がある。
近くの比較的安全な岩陰を見つけ、そこで夜を過ごす準備をした。
夕方になる頃には小さな焚き火ができていた。
ルークの隣にはプルがいて、その少し先にはレイが伏せている。
ウィンドホークは三人から少し離れた岩の上にいた。
同じ場所にはいる。
だが、まだ仲間ではない。
ルークは干し肉を食べながら、岩の上にいるウィンドホークを眺めた。
ウィンドホークは夕焼けに染まる空を見つめている。
時折、左翼を広げようとする。
しかし痛みが残っているのか、途中で止めてしまう。
「飛びたいよね」
声をかけると、ウィンドホークがルークを見る。
「僕も空を飛べたら楽しそうだと思うよ。上からなら、この山の向こうだって見えるんだろうし」
ウィンドホークは意味が分からないのか、少しだけ首を傾げた。
ルークも同じように空を見上げる。
グランゼルの山々。
その向こうには、まだ知らない土地が広がっている。
森もある。
海もある。
砂漠や雪山もあるかもしれない。
そこには、ルークがまだ一度も見たことのない魔物がいる。
「僕たちは、これから世界中を回るんだ」
隣でプルが身体を揺らす。
レイも伏せたまま耳だけをこちらへ向けていた。
「色んな魔物を見て、色んな場所へ行って、もっと強くなる。だから空から世界を見られたら、きっと面白いだろうな」
ウィンドホークにどこまで伝わったのかは分からない。
しばらくルークを見ていたが、やがて再び夕焼けの空へ顔を向けた。
それ以上、ルークは話しかけなかった。
仲間になってほしいとは言わない。
契約を求めるつもりもない。
ただ、傷が治るまではここにいればいい。
それだけだった。
翌朝。
ルークが目を覚ますと、最初に確認したのは岩の上だった。
ウィンドホークはまだいる。
夜の間に飛べるようになって去ったのではないかと少し思っていたが、左翼の傷は一晩で治るほど軽くないらしい。
「おはよう」
ウィンドホークが片目だけ開けてルークを見る。
返事の代わりなのか、そのまま目を閉じた。
「……まだ眠いのかな」
起き上がったルークは、昨夜置いておいた食料袋へ手を伸ばした。
そこで動きが止まる。
「……あれ?」
昨日より明らかに軽い。
中を見る。
干し肉がない。
一枚だけではない。
予備として入れていた三枚全てが消えている。
ルークはゆっくりと岩の上を見る。
ウィンドホークは目を閉じたまま動かない。
その嘴の横に、小さな肉の欠片がついていた。
「食べたでしょ」
片目が開く。
「僕の朝ご飯も入ってたんだけど」
ウィンドホークは反対側を向いた。
知らない。
そんな態度にしか見えない。
その様子を見ていたプルが身体を大きく揺らした。
「ぷるぷる!」
明らかに笑っている。
「キィッ!」
ウィンドホークが怒ったように鳴き、岩から飛び降りた。
そのままプルを追いかける。
プルは楽しそうに逃げ回り、飛べないウィンドホークが地面を走って追いかける。
レイも騒ぎで目を覚ました。
最初は興味がなさそうに二匹を見ていたが、尻尾だけがゆっくりと左右へ動いている。
「朝から元気だなあ……」
ルークは苦笑しながら立ち上がった。
傷が治れば、このウィンドホークは空へ帰っていくだろう。
それまでの短い付き合いになるのかもしれない。
それでも昨日よりは、ほんの少しだけ距離が縮まっている。
プルを追いかけていたウィンドホークが途中で立ち止まり、左翼を少し広げた。
まだ痛みは残っている。
それでも昨日より、わずかに高く持ち上がっていた。
ルークはその様子を見ながら、今日一日は無理をさせずに休ませようと決めた。
まだ名前すらない一匹のウィンドホーク。
仲間になるかどうかも分からない。
ただ、ルークたち三人と過ごす時間は、どうやらもう少しだけ続きそうだった。




