入る者の名
記念祭まで、あと二十一日。館長預り資料は、検査済みの取扱票をつけたまま、通常とは別の照合工程で開かれた。反応が出なかったとはいえ、扱いまで普段どおりに戻すことはなかった。
立会いは、館長、ドルン女史、私。アーベルは、本文を読ませないためではなく、正式な照合者ではないという理由で、閲覧には加わらなかった。危険だからではない区別を、彼にも、私にも、あらためて言い聞かせる形になった。
神殿で作った翻刻と、文書館側の抄本を照合した。人数内訳、三度の照会、受領番号。どれも一致した。ただ、これは神殿の記録を写しただけの一式ではなかった。行政側から返った回答の原本も、同封されていた。神殿の言い分と、行政の言い分。両方が、同じ箱に入っていた。
三度目の往復文書に、経緯が残っていた。一度目、二度目とは、紙の質が違った。急いで書かれたものらしかった。
神殿は、十二人の氏名補充を求めた。行政側は、「避難完了済みにつき、照会不要」と回答した。ただし、添付の控えには、戸別申告札の原票を照合しなかった理由も書かれていた。
原票は、封鎖当日、南外区第三の区役所に集められたまま、搬出されていない。保管場所は、旧区役所一階奥の戸籍棚か、施錠された書庫のどちらか、というところまで、控えから絞れた。
札が今も残っているとは、まだ言えない。九十年前、そこへ置かれた。それ以降の搬出記録が、ない。それだけだった。
文書からわかるのは、原票が搬出されず、その後の照会が「不要」として処理されたことまでだった。封鎖後に取り出せなかったのか、取りに行かなかったのか、意図して残したのかは、書かれていない。
命令書には、避難したことにして記録せよという意図が残っている。けれど、この原票が残された理由は、それとは別に確かめなければならなかった。
戸別申告札は、封鎖の直前、各世帯が配給のために出す、生活単位の申告だった。世帯台帳では「助手一名」で済んでいた者にも、呼び名、年齢、雇用主が書かれている可能性がある。テオ・ハルダーの助手も、その一枚さえ見つかれば、「未照合」から動けるかもしれなかった。ただし、本名とは限らず、十二枚がそろって残っているとも限らない。
入区の検討と並行して、雇用届、教区簿、配給簿の請求は止めなかった。中に入れたとして、札が無事に残っている保証はない。外の資料も、同じだけの重みで扱う必要があった。
「札は、答えではないわ」ドルン女史が言った。「線をつなぐ、次の節よ」
これまでも、一つの資料だけを頼りにしたことはなかった。今回だけ、頼る理由はない。
静区へ入るには、三つの許可が要ることがわかった。王立文書館からの、資料探索を行う照合担当者の派遣命令。市の防疫・施設部門からの、封鎖区への立入許可と、旧区役所への立入り、必要な場合の錠の撤去許可。神殿からの、聖別境界を越える際の立会いと、境界を損なわない通過手順。
保全や設備確認のための入区制度は、もともとあった。ただし、確認できる入区記録に、旧区役所の文書探索を目的としたものは、一件もなかった。
どれか一つが欠けても、残りの二つは意味を持たない。文書館の命令だけでは扉は開かず、市の許可だけでは境界を越えられず、神殿の立会いだけでは中の資料に触れられない。三つがそろって、初めて一つの入区になる。
これに、救護隊が、法的な許可者としてではなく、現場の安全担当として加わる。経路、壁の状態、滞在時間、退避の合図は、カヤが決める。
儀式で壁を開くような話にはならなかった。既存の管理扉か検査口を、祭務官立会いのもとで、一時的に通る。終祭の前でも、目的と人数と時間を事前に登録すれば、限定的な保全入区は可能だという。
三つとも、別々の窓口に、別々の申請票を出す必要があった。一枚で済むとは、最初から思っていなかった。
カヤに経路を相談すると、彼女は旧市街図を広げ、指で一本の線をなぞった。「入るのも出るのも、この道だけにして。迷う場所を、増やさないで」。担架を通す道と、同じ考え方だった。
入る者も、絞られていった。文書を識別する私は必須。開錠と安全確認に、カヤか救護隊員。境界の異常を判断するために、マルタ。ヨナスは、弔いの側の相談役として、外に残ることになった。中へ入る役目とは、もともと違う。
アーベルには、正式な役割がなかった。そのうえ、症状は悪化している。周りが先に、彼を外すべきだと言うこともできた。私は、それをしなかった。
「私は、あなたを外に残すと決めるつもりはありません」私は言った。「ただ、危険を伏せたまま連れていくつもりもありません」
私は、覚醒中の叩音と足元の揺れまで記した症状記録を、彼の前へ置いた。
「これを添えれば、許可の根拠にも、却下の理由にもなります」
「わかっています」
「それでも、申請しますか」
「します」
彼は、それだけ言った。
「役割がなければ、許可は下りません」私は言った。
「騎士団員として、護衛の申請を出します」
退避順を決める場面で、アーベルは、崩落時に私を必ず先へ出す配置を提案した。カヤは、順当な提案として、そのまま通した。
護衛だから、というだけの理由には、聞こえなかった。それでも、この場では、追及しなかった。訊くなら、入区の計画を全部固めたあとにしたかった。
三通の申請書の同行者欄に、三人の名を書いた。
リーゼ・マイヤー、資料識別、照合。カヤ・ロート、現場安全。マルタ・ヴァイス、境界立会い。
四人目の欄は空け、欄外に「騎士団護衛一名、別紙審査中」と記した。別紙には、アーベル・レントの名と、症状記録がある。
審査には、条件が加わった。彼が、本件の護衛としてすでに騎士団から正式に指定されていること。封鎖区外周での症状発生時の対応を、騎士団側と共有済みであること。入区直前の身体確認で、任務可能と判断されること。そして、扉の外に、代替の護衛と救護要員を置くこと。本人の意思だけでは、参加の根拠にならなかった。
十二人の名を埋めるための申請書に、まず、壁の内側へ入る者の名を書いた。
アーベルの名だけは、まだ、その欄へ移せなかった。
記念祭まで、あと二十一日。




