蠢く種子2
興奮したカミラは、すぐその場でデジデリアの試験を始めた。
「まずはこれだ。ウェールズ家では、資源の管理にこの表を使っている。見てわかるか?」
「は、拝見、します」
差し出された紙を、デジデリアはそうっと受け取った。罠を警戒する小動物の動きだ。
しかし、紙面の文字を追いかける瞳の動きは、獲物を狙う肉食獣の鋭さを示した。
「複式簿記。中央でも、これを使っている家はあまりないです」
デジデリアの言う通り、それはウェールズ家が管理する資源の一部、リッチモンド伯爵領の資源に関する複式簿記である。
「でも、うん、当然と言えば、当然ですよね。ウェールズ家は、あの規模の経済活動を実施できていたんですから、複式簿記でないと管理は至難ですよね。うん、うん」
簿記に記された内容を次々に頭の中に飲みこんで、納得しました、とばかりにデジデリアは熱心に頷く。
「あぁ、しっかりできていますね。この表に間違いがなければ、リッチモンド伯爵領は、思ったよりも健全化していますね? 農業生産量の回復が凄まじい、これは本当でしょうか? 驚くべき数字です」
「じゃあ、リッチモンド伯爵領に、農業生産量の確認をした方がいいかな?」
カミラが合いの手を入れると、デジデリアは帳簿の数字を追いながら頷く。
「そうですね。生産量が高いところと低いところに、査察を入れて確認しておきたいです、私の常識とはかけ離れた数字ですので……。ああ、でも、これくらいの数字を出せなければ、先の飢饉に対応できませんから――」
この数字の方が合っているのでしょうね。デジデリアは、あっさりと自分の常識の方を間違っていると改めた。
そう結論づけた理由を、本人の代わりにカミラが囁く。
「数字と数字を繋ぐと世界が見えるな?」
「はい。紙面にあるのは抽象的な数字ですが、その数字が現実に存在する物質の代理である以上、無いモノが挟まっていれば現実が歪みます。ましてやこれだけの数字です。もしも存在しなければ、現実が壊れてしまうでしょう」
良い勘を持っている。カミラはますます機嫌がよくなる。
少し感覚は違うが、カミラも論文や報告書から、現実を再現できる。
他人のそれを読んで、あたかも自分がその実験や研究をしたかのように感得する能力。これによって、どれだけの実験を脳内で済ませることができたか。
デジデリアも似たような能力を持っている。帳簿を読めば、直感的に全体を把握できるのだろう。
カミラは思ったよりもデジデリアの能力が高いことを理解しつつ、頷く。
「では、査察はしなくていいな」
「いえ、しますよ。常識外れの数字であることは確かですから、第三者にわかりやすく記録しておいた方が良いです。信用に関わります」
「そう来るか。なるほど」
自分とは違う判断だが、財務としては正しい判断かもしれない。
いや、正しいんだろうとカミラは納得した。
どうにも、結社の研究者なんてものは表に出せない研究ばかりだから、外部からどう思われるか、という意識が希薄だ。
自分達がわかっていればいい、と思いがちである。この感覚で財務管理をするのは危ないのだろうと、カミラは感じた。
借金があるか、ないか。支払いができるか、できないか。
それを疑われた時に、「うちはしっかり確認している」と示せることは大きい。なにせ貴族の取引と来たら、現物で済ませるには無理がある規模のことが多い。
外部の信用を得るために、余計な一手間をかける価値はある。
デジデリアの視点は、ウェールズ家には中々ないものだ。
だってこの家、基本的に引きこもりだから。
「ところで、デリア。中央でも複式簿記を使っている家は少ないって言ってたけど、お前さんはできるんだな?」
「はい、普段から使っているものが複式簿記ですから。クリストファー公爵家は、中央全体の権益を左右し、東部戦線への支援も行わねばなりません。複式簿記による正確な財産の運用は必須です」
帳簿から顔を上げ、しっかり答えたデジデリアに、隣でメアリが付け加えた。
「このデリアの実家のスヴェーリエ子爵家は、公爵家の財務管理をしているのよ」
「なるほど。公爵家の金庫番か」
公爵家ともなれば、一族の領地から傘下の領地まで、それは広範囲に渡って目を配る必要があるだろう。
それこそ、財務管理の技能を持つ一族に子爵位を与えて抱えこまねばならないほどに。
やっていることが、宮廷と変わらない。
「ずいぶんと大物を引っ張ってきたもんだな?」
「ふふふ、いい子でしょう? セスが渋っていたのだけれど、強引にさらって来たわ」
カミラがようやくデジデリアの能力を認めたことで、メアリお嬢様はますます気分がよくなる。
セスが渋っていた理由が、デジデリアの有能さではなく、保護者に近い友人としての危機感とか嫉妬とか、なにかそういうちょっとよくわからないところに端を発していることは無視された。
メアリお嬢様はご機嫌なので、デジデリアの肩ではなく頭を抱き寄せて可愛がる。
愛玩動物を愛でる妖しいお嬢様っぽいムーブである。
これによってお嬢様の芳しい薔薇の香りに包まれたデジデリアは、帳簿の数字で形作られた自分の世界から引き戻されてしまった。
「はっ!? あ、あわわわ! すっ、すっ、しゅみましぇん! わたたしったら、あのその、また勝手なことを……!」
「ん~、いいのよ。あなたは期待通りの能力を発揮してくれたのだもの。なにも悪いことはしていない、むしろ偉いことをしたのよ」
小動物モードになったデジデリアを、メアリが抱いたままの頭を撫でながらあやす。
がくがくぶるぶる震えるこの状態のデジデリアは、最近のメアリのお気に入りである。
懐き切っていない、けれど抵抗もできないという、なんとも可愛い生き物なのだ。
「ここに来る前にも言ったけれど、ウェールズ家も財産運用をしくじったことはない。でも、得意というわけでもないから、あなたの良いと思うことをとりあえず言って頂戴。我が家にはないデリアの思考が、今わたしが一番欲しいものよ」
しかも有能。メアリお嬢様的に高得点なので猫可愛がりをしたい人材だ。
そして、お嬢様はしたいと思ったらする。だから、本人が脅え切った汗を流していても、している。
「メアリ、その子になんかしたの? 滅茶苦茶に恐がられてるじゃん?」
「なにもしてないわよ。最初からこうなの。こういうところも可愛いわよね」
メアリが指先でデジデリアの頬を撫でると、刃物を這わせられたようにデジデリアが引きつる。
「可愛いっていうより、可哀そうって感じかな?」
「可哀そうなところが可愛いのよ。そそる顔をしてくれるわ」
「うーん、まあ、なんだ。あたしの補佐業務中はメアリから解放されると思うから、なんていうか、がんば」
親指を立てて励ますカミラに、デジデリアは涙の滲んだ目で頷く。
この恐がりながらも受け入れます、という健気な態度が、メアリ的お気に入りポイントなんだろうな。
カミラは、正確にメアリの嗜好を把握していた。
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デジデリアをカミラの補佐につけると、メアリの期待以上によく働いた。
そろそろ休んでいいぞとカミラが言っても、働こうとするくらいよく働いた。
少しでもメアリとの接触時間を減らしたくて働いていたことが明白なくらいよく働いた。
そんな可愛らしい抵抗は、もちろんメアリを喜ばせた。
面白がって、「まだ仕事が終わらないの」なんて優しい声で囁きに顔を出したり、「焦らすなんて上手ね」と甘い声で囁きに顔を出したり、それはもう楽しんだ。
楽しんだ後は、自分のお気に入りが体を壊さないように、「じゃあ今日はジャンヌを可愛がるわ」と解放を告げて自室に引っ込むので、なんだかんだデジデリアの心身は健康に保たれた。
「い、意外と、その、お優しい、ですよね?」
からかわれつつも、きちんと配慮してくれることがわかると、デジデリアはカミラにこっそりと感想を伝えた。
カミラは、そうだろう、と頷く。
メアリは、一度懐に入れたものには気が長く、ゆっくりじっくり楽しむところもある。
早々に心身を壊して、お気に入りを台無しにするなんて、メアリの趣味ではない。
そんなメアリの趣味に大きく左右されつつも、王国西部の最新の問題点は、短期間で数字として整理し直された。
ここまでは、カミラとデジデリアだけでもできる仕事。
ここから先は、メアリが是非を決める仕事である。
「後半に傘下にしたところほど、状況はひどいわね」
整理する前からわかりきっていたことだ。カミラも頷く。
「やっぱ、時勢があれだけ明らかになっても、最後までおかしな抵抗をするところってのはなにがしかの問題を抱えているもんだな。領政とか財政とか、色々まともじゃない」
今回、カミラとデジデリアが整理してみたら、底が抜けるほどの借金まみれ、という家もあった。
そういうところは、自分の家に今月いくら収入があり、来月いくら支出しなければならないかの把握すらしていない様子だった。
複式簿記どころか、財産の出入りの記録をまとめたものすらないのだから、そう判断するしかない。
どこかから請求が来たら、どこかから借りて支払う、そんな文書ばかりだ。
何件もこんな事例を見たカミラは、こんな状態でよく貴族でございますなんて顔ができるな、と呆れた。
呆れてから、そういえばうちのお嬢様も似たようなことしたことあるな、と思い出した。
配下から要望されるがまま、衣服の新調だの、備品の買い替えだのをした結果、お嬢様のお小遣いがなくなった事件である。
貴族という生き物は、案外なにもしなければそうなってしまうのかもしれない。
現在、メアリがそうなっていないことに、カミラは密かにほっとした。
お小遣いレベルのうちに、金の使い方を覚えたことは僥倖だった。教育は大事である。
教育済みのメアリは、各領地の経済状況を支配下の地図に重ねて、五段階に区分した。
優、良、並、悪、劣。
反メアリ派だった領地の経済状況は、ほとんどが並以下である。そのため、いかに赤字の地域を改善するか、いかに黒字の地域から赤字の地域に支援を送るか。
その効率向上のため、中央から連れて来た人材をどう配置するかを判断する。
「まず、数少ない良の地点は、ジャン・ハノーファに預ける」
メアリが指さしたのは、元・反メアリ派の領地の一つ。
比較的ウェールズ辺境伯領側にあるため、吸収後に立て直しが早かった領地だ。最西部に位置するウェールズ家から、東へ向かうための要路の一つとして、カミラもかなり気を遣った記憶がある。
ジャン・ハノーファは、伯爵家の庶子の名前だ。
伯爵家の生まれらしく、教育はそれなりに受けている。並以下の領地に入れて、改善を促す手もあるはずだ。
そんな人物を、要地とはいえもう安定した領地に配するその心は?
カミラが人選の意図を視線だけで尋ねる。
「ジャン・ハノーファは、気さくで大らかな人物なのよ。比較的裕福な伯爵家の育ちだからか、それとも継承権のない庶子だからか、自分の財布が空になるまで他人に奢る気前のよさと、財布が空になったら友人に頭を下げることへの抵抗がない」
「はぁん、なるほど。気前がよくて愛嬌のある兄貴分、みたいな奴なわけだ」
カミラが思い浮かべた人物像を口にすると、メアリは首肯して間違っていないことを示した。
「それなら、ここに配置するのに丁度良いかもな。貧乏な東側領地に泣きつかれたら、自分の蔵からあれこれ融通してやって、自分の腹が減ったら金持ちの西側領地に泣きついて来ればいい」
「そういうこと。ジャンには、この周辺地域の陳情とりまとめ役を期待しているわ」
それなら、今回の新人達の中でも能力が期待できるジャン・ハノーファを使うことに納得ができる。
領地の経済状況は安定しているが、その業務の質量と繊細さを考えれば、責任は重大だ。
「セスの人物評でも、ジャンならば適任というお墨付きよ。ねえ、デリア?」
この会議の席で、唯一の王国中央の人間として声をかけられ、デジデリアは身をこわばらせながら頷いた。
「は、はひ、セス様から、そ、そのようにうかがっておりました。ジャン様は、率直な物言いをされるので、誤解のないように情報を伝えられる。大らかな人柄なので、弱っている立場の人間が救援を求めやすいと」
「セスも賛成しているなら大丈夫かな? ちなみに、デリア個人の意見としてはどうだい?」
「わた、私ですか? ええと、そう、そうですね……。ジャン様がハノーファ伯爵家で代官をしていた記録を見た限りですけど、問題なさそうだと思います。さほど大きな都市ではありませんが、一年ほど大過なくこなし、二年目以降の生産量が微増していました」
「地道な改善もできそうってわけだ。ますます問題ないな。それじゃあ、次の話に行こう」
話はまだまだ続くのだ。
一日で終わるものでもない。手早く進める必要がある。
けれども、慌てて上手くいくものでもない。
カミラは早速、王都土産の酒瓶を取り出してくつろいだ姿勢を取る。
どうやら、デジデリアが自前の情報で人物評までできるとわかり、大幹部としての責任をさっさと放り投げることにしたらしい。
デジデリアがびっくりした顔をしているが、メアリは平気な顔で肩をすくめる。
「大丈夫よ。これでも、最低限の頭が回るくらいで抑えがきくから」
メアリがきっぱりと言い切ったので、デジデリアとしては頷くしかない。
頷きながら、やはりメアリ・ウェールズという人物は意外と優しい、などと思ったりする。
こんな重要な議題の最中に酒瓶など取り出したら、中央では大ひんしゅくを買う。
たとえ仕事に誤りがなくとも、態度を叱られる。





