蠢く種子3
「さあ、次はレオーネ・ナパートよ。レオーネは騎士だから、いきなり広い領地は任せられない。今は、匪賊討伐の実績を活かして、ここの並評価の領地に派遣しようと思うの」
メアリが指さしたのは、悪評価の領地に囲まれた領地だ。
王国西部でダドリー・リッチモンドとメアリ・ウェールズの対立が鮮明化した時、初期はダドリー寄りの中立、冷害飢饉が起きてからはメアリ寄りの中立を保ち、勝ちが決まってからメアリに恭順を示した領主が治めている。
これをメアリは、素晴らしい世渡りセンスと評している。
皮肉ではなく、純粋な褒め言葉だ。
西部全体や王国全体などと大きなことを考えず、自分の領地、自分の毎日の暮らしを悪戯に乱さないように舵取りを行い、見事に今回の混乱を乗り切った。
周辺領地が軒並み悪評価、つまり没落している有様を見れば、それがどれほど非凡な行いだったことか。
ルイ・リーシルと同じタイプの人材である。
メアリにとって大いに重宝すべき、愛すべき小者である。
「このまま放置しておくと、周囲の領地の悪化に引きずられて、ここも危うい。けれど、ここを補強してやれば、逆に周囲を安定化させる重石にすることもできるわ」
その意図を察して、デジデリアはこくこく頷く。
「レオーネ殿がいれば、治安の安定化が、期待できます。近隣領の混乱が入って来なければ、ここなら大丈夫そうです」
「ついでに、ここの領主の安定した運営方法を、レオーネが学ぶ機会も作れるわ。周囲の領地を悪化させた能無しの首は、時機が来たら挿げ替える予定だと伝えれば、彼なら大いに励むでしょう」
レオーネは野心の強い男だ。
登れる山を示してやれば、自分で登り方を計画し、準備をする。勝手に動ける人物は、勝手に動いて問題ない場所を用意してやればよい。
王国中央の固定化した権力基盤では、そんな都合の良い場所はないかもしれない。
しかし、今の王国西部には噛み癖のある犬であろうと、放し飼いにできる土地が空いている。
むしろ、噛みついてくれれば、メアリの手間が減る。
「なるほど。無駄のない一手なんですね」
「打つ一手に複数の意味を持たせるのよ。一つだけの目的を持った一手は、外れた時に死に手にしかならない。でも、複数の意味を持った一手は、その全てが外れることはないから無駄にならない。単純でしょう?」
レオーネの場合、最終的に派遣した先が潰れてしまったとしても、彼にとって良い勉強になるだろう。
万が一、レオーネが倒れたとしたら、メアリ・ウェールズの派遣官が倒れたことを口実に、あの辺の低能な領主を刈り取ることも可能。
流石に突然の病死などされたら、どうしようもないかもしれないが、とにかく使い勝手のいい一手なのだ。
このように、地図上の状況に対して、必要な楔を打ち込んでいく。
おおむね、メアリの計画を告げ、その妥当性をデジデリアが確認、カミラがお酒を飲む流れで進む。
十分に変更が可能な素案段階のはずだが、デジデリアはほとんど訂正の必要を感じなかった。
上手くいきそうだと、数字で構築されたデジデリアの世界で計算ができる。
友人のようなセスが言っていた通りだ。
為政者としてのメアリ・ウェールズは、非常に能力が高いらしい。
「あの、メアリ様、その、残る、劣評価の土地なのですけど……」
最終的に残るのは、ほぼ手つかずの劣評価の地域だ。
数はそこまで多くはないが、この劣評価の地点はひどい。
実質的に、壊滅地点もしくは壊滅予定地点と言っていい。数年後、王国西部全体に余裕ができた頃に再開拓を行った方がよい、とさえ思う。
それほど困難な地点だが、ここまでの検討の段階ですでに、王国中央から連れて来た人材は払底してしまった。
とても、劣評価地点を御せる人材は見当たらない。
この難題を一体どうするつもりなのか。
デジデリアは、自分では思いもよらない名案を持っているだろう、優秀な為政者に目を向ける。
「ここには、このリストの人材を派遣するわ。そうね、リストの上から順に派遣すればいいんじゃない?」
これまでの、即決ながら細やかな配慮とは打って変わって雑な指示に、リストの人間はそれほど優秀なのかとデジデリアは不思議に思う。
そして、リストの名前に目を通して、優秀とは真逆の評価が相応しい人物ばかりに、目を見開く。
「メ、メアリ様!?」
デジデリアとて全員の名前を知っているわけではない。
しかし、悪評を聞いたことのある名前がいくつもあれば、このリストがどういう質の人材を集めたものか察せられる。
まず、劣評価の地域を改善できない……いや、まともに保持すらできないに違いない。
「大丈夫よ」
そのことについて、なにやら考えがある風に、メアリは微笑んだ。
毒のある薄笑みだった。
「この連中を真っ当に配置したりしないから。形だけよ。あるいは、書類の上でだけ、と言うべきかしら?」
「あ、ああ、そうなんですね。安心しました……」
「ええ、もう死んでいるもの。だから気にしなくていいわ」
全然安心できなかったので、デジデリアは声も出せずに脅えた。
「デリアは気にしなくていいのよ。ほら、セスからも、それらの名前は聞いていないでしょう?」
その通りだったので、デジデリアはがくがくと頷く。
メアリと共に王国西部に移るにあたって、友人と言うにはちょっと恐くなってしまったセスは、必要と思われることを丁寧に教えてくれた。
それは、メアリが必要とする情報【槍】であり、それを持つデジデリアの身を安全にしてくれる情報【盾】になる。
それだけデジデリアのことを心配してくれたセスが、一切教えていなかったのは、どうしてなのか。
それらの情報は、デジデリアを煩わせることも、害することもない。
もう変動しない過去の情報だから。
理解した瞬間、デジデリアの全身の血が引いた。顔は真っ青になり、真冬の池に落とされたような寒気が襲う。
メアリ・ウェールズはやっぱり恐ろしかった。
そう思い知ったことが、青ざめた理由。
そして、セス・クリストファーも恐ろしいモノになっていた。
そう察してしまったことが、寒気の理由。
妙に不吉なあだ名がセスにつけられた時から、ひょっとしたらと脅えていたのだ。案の定だ。
セスは、リストを作れるほどの数の人間を、あっさり死んだものとして片付けて、顔色一つ変えない人間になっていた。
人命が、まるでごみを掃き清めるような気軽さで片付けられている。
素敵な友人が、素敵な姿はそのままに立派な怪物になってしまった。
デジデリアは泣きたくなった。男装の友人は、密かに初恋の人物でもあったのだ。
実は、優しいデリアが気に病まないように、とセスはわざと黙っていたのだが、その優しさは見事に空振りしていた。
とはいえ、友人への配慮を欠かさないセスが、もはやその程度の人命の喪失に――それもいるだけ邪魔という相手に、涙の一滴も必要としない精神性になっているのは事実でもある。
デジデリアの友人をそのように変えてしまった原因は、英雄を惑わす魔女のように妖しく笑いかける。
「劣評価の地点は、現状では再建が難しいほど荒廃してしまっているわ。わたしの力をもってしても切り捨てざるを得ない」
それを認めるのは腹立たしいけれど、とメアリは笑みにさらなる毒を滲ませる。
「だから、せめてゴミ捨て場として利用してやろうと思いついたの。邪魔者の処分先を探しているところがあってね、それならいいところがあると紹介したら、とても喜んでもらえたわ。お礼も弾んでくれたから、いくらか復興が楽になったところもあるのよ」
言っていることは、デジデリアにもわかる。
驚くべきウェールズ家の力をもってしても、限界がある。
全ての問題を一度に片付けることはできない。
だから、切り捨てるところは切り捨て、その責任を適当な相手に押しつけて、時間を稼ぐ。
ついでに、その押しつける相手を、どこかの誰かの邪魔者にすることで、恩も売る。
なんと合理的で、悪魔的な所業だろう。
メアリは、こう言っているのだ。
死する運命の人間一人を切り捨てれば、救える三人の人間がいる。だから、そうした。
その切り捨てる一人に、死んでもよさそうな人間をもう一人付け加えれば、引き換えにもう一人救える。
だから、そうした。
デジデリアが持つ数字の世界では、その有効性を認めざるを得ない。
その選択が現実に突きつけられたならば、そうすべきだ。
死する運命の人間一人を救おうとして、三人の人間を見捨てる。
一体なんのために?
結局、救おうとした一人も死ぬのだから、その手にはなにも残らない。
さらに、死んでも問題ない人間と引き換えに、もう一人救える命が追加できるなら、悪魔との取引にだって応じる価値はある。
そんな価値はないと言うなら、それは一体どんな数式で証明できる?
数字の世界に立つデジデリアが、無表情に問いかける。
人心が織り交ざる現実の世界に立つデジデリアは、顔を歪めて黙り込むしかない。
答えがないから、言葉を失うのではない。
答えが出ているから、言葉が出て来ないのだ。
いつだって、数字の世界に立つデジデリアの声は、叩き潰されてきた。
自分が見て来た帳簿の数字、その裏側に、その隙間に、いつだってその選択肢は潜んでいた。
ああ、ここでこんな数字を出していたら、誰かの首に縄がかかることになるだろうな。
そういう数字を、何度か見て来た。
その度に、このままではいけないのではないかと、周囲に問いかけた。
そうしたら、この付き合いは切れないと、昔の恩があることだと、お前はなにもわかっていないと叱られてきた。
どうやら自分が間違っているらしい、自分はどこかおかしいらしいと思って来た。
今日、初めて、間違っている自分と同じ答えを出す人物が現れた。
「あなたもわかっているでしょう? これがより確実で、より多くの民を助けられる手段だと」
「そう、だと、思います、けど……」
「なら、これは正しいことじゃない。より多くの民の命を救う。支配者として、どこにおかしなところがある?」
揺れるデジデリアの天秤に、優しく、甘く、致命的な声が載せられた。
「支配者たることこそわたしの務め。あなたはその支配者の判断に必要な数字を、正確に教えることが務め。わたしが正しいことをしていれば、あなたも正しいことをしているわ」
弱い生物の脳に、抗いがたい毒を塗りたくった声が、空気を介して注入される。
「少なくとも、わたしの庇護下にあるならば、あなたは正しいことをしている。メアリ・ウェールズが約束するわ」
耳から注ぎこまれた毒は、ただちにデジデリアの脳に、不可逆的な傷を刻んだ。
その傷を、人は安寧と呼ぶ。
それは、これまで自分の思う正しさを否定され続け、脆くなっていたデジデリアの脳にとって、あまりに強い刺激だった。
「安心してここにいなさい。わたしがあなたの頭脳を、正しく使ってあげるわ」
妖しい誘いに、躊躇が入り込む隙間もなく、デジデリアは頷いた。
「はい、メアリ、さま……」





