蠢く種子6
混沌花の宿主となる。
混沌花を寄生させる。
混沌花を制御する。
王女に挑む。
秘密結社の目的のための手段について、言い方は様々あるが、具体的に説明するともう少し長い。
基本的に、混沌花の繁殖は種子を経由しない。
恐らく、あまりに生物として強力なため、並みの植物と同じように繁殖すれば、すぐに周囲を圧倒してしまうせいだろう。
大型の肉食動物のようなものだ。ただ一つの生物の維持に、広大な狩猟場を必要とする。
また、混沌花の基本的な能力が、繁殖に近い、とも言える。
様々な植物の能力を、その内部で掛け合わせ、その土地、その状況に合わせた新種の植物を生み出す。
混沌花は、ただ一種一個の植物であり、同時に無数の植物の群体でもあるのだ。
その能力で生み出した植物は、本体から離れて芽吹くこともできる。
混沌花の分化体である。
これを養分が許す限り、周囲に侍らせることで、混沌花は支配領域を広げる。
なにかあれば、分化体の制御は混沌花本体のものだ。分化体が得た栄養を搾取することも、分化体に枯死するまで戦闘を命じることもできる。
その生態は、まさしく緑の支配者。
結社がこの花をして、女王と称える由縁である。
ただし、配下でしかない分化体が、女王たる混沌花に反乱を起こす余地が存在する。
分化体が、優秀な宿主を得た場合である。
混沌花は強力無比であるが、その能力の十全な行使には、宿主の存在が必要となる。
外部から(魔力を含む)栄養を大量に取りこむために、最上級の土壌を要求する結果だ。
文字通りの意味で、土だけで栄養が足りるなら、混沌花は宿主を必要としないかもしれない。しかし、そこまで条件の良い土壌は、現在のところ発見されていない。
そこで、自ら栄養を摂取し、魔力を提供し、不足があれば移動する土壌、宿主が必要となる。
それは分化体にも適応される。
そして、栄養が豊富で、適合率の高い生物に寄生した分化体は、ただの従者から、混沌花そのものへと成長を許される。
女王の支配命令を拒絶できるほどに成長した分化体を、結社は王女と呼称した。
現在の結社の目標は、まずこの王女を生み出すこと――つまり、優秀な宿主に分化体を寄生させることである。
結論は簡単だ。それが未だに果たせていないことも、簡単な理由だ。
王女を育てるに足る優秀な宿主、その優秀の基準は、ひどく高い。
王女を育てる実験が、また、失敗した。
結社内を駆け巡るその知らせは、重大ではあるものの、すっかり慣れたものだ。
成功したことのない挑戦は、その敗北に「まさか」という悲鳴は付属しない。「またか」という嘆息があるだけだ。
敗北を叩きつけられた、挑戦者以外には。
「まさか」
グレイの顔には、はっきりと感情が刻まれていた。驚愕だ。
「まさか。まさか。まさか。まさか」
何度も、何度も、驚愕を吐き出す。
吐き出しても吐き出しても、グレイの全身を締め付ける驚愕はなくならない。驚愕を育てる、失敗という現実がなくならないからだ。
まさか、こんなことに。
まさか、実験体が目覚めないなんて。
まさか、自分が失敗するなんて。
まさか、あのカミラが正しかったなんて。
まさか。まさか。まさか。
吐き出し続けても、グレイの前から失敗という現実はなくならない。
ベッドの上で目を閉じたまま、身じろぎもしない、エドワードの子という失敗事象は、目覚めも消えもしない。
まさか、こんなに混沌花の侵食が早いだなんて。
まさか、台木に抵抗力がつくのがこんなに遅いだなんて。
まさか、実験体がこんなに弱いだなんて。
グレイは、現実から離れて、自分の思考の中に沈んでいく。
恐い怪物から逃げる童子のような、その肩を、掴んで引き留める声があった。
「よう、グレイ。あんたの実験のデータを見せてくれないか」
カミラの声だ。
びくりと震えたグレイが、ぎこちなく振り向けば、この世を嘲ける笑みがそこにあった。
「データを見せてくれる約束をしただろ? 王女の侵食経過は重要なんだよ」
「あ、あなたは……」
カミラの表情から、グレイは自分を馬鹿にしに来たのだと思った。
自分の忠告した通り、失敗しただろうと侮辱しに来たと、予想した。
それがグレイの限界であり、カミラはその上を軽く飛び越えていく。
「あんたの接ぎ木方式で侵食速度に変化があったなら、侵食方法がより詳細に観測できただろう? どうだった? 初期段階での侵食緩和はあたしも期待していたんだ。もし侵食方法の詳細がわかれば、実験体への投薬で抑制もできる。まあ、結局はその抑制も人体にとって毒なんだろうが、一考の余地はあるだろう?」
グレイの失敗など、カミラは気にもしていない。それどころか、グレイ本人すら、眼中にない。
ただ実験の成果。
ただ実験の経過。
カミラは、自分の実験に使える情報を求め、本能的に根を伸ばしているだけなのだ。
たまたま、その情報をグレイが持っていただけで、そうでなければ視野にも入らなかった。
カミラのじっとり湿った熱の入った声と、焦点の狂った眼差しは、グレイにそれをわからせた。
わからせられて、グレイは羞恥に赤面した。
「あ、あなたは……! 実験体のことをなんだと思っているのです!」
突然、荒げた声をぶつけられ、カミラは首を傾げる。
「この実験体は、失敗したのですよ!」
「ああ、失敗したと聞いて、それじゃあ一段落ついたからまとまった報告があると思って来たんだ」
カミラは、笑みの形のままの唇の下、顎を指でなぞって、興味深そうに実験体の少女を眺める。
「しかし、昏睡状態か。中々面白い状態だな」
混沌花の分化体は、不適格な宿主に対して取る行動は、通常二種類。
その体を乗っ取って女王花に奉仕しようとするか、食い潰して女王花に栄養を捧げようとするかである。
「この昏睡状態は、すぐに動くと滅ぼされるとわかっての擬死行動か、それとも栄養源として宿主を保存している状態なのか。それとも……」
どう思う? 問いかけられて、グレイは叫ぶ。
「あなたは、実験体に対する優しさというものはないのですか! この実験体はもう二度と目覚めないかもしれないのに、少しは心配したらどうですか!」
「は?」
カミラの口元から、笑みが消えた。
波が引いた海岸に、大波がやってくるように、次の瞬間、大笑いが押し寄せた。
「いや、いやいやいや、そんな臭い芝居はどうでもいいから、あんたの考えを聞かせてくんない?」
「芝居ですって?」
「いいから、いいんだって、怒ったり悲しんだり、そんな善人の心があるみたいなフリをしなくたってさ。そんなもの、今さら振りかざしたって邪魔だろう? 結社らしく、合理的に、効率的に、実験の話をしようじゃないか」
カミラの態度は、むしろ生粋の結社育ちの研究者のようである。
それに、グレイは嫌悪感を剥き出しに噛み付く。
「その無慈悲さ、流石ですね。実験体が苦しむとわかっていて、毒の投薬を続けるだけのことはあります」
「そうだよ。その方が効率的だと考えているからね」
カミラは、全てをわかっている者の態度で頷く。
「こんな実験をやってるんだ。何人かに地獄の苦しみを味わわせて終わるなら、そうするのが一番だ。導師エドワードの望みにも合致するだろう?」
「地獄の苦しみとわかっているのに、自分の意思も示せない実験体に、あなたはなんて非道なことを!」
「お互いそんなに知らない仲でもないんだ。自己紹介は今さら遅くない?」
お前とやっていることは変わらないと、カミラはせせら笑う。
「そんなことより、あんたの実験体……エリザベスの昏睡状態だが、本当にもう失敗と確定したのか? ひょっとすると、混沌花が侵食しきれてないって可能性はないのか?」
疑問と共に、カミラがベッドの上の実験体に手を伸ばす。
その手が触れるまでの、わずか一瞬で、グレイは今後の自分のなすべきことを決定した。
それは思考を経るにはあまりに短い時間でなされ、まるで天上から下された使命のように強くグレイの脳に刻みつけられた。
「触るな!」
カミラの手を弾いて、グレイは実験体を抱き寄せる。
「この子は、わたしが救ってみせる。必ず、必ず、わたしがこの子の目を覚まして、この地獄から救い出してみせる! 必ず、必ず……!」
決意に満ちた言葉と共に、グレイはより内面深くに潜っていく。
これ以上、カミラや結社の言葉に侵されないよう、自分の中に生まれた使命を純粋に保てるよう、グレイは深く深く沈んでいく。





