蠢く種子9
王国東部と接する隣国は、諸王連合国と呼ばれている。
連合をなす諸王は、それぞれ王族と名乗っているが、王国でいう領地持ち貴族と変わらない身代である。
実情に即して、王国貴族からは諸侯連合と見なされている。
その国名は、王国でも、連合国でも、正式に呼ばれる機会は少ない。
時々で最も有力な王族が、諸王を統べる王、大王であると宣言すると、その王族の名が頭に付く決まりだ。
ただし、いつか大王を蹴落とさんとする諸王は多く、正式名と認められることはほとんどない。
一応、現在の大王はシュタウフェン王族が名乗っているため、シュタウフェン諸王連合国が正式名称となる。
四年ほど前に変わったばかりの国名、といえば、諸王連合国あるいは連合国とだけ呼びたくなる気持ちもわかろうものだ。
そんな政情不安定な国である。
外国と戦争をする前に、国内にもう一つ戦線があるようなもの、戦力の集中などできようはずがない。
比較的安定した王権を持つ王国にしてみれば、攻めかかられれば面倒であっても、敗北の恐れを感じるほどの脅威ではない。
隣国に対する王国の認識は、そのようなものだった。
四年前までは。
メアリが、五十人の部下と共に東部戦線の主攻正面を守る砦を目にした時、そこはとても余裕のある戦地には見えなかった。
「城壁が壊された跡があるわね」
しかも、メアリがやって来た方角から見える城壁、つまり味方勢力が守る土地に面する城壁であって、地理的に敵が攻撃しづらいはずの壁である。
「応急手当はされているから、危機的状況とまではいかないのでしょうけれど、翻弄されているのは間違いないようね」
城壁の上の見張りの動きも、なんとなく浮ついている。
ウェールズ家の旗を掲げて近づくメアリ達を見て、右に左に走り回っているが、果たしてそれは必要な労力なのか。
誰になにを報告すればいいのか、どこにどう指示を出せばいいのか、混乱しているように見えるのは気のせいか。
「兵卒をまとめて、将と兵を繋ぐ隊長級が不足しているようね」
つまり、熟練兵の数に余裕がないのだろう。
東部の戦線が騒がしくなって四年、戦場に慣れる兵より、減っていく兵の方が多いのかもしれない。
なるほど。王国東部がこの有様では、王国西部が飢饉に見舞われても、支援が渋られるわけだ。
下手に西部に肩入れして、東部がぐらつきでもしようものなら、連合国からの大攻勢を招きかねない。
足の引っ張り合いが常の連合国に、そこまでの団結が可能かという疑問はあるものの、無視できない危険ではある。
ノア・クリストファーの苦労を慮りながら、メアリは整然と隊を進める。
まだ遠いが、声が届く距離になると、城壁の見張りが叫んだ。
「おうい! どこの家の者か! 現在、この砦は戦の真っ最中だ、すまないが見覚えがない旗は通せない! 王国貴族の関係者であるならば、名乗りをお願いする!」
メアリの形のいい眉が険を示す。
王国宰相経由で、近々ウェールズ家の部隊が到着すると予定は知らせてあったはずだが、旗の見分けもつかないらしい。
それでも、方角からして味方であろうと考えるくらいの頭はあるようで、攻撃的な問いではない。
それだけでここは良しとすべきか。
メアリは溜息だけで眉の角度を緩めて、今回の旗持ちを任じた薔薇騎士団一番隊隊長のキリエに顔を向ける。
眼差し一つで、キリエはただちに主命を実行した。
騎馬を走らせ、旗をなびかせながら城壁に駆け寄って声を張り上げる。
「我が主はウェールズ家当主、メアリ・ウェールズ! 王国宰相ノア・クリストファー閣下の要請を受け、この砦の支援に参上した! 門を開けて迎え入れられよ!」
問いかけて来たのは、恐らく、王国東部の人間だろう。
西の端にあるウェールズの名前は知らないだろうが、王国宰相にして公爵家当主の名前は知っている。
まずい相手に声をかけた、と言わんばかりの悲鳴をあげて、開門や上役を呼ぶ指示を叫び出す。
その対応は素早く、悪くない。
脂汗をびっしょりかいて慌てている――慌てるだけの状況判断ができる見張りの評価を、メアリは改めた。
代表して声をかけて来た人物は、この時間帯の当番兵の隊長だろう。
友軍到着の予定を把握していないことは減点せざるを得ないが、知ってさえいればまともな対応ができただろうと、甘く見てやってもよい。
この砦の守備兵に対するメアリお嬢様の評価は、見張りの隊長の働きによって、やや上向きの訂正がなされた。
だが、かわいそうなことに、隊長の働きはその部下の手によって無駄にされた。
「おぉ、若い女子じゃねえか? ひょっとして後ろも全部そうか?」
「神等教の聖女ちゃん達の手伝いに来たんじゃねえか? 順番待ちが短くなりそうでいいねえ」
「おうい! 嬢ちゃん達、いつから相手してくれんだぁ? 予約させてくれい!」
娼婦扱いである。
貴族家当主が直卒する部隊に対して、とんだ無礼である。
見張りの隊長が、遠くからでもわかるほど顔色を変えて、城壁の上の兵を叱り飛ばす。
隊長が不足ない能力を見せているのに、その麾下の規律が緩すぎる。ちぐはぐな印象だ。
城壁の傷跡から推測されるのは、負傷兵が出て、人員の交代、配置の転換などが相次いで、統率が乱れている可能性だ。
これは中々、難儀な戦場になっているみたいね。
メアリは、クリストファー公爵家の親子の顔を思い浮かべる。
連合国側の情報を得たがっていたところに、西部への支援や、爵位と統括官の就任をちらつかされて、まんまと釣り針に食いついてしまった。
クリストファー公爵家の当代当主と次期当主にしてやられた、と言える。
結構なことね。メアリは唇に小さな笑みを作る。
これくらい強かであれば、安心して手を組んでいられる。
だって、メアリ以上の敵でなければ、あの親子はあっさり倒されたりしないのだ。
倒れないように守ってやらなければ、なんて心配する必要がないことは楽でいい。
少なくとも、城壁の上の見張り達には、その心配がいるのだ。
メアリは、冷笑を浮かべながら砦へと馬を進める。
門は開かれ、出迎えの騎士らしき人物も大急ぎで体裁を整えて顔を見せている。
それでも、下っ端の兵から、メアリの麾下への揶揄はなくならない。
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この砦は、連合国と戦争が起こった時に、王族が詰めることも想定されたものだ。
謁見の間としても使えるよう、指揮官諸侯が集まる会議用の一室が作られている。
その一室にメアリが通された時、着任の挨拶と顔見せのための場は整っていた。
部屋の中央に据えられた円卓に、手の空いている諸侯が座り、その奥、わずかに円卓から離れた場所に一段上げてしつらえられた玉座に、国王が座っている。
略式ながらも盛装が、戦時下の作戦会議の場ではなく、儀礼の場であることを示している。
その国王と、円卓を挟んで真正面、メアリは入り口から歩を進めたままに一礼する。
「お初にお目にかかります、フィリップ国王陛下。ウェールズ家当主、メアリ・ウェールズ、麾下五十人と共に参上いたしました」
「うむ。王国西部のウェールズ辺境伯領より、遥々東部の戦場まで馳せ参じてくれたその方の忠義に、まずは感謝する」
型通りの挨拶に、型通りの返礼。
国王を前にした貴族として、当然の礼儀だ。
円卓の間を占める東部諸侯と、国王直轄の近衛騎士は、それを当たり前のこととして受け入れる。
メアリが年若い令嬢であるため、若干の感心した空気があるくらいだが、特別なこととは誰も思っていない。
彼等が、メアリ・ウェールズをよく知らないからこその反応だ。
もちろん、彼等とて血染めのメアリの名は聞いている。
その名を持つからこそ、王国宰相より要請されて彼女は来たのだ。
しかし、東部の戦場暮らしの身には、西部の悪名はどこか作り話のように受け取られてしまうことは避けられない。
初対面の儀礼は続く。
「また、一昨年は王国西部に痛ましい飢饉があった。その時の混乱から、西部全域が完全に回復したとは言えぬ状況下でありながら、こうして東部の戦地に駆けつけてくれたこと、重ねて感謝を示そう」
「お言葉、ありがたく。また、ご心痛をおかけした我が西部について、代表してご報告をいたします。現在の王国西部は、確かに万端とは言えぬ状況にあるものの、我が家よりそれなりの対処を行ったところ。国王陛下におかれましては、どうぞ安んじて此度の戦に望まれますよう、メアリ・ウェールズが申し上げます」
今度は、円卓の諸侯の沈黙も揺れた。
若い少女の口から出た数々の言葉、「我が西部」「代表して」「我が家より対処」などから、明らかな意図を感じるのだ。
西部を牛耳っているのは、メアリ・ウェールズの白い手なのだ、という意図を。
それは、国王フィリップも察した。蓄えた髭の下で、かすかに笑う。
なんとまあ、このご令嬢、大した度胸だ。西部は自分が面倒を見てやっているから、東部の戦に集中しろとのたまった。
吠えよるわ。
そして実際、吠えて威圧するだけの力も示している。
ノアが気に入るのも頷ける。頭痛の種を片付けてくれる有能な同輩は、いつだって歓迎だ。
手荒い戦場を抱えた今なら、なおさらだ。
「相分かった、ウェールズ卿の言、至極頼もしく思う。卿は若いながら、貴族としての確かな能力、西部を統べるに足る貫禄を持ち合わせているようだ。王国を統べる者として、実に喜ばしい」
「光栄なお言葉、しかと胸に刻みます」
未だ辺境伯の爵位を継いでいないメアリの、貴族としての能力を認めた。
西部統括官ではない者に、西部を統べる貫禄を認めた。
他ならぬ王国を統べる者、国王としての認知を諸侯の前で披露した。
事実上、辺境伯と西部統括官の就任の内諾である。
明言ではないので、後からひっくり返す余地がある。
メアリはそれを承知の上で、今の台詞を忘れてやらないと釘を刺し返している。
王国宰相の筋書き通り、二人の話は無事に落着した。
とある男装の公爵令嬢は、個性的な主役達――特にその片方が筋書きを守るかどうか、ひどく不安がっていたのだが、国王フィリップは儀礼時の国王らしい厳粛さで接し、メアリも無表情に近い礼儀正しさで応じてみせた。
儀礼の場に求められたドレスコードを、皮膚の表面だけでなく、その延長にある言動にも、きっちり羽織ってみせたのだ。
もっとも、王国中央で最もその手のドレスコードを気にするクリストファー公爵家の当主からしてみれば、二人の紳士淑女ぶりには、そっと首を振っただろう。
国王はいささか口元と声が笑い過ぎているし、メアリは物言いが露骨に過ぎた。
つまりはまあ、お互い同水準。
公爵ならば、相性がよさそうでなによりだと、涼しい顔で婉曲に口評するだろう。
しかし、円卓の間の諸侯は、戦場暮らし続き、そこまで見る目は厳しくなかった。
こんな年若い少女が、と無言で驚きはしても、場の空気をよく読みました、などという珍妙な喝采をあげたりはしない。
その喝采は、遠く王都の空の下で、あの人は国王陛下を相手にちゃんと挨拶ができているだろうかと、今この瞬間も気を揉んでいる男装の公爵令嬢があげることになる。
円卓の間の様子が王国宰相に報告される、一週間ほど後のことである。





