蠢く種子4
王国中央から連れて来た人材の配置を決めれば、西部統括官たるメアリ・ウェールズ辺境伯としての仕事は、しばらくは結果待ちになる。
もっとも、西部統括官の就任も、ウェールズ辺境伯の就任も、王国宰相クリストファー侯爵からの内諾止まりであるのだが。
ともあれ、表の肩書きにぶら下がる仕事を終えたメアリは、デジデリアに下がるように告げる。
「ゆっくり休みなさい。すぐ忙しくなるだろうから、遠慮は無用よ」
「は、はい、ありがとうございます……」
頬を紅潮させて、デジデリアはぎこちなく頭を下げて退出する。
その様子を見ていたカミラが、すっかり減ったお酒を振りながら笑う。
「悪いお嬢様だね。あの子、もうメアリのところから離れられないんじゃない?」
「元から手離すつもりがないもの。でも、ちょっと残念かしら」
なにが、とカミラが問うと、メアリは溜息を零す。
「あのびくびくした様子が見られなくなると思うと、もったいないわ。今までの距離感も捨てがたかったのよね」
「まあ、確かに、今までみたいにびくびくはしないだろうな」
ここ一月ほど仕事をして、デジデリアの臆病な振る舞いの根底にあるものをカミラも察していた。
どうも、王国中央での彼女は、自分の意見を否定ばかりされていたようで、常に自分は間違っていると思い込むようになっていた。
そんな状態で、悪名高いメアリ・ウェールズに拾われたのだ。
間違ったことばかりする自分は、いつ首を刎ねられることかと気が気ではなかっただろう。
ところが、メアリは意外と優しかった。
そればかりか、デジデリアのことをしっかりと正しいと宣言した。
恐怖の死神のような人物が、一転して救いの女神のように感じられたことだろう。ほとんど洗脳の手法である。
今まで脅えていた分、引き絞られた弓矢のようにデジデリアはメアリに懐くだろう。
カミラはそう予測した。もちろん、メアリもそう思っている。
それはそれで、ようやく小動物が懐いたような喜びがある。
「でも……ああ、やっぱりもう少し、あの脅えた姿を見たかった気がするわ」
メアリのそんな贅沢な悩みは、意外な形で解決した。
次に会った時も、デジデリアは脅えた小動物の有様であったのだ。
どうやら、今度は救いの女神のメアリに嫌われないか心配で、ガチガチに緊張することになったようだった。
それは先のこと、具体的には夕飯時に、メアリお嬢様の目元を嗜虐に綻ばせる予定である。
そんな悩みは首を振って散らして、カミラがこれ以上酔わないうちに、裏の話を始める。
すなわち、秘密結社混沌花の統治者、女王としてのメアリ・ウェールズの務めである。
「それで、カミラ。隣国に流れたらしい結社の離反者についてだけれど、情報は?」
「記録を当たって、こいつじゃないか、という目星はつけた」
「よくやったわ」
カミラが差し出した報告書を受け取り、手早く目を通す。
その情報に、メアリは不愉快そうに眉をひそめる。
「混沌花の研究班からの離反者?」
「ああ、あたしとは別な切り口からの研究だがね。当然、最終的には失敗した連中だが、その研究成果はあたしも利用した」
つまり、結社の中でも高位の研究者で、相当に知識も持っている。
結社として外に出したくない、出す気もない情報を、たっぷり持っているはずだ。
とても放置できない存在だ。
「名前はグレイか……。わたしの姉妹で実験していたのね。カミラとは違う方向からの研究というと、どんな?」
「そうだな。前提の確認として、成功事例であるあたしの基本思想はどんなものかって言うと……結社が保管していた混沌花の種を発芽させるため、宿主側の肉体そのものを強化改造することを目指していた」
「そう表現すると、ずいぶんシンプルな方法よね」
「シンプルだからこそ、混沌花の多種多様な変異に対応できるんだよ。根本的に肉体が強いからこそ、混沌花が小細工を仕掛けても抑え込める。この場合のシンプルさは、汎用性の高さだ」
なるほどそういうものか、とメアリは納得した。
否定する気分は欠片も出て来ない。カミラのシンプルな方向性に伸ばした枝葉だけが、メアリという成功の花を咲かせたのだ。
それ以外の枝葉は、全て枯れ果てて繁栄に失敗した。
その枯れた枝葉の一つ、グレイという人物の研究の方向性は、初代女王と呼ばれていた、森の大狼に寄生していた混沌花を利用したものだった。
「まず、実験体に適合しやすい魔法植物を植える。それが馴染んだ後に、初代女王の混沌花から採取した一部を繋げる……つまり、接ぎ木するんだ」
そういう方向性を試みた研究者に、メアリはいくらかの理解ができた。
「ああ、間に扱いやすい魔法植物を挟むことで、混沌花の拒絶反応や侵食を抑え込めると思ったのね。混沌花の性質を薄めて、段階的に飼い慣らすつもりだった、とか」
「基本思想はそんな感じだ。初め、これは上手くいくように見えたみたいだな」
どうして上手くいかなかったのか、メアリに対して説明の必要はなかった。
二代目混沌花を宿した女王には、あまりに明白だからだ。
「本体から切り離された一部とはいえ、それくらいで御せるほど弱い花ではないわ。時間が経つとともに、混沌花が凶暴化して実験体を侵食したのでしょう?」
「そうだ。間に挟んだ魔法植物の種類を色々変えたようだが、どれも混沌花にとって格下に過ぎない。結局、魔法植物が混沌花に侵食され次第、実験体は混沌花の獰猛な食欲に向き合う羽目になった」
混沌花は、咲くために必要な栄養を与えない生き物を宿主とは認めない。ただの餌だ。
自身を満足させる宿主に出会うまでの保存食として、食い潰されてお終いとなる。
「それで失敗、と?」
「そうだ。三人ほどこの接ぎ木方式で試みて、このまま続けてもこの方向性では芽が出ないと判断、一旦凍結した。そして、隣国で天狼が出現した話を聞き、なにか得るものがあるのではないかと現地へ赴いた……これが結社に残っている最後の記録だ」
「隣国の天狼ね。初代混沌花が狼に寄生した種だから、同じ狼種で、強大な魔力と生命力を持つ天狼から得るものがあると考えたのでしょうね」
メアリの考えを、カミラは半分だけ認めた。
「半分は、そうかもな。ただ、もう半分は逃げたんだと思うぞ」
「逃げた? なにから?」
「結社の実験の邪悪さから。それと、ひょっとすると、あたしの成功からも、かな?」
その言い回しで、メアリは察した。
「逃げていい段階は、とっくに過ぎ去った後でしょうに。もし、本当にそうだとしたら、無様なものね」
軽蔑も露わに冷笑し、そんな研究者は好みではないとメアリは鼻を鳴らす。
「それで? カミラとしては、どの程度の確率で、隣国で神等教を操っているのが、その無様な研究者だと思うの?」
「正直なところわからん。こいつに目星をつけたのは、考えられる関係者の中で、最も厄介そうなのがこいつだった、という理由だ。これ以上は結社内の記録にないから、確認のしようがない」
「そう。じゃあ、ここから先は隣国に探りを入れるしかないのね」
それならば、王都に残してきたアンナの仕事だ。
カミラの調査結果を彼女に送り、指示をしなければならない。
ただし、隣国と王国は現在、戦争中だ。
情報収集を担当するアンナとその配下の黒蘭商会といえど、中々容易にはいかないだろう。
そして、メアリお嬢様としては、好みではない相手がそこにいるなら、さっさと消してしまいたい。
「場合によっては、わたしが動いてもいいわね」
アンナには、メアリ自身も手札として使うことを考慮に入れて計画を立てさせよう。
そう決めたのが、メアリの本日最後の仕事だ。
「さて、今日はこれで業務終了よ。カミラ、ご苦労様。後は好きなだけ飲んでもいいわよ」
解散を言いつけながら、自分も寝室に戻ってくつろごうと立ち上がる。
白い侍女が、その袖をそっと掴んで、声をかけた。
『にゃ、にゃぁん……?』
正確には、鳴き声らしきものをあげて甘えた。
近頃、小動物系デジデリアに可愛がられる機会を取られがちなジャンヌである。
彼女は、精一杯の小動物っぽさを振り絞って、メアリお嬢様に攻勢を仕掛けた。
「あら、こんなところに可愛い白猫がいるわ。こんな可愛い白猫は、たっぷり可愛がってあげないといけないわね」
これには、戦上手のメアリお嬢様も耐えられなかった。
白い侍女をひょいと抱き上げると、ご機嫌な笑みで自分の部屋まで連れ去っていく。
「ふふ、王都に行ってずいぶんと侍女っぽくなったと思ったら、覚えたのはそれだけじゃないようね? ジャンヌがこんな可愛い猫になれるとは思わなかったわ」
この白猫をソファやベッドに寝かせれば、さぞ愛らしい眺めになるだろう。しかも、撫でても良い。
メアリお嬢様は、この新しいインテリア要素に、スキップする勢いで廊下を突き進む。
後のウェールズ家に語られる伝説の一つ、幸せの白猫ジャンヌの誕生である。
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侍女を抱き上げ、主人が去っていく。
それを見て、カミラは苦笑する。
侍女に対して、「侍女っぽくできないかしら」と溜息を吐くメアリお嬢様だが、当人だって貴族っぽくないところが、多々見える。
つまり、従者は主人に似たということだろう。
「いや、待てよ? 侍女や召使いを手籠めにする貴族文化もあるな?」
ということは、メアリのあれは、ひょっとすると貴族っぽいムーブと言えるのかもしれない。
まあ、向かう先はベッドでも、芸術鑑賞の亜種みたいなものにしかならないのだから、大分違う。
しかし、芸術鑑賞も貴族趣味である。ということは、ひょっとすると、メアリお嬢様のあれは、やはり貴族っぽいムーブなのか?
これは難題だ。
メアリお嬢様は貴族っぽい貴族か。
カミラは、酒瓶を議論相手として、このどうでもいい問題にたっぷりと頭脳を浪費する。
結社最高と謳われた頭脳は、酒が空になった瞬間に結論を下した。
「どうでもいいか。メアリお嬢様はメアリお嬢様だし。そんなことより部屋に戻って次の酒を飲もう」と。
ベッドの上で酒瓶とイチャイチャするんだ、とカミラは緩い笑みを浮かべて立ち上がる。
空の酒瓶をテーブルに置くことで、掃除担当の仕事にやりがいを足してやり、代わりに先程メアリに見せた書類は、見られてはまずいので手に取る。
その書類の名前に、脳を侵食していた心地良い酔いが、悪酔いに変わっていく。
「グレイか。頭は良いが、現実で生きるには向かない頭の良さだったな」
先祖代々、秘密結社の研究者だった女。
結社という屋内で、秘密という狭い鉢植えに入れられて育ったような血族である。
結社にとって都合の良いものだけを栄養源に世代を重ねれば、害虫や風雨、日照りへの耐性が薄れた花も生まれる。
グレイに対するカミラの印象は、まさにそれ。
自然界ではありえない特質を発現させた、異形の花だ。
農村で生まれ、奴隷として結社で育ち、女王メアリの腹心として咲いたカミラの感性からすると、気持ちの悪い相手だった。
対局のような存在だから、仕方ない。
自室につき、ベッドに腰かけながら新しい酒を手に取る。
悪い酔いがカミラの脳から引っ張り出すのは、過去の記憶。
秘密結社・混沌花が、血と腐敗に湿った空気に満ちていた、陰惨なる夜の時代だ。





