第12話 並んで歩く
それから三日。
ルークは毎日、森へ通った。
狼の傷は。
少しずつ良くなっていた。
「今日はどう?」
「…………」
返事はない。
けれど。
もう唸らない。
ルークが近づいても。
牙を剥かない。
それだけでも。
最初に比べれば大きな変化だった。
「見せて」
ルークがしゃがむ。
狼は少しだけ警戒する。
それでも。
逃げない。
包帯を外す。
「うん」
傷口は塞がり始めている。
まだ完治ではない。
だが。
赤みは引いていた。
「もう少しだね」
「ぷる!」
プルが横で跳ねる。
狼がちらりと見る。
最近。
この二匹の距離も変わってきた。
最初は。
プルが近づくだけで警戒していた。
今では。
「ぷる」
プルが近くへ寄っても。
狼は気にしない。
むしろ。
たまに。
プルの動きを目で追っている。
「…………」
ルークはそれに気づいていた。
この狼は。
よく見ている。
ルークを。
プルを。
森を。
何か物音がすれば。
真っ先に耳が動く。
風向きが変われば。
鼻を上げる。
鳥が飛び立てば。
そちらを見る。
「やっぱり頭いいな」
狼の耳が動く。
「聞こえてる?」
「…………」
顔を逸らした。
「ぷる」
「なんかプルより話通じてる気がする」
「ぷる!?」
プルが跳ねた。
「冗談だよ」
「ぷぅ……」
治療が終わる。
ルークは立ち上がった。
「じゃあ今日は帰るね」
「ぷる!」
いつものように。
その場を離れる。
狼は。
ついてこない。
これもいつも通りだった。
ルークはもう。
無理に誘わなくなっていた。
「また明日」
そう言って。
歩き始める。
森を抜ける前。
「ぷる?」
プルが止まった。
「どうしたの?」
「ぷる」
後ろを見る。
「…………」
狼がいた。
少し離れた場所。
こちらを見ている。
「え?」
昨日までは。
治療を終えた場所から動かなかった。
「ついてきた?」
狼は動かない。
「…………」
ルークも立ち止まる。
しばらく。
見つめ合う。
「一緒に来る?」
狼の耳が動く。
けれど。
近づいてはこない。
「そっか」
ルークは再び歩き出した。
数分後。
振り返る。
いる。
距離は。
十五メートルほど。
「…………」
さらに歩く。
また振り返る。
いる。
「プル」
「ぷる?」
「ついてきてるよね」
「ぷる!」
「やっぱりそうだよね」
ルークは笑った。
狼は。
一定の距離を保ったまま。
後ろを歩いていた。
近づかない。
でも。
離れもしない。
「まあ、いいか」
それ以上。
何も言わなかった。
そのまま。
森の浅い場所まで来た時だった。
狼が止まった。
「…………?」
ルークも止まる。
狼の耳が。
ぴくり。
動く。
鼻を上げる。
「どうした?」
「…………」
狼は左を見る。
低い茂み。
何も見えない。
「プル」
「ぷる?」
プルも首を傾げる。
その瞬間。
狼が低く唸った。
グルルル……。
「敵?」
ルークが棒を構える。
直後。
茂みが大きく揺れた。
「ブギィィ!」
「っ!」
飛び出してきたのは。
黒い毛。
低い体。
大きく突き出た牙。
「ボア……!」
ルークは息を呑んだ。
村の周辺でも。
たまに話を聞いたことがある。
【フォレストボア】。
ホーンラビットやフォレストラットとは違う。
明確に。
危険な魔物。
「まずい」
大きさは。
ルークの腰より高い。
重量もある。
まともに突進を受ければ。
簡単に骨が折れる。
「プル、下がって!」
「ぷる!」
フォレストボアが地面を蹴る。
「ブギィィィ!」
突進。
速い。
「避けろ!」
ルークが横へ飛ぶ。
プルも逆へ。
ドン!
木へ激突。
幹が大きく揺れる。
「強……!」
以前の相手とは違う。
プルなら戦えるかもしれない。
でも。
一度でもまともに受ければ危険だ。
「プル、脚を――」
ルークが指示を出そうとした。
その時。
狼が。
動いた。
「え?」
傷が治りきっていない脚。
それでも。
地面を蹴る。
低い姿勢。
一気にフォレストボアの側面へ回る。
「グルァッ!」
牙。
後ろ脚へ噛みついた。
「ブギィ!?」
フォレストボアの身体が揺れる。
「なんで!?」
ルークが驚く。
狼は。
助けに入った。
だが。
それだけではなかった。
噛みつく。
すぐ離す。
正面には立たない。
フォレストボアが振り返る。
その瞬間には。
もう逆側へ。
「…………」
ルークは目を見開いた。
「戦い方を知ってる」
若い。
まだ成長途中。
両親も失った。
それでも。
狩りの基本を。
知っている。
「ぷる!」
プルが飛び出そうとする。
だが。
狼が。
「ガウッ!」
短く鳴いた。
「ぷる?」
プルが止まった。
その直後。
フォレストボアが急旋回した。
牙が。
さっきまでプルが向かおうとしていた場所を薙ぐ。
「…………!」
ルークは理解した。
「止めた?」
偶然ではない。
狼は。
フォレストボアの動きを読んでいた。
プルが飛び込めば危険だと。
分かっていた。
「プル!」
「ぷる!」
ルークの頭が切り替わる。
「この子を見て!」
「ぷる?」
「動きに合わせる!」
狼が左へ。
フォレストボアの注意が向く。
「今!」
プルが右から身体を伸ばす。
脚へ。
絡みつく。
「ブギッ!?」
だが。
力が強い。
プルごと引きずる。
「ぷるるるっ!」
「離して!」
プルが解除。
フォレストボアが振り返る。
次はルーク。
「まず――」
その前に。
狼が横から飛び込んだ。
前脚。
噛む。
離れる。
フォレストボアの体勢が崩れる。
「…………」
ルークは気づいた。
狼は。
倒そうとしていない。
隙を作っている。
敵の注意を引く。
向きを変えさせる。
足を止めさせる。
「僕たちが攻撃しやすいように……?」
「グルッ!」
狼がルークを見る。
一瞬。
本当に一瞬。
でも。
その目が。
何かを伝えているように見えた。
「…………」
ルークは息を吸う。
「プル!」
「ぷる!」
「次で決める!」
フォレストボアが突進姿勢に入る。
狼が。
真正面へ立った。
「危ない!」
ルークが叫ぶ。
だが。
狼は逃げない。
ギリギリまで。
待つ。
フォレストボアが加速。
五メートル。
三メートル。
一メートル。
狼が。
横へ跳んだ。
「今だ!」
プルの身体が伸びる。
一本。
前脚。
二本。
後ろ脚。
「全部引っ張れ!」
「ぷるるるるるっ!」
突進中。
前後の脚を同時に引かれる。
「ブギィ!?」
巨体が。
崩れた。
地面へ。
激突。
「狼!」
ルークが思わず叫ぶ。
狼が走る。
フォレストボアの顔へ。
噛みつくのではない。
前脚で。
顔を地面へ押さえた。
「プル!」
「ぷる!」
硬化。
変形。
尖った身体。
「首!」
シュッ!
突き刺さる。
一撃。
浅い。
フォレストボアが暴れる。
狼が飛び退く。
「もう一回!」
シュッ!
二撃目。
そして。
三撃目。
「ブ……ギ……」
巨体から。
力が抜けた。
「…………」
森が静かになる。
「はぁ……」
ルークはその場へ座り込んだ。
「勝った……」
「ぷる……」
プルも広がる。
かなり疲れている。
「大丈夫?」
「ぷる」
そして。
狼。
少し離れた場所。
立っている。
「君も……」
ルークが近づこうとする。
狼が。
一歩下がる。
「…………」
まだ。
触らせるほどではない。
「そっか」
ルークは止まった。
「でも」
笑う。
「ありがとう」
狼は。
何も返さない。
「助かったよ」
「ぷる!」
プルも跳ねる。
狼がプルを見る。
プルが近づく。
今度は。
逃げない。
「ぷる」
プルが身体を揺らす。
狼が。
鼻先で。
プルを軽く押した。
「ぷる?」
「…………」
もう一度。
軽く。
押す。
「ぷる!」
プルが跳ねる。
ルークには。
それが。
よくやった。
そう言っているように見えた。
【フォレストボアを討伐しました】
【経験値を獲得しました】
表示が出る。
【プルのレベルが上昇しました】
【Lv:3 → Lv:4】
「おっ」
「ぷる!」
ルークは笑う。
だが。
すぐ狼を見る。
「君にも経験値って入るのかな……」
契約はしていない。
情報も見えない。
分からない。
「契約してたら分かるんだけど」
その言葉に。
狼がルークを見る。
「…………」
ルークは慌てて手を振った。
「いや、今すぐしようって意味じゃないよ」
「…………」
「君が嫌ならしない」
狼の耳が動く。
「僕は」
少し考える。
「無理やり従わせたいわけじゃないから」
「…………」
「一緒にいたいって思ってくれたら、それでいい」
狼は。
しばらくルークを見ていた。
そして。
顔を逸らした。
町へ戻ろうと。
再び歩き始める。
ルーク。
プル。
そして。
後ろから狼。
「…………」
少し進む。
ルークは振り返らない。
でも。
足音が聞こえる。
四つ足。
一定の間隔。
ついてきている。
森の出口。
見えてきた。
ここまで来れば。
狼は戻るだろう。
そう思った。
だが。
足音は止まらない。
「…………」
森を出る。
狼も。
出た。
「え?」
ルークが振り返る。
「ここから先、町だよ?」
「…………」
狼は立っている。
「森じゃないよ?」
「…………」
「戻らないの?」
狼が。
一歩。
ルークへ近づく。
「…………」
さらに。
一歩。
距離は。
三メートル。
今までより近い。
「ついてくる?」
狼の耳が動く。
返事はない。
けれど。
ルークが歩き出すと。
狼も歩いた。
「ぷる!」
プルが嬉しそうに跳ねる。
「そっか」
ルークも笑った。
「じゃあ、行こう」
街道。
ルークが歩く。
その横を。
プルが跳ねる。
少し後ろを。
狼が歩く。
まだ。
並んではいない。
距離がある。
それでも。
昨日までは。
森で別れていた。
今日は違う。
「…………」
しばらくして。
狼の足音が。
少し近くなった。
ルークは。
気づいても振り返らなかった。
さらに。
少し。
近づく。
そして。
いつの間にか。
狼は。
ルークの斜め後ろを歩いていた。
あと一歩。
それだけで。
横に並べる距離。
「ぷる」
プルが狼を見る。
狼も見る。
プルが。
少しだけ速度を落とした。
狼が前へ出る。
そして。
ルークの隣。
プルの隣。
三つの影が。
街道へ並んだ。
「…………」
ルークは何も言わなかった。
言えば。
また距離を取られる気がしたから。
ただ。
少しだけ笑った。
狼も。
何も言わない。
それでも。
もう。
後ろではなかった。
町の門が見えてきた。
そこで。
狼の足が止まった。
「…………」
人。
馬車。
兵士。
大勢の人間。
狼の身体が強張る。
無理もない。
「怖いよね」
ルークも止まった。
「無理に来なくていいよ」
「…………」
「森で待っててもいい」
狼は町を見る。
ルークを見る。
プルを見る。
そして。
一歩。
踏み出した。
「…………!」
もう一歩。
ルークの横へ。
「行く?」
狼は答えない。
でも。
逃げなかった。
「分かった」
ルークは歩き出した。
その横を。
プル。
そして狼。
三人で。
町の門へ向かう。
その時。
ルークの視界に。
文字が浮かんだ。
「え……?」
【契約可能な魔物が存在します】
心臓が跳ねる。
狼を見る。
【対象:ウルフ】
そして。
その下。
【通常契約】
【従属契約を申請できます】
「…………」
ルークの表情が変わる。
プルの時とは。
違う。
あの時は。
【共生契約の申請を受けました】
そう表示された。
プルから。
ルークへ。
だが今は。
ルークから。
狼へ。
【従属契約を申請できます】
命令し。
従わせる契約。
「…………違う」
ルークは小さく呟いた。
狼が見る。
「これは違う」
表示を閉じる。
申請しない。
狼は。
まだ。
ルークを選びきっていない。
なら。
待つ。
プルの時と同じように。
この狼自身が。
一緒にいたいと。
そう決めるまで。
「行こう」
ルークが歩く。
「ぷる!」
狼も。
ついてくる。
契約は。
まだ必要ない。
今はただ。
同じ道を。
並んで歩ければ。
それでよかった。




