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あるもの  作者:
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 佑真は幸円へ連絡を取った。

 調査結果を報告し、身の回りで感じる不気味な気配についても相談すると、少しでも早く供養ができるように調整してくれた。

 真相を知ってから数日後、蔵を供養する日程が決まった。

 事の運びがあまりにもスムーズで佑真は内心驚いたが、好都合でもあった。

 不吉な視線を感じる頻度が増え、夜中に頻繁に目が覚める。早く供養を終わらせて得体のしれない恐怖から解放されたい。その一心で、お参りができるように準備を進める。

 両肩がだるい。室内の湿った空気がのしかかり、体を押しつぶそうとしているかのようだ。

 深呼吸をして心を落ち着かせる。

 もう少しの辛抱だ。

「生願寺様、準備ができました」

「ありがとうございます」

 幸円は蠟燭に火を点ける。線香から煙が昇ると、陰鬱な空気がわずかに和らいだ。

 軽便曲録と呼ばれる折りたたみの椅子を広げ、幸円は腰を下す。

 まもなく読経が始まる。

「……生願寺様、なぜ僕なのでしょうか」

 何気ない呟きに、幸円は正面の薄闇を見据えたまま答える。

「たまたま気が合う者が蔵に来た。それだけです。登坂さん、これから私がお経をあげます。玲さんと柾さんの心が少しでも晴れるように努めます。一緒に手を合わせましょう」

「はい。一緒に……!」

 幸円の言葉に、佑真だけでなく、準備を見守っていた光司と幸恵も同意する。

 読経が始まった。

 佑真は目を閉じて両手を合わせた。亡くなった二人を思いながら念仏に耳を傾ける。

 ……何者かの気配を感じる。

 気にしてはいけない。お経に集中するのだ。

 しかし気になる。気配が気になってしまう。

 目を開けたらだめだ。

 目を開けたらだめだ。

 目を開けたら……。

 我慢できず、佑真はゆっくりと瞼を上げた。

 視界に飛び込んで来たのは、漆黒の靄だった。お経を上げる幸円にまとわりつくように群がっている。

 ただの霧ではない。なんだあれは。

 じっくり観察をすると、靄の中にいくつもの顔を見つけた。

 おかっぱ頭の女の子、色白の肌に茶色の瞳を持つ男の子、つぶらな瞳のうさぎ、くま、ねこ、犬。どこかで見たキャラクターの顔。どれも鋭利な物で傷つけられたような痕がある。

 ぞわっ、と佑真の産毛が総毛立つ。

 どう見ても、亡くなった玲と柾ではない。

 あれは、ぬいぐるみと人形だ。

 佑真は幸円の発言を思い出す。

 口のないもの、鼻のないもの、耳のないもの、右手がないもの、左足がないもの、親指と人差し指と薬指がないもの、左上腕がないもの、右ふくらはぎがないもの、上半身の皮がないもの、中身がないもの……。

 柾は人形供養のために持ち込まれた品を傷つけた。

 手にした刃で、口を刺し、鼻を突き、耳を削ぎ、右手を落とし、左足を切断し、親指と人差し指と薬指を詰め、左上腕を切り捨て、右ふくらはぎを切り刻み、上半身の布をめくり、中身の綿を出した。

 では残るものは、あるものはなにか。

 目だ。

 柾は目をわざと傷つけずに残した。ぬいぐるみと人形の悲痛な叫びを伝えるために、わざと美しい目を残し、玲へ見せたのだろう。

 佑真は唾を飲み下す。

 どんな形であれ、玲と柾は供養されている。

 読経が必要なのは、供養をされていない、ぬいぐるみ達だ。

 事実を伝えるために、佑真は手を合わせる幸円に近づいた。

「読経中、申し訳ございません。幸円さ……」

 ぎょっとして踏みとどまる。

 話し声がする。

 靄が幸円に話しかけているようだ。若い男の、可愛らしい女の子の、年を重ねた者の、ありとあらゆる声が、呪文のように続いている。

「お母さん、このうさぎが良い!」「雛祭りは女の子のためと言うが、こうして並べると壮観だなあ」「クマさん汚れちゃったから、洗おうか」「あら懐かしい、こんなところにしまってあったのね」「どう、上手いでしょ? 推しにそっくり。手作りなんだ」

 語られるのはどれも楽しい思い出ばかり。大切にされた物に宿る記憶をそのまま話しているのだろう。

 微笑ましい内容に、こちらも思わず笑顔になりそうだが、多くの思い出を一度に語られるのは精神的に堪える。

 たんたんと続けられる読経は、もはや供養というより、自我を保つために続けられているような気もした。

 ここで読経が途切れたら、幸円は靄に取り込まれてしまうかもしれない。

 佑真が戸惑っていると、幸円は突然立ち上がった。

 ひっくり返った椅子が大きな音を立てた。手を合わせていた夫妻が異変に気づく。

 幸円は穴の開いた天井から快晴の空を仰ぐかのように顔を上げると、両目を見開き、笑い始めた。

「あははははははははははははは!」

 ぽっかり開いた口へ吸い込まれるかのように、黒い靄が入り込む。

「あははははははははははははは!」

 幸円の両目は瞬きを忘れ、瞳から涙がこぼれ落ちる。口の端からはよだれが垂れた。

 止まらない。笑いが止まらない。

 夫婦は悲鳴を上げた。死んだ柾にそっくりだと。あのときと同じ、恐ろしいなにかが起こっているのだと、わめく声が聞こえた。

 佑真は戦慄する。そうか、柾はああやって内側から殺されたのか。

「あははははははははははははは!」

 止まらない笑いに抵抗するかのように、幸円は暴れた。燭台がひっくり返り、ベニヤ板に火がついた。あっという間に炎は大きくなり、天井まで燃え上がった。

 蔵の中はパニックに陥った。

「うわああああっ!」

「生願寺様、しっかりしてください!」

「だめよ、だめ。だめだめだめだめっ! 私たちも死ぬのよ! 焼け死ぬのよ!!」

 誰がなにを言っているのか分からない。

 だんだんと、自分の声が聞こえなくなる。

 呼吸をする音さえ不明瞭だ。

 視界は真っ黒になり、なにも見えない。突然真夜中が訪れたようだ。 

 もうだめだ。このまま怪異に殺される。

 あきらめかけたそのとき、誰かの声が聞こえた。

「こっちだ! 早く!」

 顔を上げると、眩い光に目がくらんだ。入り口に誰かが立っている。

 そうだ、入り口は最初から開いている。ここから逃げればよかった。

 声に誘導された光司、幸恵は蔵から飛び出す。佑真は大笑いをする幸円をなんとか連れ出した。

 直後、背後で弾けるような大きな音がした。蔵が燃えている。煙をもうもうとあげて燃えている。

 一同は肩を寄せ合い、震えながら蔵が炎に飲み込まれていく様を眺めた。

 消防車がまもなく到着し、消火活動が開始された。警察と救急車も呼ばれ、閑静な住宅街は騒然となった。

 呆然としていると、消防隊員が声をかけてきた。

「逃げ遅れた方はいませんか?」

「ええ、これで全員だと思うわ。……近隣住民の方が通報してくださったのかしら」

 幸恵の疑問はもっともだった。

 火災が発生してから消防車が来るまでが早すぎる。蔵の中にいた者達は正常な判断はできず、誰も通報していない。火の手に気付いた誰かのおかげだろう。

 消防隊員はわずかに首をかしげた。

「皆様の仲のどなたかではありませんか? 重永玲さんとおっしゃっていました。父と母を助けて欲しいと、大変慌てた様子でしたよ」

「ああ……そうなのね、さきほど見かけたのは」

 幸恵はその場にしゃがみこむと、泣き崩れた。光司は優しくその背中をさする。

「亡くなった、私たちの息子です……」

 蔵から出ると、幸円の大笑いは治まった。しかし顔色は悪い。救急車での搬送が決まった。

 担架に乗せられると、幸円はときたまえずいた。いまにも吐きそうだ。心配になった佑真は付き添いを申し出たが、幸円に断られた。

「それより、寺へ連絡を入れてください。私は体に入ったものを一緒に連れていきます」

「生願寺様、むりをしないでください!」

「残念ながら私はここまでのようです。佑真さん、どうか……耳を、貸してください……」

 幸円はか細い声で佑真に耳打ちをする。これが二人の最後の会話となった。

 近隣の病院へ搬送されると、幸円は駆けつけた妻に看取られながら息を引き取った。

 死因は心臓発作だった。

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