蠢く種子18
シュタウフェン王家屋敷の庭に降り立った天狼は、声も上げずにその場に伏せて身を丸くした。
戦場から帰還したところだと知っている屋敷の人間達は、怪我でもしたのかと急いで駆け寄ろうとして、剣呑な唸り声を受けて足踏みをする。
「今は近寄らなくて良い」
天狼の背から飛び降りた少女が、天狼の代わりにその意思を伝えた。
「戦の直後で、天狼様も気が立っている。負傷はしていないはずだ。目につくところに食事を置いたら、後は一人にして差し上げろ」
王族として、天狼と共に戦場に出向くマルガレータの言葉に、庭の使用人達は恭しく頷く。
「父上はどうなされている? 帰還をご報告したいのだが、空いておられるか」
「は、わたくしどもが知らされている範囲では、神等教の導師殿とお会いしておられるとのことです」
「導師殿がおられるのか」
マルガレータは、頤に拳を当てて、その方が都合はいいかと呟く。
「誰か、父上に先触れを頼む。マルガレータが帰還のご報告に伺いたいと伝えてくれ。導師殿がご一緒でも構わないと。自分は――」
マルガレータは、自分の体を見下ろす。
シュタウフェン一族の戦闘衣装として、胸帯と腰布という薄着姿が、いささか戦塵をかぶっている。
「水浴びと着替えをしてくる。父上の返事は、自分の部屋まで頼む」
手早く身支度を整えようと、マルガレータは足音高く歩き出す。
明け方の奇襲で見た、蒼い防壁を張った謎の敵について、早く知らせねばならないし、早く知りたかった。
シュタウフェン王族の最大戦力である天狼の雷撃を、難なく防いで見せる戦力が、新たに現れたのだ。
キャステリア王家の二人に続き、向こうの戦力が跳ね上がった可能性が高い。
その警戒すべき敵の陣地に翻る旗に、マルガレータは覚えがあった。
実際に見たことはないが、赤い薔薇と狼の家紋は、注意すべき対象として忠告を受けていた。
「王国西部の端の領地と聞いたから、東部に出て来るとは思わなかったが、覚えていてよかった。あれはウェールズ家の軍に違いない」
あの旗の者達について、より詳細な情報が必要だ。
天狼の攻撃を無効化できる手札が向こうに増えたのなら、余った一手でこちらに攻めこんで来てもおかしくない。
「早急になんとかしなければ……。導師殿から、ウェールズ家の情報をできるだけ聞き出せればいいのだが」
導師が快く情報を渡してくれるかどうか。はっきりと予想がつかず、マルガレータは、眉間にシワを作る。
「あの人は戦争自体には反対をしているから、難しいか? しかし、ウェールズ家のことは随分と危険視していたから、あの家のことなら協力してくれる見込みはあるはず……」
相手がどちらを取るか、マルガレータには予想がつかない。
いくら悩んでもはっきりとわかるほど、相手のことをよく知らないのだとマルガレータは気づいた。
「思えば、彼女のことは、特別な医療技術を持っていること以外はあまり聞いた覚えがない。ウェールズ家のことに詳しいのだから、元はあの家に近しかったのだろうとは思うが……」
ウェールズ家と敵対して滅ぼされた家か、あるいはウェールズ家の家臣だったか。
新しく現れた敵がウェールズ家だった場合、そこもきちんと確認する必要があるだろう。
マルガレータは、相手のことを思い浮かべる。
いつも生真面目そうで、禁欲的に抑制された表情をした、いかにも信仰に生きる者といった女性が、すぐに瞼の裏に浮かぶ。
「神等教の導師、グレイか」
得体が知れないという意味では、一応、彼女にも警戒は必要かもしれない。
マルガレータは、そう心中にメモをしたが、それは水浴びの間に流れるほど、わずかな注意だった。
****
シュタウフェン一族の長、フリードリヒは大王である。
それも、事故によって仕方なく戴冠させられた大王だ。
諸王連合国の自称・王族に生まれた以上、諸王による連合国ではなく、正真正銘の王国に統一するという野望はあった。
しかし、フリードリヒはそれができる計画を立てていたわけではない。
シュタウフェン一族は、勇猛な戦士として知られるが、他の諸王家を圧倒するほどではなく、勢力として巨大でもない。
フリードリヒが具体的に計画できるのは、一族の勢力拡大だけだった。
だけだったのだが、天狼の墜落で情勢が急変した。
天狼の墜落地点の王族が、天狼を討伐ないし制御できればよかったのだが、半端に攻撃をして逆に壊滅させられた。
そのまま恐慌状態に陥った墜落地点の余波を受け、周辺地域も混乱し、連合国内の危機意識が一気に高まった。
外交文書が国内を駆け巡る。
このままでは諸王連合国の壊滅の危機である。
今こそかつての諍いを忘れて、この危難に立ち向かうべし!
つまり、天狼が居座った地域周辺の諸王家で対処できないと、手当たり次第に泣きついたのだ。
こういう時、連合国内のあちこちで活動している神等教は、外交官あるいは配達人としてよく動く。
彼等の教義に合致するし、こういう時のために諸王家も膝元で活動を許しているのだ。
神等教を通して泣きつかれたシュタウフェン一族は、前向きに検討を始めた。
元より彼等は戦士としての気質が強い。他の王家の領民とはいえ、力の弱い者が苦しんでいるならば、手を貸すことこそ力の強い者の義務という理念がある。
それに、相手が天狼、狼の魔物であった。
人狼化の魔術を秘伝とするシュタウフェン一族にとって、非常に親近感の湧く相手だ。
ひょっとしたら、他の狼型の魔物のように、多少の意思疎通ができるかもしれない。
シュタウフェン一族は、ひとまず王族の戦士が天狼の下へ向かい、対話を試みた。
意外なことに、これが成功した。天狼は、思ったよりも話が通じた。
負傷していた天狼は、傷を癒すための食事と平穏さえ約束されれば、体力を消耗する攻撃を行わない。
シュタウフェン一族の、強者に服従することを良しとする家風も良い方向に作用した。
手負いであっても、自分達を蹴散らす強さを維持していた天狼を、彼等は丁重に扱った。
さて、これで連合国の危機は去った――と誰もが言いたかっただろうが、ここから人間同士の面倒事が次々と湧いてくる。
天狼が墜落した地域の王家は滅んだ。その周辺地域も混乱の煽りを受けて弱体化している。
天狼を大人しくできるとわかった今、領土を広げる機会だと、隣接地域の諸王が攻めこんできたのだ。
これでは天狼が大人しくする条件として出した、平穏が守れない。
シュタウフェン一族は慌てて天狼を自分の領地に連れて行こうとした。
墜落地域周辺の諸王は、天狼がいてくれた方が攻めこまれないと、足に縋りついてでもシュタウフェン一族を引き止めにかかる。
フリードリヒは、顔をしかめて怒鳴った。
「それでも貴様等は王と名乗る者達か! 王たる者、自分の身は自分で守るべきであろう! このシュタウフェンは貴様等の庇護者ではない、なにゆえ貴様等を守らねばならぬのか!」
一喝された諸王は、それはそうだと気づいた。
だから、庇護者になってもらおうと、シュタウフェン王族のフリードリヒを、大王として担ぎ上げることにした。
連合国の習慣では、王と名乗っていても、大王が相手なら庇護してもらってもいいのだ。
いや、大王には庇護する義務がある。
だから助けてくれと大王の旗を押しつけられて、フリードリヒは頭を抱えた。
他のシュタウフェン王族、シュタウフェン一族もそうだ。
彼等にそこまで面倒を見る余裕は、戦力的にも経済的にも存在しない。
そんなシュタウフェン一族に助けの手を差し伸べたのが、神等教の導師グレイである。
「天狼が戻って来たようですね」
応接室に流れてくる騒ぎに、導師グレイが頷く。
フリードリヒの耳にも、一族の者達の声は聞こえている。保有する最大戦力が、戦地から無事に戻ってきたらしいことに、安堵の吐息を漏らす。
「どうやらそのようだ。天狼様には申し訳ない。最初に平穏を約束したのだが、人の戦の始末を頼むなど……」
「それについては、天狼の出現によって生じた混乱が元ですし、怪我の治療を行っています。平等な対価かと」
グレイの言う通り、天狼の怪我の治療はされている。
グレイが移植した植物によって、天狼の失われていた右後ろ足が義足のようになっており、戦闘に支障がなくなっている。
シュタウフェン一族は、約束を守ったと言える。
「そうとも言える。天狼様も、手を貸してくれることに同意してくれているが、我々としては約束を破っているような気がしてな」
グレイの協力によって、天狼とシュタウフェン一族との意思疎通も円滑になった。
最初は、ごくわずかな単語だけで会話しているような拙さだったが、グレイが意思疎通を助けるためと移植した植物のおかげで、人間同士に近いレベルで対話ができる。
導師グレイの助けがなければ、フリードリヒは今こうして大王の座を保っていられなかっただろう。
「ですが、戦争を停止するための手は、速やかに打って頂きたい。我々が負傷者の手当てをするにも、限度があります。すでに医薬品の供給は追いついておらず、戦地では苦しむ人が増えるばかりです」
「それはわかっている。神等教と導師殿には苦労をかけている。止められるものなら、私も止めたいのだ」
しかし、大王が止めたいと思っても、諸王達は止まらない。
連合国内では、天狼の脅威は去ったと見なされている。墜落地域周辺も落ち着いた。
だったらもう大王の言うことを聞く必要はないと誰もが思っているし、最初から聞く気のない諸王も多い。
「やはり、キャステリア王国に厄介者どもをけしかけるのは失敗だったか……?」
フリードリヒが眉間のシワを撫でながら呟くと、グレイが無表情で首を振る。
「争いを起こした策に賛成はできませんが……。そうしなければ、連合国の各地で争いが起こり、泥沼の潰し合いになっていた可能性は高いでしょう」
平静な声で行われた指摘は、実に的確だったので、フリードリヒは肩を落として嘆息した。
それを避けるために、フリードリヒはキャステリア王国に対して宣戦布告をしたのだ。
これは連合国の得意技である。
内部で争って共倒れになるより、外部に争いをけしかけて余裕をなくさせる。この生産性のない政策によって、連合国は辛うじて歴史上に存続してきた。
フリードリヒは、常々なんと愚かなことをと、歴代の大王をくさしてきたが、まさか自分も同じ手を使う羽目になろうとは、嘆くことしきりである。
「導師殿も、すまないな。戦争は反対だったろうに、このような下らん争いの片棒を担がせてしまった」
「確かに戦争には反対しますが、人の身ではままならぬことがあるのは、仕方のないことです。それに、連合国と比べて王国は豊かで安定しています。少々連合国の負担を預けることもまた、平等と言えるでしょう」
平然と――少なくともそう見える態度で答えられ、フリードリヒは飲みこみづらそうに頷く。
今回、キャステリア王国に戦争を仕掛ける案は、確かにフリードリヒが大王として発した。仕掛けるしかないと考えたのもフリードリヒだ。
しかし、その後押しをしたのは導師グレイだった。
導師グレイは、あくまで戦争反対の立場を表明していた。
戦争は苦しみを生むだけであると、悪を鳴らした。
同時に、もし戦争になった際には、負傷兵の治療のために力を尽くすと言った。
それは、通例として敵味方を問わずに行われるものであったが、和平交渉のきっかけにもなるためありがたい。
制御しやすい戦にできるのだ。
このまま連合国内で、決着がつかない内乱に突入れば、散々に疲弊した後に待っているのは、王国からの侵略だ。
王国に戦を仕掛ければ、国内の共食いを防ぐだけでなく、王国が連合国に侵攻する余力を削ることもできる。
これまで連合国の大王が取って来た方策は、合理的な側面もあると、導師グレイは意見を述べた。確かにそうだとフリードリヒも認めた。
そうして起こした戦争に、導師グレイは平等という言葉を使った。
王国の方が恵まれているから、連合国の混乱を押しつける。
果たして、それは平等なのか。
「それに、王国の西には、注意しなければならない存在がいますから」
「ああ、導師殿が度々口にしている、ウェールズ家か。王国西部で飢饉が起きたという話は聞いている。相当にひどいことになったとそうたが」
「痛ましいことです」
グレイが手を合わせて、祈りの仕草をする。
「現在は落ち着いたそうですが、かの地へ赴いた神官や信者達が、ウェールズ家の当主に虐殺されたという話があります」
「神等教の神官や信者が? なぜだ?」
フリードリヒの片眉が上がる。
彼は、シュタウフェンの王族らしく、戦士の死に誉れを見出す一方で、非戦士の死を嫌うところがある。
「そこまで詳しくはわかりませんでした。それを知るための情報を持つ神官や信者の多くが亡くなられたのです。それと、ウェールズ家の当主に、血染めのあだ名がついたようですから……」
「推して知るべし、ということか」
フリードリヒは腕を組んで唸る。
飢饉にさらされた地方で鳴り響く、物騒な異名。推測は容易だ。
不足する食料に対し、飢えに喘ぐ人々が減れば、飢饉は落ち着く。
フリードリヒにとって、不愉快な想像だ。
しかし、思い切り悪罵するには、彼自身の行いが口をふさぐ。
「国内の混乱を隣国に押しつけた我が所業と、大差はないか」
やっていることは同じだと思えば、怒りは自嘲に変わる。
その嘲る笑みに、グレイは真っ直ぐ見つめて首を振る。
「大王陛下は、軍に対して軍をぶつけたではありませんか。それは、平等なことです」
グレイは、ウェールズ家は軍を民にぶつけたと暗に言っている。
「そうか? そうだな。まだ戦士としての矜持は保たれているか」
戦士と戦士の戦いを挑んだのだと言い換えれば、益のない戦争を仕掛けた気分も和らぐ。
それを後押しするように、グレイも頷いてみせる。
絶妙な間合いだった。
フリードリヒの苦悩を察して、逃れる道筋を掘ったのだ。水が低きに流れるがごとく、フリードリヒの思考は流れた。
苦悩の後に残ったのは、ウェールズ家の非道な印象だけだ。
その残留物をしっかり確認するように、グレイは沈黙を挟んでから声をかける。
「ともあれ、大王陛下、我々神等教の医薬品の供給はすでに限界に達しています。停戦については常にお考え頂けますよう。そのためであれば、我々も力を尽くしますゆえ」
「うむ、機会を掴もうとはしているのだ。しかし、兵を出している諸王は、まだいけると戦意旺盛で、ここで退かせることは難しい」
「戦争の恐ろしさ、ということでしょうか。相当に被害もあると思うのですが」
「死者の数が少ないからかもしれぬな」
死者数が体感で少なく感じるのは、神等教の治療によるものだ。
天狼への治療でわかっていたことだが、導師グレイの指導を受けた者達の治療は、これまでと一線を画す。
王国側にも導師の手の者は渡っているが、活動拠点の都合で連合国側の方が恩恵を受けている。
死者数が少なければ、指揮する諸王が挫ける判断を下すのも遅れる。
戦場の兵達の士気も高いと聞く。
これでは、停戦と言い出すことは難しい。反発が起きる。
大王の強権を振るおうものなら、余った戦力であっという間に反大王の軍が起こるだろう。
諸王の間の空気をグレイに説明していると、従者がフリードリヒに近づいて来て囁く。
「ん、マルガレータが急ぎの報告というなら、支度ができたらすぐに来るよう伝えてくれ」
「では、私は失礼することにしましょう」
「ああ、導師殿、まだ時間はあるだろうか?」
立ち上がりかけたグレイを、フリードリヒが呼び止める。
「娘はあなたにも聞いて欲しいと言っているようなのだ」
「私に、ですか」
王国との戦場に出向いたマルガレータ王女から、導師グレイに話す内容となると、非常に限られている。
その中で、グレイが最も警戒している家の名前が、脳裏をよぎる。
そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
しかし、その名前がマルガレータ王女から出てきた場合、すぐに対処しなければならない。
グレイの目に鋭さが宿る。
「ご迷惑でなければ、ご一緒にお聞かせください」





