蠢く種子24
中庭で待っていると、兵に厳重に守られながらやって来たのは、若い女性だった。
頭巾で髪を押さえて、禁欲的な表情をさらしている。
メアリが相手を見つめているように、相手もはっきりとメアリを見つめていた。
「あなたが、神等教の導師かしら?」
「はい。信者の方々に教えることが多かったため、便宜上導師と名乗っております。名はグレイ、導師グレイと呼ばれています」
女は、はっきりと離反者と同じ名前を名乗った。
自身の出自を隠すつもりはないと示すように、その目には旧知を見る色があった。
「お言葉を交わすのは初めてですね、メアリ・ウェールズ様」
「そう、あなたはわたしを見たことがあるのね」
「メアリ様は、かつての目標の完成形でしたから」
過去形で言われたことに、目の前の人物の立ち方が薄っすらと透けて見える。
離反者グレイは、結社に背を向けて立っている。
「色々と教えているから導師と名乗るようになった、と言ったわね。そこの――」
聖女を包んだ骸布に視線を送って、グレイが引き取りに来た人物を示す。
「聖女にも、あなたが教えていた?」
「はい。負傷者の治療方法や、悩み苦しむ人々を癒す方法を、いくらか。昔の私は、多くの人々を傷つけ、苦しめてしまいました。今は、人々を癒し、救うことで、少しでもこの身の罪を償えればと思い、奉仕させて頂いております」
「そう、その結果、死体を一つ作るだなんて、導師と名乗るには力不足のようね」
結社において、導師とはメアリに次ぐ大幹部の称号である。
彼女が名乗るにあたって、それを意識しなかったはずがない。
結社では名乗れなかったからといって、余所の組織に潜り込んで名乗るとは、鈍したものだとメアリは当てこする。
しかし、導師グレイの禁欲的な表情は、完璧に感情を抑制していた。
「お恥ずかしい限りです。今後、このようなことがないよう、彼女にも改めて教えを授けたる所存です」
「彼女にも、ね」
やはり、蘇生可能な状態か。
メアリは聖女クランマをもう一度見て、グレイを見据える。
「導師グレイ、忠告しておくわ。西部でもここ東部でも、神等教には、面倒をかけさせられた。あなたが神等教の一部であるという自覚があるならば、しっかり統制なさい」
「私ごときが統制などと……。メアリ様、神等教の最も大事な教えは、神の下に人は平等であること。我々には役割の違いがあるだけで――」
「導師グレイ。あなたの教えが必要だと、わたしが言ったように聞こえたかしら?」
支配者の笑みで、メアリは相手の言い分を断ち切った。
「わたしは、あなたにお願いしたいわけではないわ。議論をするつもりもないし、何度も言わない。神等教は二度、わたしの邪魔をした。今は見逃してあげる。でも、それはわたしの気まぐれであって、あなたの力やあなた達の神の力だと思わないことね」
かつて人々を傷つけて苦しめた分、今度は人々を癒し救っていると言った導師に、メアリはその贖罪の手落ちを、親切な口調で教えてやる。
「明日からわたしは、ここの前線で少しばかり暴れてくるわ。なんたって、どこかの聖女様が和平交渉の材料を全てなくしてしまったものだから、戦が長引きそうなの。向こうが和平に前向きになりやすいよう、ちょっとばかり恐がらせてあげる必要があるでしょう?」
明日から積み上げる死体は、貴様の教えを受けた聖女の行いが生み出すものだ。
そう告げられて、導師グレイは沈痛さを表すように目を伏せた。
「この度のことは、私としても重く受け止めております。元より、神等教は戦争に反対の立場。シュタウフェン王族には、私も導師として抗議をするつもりです」
「そう。ならば、できるだけ早く和平が成ることを期待しているわ。わたしも、こんなところで死体を積み上げるより、お家でくつろいでいる方が好みだもの」
嘘偽りのない己の好みを告げて、メアリは首を振って、さっさと失せろと示す。
あくまで支配者の態度に、離反者グレイは恭しく一礼をする。
「承知しました、メアリ・ウェールズ様。かつての私が目指したものに相応しいお姿を拝見できたこと、誠に嬉しく存じます」
しかし、グレイの礼は、支配者に対するものではなく、自分の信じるものに対する態度だった。
「だからこそ、私はあなたを救ってみせます。それが、導師と名乗った私の覚悟ですから」
****
目の前の扉を開ける寸前、導師グレイの動きが止まった。
脳裏に、メアリ・ウェールズの笑みが蘇ったからだ。
肺が、急激にその活動を弱めて、息が苦しくなる。額を冷たい汗が流れ、得体の知れないなにかが迫って来るような焦燥が背中を炙る。
錯覚だ。全て、錯覚だ。
グレイは唇を引き結び、理性で深呼吸を肺に命じた。
二度、大きく息を吐いた時には、導師グレイはいつもの禁欲的な落ち着きを取り戻していた。
「流石は、結社の最高傑作と言ったところですか」
一度顔を合わせただけ、わずかに言葉を交わしただけ。
それだけで、心中に圧倒的な存在感で居座っている。まるで怪物、いや、まさに怪物だ。
グレイは確信する。
あの冷めきった眼差しは、数々の非道を命じたエドワード・ウェールズと同じもの。
あの嘲笑うような笑みは、最高で最悪の頭脳と言われたカミラと同じもの。
心は凍てついているのに、あらゆるものを手にせねば気の済まない強欲な性分。頭脳は英明でありながら、性質は残虐。人の痛みはわからないが、人を支配しようとする気性。
この世の最悪を掛け合わせた、合成獣のような怪物。
それが、メアリ・ウェールズ。
だから、自分が救わなければいけない。
メアリ・ウェールズから、メアリ・ウェールズを含めた全てを。
そう思いを確かめて、導師グレイは目の前の扉を開けた。
グレイの神等教の本拠地、シュタウフェン王族から与えられた屋敷の主賓室である。
造りは豪奢ながら、飾りなどは最低限で質素な装いの部屋。開け放たれたバルコニーに、グレイが呼びに来た人物がいた。
「エリザ、今日のお加減はどうですか?」
普段、感情を抑えて表情を変えないグレイが、柔らかく微笑みながら機嫌をうかがう。
「ああ、いい天気ですね。こんな日は外に出たくなりますから、この部屋にバルコニーがあってよかった」
グレイの声に、バルコニーの人影は動かない。椅子に――車椅子に座ったまま、身じろぎもしない。
それを当たり前のこととして、グレイは声をかけ続けて歩み寄る。
「ですが、あまり日に当たり過ぎてもいけませんよ。また花が増えてしまいますから」
車椅子の人物は、全身を隠していた。ローブは袖も裾も長く、手先も足先まで覆っている。
頭にかぶった頭巾からはヴェールが垂れ、顔も首も見えない。
大聖女エリザベスは、誰にもその姿を見せない。ただ一人、導師グレイを除いて。
グレイは、大聖女のヴェールをまくって頬を撫でる。
「やはり、花が伸びていましたね」
ヴェールの下に生えていた白い花を摘んで、眉をひそめる。
「また少し、成長が早くなっている。残された時間は、そう多くはない、ですか」
険の強い表情を、グレイはすぐに拭って微笑む。
「大丈夫ですよ、エリザ。あなたは、必ず私が救ってみせます。結社とウェールズ家の業から解き放って、あなたが普通に暮らせるように、救ってみせますとも」
物言わぬ相手に優しく、自分に刻みこむように告げながら、また一本、もう一本と聖女の顔に生えていた花を摘む。
ヴェールで隠れて咲いていた白花の下、魔法植物に浸食され、もう十年も意識のない少女の顔がある。
造花のように美しく、生気の感じられないその顔は、グレイが扉の前で思い出した顔とどこか似ている。
その目に冷徹さを宿らせれば、その口元に世を嘲笑うような笑みを浮かべれば――
「もちろん、その時には、あなたの妹のメアリ・ウェールズも、救ってみせます。きっと、姉妹で仲良く、普通に暮らせるようにします」
神等教の大聖女、エリザベス・ウェールズは、自身を侵す花に埋もれて、今日も眠っている。
「だから、長いその眠りから目が覚めたら、あなたも力を貸してね、エリザ」
この少女を目覚めさせるため、多くのことを模索してきた。多方に手を尽くしてきた。
自ら望んだことではあるが、困難に傷つき挫けそうにもなった。
だからこそ、この子は必ず目を覚ます。グレイは信じていた。
だって、人は皆、等しいのだ。
カミラがメアリ・ウェールズを完成させたのならば、自分にだって絶対にできる。
苦労して苦労して、この子のために費やしてきた日々は、必ず報われる。
報われたカミラがいるのならば、平等に、自分だって報われなければならない。
「さあ、エリザ。一緒に行きましょう。もう少し時間がかかる予定だったけれど、色々あって早まったんです。ふふ、あなたの妹、メアリのおかげだったりするのですよ?」
車椅子を押して、グレイは目的を果たすために進む。
彼女がこの国に来たのは、天狼の出現があったからだ。エリザベス・ウェールズを侵食した混沌花を制御するため、天狼を利用できるはずだと考えて、この地へやって来た。
その時に、エリザベス・ウェールズを死亡したことにするという、結社への裏切りを犯してまでここに来た。
ようやくだ。
先の王国との戦争で、天狼は大きく傷ついた。今、天狼の生命を支えているのは、聖女クランマが与えた魔法植物に依存している。
魔法植物の研究に没頭してきた結社の人間にとって、それは心臓を握ることに等しい。
それでも、あの強大な魔物のことだ。時が経てば力を回復して、魔法植物へ依存するのではなく、魔法植物を利用するようになるだろう。
そうなったらもう、グレイの手には負えなくなる。
だから、今、動くのだ。
天狼を、エリザベス・ウェールズの目覚めのために、捧げる。





