蠢く種子8
この夏、王国西部を駆ける風には、豊作を約束するような穏やかさがある。
少なくとも、各地で復旧・復興された麦畑を薙ぎ払うような、乱暴な風魔は来ないようだ。
青々と茂る豊かな光景に、王国西部の人心は、一部を除き、ようやく平静を取り戻した。
「私が初めて西部へ来た時も、昨年のこの季節でした。同じ季節なのに、あの頃とはまるで別天地ですよ」
メアリの別荘にやって来たセスが、長旅の後でも余裕たっぷりの仕草でハーブティーに口をつける。
本人が言葉にした通り、一年前の王国西部は飢饉の影響で治安がひどく悪かった。
その殺伐とした空気を経験していれば、今の王国西部の穏やかな空気は、公爵家の屋敷の庭を散策するのと大差ない。
もっとも、悪評価とした地点の治安改善はまだ取り掛かったばかりであり、劣評価の地点ともなれば放置中である。
道中ならず者の襲撃があったのだが、それくらいなら何事もなかったと言い切れる図太さを、この男装の公爵令嬢は身に着けていた。
そんなものより、セスにとってはもてなしのハーブティーの方が重大だ。
「ああ、美味しいお茶ですね。メアリ様のご厚意で公爵家の従者達も教わりましたが、やはりジャンヌが淹れるものは一味違います。この味がずっと飲みたかったのですよ」
メアリと出会って以降、日を追うごとに面の皮の厚さが増している気配のあるセスが微笑むと、メアリの背後で白い侍女が頬を染めながら一礼した。
「いくら褒めても、わたしのモノはあげないわよ?」
侍女の主人が釘を刺すと、それは残念、とセスは軽く受け流す。
「ともあれ、西部の立て直しが順調なようで、クリストファー公爵家としてもお喜びを申し上げます」
「ええ、ありがとう」
この程度当然だ、と聞こえる声で、メアリが薄く笑う。
「ノア殿の助力があったおかげよ。紹介された人材も、活躍しているわ」
「それはよかった。紹介した側としても安堵いたしました」
「こちらが受けた恩に報いるだけ、わたしも返せているといいのだけれど」
「アンナは王都でもよくやっていますよ。一時期騒がしくなった歓楽街がありましたが、あっという間に落ち着いたと、父も満足しております」
「そう。アンナが元気でやっているようで、なによりだわ」
それで、とメアリは首を傾げる。
「まだこのやり取りは続ける? 中央のやり方のレッスンだと思って付き合っているけど、ひょっとして、ハーブティーのお代わりを催促されているのかしら」
メアリらしい苦情の申し立てに、セスは苦笑した。
口直しのために必要な、爽やかな苦みの表現だ。
「中央流の婉曲表現は、こんなものではありませんよ? ですが、ここは西部ですからね。この辺りにしておきましょう」
「ああ、ほっとしたわ。それで? わざわざ西の果てまで、公爵家の後継ぎがどのようなご用件でいらしたの?」
「もちろん、父の指示ですよ。あくまでも、西部の状況が落ち着いているようならば、という前提ですが」
小さく、セスは咳き払いをする。
「もし、メアリ様がよろしければ、東部の戦場に手をお貸し頂けませんか? その際の立場は、西部の代表ということでいかがでしょう」
「東部の戦場? 隣国との小競り合いに、王国西部の貴族であるわたしが?」
面白い冗談を聞いた、という仕草をメアリは示した。
「ノア殿の誘いとはいえ、足を運ぶには億劫なほどに遠い彼方の話だわ。大体、王国西部としては、その戦場への義理は十分に果たしているはずだけれど?」
現在、王国東部が抱えている戦場に、王国西部の諸侯は求められた支援を行っていた。食料支援という形で、だ。
一昨年の飢饉の前のことである。この時の支援のおかげで、飢饉の被害が甚大なものとなったことは、誰の目にも明らかだった。
この上で、西部からの支援を求めるとは、王国中央と東部の諸侯は一体なにをしているやら。
メアリの冷笑は毒を含まざるを得ない。
「メアリ様が仰る通り、西部諸侯にはすでに多大なる負担をおかけしたと考えております。これ以上、貴族の義務としての出陣を願うつもりはありません」
「ふむ、わかっているようね。それならばいいでしょう」
貴族の義務としての出陣を願っているなら、戦場で武功を上げねばこれといった褒賞がない。
基本的に、出陣する貴族の持ち出しになる。
義務ではない場合、つまり対価を用意しての出陣要請ならば、支払いに応じた戦力を送ることを考えてもよい。
「それで、ノア殿は一体なにをくれるの?」
「現在の西部に不足している物資を融通しましょう。色々と必要なものがありますよね?」
からかうような笑みで問われて、メアリは少しばかり拗ねた顔になる。
見栄っ張りのお嬢様は、貧乏臭い台詞を言いたくないのだ。おおよそ、その人柄を理解しているセスは察してあげた。
「ええ、そういうことでしょうから、利益はあるかと。それに、現在の西部の状況も考慮して、大部隊は求めません。百名以下で結構ですよ」
「西部の代表として派遣させるには、ずいぶんと少ないわ。それで戦場で功を上げろと言うの?」
「いえ、お願いしたいのは、国王陛下と第一王子殿下の支援です。戦闘も想定される前線ではありますが、直接の戦闘は王族直卒の部隊が行いますので、その後方支援ということですね。長帯陣となり、負傷兵の治療などに手が回らなくなりつつあるそうなので、それにお力添えを願えればと」
現在、貴族とは戦士階級である。
そして、貴族の頂点である王族こそ、その戦士の頂点ということになる。
自然、その戦闘能力は高く、戦場にいるということは、その戦士の頂点としての力を示すためにいるのだ。
その支援となると、確かに少数部隊の方がいい。
大勢を連れて後詰に押しかければ、王族を王族たらしめている戦闘力を見くびっているとして、侮辱ととられかねない。
戦闘が起こるとしても、王族の討ち漏らしを片付ける程度と予測される兵数が望ましいのだ。
東部の戦場に、わざわざメアリが出張って埋めるほどの穴はない、ということだろう。
「つまり、今回ノア殿が言いたいのは、東部の戦場に行って、現国王と次期国王に顔を見せて来ればいい。そういうことかしら?」
「はい。苦境を乗り越えたばかりの王国西部の貴族として、メアリ様が苦戦する東部の戦場へ赴き、国王陛下をお支えする。誰も文句がつけようのない王国貴族としての振る舞いですね。実にご立派なことです」
白々しい笑顔でセスが褒めそやす。
そういう口実を作って、メアリに便宜を図ると伝えているのだ。
「西部、中央、東部、それぞれのバランスを取るのは、王国宰相閣下でも苦労しているようね」
メアリが気の毒がると、セスの白々しい笑みが、溜息に吹き消されるように消えた。
「お察しの通りです。ええ、本当に大変なのです。西部の立て直しを急がないと、また同規模の災害が起こった時に王国が耐えられるかどうか、非常に怪しい。しかし、東部の戦争が継続している以上、中央から支援を送るにも渋くならざるを得なくて……」
「で、わたしにわかりやすい口実を作ってもらって、支援を絞り出そう、というわけね」
「そういうことです。また、国王陛下とメアリ様の顔合わせを済ませれば、ウェールズ辺境伯と西部統括官の就任を正式に発令する足掛かりとしても十分です」
「それはいいわね。現在は王国宰相が後ろ盾になっているから、そういう風に見られている、という仮発令みたいなものだものね」
王国宰相が認めているということは、ほぼ内定している。
それでも、メアリと国王が一度も顔を合わせたこともないまま、高位貴族に任命すること、王国の三分の一を国王代理として統括する権利を預けることは難しい。
それらの問題が一挙に片付くというなら、王国西部の端から東部の端まで、億劫な距離を移動することもまあ、我慢できる。
メアリお嬢様は頷いた。
「いいでしょう。ノア殿の提案を受け入れるわ」
「そう言って頂けると思いました。現在、我が家で把握している東部戦線の情報をお渡しいたします。遠征の準備の参考にどうぞ」
「ええ、助かるわ」
資料を受け取りながら、メアリはくすりと笑いを零した。
「そう言って頂けると思いました、ね。最初から、わたしが受けると確信していたわね、あなた」
「もちろんです。隣国になにか調べ物があるのでしょう? その機会にこれは丁度いいですから」
メアリが行きたがっていることを知りながら、クリストファー公爵家は条件を吊り上げなかった。
公爵家の現当主と次期当主のことを、高く評価しているメアリは、この事実を楽観的には受け取れない。
「東部の戦場、厄介なことになっていそうね。セス、あなた、本当に後方支援で済むと思っている?」
答えがわかっている問いに、セスは上品に唇を吊り上げて笑みを作った。
「今回、隣国が戦争を仕掛けて来た原因の天狼という魔物ですが、よく飛ぶそうですよ」
飛行手段を持つ敵を相手に、有効な対空手段がない場合、後方が襲撃されることは容易に予想される。
メアリが、セスから渡された資料をちらりと見ると、どうやら現在の王国軍は、対空手段が乏しいようだ。
「天狼との戦闘を想定して、部隊を組んでおかないといけないわね」
困った風に溜息を漏らしても、メアリは余裕があるように見える。
それが見せかけの強がりなのか、それとも底知れぬ実力の一端の発露なのか。セスは父親に報告する時に、後者であると断言するだろう。





