1-7 vsワーム
大丈夫、なんとかなると自分に言い聞かせる。
過去に読んだ魔物図鑑によれば、ワーム系の魔物は身体を波のようにくねらせて移動できるよう表皮が柔軟であるかわりに防御力が低い傾向にある。つまり、当てさえすれば大抵の攻撃は通る。
自分には、剣を使う才能はない。変身魔法をはじめとした多くの魔法だって、一向に上手くならない。しかし、得意な魔法だってある。
喉が震える。唇が文字を形作る。舌が音を乗せた。
「火よ!」
何千回、何万回と唱えた呪文だった。今更失敗するはずがない。
杖に集まった魔力が、詠唱に応じて、熱と化していく。熱を孕んだ魔力が閃光となって、ワームに直撃した。
――キュウウウウウウウ!
ワームから発せられた大きな音が波となって空気を震わせる。
鳴き声なのか、肉体が焼かれる音なのか、それすらも分からない。魔物研究家でない自分に、判別がつくはずがない。ただ、ある程度のダメージを受けているのは確かだろう。
やはり俺だってやればできるんだ。内心で喝采を叫んだ直後のことである。ドン、と地面が揺れて、体が傾いた。まっすぐ立ってられずに、地面に膝をつく。音と揺れの発生地はワームのようだ。
何をしているのかとワームを見る。ワームは、火のついた場所を地面に押し付けて鎮火を試みているのだろう。その奮闘のおかげか、火の勢いは弱まっていき、あっという間に着火した部分が消えた。ただし、火に触れた部分は爛れている。効いていないわけではない。
揺れに耐えながら立ち上がり、もう一度、と杖を構える。口を開いて呪文を唱えようとしたその時、ワームの口腔部から粘液がザックに向かって吐き出された。
「うおっ!」
身を翻して、正体不明の液体を避ける。半分転びかけたかのような避け方だったが、無様だろうがなんだろうが避けられれば体勢なんて気にしていられない。液体は先ほどまでザックが立っていた場所に飛び散る。
広範囲に飛び散った無色透明な液体に嫌な予感がして、錬金術用に持っていた石灰岩の欠片を投げる。石灰岩はシュウと音を立てて、みるみるうちに溶けていく。それを見て、額から汗が伝うのを感じた。正体は強酸だ。どれほどの酸性値かは分からないが、皮膚に触れたらただではすまないだろう。
ワームは立て続けに酸液を吐き出す。最早避けるのも間に合わないと見て、ザックは魔法で防御壁を張って、ワームの隙を窺う。
攻撃が途切れた瞬間、ザックは防御壁を解除して、再びワームに杖先を向けた。
「火よ!」
放たれた火炎の弾。一直線にワームに向かっていくそれはワームの体皮へ着弾する前に、ワームが吐き出した粘液と相殺して消えた。めげずに火魔法を繰り返したが、どれもワームの粘液に打ち消されてしまう。
となると、まずは粘液の防御を打ち破るか、ワームが無防備なところを狙う必要はある。後者についてはタイミングさえ合えば、着弾自体はかないそうだが、生半可な威力では、先ほどの二の舞だ。逆に前者については、防御を打ち破れるほどの威力を出すには魔力の充填に時間がかかる。攻撃に集中すれば、次はザックの方がワームの粘液を防げない。
それならば――
「火よ!」
もう一度、魔法を放つ。
今度は粘液に打ち消されなかった。というより、狙いはワームから逸れ、掠りもしなかった。
ワームの横を通り過ぎた魔法の弾丸は、ワームの後方の茂みにたどり着いて、着火した。
ワームは、即座に振り返った。そして、警戒しながらじわじわ火元へと近付いていく。無防備にもザックに背中を晒して。
予測した通りの展開になり、興奮で心臓が跳ねる。
ワームには、目鼻がない。つまり、敵を感知するのは鼻で嗅ぎ分けた匂いでも、目で捉えた光でもない。
そうなると、音か、振動か、あるいは熱源のいずれかでワームは敵の存在を感知しているのだと推測がつく。
どれにしても、背後で火花を弾けさせる火元を感知したが最後、ワームはその正体を確かめるまで放っておけないはずだ。そのザックの推測は当たったようである。
突然現れた熱源に戸惑っているようなワーム。体の正面にあたる開口部が火元に向けられている今なら、すぐに粘液を吐き出される心配はない。集中して、魔力を杖にたっぷりと込める。
「火よ!!」
先ほどよりも魔力が多めに抜けて、杖先から火炎魔法が放たれる。そして、全身を包みこむように、ワームに猛火が襲いかかる。
きゅうううううう!!!
また暴れ出した。しかし、先ほどと違って着火した範囲は広い。そう簡単に消すことはできない。
ザックの全力の火炎魔法だが、ザックの全力なんてたかがしれている。せいぜいワームの表面を炙るくらいだ。ただし炙るくらいの火力でも、長時間広範囲に渡れば致命傷になる。一瞬で骨まで溶かすなんて火力が出せないなら、倒れるまで魔法を使えば良い。
「火よ!!!!」
もう一度。
「火よ!!!!」
何度でも。
杖から魔法が放たれる度に、魔力胞が収縮し、ずきずきと痛む。
普段、こんなに連続して魔法を使うことはないので、ハードワークを訴えているようだ。
頼む。頼む。
早く。早く。
まさしく、祈るような気持ちで呪文を繰り返し詠唱した。
ワームが暴れる。魔法を放つ。ワームを火が包む。ワームが暴れる。魔法を放つ。ワームを火が包む。ワームが暴れる。魔法を放つ。ワームを火が包む。ワームが暴れる。魔法を放つ。ワームを火が包む。ワームが暴れる。魔法を放つ。ワームを火が包む。ワームが暴れる。魔法を放つ。ワームを火が包む。
次第に、ワームの動きが鈍くなっていく。体表から水分が抜けて、小さく縮んでいく。
それでも、油断は出来なかった。確実に動かなくなるまで、ザックは呪文を唱え続けた。
終わりが来たのは、十何度目かの詠唱を唱えかけた時だった。ワームは突如として、プシュッと黒い靄のようなものを全身から吐き出した。それと同時に、力尽きたように、すんと動かなくなった。
この黒い靄の正体は知っている。魔物が死んだ時に排出する気体、「瘴気」だ。具体的な成分も、人体への影響も不明だが、摂取すると一時的に気分が悪くなる、らしい。この魔湧の森でも薄ら漂っているが、ここまで高濃度の「瘴気」を浴びたのは初めてだ。確かに胃がムカムカする感じはする。人によって耐性に差があるらしいが、なにぶん比べる機会もないので、自分が弱いのか強いのかも分からない。
とりあえず、一つの塊のように漂う瘴気を見て、目の前の魔物はもう動き出さないのだと確信して、脱力の息をつく。念の為、近くに落ちていた木の枝でつんつんと突いてみたが、微動だにしなかった。
「……見たか。俺だって、このくらいはできるんだ」
誰にでもなく、つぶやいた。やってやったぞ、という達成感がザックに浸透していく。
火魔法は基本元素魔法と呼ばれる区分に属しており、魔法使いを志す者が一番最初に学ぶ魔法の一つだ。つまり、魔法使いなら誰もが納めている基礎中の基礎で、この魔法を得意魔法だと豪語なんてしようものなら、周囲の失笑を買うこと間違い無い。それでも、初めて使えるようになった魔法で、孤児のザックに魔法使いという道を照らしてくれた宝物だった。この魔法だけは自信を持って使える。
それにしても、クラスの殆どは魔物を倒すどころかまともに相対したことだってないだろう。それを思えば、魔物の中では雑魚と呼ばれるワーム一匹倒したことですらかなりの偉業に思えた。あの高慢ちきのマクドゥーガルだって、実際に魔物と遭遇したら慌てふためいてろくに動けないに違いない。
張り詰めた緊張の糸が切れると、どっと疲労感が身体を襲いかかってくる。少し休憩しようと、座り込む。
――しかし、臀部が地面についた感覚がなかった。
奇妙に感じて、視線を落とす。地面がぽっかり空いていた。先ほどまで踏みしめていた土はない。ただ、暗い奈落が待ち受けていた。
「は」
不注意で、地面の凹みに気付かなかったわけではない。地面が陥没したとか、落とし穴が仕掛けられていたとかでもない。そもそも1秒前まで穴などなかった。しかし、ザックの周囲5メートルほどの土が一瞬でくり抜かれたかのように、地面が消失した。
この森に足を踏み入れた時、最も恐れていた事態、「魔界の穴」の出現だ。
落下の予感に血の気が失せる。どこかにしがみつこうにも、手が届く範囲には掴むものすらない。ただ重力に従って、ザックの身体は下の世界へと引き摺り込まれて行った。




