蠢く種子19
マルガレータは、応接室の前でもう一度衣服を改める。
布を巻くように身に着けるシュタウフェンの伝統衣装だ。肩口や足の露出はあるが、戦装束よりもずっと布面積が多くなる。
ちょっとだけ、マルガレータは眉を潜める。
布が多くなった分、手足を動かす時に絡む感覚がある。これでは、強敵とまみえた時、あと一歩で不覚を取りかねない。
マルガレータは動きやすさ重視の戦装束の方が好みであった。
とはいえ、流石に屋敷の中、しかも来客の前に顔を出すのに戦装束を着ていては、シュタウフェン王族としても体面が悪い。
我慢して、マルガレータは従者に頷くと、応接室のドアが開けられた。
「失礼いたします。マルガレータ、戦場より戻りました。新たな動きがありましたので、取り急ぎ、ご報告に参りました」
「うむ、先触れは受けている。まず、お前と天狼に怪我はないのだな」
「ありません。いつも通り、こちらに被害を受けないよう、かく乱を心掛けて慎重に立ち回りましたので」
フリードリヒが、父親らしい安堵をわずかに口の端に見せて、すぐに引き締める。
「それで、王国側に新たな動きと言ったな」
「はい、来客中とお聞きしましたが、それでも急ぎお話した方がよろしいかと思い、失礼をいたしました」
マルガレータが、導師グレイに視線を送ると、いつも通り禁欲的な無表情が黙礼を返す。
「戦場を見て来たお前が言うのであれば、重要なことだろう。聞かせてくれ」
「はい。前回と同じく、天狼様とキャステリアの王族が詰める砦に奇襲をかけました。砦での攻防自体は、前回と同じく、こちらも向こうも有効打のないまま、こちらの撤退と言う形になりました」
シュタウフェン一族の戦術としては、それでいいのだ。
王国側の最大戦力である王族を、大した損耗もないこの戦術で封じられる。
フリードリヒとしては、停戦交渉に進むために相応の損害は必要であるが、向こうの王族が大暴れして大損害を受けることは防ぐ、という難しい調整を行っている。
「問題はその後です。天狼様が、撤退の進路上にある陣地に目を付けました。見たことのない旗だったため、新たに到着したばかりだったのでしょう。天狼様は、撤退のついでにその陣地に打撃を与えようと、雷撃を放ちました」
その直後の光景は、衝撃的だった。
「結果、敵は無傷でした。百名に満たない部隊とはいえ、その全員を守り切ったように見えました」
マルガレータは王族を名乗っている。他国で言うところの貴族に近い身分であり、魔術は見慣れたものだ。
それでも、天狼の雷撃を防がれた光景は、心臓を掴まれたような気分を味わわされた。
「青い壁のようなものが、天狼様の雷撃を防いだのです。壁と言っても、透き通る宝石のようで、美しいカーテンのようでもあって……」
頑健な石壁が雷を防ぐよりも、美しいなにかが雷を防ぐ光景は、ずっと現実離れしていた。
マルガレータが知っている魔術ではない。マルガレータの見たことのない異形。
今思い出しても、寒気すら覚える。
「あれがなにか、自分にはわかりません。導師殿、あなたならわかりますか?」
「天狼の雷撃を防ぐ、透き通る宝石のような防壁……。心当たりはありますが、大きさ、規模が違いますね」
瞼を伏せて考えこんでから、グレイは推測に必要な情報を確認する。
「王女殿下、わたしにそれを聞くということは、雷撃を防いだ部隊の掲げる旗は……」
「遠目で一瞬でしたが、赤い花と狼のような獣が描かれていたかと」
「そうですか。それがウェールズ辺境伯家の部隊であれば……考えられるのは、青晶花の能力、でしょうか」
まさか、あの花の適合者が現れるなんて、とグレイは呟く。
「幻と言われるほど発見数の少ない花です。おとぎ話になるほどですよ。聞いたことはありませんか、絶世の美姫が求婚相手に求めた条件の一つ、花でできた宝石の贈り物」
「もしや、天上の姫のお話ですか? 求婚相手に無理難題を突きつけて拒む姫君の」
「そうです。いくつか変異ないし派生した話があるのですが、花でできた宝石を求める話が原典だと考えられています」
なぜならば――
「花でできた宝石だけは存在すると言われているからです。それが青晶花。古くはその花を手に入れることは国を手に入れるよりも難しいと言われ、実際の歴史上、その花を婚姻の条件に出した姫君が存在したと考えられています」
「あのおとぎ話に、元になった歴史があったのですか? 初めて知りました……」
「当の花が幻ですからね。話題に上ることもないでしょう。花自体は、そのまま宝飾品にできるほど美しいものです。花被と呼ばれる部分が青い結晶状になっており、かつ花被がゴブレットを伏せるように植物全体を覆って守ります。その青い結晶の中で、繁殖器官を開く姿は、宝石の中に花を閉じこめたような姿。まさに花でできた宝石です。あまりに美しいので誰もが手に入れようとするのですが……」
幻の花は、採取できない。
おとぎ話でも、美姫を求める男が目的の花を探して魔境に踏みこんで命を落とす。
「青晶花は、過酷な環境に咲くのです。酷寒の暴風の中、あるいは灼熱の火山地帯、猛毒の沼地、並みの生物では近寄れない場所にのみ生息するその花を手に入れることは至難です」
「そのような場所で、その花は生き残れるのですか」
「そこが青晶花の最大の特徴です。あの花は、花被の青い守りの下に、一切の災厄を寄せ付けない。竜の牙すら跳ね返す防御能力を誇ると伝えられています。私も、残念ながら攻撃を防ぐ様子を見たことはないのですが……」
グレイは、恐らくその真実の一端を見たであろうマルガレータに、いささか羨望が混じった眼差しを向けた。
「天狼の雷を防いでみせたとなると、あながち誇張でもないのかもしれません」
「確かに、青い壁が雷をかき消すように見えました。ですが、あの壁が、その花のものなのでしょうか? 結晶のように見えるところなどは共通点がありますが……花にしてはあまりに、大きいのでは」
「そうですね。花という言い方では、想像とは異なるでしょうが……」
グレイは、視線をマルガレータの左手に送る。
正確には、そこに腕輪のように絡みついている生け花だ。
「私が、植物を様々に加工し、利用できることはおわかりでしょう」
「ええ、それはもちろん」
マルガレータは即座に頷いた。
グレイは、驚くほどに多種多様に利用する。医薬品や食べ物だけではなく、マルガレータの腕に移植された花は、天狼との意思疎通を円滑にする。
正直、これを施された時、マルガレータは半信半疑だった。魔術未満の迷信かと思ったものだ。
しかし、その効果は絶大。人狼化の魔術でも、限られた単語しかやり取りに使えなかった天狼に、長い文脈で意思疎通ができるようになった。
なんでも、植物が持つ意思疎通方法、香りやちょっとした震動を利用することで、情報量を多くしているのだという。
他にも、天狼の欠けた足の代わりの義足となったのも、グレイの植えた植物の力だ。
肉の足と変わらず動く姿に、マルガレータもフリードリヒも仰天した。
「私のこの知識と技術は、ウェールズ辺境伯家も持っています。恐らくは、私よりも遥かに多様に、巧みに扱えるはずです」
そんな驚異的な技術を持つグレイが、自分よりさらに上の存在として、ウェールズ辺境伯家を語る。
「では、あの青い壁は、おとぎ話の花を利用して巨大化させた、と?」
「ええ、彼女達にはその技術がある。恐らく、人に寄生できるよう改良して、血肉と魔力を過剰供給できるようにしたのでしょう」
寄生すると聞いて、マルガレータは気味悪そうに顔を歪める。
「私はなるべく使わないようにしていますが、寄生させることで魔法を使う植物は強力になることがあります。毒や武器として使うことも、あの家は躊躇しないでしょう。私はそれに耐えられず、彼女達と袂を分かったのです」
「毒か。それは脅威だな」
フリードリヒも、脅威を覚えて唸る。
それに相槌の頷きをして、シュタウフェン王族の警戒心を肯定しながら、グレイは自身の警戒を上乗せする。
「あの家の旗が戦場にあったとなれば、私達も注意が必要ですね。神等教の神官や信者が虐殺されたという話もあります。なにをされるかわからない以上、弟子や聖女達に注意を呼び掛けておかなければ……」
それから、祈りの所作を取る。
「私がいなくなった後に、彼女達の残虐性が変わっていればいいのですが……」
はたから見て、それは限りなく宗教者らしい態度であったので、シュタウフェン王族二人はなにも言わずに彼女の祈りが終わることを待つ。
王族二人は、植物の寄生をなるべく使わないようにしている、というグレイの言葉の意味をしっかりと捉え損ねていた。
彼等の腕に絡みつく花輪、そして天狼の義足。
それらは、なるべく使わないようにしている寄生植物である。





