蠢く種子21
鼻歌を奏でる調子で薔薇槍を素振りしながら、一歩一歩を前に踏み出すメアリお嬢様は、実に楽しげだった。
王女マルガレータと目される、飛び降りた人物に対する好奇心は、今にも綻ぶ蕾のように膨らんでいる。
戦場に立つ王族というのは、王国の王族を見てもわかるように珍しくはない。
それでも、敵陣深くの砦に単騎駆けしてくることは稀なことだ。いかに天狼という強力無比な戦車に乗っているとはいえ、中々愉快な思考回路だとメアリお嬢様も感心してしまう。
一体どんな顔をしているのかしら。
どんな声で吠えるのかしら。
服はどんな趣味かしら。
背の高さも気になる。
とりあえず綺麗だと嬉しいわ。
気に入ったらうちに連れ帰れないかしら?
お嬢様は絶好調だ。
しかし、そんなことを知る由もない相手は、たった一人で近づいてくる人影に気づかず、地上に引きずり降ろされた天狼に駆け出す。
茨に拘束され、騎士に包囲された天狼を援護しようというのだろう。
「あら、ツレないわね。ダメよ」
メアリ・ウェールズを袖にするなど、何人たりとも許されない。
手に持った薔薇槍を、軽く投げる。軽くといっても、全力には程遠いという意味で、十分な殺傷能力を秘めた一投だ。
意識をしていなかった方角からの攻撃を、駆け出した影は咄嗟に身を投げ出してかわした。
回避した代わりに足を止めた相手に、メアリは歩調を変えないまま歩み寄る。
「あなたはわたしのものよ。よそ見したらいけないわ」
その傲然とした物言いに、影も感じ入るところがあったらしい。
一瞬だけ天狼の方に目をやったが、鋭い戦意をメアリだけに集中させた。
「我が名はマルガレータ・シュタウフェン! シュタウフェンが王女である! その方、ただ者ではないと見受ける、我が爪牙の前に立つ勇気があるならば、名乗るがよい!」
良い声だ。若いが、低音のハスキーな声が、武骨な言葉遣いによく合うではないか。
あまり近くにいなかった声質に、メアリは味わうように目を細める。
カミラも酒焼けしたハスキーな方だが、話し方が間延びしている。マルガレータの切って捨てるような口調は、全く違う魅力がある。
男装遊びをしていた時のアンナも低音を作ってハキハキとした喋り方をしていたこともあるが、あれは歯を立てると甘い蜜が溢れてくる柔らかさがあって趣が違う。
セスは男装をしていても、少女とわかるソプラノボイスだったし……ああ、種類としてはキリエに似ているかもしれない。
でも、騎士として主人に仕えるキリエと、王女としてプライドのあるマルガレータの声は、こう、噛み応えがまた違う。
メアリお嬢様は、声の品評に夢中になりそうだったが、淑女教育を受けた令嬢らしく、挨拶はしっかり返す。
「わたしはメアリよ。ウェールズ家の当主、メアリ・ウェールズ。王国西部の家だから、隣国の王女様は聞いたことがないかもしれないわね」
挨拶が少し砕けたものになったのは、お嬢様がうっきうきだからである。
自分でもそれに気づいて、隣国の人間にもわかりやすいように付け加える。
「今の身分は難しいところだけれど、辺境伯代行、といったところかしら。この戦争が終われば、正式に爵位を継承する予定よ」
「貴殿の名は承知した。その名は我が国にも聞こえているぞ、警戒すべき人物であると」
硬さを増した声に、メアリはどんな噂かおおよそ察する。
「わたしの噂はまるで当てにならないわよ、マルガレータ王女殿下。噂よりも派手な自覚があるもの。あなたには、わたしのことをよく知って欲しいのだけれど、ゆっくりとお喋りはできて?」
笑うメアリの誘いを、硬い声が謝絶した。
「すまないが、私の方にその余裕がない。貴殿の喉笛を噛み千切り、天狼様に群がる敵を追い散らさねばならぬ」
「それは残念。では、あなたとはこちらで語り合うことしましょう」
誘いを断られても、メアリの声は笑ったままだ。侮る様子のない態度が、好ましく思われた。
新しく薔薇槍を作って構えたメアリに、マルガレータもまた前傾姿勢になりながら、好意を滲ませた声で返した。
「お喋りは苦手だが、こちらで語り合うのは好むところ。他家の令嬢と中々打ち解けられないこの身だが、貴殿とは意外と話が合いそうだ」
夜闇が濃くなっていく中、互いに笑みを捧げ合ったのが伝わる。それが、語り合いの始まり。
マルガレータが地を蹴って走り出し、メアリに襲い掛かった。
****
襲いかかられたことで、メアリはようやくマルガレータの容姿を視覚で捉えることができた。
上半身には胸帯だけ、下半身には腰元で結んだパレオだけの姿は、メアリからすると露出がかなり多い。健康的に引き締まった褐色の肌がこれほど見えては、戦場の男性兵士には目の毒だろう。
そして、最も特徴的なのが――
「これが話に聞く人狼化の魔術かしら?」
眼前に振るわれたマルガレータの右腕が、獣毛に覆われて大きな爪を生やしている。
槍で受け止めて観察しようとするが、マルガレータは力押しせず、素早く駆け抜けてまた別方向の闇の中から飛び出してくる。
素早さを活かした一撃離脱の連続攻撃だ。
その猛攻に、メアリは感心する。フィリップが並の貴族では相手にならないと忠告するのも納得だ。
相当に魔力が多く、使っている魔術も身体強化系で強力なもの、そして戦闘法も洗練されている。
よほど修練に血道をあげたのだろう。
ましてやこの夜闇の中、視認の難しさも加わり、その手強さは特筆すべきものだ。
メアリには通用しないが。
周囲の植物と感覚を繋げたメアリは、草を踏むマルガレータの位置を完全に把握している。
どこへ駆け抜け、どこから駆け寄って来るか、どのくらいの速度か、踏み込みの強さから攻撃の瞬間にどのくらい力を込めているか、全てメアリの知覚の上に並んでいる。
一つ強い攻撃を選ぶと、メアリ自らも前に出て槍を叩きつける。
狼爪で斬りつけて抜けようとしていたマルガレータが、メアリの攻撃を受け止める羽目になった。
「捕まえた。ふふ、想像通り、綺麗な顔をしているわ」
戦闘に吊り上がった目も、きつく引き結ばれた唇も、獰猛さに近い凛々しさを形作っている。
王女というには野性味が強く、騎士家の女に近い。宮廷を飾る花ではなく、戦場に咲く花といった風情だ。
つまり、メアリお嬢様の感性からすると、今この場に素晴らしく似合う。
「あら、狼の耳もあるのね?」
メアリの目が好奇心に輝く。美しい王女の頭の上、まさに狼の耳がある辺りに、ふさふさの毛に覆われた耳がピンと立っている。
人の耳も別途あることから、人狼化の魔術によるものだろう。
「人狼化の魔術、興味深いわね。その耳、触ってみてもいいかしら」
「この身に勝てたら、存分に!」
マルガレータは吠えた。
自身に気合いを入れるため、また至近距離に呼びこまれた状態を利用し、メアリの槍を弾いて連撃を叩き込むための呼気だ。
それを聞いた――王女へのお触りの許可を出されたメアリの表情と来たら、相手の命数を蹂躙する捕食者のそれだ。
「言ったわね」
槍を弾き上げられ、無防備な腹部をさらしながら、メアリの余裕は崩れない。
「後で嫌だと言っても、聞いてあげないわよ」
なぜならマルガレータの足に、すでに茨を絡ませてある。
槍を受け止めた距離から一歩、前に出てメアリの腹を切り裂こうとしたマルガレータは、その一歩を止められて硬直する。
いつの間に。
しまった。
動揺がマルガレータの上半身をも絡め取り、メアリが振り下ろした薔薇短剣への反応が遅れる。弾かれた薔薇槍を縮めて、軽量な短剣にして切り返したのだ。
それでも、マルガレータは咄嗟に獣毛に覆われた左腕を防御に使った。
「思った以上に頑丈だわ」
振り下ろした薔薇短剣は、ごく浅く突き刺さっただけで貫通もしない。なるほど、とメアリは納得する。
マルガレータが薄着なのは、人狼化すると並の鎧よりも皮膚が頑丈になるからなのだろう。
考えてみれば、獣は服の代わりに毛皮があるのだから、マルガレータや彼女の一族からしてみれば、人狼化を前提に薄着であることは自然なのかもしれない。
感心するメアリは隙だらけに見えるが、マルガレータの足に絡んだ茨はその上半身まで伸びて拘束しようとしている。
「わたしが勝ったら存分に触ってもいい。忘れていないわよね?」
余裕の微笑みに、マルガレータは鋭い犬歯を剝き出しにして唸るように笑い返す。
「誇り高きシュタウフェンに、二言はない。メアリ・ウェールズ殿の強さを見誤ったのは、私の油断だな……」
それから、自分の下半身を這い上がって来る植物を見つめる。
「天狼様を落としたあの謎の攻撃も、この拘束と同じく貴殿によるものか? これまで戦ってきた王国軍の手法とはまるで別物で、まんまと意表を突かれた」
「そうよ。雷への対処はキャステリア王家任せだけれど、空中への一撃と、拘束用の投げ槍はわたしの、ウェールズ家のやり方ね」
これまでシュタウフェン王族の有利を支えてきた天狼を抑えつけているのが、目の前の相手だと聞き、マルガレータは溜息を漏らした。
「参った。これは手加減している場合ではなかった」
溜息の分だけ息を吸った時、マルガレータの顔に現れたのは、獰猛さだった。
まだ、負けを認めるつもりのない、切り札を残した戦士の顔だ。
「そう。負け犬の遠吠えも、今ならまだ間に合うかもしれないわよ」
「そちらこそ、吠え面かかせてやろう」
次の瞬間、メアリが後ろに飛び退く。
襲ってきた大きな牙から逃れるためだ。
戦闘再開の合図の直後、マルガレータの凛々しくも整った顔が、美しくも猛々しい狼の顔に変じて、大口を開けて噛みついて来たのだ。
異変は顔だけではない。腕だけだった獣毛が全身におよび、全体的に大きく分厚く、暴力的な力強さを増している。
「ふうん……。人狼化の魔術、その本領とはこういうことなのね」
確かに、これは人狼だ。メアリは興味深そうに唸る。
最初からこの形態にならなかったのは、メアリを相手にここまでする必要がないと油断していたのか。
いや、相手の態度に、そういった舐めたところは見当たらなかった。とすると、魔力の消耗が激しいために温存していたのか。
相手の手の内、頭の中を推測しながら、風を巻いて振り抜かれた剛腕を薔薇槍で受ける。
先程より数段威力を増した一撃だ。危ういところで受け流しきるが、メアリ愛用の薔薇槍がへし折れらた。
「ふうん? 大きな狼さんになったものね」
風圧に黒髪をなびかせながら呟いたメアリに、逆の剛腕が即座に襲ってくる。
マルガレータの意図は単純だ。
武器を破壊した好機を逃さず、かつ全力を発揮することで跳ね上がった戦力にメアリが適応するより早く、一気に仕留める。
底知れぬ恐さのある敵を相手に、正しい戦術である。
だが、結社の最高傑作メアリ・ウェールズの底は、マルガレータの取った戦術を丸呑みするほどに深かった。
折れた槍が、瞬時に枝を伸ばし合って接合する。
再び防御に構えられた槍に、構うものかとマルガレータは剛腕を叩きつけた。今度は、槍ごとメアリをへし折るつもりで踏み込んでいる。
先程と同じ、硬い槍だったら、目論見通りになっただろう。
そうはならない。防御に使われた槍は、先程とは別物だった。
薙ぎ払う狼の腕に対し、柔らかくひしゃげ、弾力をもって段階的に暴力を受け入れる。
メアリが一礼するように頭を下げれば、しなやかな槍に受け流された剛腕は頭上を空振りしていく。
「わたしが頭を下げることになるなんて、見事だわ」
褒められても、マルガレータは喜べない。
たった今、絶好の機会に突き立てたはずの牙から、勝利がするりと逃げて行ったのだ。
思った以上に強かった相手に、全力を振り絞って挑みかかって、さらに思った以上の強さを思い知る。
容易く引き裂けそうなメアリの細い体に、噛みつきや蹴りまで織り交ぜた連携攻撃を送り込みながら、マルガレータは歯を食いしばって唸る。
一撃当てればと信じて攻めかかるが、その自信が今にもへし折られそうだった。
なぜなら、メアリ・ウェールズは、その細い体を引き裂ける攻撃を受け続けて、一歩も動かない。
優雅に見えるように足場を作ったまま、まるで大樹が根を張ったように、下がらない。
それどころか、地面から足を浮かせることすらせずに、猛攻をさばき続ける。
「気にしないで。動き回って避けるより、その場で受け続ける方が得意なだけよ」
マルガレータの苦悩を察して、メアリが笑う。
狼になった表情を見て考えを察する、それだけの余裕さえあるのだ。
「むしろ、あなたが気にするべきなのは、その左手首の花輪ね。あなたにはまるで似合わないわ」
眉をひそめたメアリの指摘に、狼顔のままマルガレータは思わず笑ってしまった。
自分でも、全くその通りに思っているのだ。
敗北の予感が刻一刻と強くなる中、奇妙な爽やかさを感じるマルガレータとは逆に、メアリは勝利を確信しながら不愉快そうに棘の生えた声で告げる。
「周りが同じ花ばかりだから、紛れて気づくのが遅れたわ。あなた、それで天狼を操っていたのね」
「わかるのか」
驚いたマルガレータに、メアリは当然だと槍を振るって弾き返す。
「同じ花が周囲に咲いているでしょう。それは、そのセンビキオオカミの花は、わたしの宿敵の花だもの。どれほど厄介で、どれほど凶悪で、どれほど美しいか、今生きている者で一番知っているのは、このわたしよ」
体勢を崩したマルガレータの巨体に、地面から生やした蔓草を絡ませて動きを制限させながら、右肩に槍を押し込んで突き倒す。
「少しじっとしていなさい。触ってもいいという約束を守ってもらうわ」
拘束のための蔓草を次々と増やしながら、メアリは人狼の大きな左手首を取る。
その手首に腕輪のように巻き付いているのは、本来は天を突くように咲くセンビキオオカミの花穂に相違ない。
「初代混沌花のセンビキオオカミ、その直系かしら? いえ、弱っているからそう見えるけれど、初代そのものに近い……?」
メアリの眉根がこれほどまでに寄るのは珍しい。
彼女の可愛い侍女達が、全く侍女らしくない動きをしても、こんな深刻さは決して出せない。
しばし、メアリはマルガレータに植えられた花をためつすがめつ、いくつかの可能性を考えていたが、とりあえずの結論を毛深い宿主に伝えた。
「このままだと、あなた死ぬわ。もったいないから、ちょっと手を貸してあげるけど、この貸しは高くつくわよ」
一方的に貸付け契約を結ぶ、悪魔も羨む手口で、メアリは結構気に入った敵王女に処置を始める。
途中、マルガレータが苦し気に呻くが一切構わない。元々敵なのだ。痛いくらいは当然我慢してもらう。
早く人狼化を解いて、狼耳だけを生やした姿にならないものか。
メアリお嬢様は呻き声を聞きながら、見下ろす。
あの耳の感触を確かめてみたい。ふさふさだと思うのよ、そうでなければふわふわ、それ以外は絶対に許さない。
マルガレータの呻き声が小さくなり、失神したのか人狼化も解けた頃、天狼に群がっていた国王直卒部隊の方で歓声が上がった。
どうやら、あちらも討伐が済んだらしい。
メアリ配下の薔薇騎士が、四方から拘束を仕掛け続けての袋叩きだ。天狼自慢の雷撃も、フィリップが無効化できるとくれば、これだけ長い時間よく粘った方だと言うべきか。
そして、メアリお嬢様は失神したマルガレータの狼耳を存分に触ってやろうと手を伸ばして、愕然とした。
「なんてこと……。狼耳までなくなっているわ!?」
これでは約束が違う。お嬢様の頬が膨らんだ。
王国東部軍が勝利に湧く中、メアリは一人不満を抱いていたが、それは些細な問題だ。
配下の者達が主人をちやほやして機嫌を取ればいいだけのこと。少なくとも、勝利の夜が明けるまでは、抱き枕ジャンヌ以外を悩ませはしない。
マルガレータ王女は、砦内の一室に見張りを立て、高貴な捕虜として扱われる。
恐るべき天狼は、王国東部軍の武勇として語り継ぐべく、遺骸の利用方法について決定するまで砦内の中庭に安置される。
この戦果を大々的に宣言すれば、シュタウフェン王族の支配は揺らぎ、連合国お得意の内戦に突入、王国とは麻糸よりも頼りない和平を結ぶことになるだろう。
戦後処理に頭を抱える未来を夢に見ながら、王国軍は勝利を枕にして、その夜は眠りについた。





