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「ロベリア」
美しい人が私を呼ぶ。私の、私だけのために付けてくれた名を。
それだけで幸せだ。この恐ろしくも美しい人が許してくれる間は、ただ側にいたい。できるだけ長く、この命が尽きるまで。月と同じ金色の瞳を見つめるたび、願った。
「ロベリア」
「はい、陛下」
返事を聞くと、魔王はあからさまに不機嫌になった。
「ロベリア。己で付けた我の名を忘れたか」
私に花の名前を付けたように、魔王は名を求めた。思わず、異国の言葉で『黄金』を表す名を口にすれば、気に入ったらしい。
夜ごと、この身に主人は誰なのかを何度も刻み付けながら、何度も名を呼ばせるのだ。
「……アウルム」
「それでよい」
満足気に目尻が下がり、金色の瞳が細められて、緩やかに広角が上がる。初めて魔王を見たときの凍て付くような表情からは想像できなかった。
今でも、信じられない。こんなに美しい人が、私を慈しんでいるなんて。
私が魔王に引き取られ、ロベリアとなってから既に数ヶ月は経っていた。三ヶ月目までは日々を数えていたが、ここでの暮らしに慣れるにつれて数えることをやめてしまった。
理由は簡単だ。魔王は、時間に縛られない。
望むときに望むものを具現化させることができ、指先一つで花を咲かせ、枯らすことができる。人の常識の通用しない場所で、人の常識に縛られていたところでなんの意味もなかった。
だが、人間である私は日が昇れば起き、食事をし、日が沈めば眠らなければ体が持たない。それに合わせて最低限人間らしい生活サイクルを繰り返しているにすぎない。
夜、時には朝や昼でも、魔王は――アウルムは、私に愛を囁やき、求めた。それに応えて、日がな一日爛れて過ごす日も、ただ穏やかに本を読み過ごす日も、たまらなく幸福だった。
あの日が来るまでは。
魔王の住む城は、まるで生き物だ。魔王の望むとおりに内装が変わる。
ある夜、城の奥深くに作った部屋でアウルムは私を寝かし付けた。
日中はアウルムが魔法で生み出した馬に乗り、遠乗りへ出掛けた。飛ぶように駆ける魔法の馬で湖面を渡り、浮き島の上で食事をした。その後で、澄んだ水の中を泳いだ。狭い部屋に閉じ込められていた時に夢見たことは、アウルムがすべて叶えてくれるのだろう。おおいにはしゃいだ私は疲れ切って、アウルムに抱えられて帰ることになってしまったのだ。
疲れて眠気に抗えずにいる私の頭を撫でながら、アウルムは子守唄を聴かせるように囁く。
「ロベリア、我の愛しい花。この魂も、血肉の一片までも我のものだ。それを忘れてはならない」
初めて会ったときに聞いた言葉だ。一瞬たりとも、忘れたことはない。そう言おうとしたが、睡魔が私を呑み込む方がはやかった。
――次に目を覚ましたとき、私が見たのは愛しい人ではなかった。
「だれ……?」
「姫、私はあなたを助けにきた勇者です。ご安心ください。魔王は既に討ちました」
頭が真っ白になり、私は意識を失った。
その日、勇者と呼ばれる男の身勝手な正義感によって私はすべてを失った。
私にすべてを与えてくれた人、ただ一人の愛する人、私のすべて。気高く美しき魔王、その人を。
私は、永遠に失ったのだ。




