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勇者によって最愛の人を討たれ、人の国へ連れてこられてから二月。
最初の一月は、喪失感と絶望ではっきりとしない意識のまま時間だけが流れていった。その後思考がはっきりとしてくると、自分が何故か生まれた国の城に戻され、王女として遇されていることに困惑した。そして、愛する人がいない現実を思い知らされた。
目が覚めるたび、知らない場所で、あの方が居ないことにパニックを起こす私は「魔王にひどい扱いを受けていた姫」として使用人たちの同情を誘ったらしい。ここは安全だ。何も恐れることはないと、皆薄っぺらい言葉で私を慰める。
彼らは何もわかっていない。私は救われたのではない。すべてを奪われたのだ。
そうして空虚な日々を過ごす私に、親切な使用人たちが教えてくれた。
魔王を討ち、生贄の姫を救い出した勇者が、生贄の姫を娶りたいと申し出ているのだと。王もそれを許可していて、後は哀れな姫の精神状態が落ち着くのを待って式を挙げるだけなのだと。
私が魔の森へ入った後、この国では革命が起きたらしく、王も王妃も私の知る人物ではなかった。王は、先々王が気まぐれに手を付けた使用人が生んだ落胤で、私にとっては異母兄となる。私を革命で武功を上げた勇者に対する褒賞としたいようだった。
王も、使用人たちも、まるで祝い事のように私に伝える。
よかったですね。勇者様が守ってくださいます。きっと幸せになれますよ。
なんて空虚な言葉たちなのか。私が勇者との結婚を望んでいると思い込んでいるのが不気味で不愉快だった。
なぜ簒奪者の慰み者にならねばならないのだろう。
なぜ私を利用した者たちに再び利用されなければならないのだろう。
なぜ。
そして、私は決意した。己の心に従うと。
『ロベリア』になる前の自分にはもう二度と戻らない。この肉体も、心も、魂さえも彼の人のものだ。誰にも奪われてはならない。奪わせるものか。
それならば。
この手で仇を討てばいいのだ。
そして、私もこの価値のない世界から消えればいい。
そのためならば何だってできる。
勇者に望まれることを喜ぶ振りも、魔王に虐げられていた哀れな姫の振りも、勇者との結婚を心待ちにしている振りも。
誰よりも幸せな花嫁の振りも。
すべては、あの男を殺すという欲望を叶えるために。
――それでよい。我の前で、欲望を偽ることは赦さん。
愛しい人の声が、聴こえた気がした。
真っ白な世界に、鮮やかな赤が咲いた。
新郎の胸に突き立てた短剣を勢いよく引き抜けば、飛び散った血が神聖な教会を汚す。
信じられないという表情でこちらを見る男の腹部目掛けて、もう一度短剣を突き刺した。深く、根本まで、体重をかけて沈ませる。ぬるついた生温かい液体で手が滑り、柄から手を放してしまう。それでも構わない。
なぜなら、この男はもう助からない。やがて血の流しすぎで死に絶えるだろう。達成感と高揚感でとても良い気分だ。
私はやり遂げた。
私からすべてを奪った男の、すべてを奪ってやった。
しばらくの無音の後、ゆっくりと勇者の身体が倒れた。
どさり。その音を皮切りに、周囲に悲鳴が響き渡った。
無理もない。花嫁が花婿を刺し殺そうとし、血塗れになったのだ。
騒然とする会場で、勇者の身体から黒い霧が吹き出した。霧は血塗れの身体を持ち上げて立たせると、渦を巻きながらその身体すべてを覆い隠す。びりびりと空気が振動する。渦巻く速度が上がっていく。
どれほどの時間が経ったのか。
すべての霧が晴れたとき、そこに立っていたのは勇者ではなかった。
凍結した湖面のような水色の短髪。
闇夜に浮かぶ満月のような金色の瞳。
整いすぎて浮世離れした美貌。
靭やかな肉体を包む黒装束。
――魔王だ。
誰かがつぶやいた。静寂の中、その言葉が響く。
傷一つ無い、しなやかや肉体を持つ男が指を鳴らすと、血染めの花嫁衣装は本来の純白へと戻った。
「へいか……?」
「また我の名を忘れたか? 愛しい花よ」
見慣れた優美な仕草で私の手を取る、少しだけ冷たい指先。ああ、間違いない。間違えるはずがない。こうして私に触れるのはあの方しかいない。
「アウルムっ…!」
「よく、我の言い付けを守ったな、ロベリア。欲望を曝け出し、望みを叶えた」
頬を撫でる手に擦り寄ると、金色の瞳がうっとりと細められた。
「おかけで我は古びた肉体を捨て、新鮮な肉体を得ることができた」
「私を、置いていったのでは……」
「その魂、血肉の一欠片まで、この魔王のものだと言ったはず。……だが人の子の心は移ろいやすい。そなたが真に覚悟を持っているか、確かめさせてもらったのだ。身体を取り替える時期でもあったからな」
「とても、とても残酷な方法でした」
「そうだな。だが微笑みの奥にひた隠してきた憎悪を剥き出しにして男を襲うそなたは、とても美しかった」
魔王の指の背が、やさしく頬を撫でる。
「さすがは我が見込んだ、我の花よ」
満足げな表情だ。その顔を見ていると、試されて精神が打ちのめされたことなどもはやどうでも良くなった。
この人の側にいられるのならば、他にはなにもいらない。
「目的は果たした。帰るとしよう」
「はい」
魔王が指を鳴らす。
強い風が吹き、再び目を開けたときには魔王と王女の姿は消えていた。
魔の森には、魔王と魔女が住んでいる。
彼らの許可なく立ち入れば、人間はたちまち森に巣食う恐ろしい獣に食い殺されてしまうだろう。
だから森へ入ってはいけないよ。
誰よりも強かった勇者様でさえ、魔王を怒らせて無事ではいられなかったのだから。
これにて完結となります。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
番外編としてあと一話投稿予定です。




