蠢く種子23
この戦争の終わりを確信する勝利を、王国軍が掴み取った夜が明けた。
昨夜の解散前に、この日の予定は決められていた。
めでたい勝利を祝い、戦功を上げた者を大いに称賛する席を持つべきだと、東部戦線の総責任者である国王が告げたのだ。
無論、敵襲の翌日である。
早朝に眠い目を擦りながらやるなどと、勝者に相応しくない。
余裕をもってたっぷりと睡眠を取り、髪や服を綺麗に整えた後、豪華な昼食でも取りながら祝杯をあげようではないか。
国王フィリップは爽快な笑顔でそう提案し、メアリ・ウェールズも採れたて野菜・果物の提供を約束して快諾した。
舐められることは大嫌いなメアリお嬢様だが、讃えられることは大好きなのだ。
王女の狼耳を堪能できなかった不満は幾分か和らぎ、お気に入りの侍女に猫真似をさせて、狼耳は王女が目覚めてからたっぷり触らせてもらおうと、幸せな眠りについた。
「それで、一夜明ければこの有様とは、わたしはまだ天幕で眠りこけているのかしら?」
円卓の間にて、国王以下、上級貴族揃い踏みの会議上で、メアリは嫌味たっぷりにそう漏らした。
メアリの座る席は、第一王子に次いで第二位の席次に当たる。昨夜の戦功を賞して与えられた名誉である。
もっとも、昨夜のその戦功全てが台無しになった、と説明がなされた会議の席では、実質最上位の席次を与えられても機嫌がよくなるわけもない。
「これが夢なら、余もそろそろ目を覚ましたいところだな」
メアリと同等の戦功を上げた国王も、行儀悪く肘掛けにもたれて不機嫌を全面に表している。
統率上、褒められた態度ではないのはわかっているが、こうでもしないとやっていられない状況だ。
なんなら酒瓶を逆さに咥えていないだけ褒めて欲しいものだ。フィリップは本気でそう考えている。
とばっちりを受けるのは、第一王子のマクシミリアンである。
砦で戦争全体の勝敗を決するような戦いがあった時、役割上、前線陣地の援護に出向いていた彼は、昨夜これといった戦功を上げてはいない。
自然と、戦功者二名に意見を述べる代表者になってしまう。
彼はようやく砦に帰って来たばかりで、夜明け直後に起こった事件に対処する立場にはなかったというのに。
「陛下、ウェールズ卿。どうかその辺りでご寛恕を願います。今はこれからについて話し合わねばなりません」
メアリもフィリップも、そんなことはわかっている。なので、正論を述べたマクシミリアンに冷たい眼差しを送って口を閉ざす。
だったらお前が会議を進めろ、という圧力を感じて、マクシミリアンは泣きたくなった。
第一王子で、この東部の戦でも有能と呼ばれる働きをしているのに、この会議の席上ではまるで茶汲み雑用の扱いである。
それでも、真面目なので二人の圧力に押されて話を進める。
「それでは、まず天狼の遺骸がなくなった話ですが……」
まず、と切り出す話がもう堪らない。
なんでそんなことになるのだ、とマクシミリアンだって喚きたい事案だ。
この切り出しを受けて、砦内の守備を統括している指揮官が、真っ青な顔で立ち上がる。
「その件に尽きましては、城壁の守備兵、また砦内各所の兵からの聞き込み、また前線陣地からの報告により、砦の東、連合国側に天狼が飛び去ったとみて間違いありません」
その報告を受けて、天狼討伐の殊勲者でもあるフィリップが、特大の溜息を漏らした。
報告者は死体そっくりの有様だ。哀れではあるが、砦の中庭に遺骸があった以上、砦内の守備を任された者の責任の範囲内である。
まあ、死んだはずの天狼が息を吹き返した、という異常事態なので、見逃してもいい余地はある。
ただし、天狼が飛び去った後の中庭に、聖女クランマが血塗れで倒れていたとなれば、その余地も消える。
余地が消えるどころか、罪状の上積みである。
砦が完全に機能していない早朝に、なぜ部外者である神等教の聖女が砦内にいるのか。それも重傷の状態で。
聖女が侵入して来たなら警備上の問題であるし、門から入れたのであるならさらに大問題である。
そして、問題と大問題、どちらかと問えば、大問題の方であった。
守備担当の指揮官が、この砦の門より開くのが困難そうな様子で、唇を開く。
「夜明けの直前頃に、神等教の一団が訪れて、門番が、そのまま通した、そうです……」
この報告には、メアリお嬢様の花が咲くような笑みを振る舞われた。
近づいただけで人を殺せるような、毒花の笑みだ。
マクシミリアンは、それぞれの態度で不機嫌を叩きつける最上位者二名に、自分も冷や汗をかきながら、次を促す。
「では、その後の聖女の様子は把握できているのだな? 門番が通したのならば、監視兵がついたはずだ」
指揮官は、はい、と短く肯定したので、フィリップの片眉が上がる。
「その監視兵は、聖女の見張りのために、ついて行ったのか?」
そうではないな、と否定を予想した物言いに、指揮官は目を伏せて、はい、と短く肯定した。
「聖女に心酔している、と評していい兵でして……。見張りというより、便宜を図るためについて歩いていたようなもので……」
フィリップが連発する特大の溜息が、その背に圧し掛かったのか、指揮官が俯いて黙り込みそうになる。
慌てて、進行役になったマクシミリアンが口を挟む。
「それでは、その兵から聖女の動向は確認が取れているのだな?」
「その兵の、話ですと……まず、捕虜となったマルガレータ王女を見舞いに行ったと……」
「ふうん?」
マクシミリアンが苦労して引き出した続きを、メアリが漏らした声が断ち切った。
続きを促すような、興味深そうな声だったのだが、その内心は害虫を駆除するような心地であるのがよく伝わってくる。
「それが原因かしら、今朝になったらマルガレータ王女がいなくなっていたのは?」
敵国の王女を生け捕りにするという、あるいは天狼討伐より難しい戦功を上げたメアリだが、その戦功がなくなってしまった。
なんのために生け捕りにしたというのか。まだ狼耳に触れていないのに。
メアリが怒っている点は、彼女の特殊な気質によるものだが、その戦功が台無しにされた怒りは武人ならば誰もがわかる。
指揮官は涙を零す代わりに、汗を額から滴らせる。
「そう、かも、しれません……」
「かも? しれない? はっきりとわかっていないの?」
「はい……聖女が、中にはついて来ないで欲しいと……。見張りも、部屋から少し離れていたと」
「まさか、敵国の捕虜と、敵国の宗教関係者が、邪魔をされる心配もなく話し合っていたとでも?」
面白い冗談を聞いたと、メアリは笑った。
全く笑っていない目で見つめられた指揮官は、言葉で答えようとして、できずに、首を縦に振った。
指揮官としても、ありえない対処に言葉が出ないらしい。
「それなら、なにが起きていてもおかしくないわね。聖女の取り巻きが一人、増えていたとか?」
残った神等教の信者の話では、マルガレータ王女は信者に混じって、牢代わりの客室から抜け出したそうだ。
聖女様が脅されて仕方なく、と言っているが、そんな状況で捕虜と会っていたら、自分から肉食獣の口の中に飛びこんだも同然だ。
噛みつかれたと悲鳴を上げる方が厚かましい。
神等教信者の正気も疑わしいが、兵の行動も狂気の沙汰である。
まあ、兵の方は実際に、薬の影響で正気ではなく、聖女の言うことならばなんでも従う状態だったのだろう。
聖女の方はそもそもまともな――ウェールズ家基準で、まともな思考をしていない。
メアリは確信している。
「それで、マルガレータ王女は囚われの身から脱出し、中庭の天狼の遺骸のところまで移動、なんらかの手段を使って天狼を蘇生させて、用済みになった聖女の口封じをして、この敵地から飛び去ったと。天狼を蘇生させた手段は、聖女様の奇跡の力といったところ?」
「神等教信者の話では、そうなります……」
聖女が天狼を蘇生させたことに、メアリはさして驚いた様子もなく、むしろ当然だという態度で背もたれに身を預けた。
その仕草に、マクシミリアンが尋ねる。
「ウェールズ卿は、聖女がそのようなことをできるとお考えですか?」
「条件によっては、十分に可能だと考えているわ」
メアリが考える条件は二つ。
天狼が、なんらかの魔法植物の宿主となっていること。
その天狼に、致命傷が癒えるほど大量の栄養を聖女から分けること。
この二つである。
昨夜討伐された天狼を、メアリも少しだけ見たが、その右前足が樹木の義足のようになっていた。
また右側の翼も一部が植物化していた。
東部に現れた天狼は、「墜落した」という風評で知られている。
恐らく、天狼は自身に匹敵する敵と戦い、飛び続けることが不可能なほど手傷を負った。だから、連合国の領土に墜落したのだ。
その傷が癒えるまで、天狼はその近辺の地上にいる獲物を食べて力を蓄えようとしたのだろう。
それを止めたのが、人狼化の魔術によって、多少の意思疎通ができたシュタウフェン王族だとされていた。
しかし、一部が植物化して癒えている姿を見れば、もう一つの力が協力していたことが見えてくる。
結社の離反者、研究者グレイが、天狼の治療に協力したのだ。
マルガレータ王女がセンビキオオカミの宿主になっていたことも、意志疎通がよりしやすいようにとグレイが一枚噛んでいたとすれば筋が通る。
魔法植物の生命力が、天狼の強靭な肉体に足されていたとすれば、動物としての死後も蘇生の猶予はある。
後は、同じく魔法植物の宿主である、聖女クランマが持っていた栄養と魔力を捧げれば……。
メアリの推測に過ぎない。
だが、実際に天狼が蘇生し、聖女が倒れていた以上、そう外れているともメアリは考えない。
「証明しろと言われても困るだけだから、詳しくは説明しないわ」
ただし、そのうちわかるかもしれない。そう付け足しておく。
聖女クランマは、その死亡が確認されている。心臓が停止し、脈はない。
動物的に死んでいる。
ただ、そのうち、奇跡と銘打って再び現れることを、メアリは予測していた。
「聖女の奇跡という代物があるのか、ないのか、今は答えを出せない。そして、どちらにせよ、我々が困ったことには変わりがない。そうでしょう?」
メアリの見渡す視線に、誰も反論できなかったことから、指揮官は首を落とされたようにうな垂れてしまった。
連合国に和平を迫る材料が全てなくなったのだ。
神等教にその責任を迫りたいところだが、砦の兵が迎え入れ、ついて回っている。
王国側の責任を言及されれば、あちらばかりを追及しきれない。
大体、神等教を非難したところで、連合国に戦争を止めるほどの圧力をかけられるとは、王国側の誰も思っていない。
ここから一体どうするつもりか。
昨夜、輝かしい勝利を上げたはずの王国東部軍の首脳陣は、重苦しく沈黙するしかない。
「勝利の後こそ気を引き締めろ、とはよく言ったものだ」
フィリップがそうぼやき、メアリに軽く、頷いただけに見えるほどかすかに頭を下げた。
「ウェールズ卿の力添えを無下にしたこと、遺憾に思う。天狼の討伐への助力、単独での王女の捕縛、どちらの成果もこちらの不手際で逃してしまった」
王国東部軍の総責任者として、国王は西部から応援に来たメアリ・ウェールズに詫びる必要がある。
先程までの不機嫌は、自身の戦功が台無しになったことと、ウェールズ卿にどのように詫びればいいのか、判断が難しかったためである。
「とはいえ、連合国に与えた衝撃は、決して小さくはあるまい。なにせ、天狼も王女も、連中の主力であったのだ。今回の勝利を喧伝すれば、連合国内部でいつものごたつきが始まるであろう」
それでも、期待したほどの効果は出ないだろうと、フィリップの表情は苦い。
重苦しい会議の場に、来客の報せが入った。
「陛下、神等教の導師を名乗る人物が、聖女の遺体を引き取りに来ました」
「神等教の導師? 事が起こったその日のうちとは、随分と早いな」
「丁度、聖女達の活動に必要な物資を運んで来たら、このような事態になっていたとのことです」
いささか都合がよすぎはしないかと、フィリップも警戒するが、神等教が定期的に物資を輸送しているのは以前からそうだ。
「まあ、色々と言いたいことはあるが、遺体を引き取ることを拒みはせん。立ち合いも必要か……」
国王が席を立とうとするのを、メアリが抑えた。
「引き渡しの立ち合いだけならば、わたしが参りますわ。陛下が出るよりも、向こうに強く出られるでしょう」
砦の守備とは別系統のメアリならば、マルガレータ王女を逃した過失について、神等教に嫌みも言える。
兵がついていたのに聖女が害されたことについても、自分の管轄ではないとかわすこともできる。
「そうだな。ウェールズ卿にそうしてもらえると助かるのは事実だが」
「お気になさらず。その導師とやらの顔も確かめたいと思っていたところですもの」
神等教の導師とやらの正体を確かめる機会である、厄介ごとを引き受けるだけの価値はある。
メアリは立ち上がり、聖女の遺体のある中庭へと向かった。





