蠢く種子20
しばらくの間、メアリの東部派遣騎士団は、庭仕事をして過ごした。
砦の外周や、ウェールズ家の陣地の土壌を改良し、好き放題に植物を育てている。
特に砦の外周は、花畑のような有様だ。
花畑に植えられた品種は、ただ一種に統一されている。
真っ直ぐ伸びた茎の下から上までいくつも花が咲き、カラフルな円錐型の花穂が林立している。
城壁の上から、それを眺めたフィリップが顎をさすって、その美しさを認めた。
「無骨な砦から宮廷に帰って来たようだ。自分が文明人であったことを思い出させてくれる、よい眺めだ」
「あら、戦場暮らしが長いと大変ですわね。それならもう少し見た目にこだわろうかしら。彩りを整えたり、花の種類を増やしたり、まだまだウェールズ家の本気はこんなものではございませんわ」
「時間があるなら頼みたいところだ。これほどの美観整備ができるなら、今後、王族が出陣する時にはウェールズ家に随行してもらうのもよいな」
冗談だと言外で示すように笑っているその口元に、手に持っていたリンゴが運ばれる。
小気味いい音を立てて果実をかじった後、冗談を削ぎ落とした顔で再び呟く。
「本当にウェールズ家に随行してもらうのもよいなぁ」
この果物は、ウェールズ家に与えた陣地で今朝収穫されたものだ。
戦場で新鮮な野菜や果物が、こうも容易く手に入るなど、夢のような話である。
「当家は防衛戦の方が強いので、後方陣地の支援要員なら比較的お受けしやすいですわ」
「この戦が終わったら、詳細について相談させてくれ」
国王フィリップが、一歩ウェールズ家への依存を深めながら、改めて花畑を見やる。
「こうして見ると、突撃に使う騎槍にも似ているな。なんという名前の花なのだ?」
「あの花の名前、原種のそれはヨザキオオカミと申します」
「オオカミ? 狼か。ふむ? あの尖った形が、狼の鼻先に似ているからか?」
「名前の由来は諸説あります。あの形から狼を連想したという話もありますが、恐らくは鳴き声の方が有力かと」
「鳴き声」
フィリップが、おかしな話を聞いたと真顔になる。
「鳴くのか、あれは」
「ふふ、あれでも魔法植物……つまり魔物ですので、それくらいは。もっとも、正確には鳴き声のように聞こえるだけ、と言うべきなのでしょうけれど」
どういうことなのかとフィリップは視線を送るが、メアリお嬢様は基本的に意地悪が好きなタイプだ。
「鳴き声をお楽しみに、陛下。今にも天狼がやって来る気配があるのですから、さほど待たせませんわ」
夕焼けに燃える丘を見ながら、メアリは黒髪をかき上げる。
現在、連合国側に渡河攻撃の予兆ありとの報告を受け、マクシミリアンは再び前線陣地に出陣して行った。
前回と同じパターンならば、夜明けに天狼の襲撃があるだろう。
メアリとフィリップが話し合っているのは、その時のための最終確認となる。
「楽しみはその時まで取っておいて頂きますが、必要なことはお知らせしますわ。あの花は、野生種のヨザキオオカミから改良された品種で、殺傷能力が高まっているのはもちろんなのですが……なにか?」
「殺傷能力というのも、花にするには慣れない表現でな……。まあ、魔物だと思えば、おかしくないな、うむ」
フィリップが納得したところで、メアリは続ける。
「野生種より殺傷能力が高まり、さらに狼に対しては有効な能力を持っていますわ。対狼専門のヨザキオオカミと言ってよいでしょう」
「あの花、狼になにか恨みでもあるのか?」
先程まで称賛していた花に、フィリップが薄気味悪そうな眼差しを向け始めたので、メアリは口を押さえて上品に笑って見せた。
「まさか。むしろ、狼の方があの花を恨んでやりたいくらいでしょう。殺したいほど愛おしい、という恨みですけれど」
ヨザキオオカミの変種であるあの花は、狼を惹きつけ、酔わせる香りを漂わせる。
恋をしたかのように虜にし、愛するように捧げさせる。
つまり、狼を従順な支配下にするのだ。
「狼を支配する花か。動物の死骸を糧に咲く花は聞いたことがあるが、それよりも恐ろしく聞こえるな」
「安心できるお話も加えますと、あの花自体に、狼のような社会性動物に命令を下すような思考能力も、動物的本能もありません」
「では、なぜそんな能力を、あの花は?」
「とある狼が、自分にとって有用な魔法植物はなにか、それを追求した結果に生み出したのです。それが、同種を絶対的に支配するあの花の能力」
メアリは目を細めて、自分にとっても特別な花を眺める。
その目には、遠くへ投げる親愛と、立ち上るような戦意が浮かんでいる。
あの花の支配者は、傲慢で、気高く、美しかった。
そして、メアリ・ウェールズの大事で特別な敵であった。
「あの変種の名は、センビキオオカミ。わたしの先達が生み、育んだ、狼を咲かせ、狼に咲く花」
初代混沌花の宿主である大狼が、配下の群れを従えるために生んだ、女王の花である。
その能力の凶悪さたるや、メアリ・ウェールズをして思い出すだけで、獰猛な笑みに唇が割れる。
ただし、それはメアリではなく、別の女王に相応しい花でもある。
「狼ではないわたしが使ったところで、センビキオオカミが対象とした狼とは別種、それも天狼という特別製に、絶対的な支配はできないでしょう。それでも、あの芳しい香りは天狼でも無視はできないはずです」
もし、香りを無視できたとしても、この花は砦の外周を囲んでいる。
天狼がこの砦を襲おうとするならば、躯の森に響き渡っていたオオカミの鳴き声を思い知る。
メアリの笑みは、敵であった先代女王への親愛の分、天狼への残虐さを滲ませていている。
「ウェールズ卿のその顔を見ると、敵に同情しそうになるな。綺麗な薔薇には棘がある、という言葉を、これほど実感することもあるまい」
フィリップの言葉に、ご冗談を、とメアリが笑う。
「敵に同情するほど初心な方ではないでしょう?」
それを聞いたフィリップの表情は、悪魔に類するそれであった。
****
メアリとフィリップが、城壁の上にいるのは理由がある。
これまで、天狼の襲撃は明け方、薄明の暗がりの中だった。
軍事上の奇襲行動として、その時間が有効であることはもちろん、狼の特性として夜目が人より効くからだろう。
夜間の移動でも、どこをどの方角へ飛んでいるか、天狼は迷わない。
それを踏まえれば、もう一つの可能性を警戒しなければならない。
薄明と同じ条件の薄暮の奇襲である。
夜の暗闇の中を移動する薄明より、奇襲前に発見される可能性は上がる。
しかし、奇襲後に暗闇がやって来るので、夜目が効く天狼にとっては、戦闘中の有利さと撤退時の安全性が高まる。
天狼が取ってもおかしくない選択肢だ。
そこで、その存在感に少々以上の自信があるメアリお嬢様は、天狼側が自分を認識したのだから、行動を変えてくる可能性を示唆した。
知性が低い魔物でさえ、自分の攻撃を軽く払いのけた存在を警戒する。
それが相応の知性を持つ天狼、ましてや制御役として王女が跨っているのならば、同じ行動を取るのは軽率すぎる。
つまり、王国側は天狼の夕暮れの襲撃を予測して、警戒しているのだ。
砦からの眺めが、一層赤くなる。血に染まったような色だ。
これから、血と同様に黒ずんでいくだろう。その汚れた世界で、フィリップがある一点にその目を向けた。
「ウェールズ卿の言った通りになったようだぞ」
「相手にもそれなりのお頭があった、それだけですわ」
教わった方向を見てからも、メアリはしばらくそれがわからなかった。
地上を進んで来る存在ならば、植物の感覚を通してあらゆるものを察知してみせるメアリだが、空中の存在は少し遠い。
だが、迎撃に問題があるほど遠くはない。
フィリップが指摘した天狼の姿を、メアリの目もようやく捉えた。
西に沈みかけた太陽の中に隠れて飛んで来たらしい。今はその高度を上げ、襲撃に安全な距離を確保しながら砦へと接近してくる。
「迎撃用意」
メアリが、白い手を咲き乱れる花に向ける。
女王の命を受け、花は豆鞘を生らす。
マメ科の植物にありえないことに、豆鞘ができても花は枯れない。
天に向けられた花穂の合間から、黒い豆鞘が突き出す姿は、まるで着飾った令嬢が、ドレスの隠し袖から短剣を取り出すような光景だ。
メアリの準備ができたところで、天狼の飛行が乱れる。上げたはずの高度を、再び下げたのだ。
戦術的な行動とは思われない。
花の香りに気を引かれたのだ。
背に跨っている何者かの影が、振り落とされそうになって慌てている。
フィリップの言葉が正しければ、あれがシュタウフェンの王女のはずだ。そう見たメアリは、慎重に狙いを定める。
よもや襲撃直前になって、戦闘態勢を取っていないとは思わないが、上空かつ天狼の背という安全地帯で油断している可能性もある。
流れ弾で死ぬようなことがあっては、もったいない。
高度を下げながら近づいた天狼が、間近になって上昇機動を取る。
香りの正体が同族ではなく、花だと気づいて興味をなくしたのか。それとも、罠を感じたのか。
わからないが、もう遅い。
花畑の真上を通過しようとした天狼に向かって、花のオオカミが一斉に吠えた。
それは地を駆けていくような炸裂音の咆哮だ。その音色に叩かれたように、天狼の巨体が跳ねた。
自力で飛行していた天狼が、制御を失い、空中で放り出されたように砦に近づいてくる。
天狼にとって、安全な距離とは言えない近さだ。
「いかがかしら。あれが、原種の花がヨザキオオカミと呼ばれた由縁の攻撃です」
隣の国王に、メアリはすでに天狼を脅威とは見なさい態度で語りかけた。
「今は比較的近くなので、狼の声とは少し聞こえ方が違いますけれど、人里から離れた森であれが鳴ると、狼の遠吠えのように聞こえるのですわ」
フィリップは驚いた顔で目を瞬かせていたが、ほう、と感心を漏らした時にはもう落ち着いていた。
「余にはまるで雷鳴のようにも感じられたが、確かに狼の鳴き声の方が身近か……。あれは、音で天狼を害したわけではないな?」
「ええ、そこは雷と同じですわ。特徴的なあの音は、あの花が豆を飛ばす時の音です」
「豆? 豆というと……スープに入っていたりする、豆か?」
その豆だと頷かれて、フィリップは恐ろしい豆もあったものだと身震いしてみせた。
今後、彼が豆料理を食べる時は、慎重に皿の上を検めることになるかもしれない。
呑気に会話をする二人の視線の先では、メアリ配下の薔薇騎士達が、薔薇槍を次々と投擲している。
普段の槍とは違い、柄の先から蔓が伸びて地面に根を張っており、縄付きの銛に近い。
その投げ槍が、予期せぬ攻撃で射程内に飛びこんでしまった天狼の体に突き刺さり、突き刺さらない槍も茨が天狼に引っかかり、地面と天狼を繋ぎ止める。
思わぬ痛撃から立ち直りかけた天狼が抵抗しようとするが、そこにまたセンビキオオカミの咆哮が叩きつけられる。
「ああ、今度は少し見えた。一瞬光った花からなにかが飛び出しているな。豆らしき……というか、豆なのだろうな、あれが」
「あの植物を始め、マメ科の植物はどうやらある種の物質を集めやすい性質があります。あの種の魔法植物は、その物質を爆発的に燃焼するように加工して利用し始めたようです」
原種のヨザキオオカミは、豆鞘に動物が触れると鞘を爆発させて四方に豆を飛ばし、触れた動物を負傷させた上に豆を植え付ける。
あとは、動物の体内で豆が育つというわけだ。
センビキオオカミは、混沌花の力でより攻撃的になった。
狙った方角に飛ばす豆を集中させるように、莢を頑丈な筒として爆発に指向性を持たせた。
敵を撃つ豆も、より頑丈に、より敵の体内を傷つけるように凶悪化した。
その上、豆鞘をつけても花を枯らさず、溜めた栄養を利用して連発できるようになっている。
代わりに、豆は攻撃用としてほぼ繁殖力が失われているが、これは女王が乱立しては困るという、大狼の意向だろう。
メアリを始め、結社の人間は、あの豆の乱射に苦労させられた。
初見の天狼には対処できまい。
立ち直る機会を潰された天狼に、ますます薔薇槍が突き刺さる。
抵抗として雷撃で茨を焼き払おうとするが、そのために控えていたフィリップが大部分を散らしてしまう。
「うむ、あれはもう落ちてくるな。余の出番はここからだ」
「ええ、陛下のご武運をお祈りしております」
準備万端で控えている近衛騎士に頷いて、自身の槍を掴む国王に、メアリは形式通りの応援を送る。
自軍の性能以上のなにかは不要だからだ。
「ウェールズ卿もな」
「まあ、陛下のお言葉を頂くなんて、恐縮ですわ」
淑やかに笑って、メアリも愛用の薔薇槍を生み出す。
茨に繋がれた天狼が、大きく姿勢を崩した。落下が確定したその背から、小柄な影が飛び降りるのが見える。
メアリの相手が、ようやく地上まで足を運んでくれたのだ。
待つのは得意だが、待たされることは嫌いなメアリお嬢様は、たっぷりと可愛がってやろうと三日月の笑みを浮かべる。
王国の精鋭達は、夜の訪れと共に城壁から飛び降り、砦から出撃した。





