蠢く種子28
東部戦線の話題は、停戦は今日か明日か、というものがほとんどとなった。
連合国軍の攻勢は完全に途絶え、前線拠点からも軍が退いた。ほぼ戦争を放棄した状態だ。
停戦のための条件をまとめているのだろう、と王国軍の上層部は向こうの出方を待っている。
戦場にあって気楽な日々は、ある者には砦や陣地の改修を、ある者には帰り支度を、それぞれ停戦後に向けて動く暇を与えた。
メアリも、いつでも帰れる状態に部隊をまとめさせ、のんびりと天幕で果物などをつまんでいた。
その表情は、退屈さもあって、あまり面白そうではない。
「停戦がまとまるまでは待つべきだけれど、帰りたくなってきたわね」
そこそこ根を張ったので、この陣地も居心地がよくなってきたが、メアリの本拠地である屋敷には敵わない。
メアリお嬢様はホームシックになりかけていた。
「ねえ、ジャンヌもお家に帰りたいでしょう? ハンマーボアのもつ煮込みとか、パープルヴェノムのかば焼きとか、食べたいわよね?」
昼なのにベッドに寝そべり、だらけモードのメアリお嬢様が声をかけたのは、自身の上、膝枕役を仰せつかって気合いを入れて静止している白い侍女である。
忠誠心に不足のない侍女型膝枕の返事は一種類しかない。
『はい、メアリ様の仰る通りです』
「そうよねぇ。こういう気持ちが、故郷の味が恋しい、というものなのね」
溜息を吐いてから、ん、と口を開けると、ジャンヌがすかさず一口大に切った桃を咥えさせる。
「ん~……果物や野菜も、土地が違うせいで味が違うのよね。不味くはないのだけれど……」
再びの溜息。メアリお嬢様のご機嫌麗しくないことに、ジャンヌは膝枕として呼吸すら最小限に保ちながら焦る。
侍女として、主人のご機嫌を取らなければならない、いや取りたい。
でも、膝枕も抱き枕もお口アーンもやり尽くしてしまった。もはやメアリお嬢様は、これらの奉仕に新鮮味を感じていない。
他にジャンヌができることといえば、猫になるくらいしか……!
白猫化を覚悟するジャンヌの頬に、メアリの手が触れる。
「あら、すべすべ。触り心地がいいわ」
気まぐれだったらしい接触に、面白みを覚えたらしい。
もう片方の手もにゅっと伸びて、ジャンヌの頬を挟みこむ。
「ふぅん? これは中々……あら、あらあら?」
さわさわから始まった接触は、もみもみへと発展し、もにゅもにゅとこね回すようになるまですぐだった。
「ふふふ、これ良いわねぇ、うふ、ふふふ……」
カミラが開発した美容品を、アンナの指導で使用し、栄養たっぷりのジャンヌは、もはや文句なしの健康的美少女である。
その頬の揉み心地ときたら、最高級のドレス生地にも勝る滑らかさに、癖になる小気味の良い弾力、そして人肌の適温まで兼ね備えている。
『はわわわわ……!』
しかも狼狽・羞恥機能付き。
これほどの極上品、貴族として、わがまま令嬢として、愛でねばなるまい。
メアリお嬢様は、内心に燃え上がるものを感じた。
もはや飽いた戦場に、とびきりの玩具が参戦して来たのである。
すっかり退屈していたお嬢様は、持て余していた力の注ぎ先を見つけ、すぐに動いた。
膝枕型侍女から身を起こし、猫のような笑みを見せる。
「ジャンヌ、やるわよ」
『ひゃ、ひゃい!?』
返事は待っていない。ジャンヌを押し倒して馬乗りになり、思う様にその白いほっぺ――羞恥とか狂喜とか色んな感情で真っ赤に染まっている――をこねくり始める。
「うふふふっ、これ、いいわねぇ……!」
メアリお嬢様、いつになくテンションが高い。
「他の子も、こんなに触り心地いいのかしら? カミラとか、アンナとか……カミラは、触られるの嫌がりそうだわ。ああ、セスも触りたいけど、嫌がるわね」
その嫌がる二人を触るのが楽しそうだと、メアリは満面の――やや邪悪系の――笑みを浮かべる。
その笑みに、ジャンヌがちょっと嫌そうな顔になった。自分のほっぺをこねくり回しながら、別な人のほっぺを想像するなんて……メアリ様は、ちょっとひどい。
「ん? なぁに?」
こねる頬の微妙な変化に気づき、メアリは見下ろしながら首を傾げる。
『えいっ』
ぷにっ。
メアリの頬に、史上初めての感触が生じた。
侍女の小さな指で、突っつかれたのだ。
「ん?」
もちろん、お嬢様はノーダメージである。
不思議そうに、なにをしたかったのか、とジャンヌを見つめる。
『はわわわわ……!』
一方、奇襲を仕掛けたジャンヌの方が、ただでは済まなかった。
メアリお嬢様の頬は柔らかかった。
ジャンヌ史上、最高で最強の触り心地である。
なんという破壊力、寿命が縮みそう。
そしてなんという魅力、寿命が縮んでも触りたい。
これは、この世で最もほっぺとして価値ある素材で作られたほっぺに違いない。
ほっぺの中のほっぺ、ほっぺの女王様だ。
ジャンヌは確信した。
あまりの触り心地に硬直していたジャンヌの手を、メアリが掴む。
「これはなぁに? ひょっとして、頬を好き放題されたお返しかしら?」
『あっ、そ、そんな、お返しなんてそんな……!』
「そうよね? ご主人様にお返しだなんて、そんな悪い侍女ではないものね、ジャンヌ?」
ジャンヌは必死に頷いた。
ジャンヌは、侍女っぽい侍女になってきていると言っていい、メアリお嬢様大好きの良い侍女なのだ。
「ふふ、そうよね、良い子ね。じゃあ、これは良い子へのご褒美にしてあげる」
メアリは、掴んだままのジャンヌの手を自分の頬に押しつけてあげた。
「ほら、すりすりしてあげる。どう? 素晴らしいご褒美でしょう? ジャンヌ?」
返事はない。まさかのすりすりに、ジャンヌの幸福許容量は完全に供給過剰になった。
つまり、幸福すぎて失神した。
「あら、刺激が強すぎたかしら……。まあ、わたしの頬を触らせてあげたんだから、無理もないわね」
そして、メアリお嬢様はいつだって自信たっぷりであり、
「ふふふ、意識がなくたって触り心地だけでも十分に価値があるわ」
いつだって自分優先である。失神した白い侍女を、好きなだけ弄んでやった。
概要だけ抽出すると、悪徳貴族の見本みたいなお遊びをしていたメアリお嬢様の天幕に、薔薇騎士がやってきた。
「メアリ様、国王陛下から伝令です。連合国から和平の使者がやって来たとのことで、参集の命令が」
薔薇騎士キリエは、真面目な顔で必要な情報を知らせてから、首を傾げる。
「あの、新手の遊びですか?」
動かない侍女に馬乗りになってご機嫌の主人、という勘違いの宝物庫みたいな現状を、キリエは的確に把握してみせた。
そんなよくわかっている配下に、主人は美しい微笑みを向ける。
「ジャンヌの頬、すごく良い感触なのよ」
「そうですか……」
キリエはそんなものか、と自分の頬を撫でる。
彼女も、仲の良いマリエによく頬を触られる覚えがあったので、そういう愛好家がいるのだろう、と理解してみせた。





