蠢く種子26
凶悪という言葉、その語源になったのではないか。
そんな印象を与えるような凶器が、大きく振りかぶられる。
棍棒、である。
それも、木製の棍棒。
ただし、無数の棘が生えており、たっぷりの血に塗れて赤黒い光を放っている。
原始的な恐怖をあおるような凶器の前に立った男は、覚悟を決めていたはずなのに息を吞んだ。
本能が、後付けの覚悟の奥で脅えたのだ。
振り下ろされる棍棒の殴打に剣を合わせ、いなそうとするも、心身ともに強張って腰が引けた状態では、技も形無しである。
彼の前に倒れた幾人もの味方と同様に、まともに棍棒を受け止めた剣は押し込まれ、防御諸共に顔面を打ち抜かれる。
ざっくりと肉を食い破った棘に、また新たな血肉がこびりつく。
根っこから引き抜かれた雑草のように崩れ落ちた男に、棍棒が再度振り下ろされる。
情け容赦なく、今度は男の右腕を打ち据え、肉を抉って骨をへし折る。
激痛に失神もできなくなった男は、歯を噛み砕く強さで悲鳴を抑える。
一軍の指揮官として、また高貴を自認する人間として、雑兵のように泣き叫んでのたうち回るような無様はさらせないという、男の生き方がそうさせた。
それは戦場にあっても輝くなにかの発露であったが、凶器の持ち主はその程度の輝きに目を眩ませるほど、感性が鈍くはなかった。
「まったく、美しくないわね」
凶悪な棘付き棍棒の使い手、メアリお嬢様は、今しがた一勝を追加した棍棒を残念そうに眺める。
美麗で優雅を好むメアリお嬢様としては、この武器は自分には似合わない、と確信している。
それでも、今のこの戦場では、この武器こそがメアリ・ウェールズの守るべきドレスコードを満たすのだ。
センスの合わないアクセサリを、血振るいする。
こびりついた血肉が、粘ついた音を立てて周囲に飛び散り、苦痛で呻く敗者達に降り注いだ。
全員ではないが、その多くが生きている。生きて、苦痛と恐怖を抱えさせられている。
「き、きさまが……いや、貴殿がっ、血染めのメアリで、相違、ないか……」
メアリによって壊滅させられた一軍の指揮官が、血を滴らせる顔を上げて問いかける。
呼吸すら痛むであろうに、明瞭に声を発するとは並々ならぬ精神力だ。
男の態度に、今度はメアリもいくらか感じ入るものがあったのか、冷めた表情ながらも視線を向ける。
「わたしはメアリ・ウェールズ、血染めと名乗った覚えはないけれど、よくそう言われるわ」
「噂に違わぬ、強さであった、お見事……っ」
「悪い気分ではないわね」
敗者からの称賛に、メアリお嬢様は髪をかき上げながら受け入れる。
どんな時でも、褒め言葉はメアリお嬢様をご機嫌にする。
「だが、その強さがあって何故っ、このように兵を、戦士を嬲り者にされるのか……! 敗れた戦士に名誉の死を与えず、このように生きて苦しめるとは何事か!」
「あら、そんなことを聞きたくて、歯を食い縛っているの? ふぅん?」
つまらないことに力を使うものだと、メアリは意外そうな顔をした。
それは、メアリの中ではあまりに簡単なことだからだ。
「あなた達が戦士だから、嬲り者にしているのよ」
メアリ麾下の軍勢は、なるべく敵を生かすようにその猛威を振るっている。
その最たる例はメアリであり、麾下の兵は運が良ければ生きているように蹂躙しているが、メアリだけは運が良ければ死ねるように蹂躙している。
その生かされた者達を見て、連合国の将兵は恐れおののいた。
メアリに蹂躙された戦士は、戦えないような重傷を負い、治りにくい傷をつけられ、しかもその傷がひどく爛れる。
痛みも相当らしく、連合国の将兵が帰り着く拠点は呻き声で満たされている。
一部隊や二部隊の話ではない。西の魔女とも恐れられるようになった薔薇と狼の旗と戦った部隊は、必ずそうなる。
男も、そうなるのだろう。
折られた腕はしばらく戦闘には耐えられず、不規則に肉が抉られた顔には傷跡が一生残る。
そして、傷口はすでに熱を持ったように疼き始め、じきに爛れる予兆を伝えている。
「貴殿は、戦士から名誉を奪い、弄ぶというのか!」
「必要とあればいくらでも」
薄笑みと共に、メアリは傲然と頷いた。
「あなたは戦士としてこの戦場に立った。よろしい。ならば、あなたの務めは、勝つこと、さもなければ負けること。違って?」
「その通りだ。そこまでわかっていて、何故、敗者をこのような有様で生かしておく必要が」
「わたしは将としてこの戦場に立っている。あるいは為政者として」
男の苦しげな訴えなど聞くつもりはないと、メアリは自らの言葉で塗り潰す。
「ゆえに、わたしの務めは、戦争を終わらせること。可能な限り利益を上げて、さもなければ損耗を減らして」
地を這う敗者を、地に立つ勝者が見下ろす。取るに足らぬ小物を見る眼差しだった。
「敗者を嬲り者にして苦しめることで、連合国に恐怖の種を蒔く。もうこの戦争は嫌だ、もう戦争をやめたい、王国に頭を下げてでも戦争を終わらせたい。連合国の誰も彼もの胸に恐怖の花が咲くまで、何度も何度も、徹底的に苦痛で染め上げてあげるわ」
メアリが、手にした棍棒を杖のように地に着く。
まだ生きていた戦士が、その下で悲鳴を上げた。
「わたしは、あなた達の無残な敗北でもって、この戦争を王国の勝利に導くわ。それは戦士の名誉などどうでもいいほどに重要なことでしょう?」
メアリの発音は、問いかける形ではない。
同意を強要する口ぶりだった。
「戦が終われば、兵が食べる食料、温まるための薪が温存できるわ。若い男が徴収された村に人も戻せる。父や兄の帰りを待つ、妻や母、子も喜ぶでしょう。今は、畑仕事をする人手も足りずに苦労しているから、当たり前ね。次の収穫で冬が越せるだけの蓄えができるかどうか、さぞ不安でしょう」
赤い唇から、憂鬱な溜息が漏れる。
メアリの支配地ではないとはいえ、生産量が落ちるのはもったいない、そう感じてしまう。
場合によっては、自分の物にするかもしれない土地なのに、と。
「戦士は、そんなこと気にもしないのでしょうね。勝てば名誉、負けても名誉。それだけを心配していればいいのだもの。随分と簡単な仕事ね」
戦士の気楽さを、メアリは嘲笑する。
「我々は! 命を懸けて……っ!」
戦士の名誉を重んじる男は、思わず声を荒げて、傷の痛みに言葉を失う。
「なら、死ねば?」
いっそ優しささえ感じる声で、メアリは提案してあげた。
「負けたのに生かされるのが屈辱なのでしょう? なら、負けを恥じて自死をする、という手もあるわ。敗者の分際で勝者の手に甘えなくても、どうぞ? 流石にそれは止めないわ」
ごく当たり前の選択だ。
敗北を含めた失態の責任を取って自決する。それは、戦場にありふれた逸話でもある。
「戦いに命を懸けているのなら、簡単な話でしょう。私の配下にもいるわよ。機会があれば何度でも命を捧げてお役に立ちます、と本気で言っている可愛い可愛い侍女が」
ちょっとだけ、メアリお嬢様は自慢げだった。
そんな自慢の侍女が、今日もメアリの帰りを待っている。ついて行きたいと全身で訴えながらも、野営地を守れと命じられて主人を見送った侍女が、主人の帰りを今か今かと健気に待っている。
わがままなメアリお嬢様でも、そんな可愛い生き物を無下にはできない。
そろそろお家に帰る時間だ。
「それでは、ごきげんよう。名も知らぬ戦士殿」
先程までの叱責に近い会話を思えば、意外なほどに敬意のこもった呼ばれ方をして、男は顔を上げる。
「将として、また為政者として、あなたの言い分は好みでないけれど、それほどの傷を推して問答をなした気の強さは、戦士の誇りとして評価してあげるわ」
メアリは、支配者に相応しい強い笑みを浮かべていた。
「よくぞ、このメアリ・ウェールズに向かって咆えてみせた。あなたの勝者であることを、メアリ・ウェールズは覚えておきましょう」
「か、かたじけ、ない……っ」
背を向けたメアリは、男の血塗れの顔が、どんな表情をしているか知らない。
男は、名誉を得た戦士の顔をしていた。





