蠢く種子29
待ち望んでいた和平の使者は、王国軍上層部にとって思いもかけない姿形で訪れた。
「聖女クランマ、神のお導きにより、再び皆様とお会いできたこと、お慶び申し上げます」
謁見の間を兼ねた会議室で行われた挨拶は、破城槌を叩きつけたような衝撃を与えた。
無論、ここに聖女クランマが顔を出すまで、幾重にも緩衝材はあった。
彼女は、そもそも前線陣地に停戦のための交渉に来た、と現れたのだ。
伝令による報告が何度も行われたし、この会議の席に集められた面々には、誰が使者として現れたのかは通達されていた。
先日、この砦で死亡を確認された聖女クランマと、同姓同名の別人ではない――可能性が高い――ことは周知されていた。
それでもなお、実物からの挨拶は衝撃的だった。
整った笑みを浮かべる使者は、彼等が知っている聖女クランマ、そのものだったのだ。
死者が蘇る。アンデッドという魔物の形ではなく、生前と変わりない形で。
そう理解した者達は、神のお導き、という言葉に妙な迫力を感じてしまう。
会議場に広がる緊迫した空気に、メアリは薄笑みを浮かべる。
大したペテンだこと、そう思っている。
これしきで神の存在をほのめかせるならば、メアリの屋敷は神が乱立することになる。
カミラは忙しすぎる不満を表明するために、枯れた死体のフリをした。
マリエを筆頭にノリの良い侍女達は、突如死んだフリをした侍女を囲んで演劇ごっこが始まる。
彼女達は、厳密に死んでいるわけではない。冬眠中の動物にも似た、仮死状態に近い。
そこから蘇生することと、実際の死体が蘇ることの間には、大きな違いがある。
その違いを理解しているメアリは、躊躇なく格下へと声をかける。
「お久しぶりね、クランマ殿。あなた達に導師と呼ばれているグレイ殿もお元気かしら?」
「お久しぶりです、メアリ様。ええ、導師グレイ様はつつがなく、シュターフェン家の方々を神の教えで包んでおられます」
「そう、それは結構。では、今度の和平の提案も、その神の教えで包んだために持ち上がったということかしら」
その通りだと答えて、クランマは祈りの仕草を見せた。
「神等教は、人々の平等を目指しています。誰かを傷つけ、誰かが傷つく。誰かが勝利し、誰かが敗北する。それは理不尽に不平等なことです。これを止めることは我々神等教の使命なのです」
「使命と胸を張って言う割には、戦争を止めるのが随分と遅かったわね。わたしも大分血を浴びたわ」
傷つけた側であることをほのめかすと、クランマはメアリに向かって祈りを捧げた。
恐らく、平等になりますように、という祈りなのだろう。
その場合、メアリは殺した分だけ死ぬ羽目になるのだろうか。随分と恐ろしい祈りをされている。
「あなたの理念は、まあ、わかったけれど」
嘲笑の表情で、メアリは聖女の祈りを軽く流す。
「その理念に基づいて、和平の条件があの程度でよいと考えたのかしら」
停戦条件については、もちろん先に国王フィリップを筆頭に確認は済ませてある。
有体に言って、今回の戦争にかかったあれこれを考えれば、破格の安さである。
「この度、王国は勝利しました。敗者たる相手に、寛容の心でお慈悲を頂けましたら」
「勝利を手にしたのだから、手に入れる物は我慢せよ、と? それがあなたの言う平等?」
「多くを持つ者が、多くを持たない者へと恵んで下されば、世は平和になります。どうか平和のために、王国の皆様にはお慈悲を頂きたく」
「そこで恵むのは、何物よりも持っているはずのあなたの神であるべきだと思うけど、その神が持っているものを手放したという話を聞かないわね」
神の吝嗇ぶりを揶揄すると、クランマは自身の胸に手を当てた。
「この度の停戦がなるのであれば、神等教からは聖女たるこの身を差し出す、という条件を申しだしていたはずですが……」
「それにどの程度の価値があると言うの?」
容赦なく、メアリは少女一人の価値の低さを問うた。
「聖女といっても、神等教という宗教の中での話。医術の心得? 我が家が持っている物の方が上等そうだわ。女としての魅力?」
メアリは、上から下まで、無遠慮にクランマを眺める。
「悪くはないけど、戦争に勝利してまで欲しい、というには物足りないわ。連合国に数いる王族の姫と言うわけでもないし。それとも、貴重な秘伝魔術の使い手、あるいは魔法保持者だったりするのかしら?」
「わたくしは導師様から、聖女としての力を授かっております。それについては、今こうして皆様とお話をしていることで、おわかりかと思いますが」
「つまり、殺しても生き返る貴重な能力者だ、と? あなたを腑分けして、その能力を解明する実験体として身を捧げると言うのなら、まあ、それなりに価値はあるかもしれないわね」
メアリには全く不要だが、種を知らない東部諸侯、あるいは王族が欲しがるかもしれない。
そう肯定的に頷きながら、クランマが拒むだろうことをメアリは予想している。
平和のためにその身を切り刻まれる、などという献身を、聖女クランマからメアリは一切感じていない。
「実験体などと……。わたくし達は平等な人間同士として、そのような非道な振る舞いは神がお許しになられません」
「それなら、あなたの価値はひどく低いわね」
「メアリ様、我々は皆、神の下に平等なのです」
「冗談はよして」
メアリは薄笑みで、神等教の理念を笑い飛ばす。
「王族の姫と、貴族でもないあなたが、この場で同じ価値のわけがないでしょう。保有する魔力量は、次代に継がれる可能性が高い。その血筋から相手の継承権に口を挟むこともできる。上手くすれば、相手の家の秘伝魔術を手に入れることだってできる」
単純な血筋以外にも、人質としてやってくる姫には、持参金がつけられるのが普通だ。
土地であったり、家宝であったり、歴然とした利得がある。
「あなたに、そうした価値がある? 多少は魔力があるようだけれど、貴族の血筋では平凡より下の範囲ね。敗戦国が、勝者に捧げるにはまるで足りないのに、実験体や奴隷のような扱いは、あなたの神が許さないのでしょう?」
人質として出された王侯貴族の姫のように遇する必要があるのに、その価値がないとは、全く厄介な代物だ。
「あなたなんかより、通例通り、シュタウフェン一族の姫を出せばいいじゃない。マルガレータ王女ならば、わたしも大歓迎よ」
敗れた連合国側が、その時の大王の娘を人質として、停戦をまとめるのはもはや慣例と言って良い。
多くの場合、人質を出した後の大王家は没落するが、それでも大王まで上り詰めた血筋に利用価値は残る。
今回もそうすれば、聖女クランマなどという扱いに困る代物をどうするか、メアリが牽制する必要はないのだ。
特に、耳が気になっているマルガレータとならば比べる気も起きない。
彼女の身柄をもらえるなら、メアリから国王に強く働きかけてもいいくらいだ。
メアリから、全く隠しもせずに自分の価値の低さを告げられて、クランマは再び祈りの仕草をしていた。
「ふぅん?」
その姿に、メアリは目を細める。
貶されても怒らず、神に祈る姿に聖女らしさを感じた――というわけでは、もちろんない。
メアリ・ウェールズに限ってそれだけはない。
逆に、その祈りに、生臭い人間らしさを感じたのだ。
この聖女、自分の怒りや憎しみといった感情を、神に預けることで楽になろうとしている。
おまけに、神に祈って、どうかメアリ・ウェールズも平等になりますように、と憐れんでいる……あるいは、復讐を願っているのではないか。
聖女という綺麗な衣服を着ていられるのも納得だ。
醜いモノを全て神に預けているのだ。
それは祈りがいもあるだろう。彼女の祈りは、つまるところ「気に食わない相手に、平等という名の下に報いがありますように」という願望なのだ。
自分が綺麗でいたい者、自分の力で言い返せもしない者にとっては、ありがたい神だろう。
無口なのも丁度良いのかもしれない。
「わたしは神等教の信者でもなんでもないから、祈りはそれくらいにしてもらえる? それより、マルガレータ王女はどうしているの? 彼女とは約束もあるのだけれど」
メアリお嬢様の中では、勝ったら狼耳触り放題の約束はまだ生きている。
これだけ焦らされているのだ、尻尾も触り放題にしてもらわなければ割に合わない。
そう思って、メアリお嬢様は返事に期待を寄せた。
「残念ながら、マルガレータ王女殿下は、現在は行方不明と聞いております」
「は?」
聖女クランマが発した言葉、いや言動の全てにおいて、これほどメアリ・ウェールズに衝撃を与えたものはなかった。
ほとんど痛撃と言って良い。カミラやセスが見れば、メアリにこれほどの損害を与えたことに、感動すら覚えただろう。
「マルガレータ王女が、行方不明? それは、一体誰が言っていたの?」
「誰と言われましても……わたくしは導師様から聞きましたが」
クランマの返答は、おかしなことではない。彼女にとって、直接の指導者はグレイだ。
彼女がここに来たのも、グレイの指示だからだ。
その情報が全てグレイからもたらされるのは、おかしなことではない。
しかし、王族の娘が行方知れずだと、なぜ神等教の人間が知っている。
ましてや、マルガレータは天狼と共に前線で暴れるような戦力だ。
普通、停戦がなるまで、それは秘匿すべき情報だろう。
マルガレータは本当に行方不明なのか。
シュタウフェン王族は、グレイにどう伝えたのか。
グレイは、どうしてそれをクランマにまで伝えたのか。
クランマは、どうしてこの場でそれを口にしたのか。
メアリは考える必要性を感じた。
感じたが、マルガレータの狼耳と尻尾を堪能することが困難になったことで、やる気が墜落する勢いで下がった。
元々、聖女クランマなどという煮ても焼いても食えそうにない人質は突っぱねる、というのが、国王フィリップとも一致した事前の目論見だった。
その代わりに求めるべきは、マルガレータが第一候補というのも話し合われていた。
天狼と合わせて前線に殴りこんで来るほどの戦力なのだ。マルガレータを人質として抑えられる効果は、メアリの趣味を抜きにしても大きい。
それが行方不明。嘘か真かわからないが、王国側は大きく目論見を外された形になる。
いないと言い張っている者を、渡せと言ったって出て来るはずがない。
問答しても行き止まりになることを察して、メアリはフィリップに視線を送る。それからマクシミリアンにも。
どちらも、思惑が外れてどうしたものか、という遠い目になっていた。
「代わりに……今回の戦争で没落した諸王の娘とかいるでしょう? 別に息子でもいいわ。そっちの名前をいくつか出しなさい」
「メアリ様、我々神等教はそのような人身売買のような真似はいたしません」
「じゃあ、なんでもいいから金銭や家宝、それ相応の価値のあるものを、とりあえず提示額の三倍は用意してくれる?」
「これ以上の増額は、連合国の戦争被害者の方々に死ねと言うようなものです。我々神等教はそのような真似はできません」
「王国は、連合国から仕掛けられたこの戦争の被害者の立場なのだけれど?」
「そこは、勝利を手にした者として、敗者に寛容のお心を差し出して頂ければと」
一歩も引くつもりのない聖女と、わがままを言うことには慣れている令嬢の、平行線の話し合いは日が暮れるまで続いた。





