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勇者の数字  作者: 竹津りょう
第一章 ザック・ウィンターの憂鬱
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1-6 無条件の信頼は、侮蔑や憐憫より、時にずっと残酷である

 王国でも屈指の名門であるアンドレア魔法学園は、広大な敷地を有している。その広大さたるや、敷地内に森を一つ抱えているほどだ。しかし、その森は通常時は生徒の立ち入りを禁止している。定期的に「魔界の穴」が開き、魔物が這い出してくるからだ。


 平常時、魔界と人間界は完全に断絶しているのだが、時折二つの世界を隔てる壁が破られる。その破れ目が「魔界の穴」である。千年前に勇者が魔王を封印した後もそうして定期的に魔物が人間界へと姿を現す。


 魔界の穴はいつ、どこで開くか今なお不明とされているが、一度開くとその場所は開きやすくなると言われている。そういった定期的に魔界の穴が開く場所を「魔界開口領域」と呼び、政府の監視下に置いているのだが、このアンドレア学園においては、実習の一環で魔物の討伐がある為、魔物の量を調節しながら、適切に管理している。この魔界開口領域に相当する森を本学では、「魔湧(まゆう)の森」と呼んでいる。

 実際、森の周辺には障壁が張られ、魔物が森から這い出ることができないようになっている。


 しかし、この障壁は魔物を通過させない魔法であり、人間や他の動物には適用されない。つまり、立ち入りを禁止しているわりには、容易に足を踏み入れることができるのである。森の入り口付近なら、魔物が出現する可能性も低いので、生徒間では他人に見られたくないやりとりをする際に稀に使われる事があるらしい。具体的には立場が強い者から弱い者への強請りの現場として。




「あれ、ザックだ。バイトお疲れ。こんなところまでどうしたの?」


 立ち入り禁止の森で遭遇した割には、悪びれる様子もない呑気な声がザックを迎えた。


「こんなところまでどうしたの、はこっちの台詞なんだが?」


 ゼノは森の入り口からそう遠くない、開けたところで見つかった。剣の素振りをしていたようで、健康的な汗が額を伝っている。近くに年季の入った木製の打ち込み人形があるのを見ると、少なくとも初めてここに来たわけではなさそうだった。


 平然とした様子のゼノを見ると、彼を心配して、寮監に見つからないようこっそり寮を抜け出してきた自分が馬鹿らしくなってきた。


「もしかして、いつもここで鍛錬してるのか?」


「うん」


「授業以外で立ち入り禁止なの知ってるだろ」


「でも、ここが一番集中して剣を振れるから」


「そういう問題じゃない」


 イライラして、思わず声がとげとげしくなる。ゼノの少しズレた回答なんていつものことなのに。

 俺の心配が無下にされたみたいだ。――別に心配してくれだなんて頼んでないだろう?

 俺が働いている時もお前は試験に関係ない鍛錬に時間を割けるんだな。――それが才能の差だろ。やっかむなよ。

 心の内に二人の自分がいるようだった。最初は互いに言い合っていたが、徐々にゼノを責める声が強くなっていくのを感じる。


「……そもそも、魔法剣なら6年生にも負け無しのお前が、夜遅くまで鍛錬の必要があるのか?」


「確かに最近は六6生にも負けないようになったけど、この学園で一番くらいじゃ、勇者にはなれないだろ?」


「は? 勇者?」


 今の会話の中でどうして勇者が出てくるんだ、と思わず眉間に皺が寄る。


「昔、ザックが言っただろ? どっちが勇者になるか競争だって。本当に魔王が復活するかなんて分からないけど、ザックに負けないように、もっともっと強くなりたいんだ」


 何を言うかと思えば、彼が大切な宝物のように取り出してきたのは幼少期に二人で約束した誓いだった。ザックの記憶の中ではすっかり埃被ってしまい、忘れかけていたそれ。

 好敵手を見るような晴れ晴れとした顔でそう言われて、ザックは面食らい、そして心の底から――こいつは一体何を言っているんだ? とゼノの発言に対して理解に苦しんだ。ゼノの言葉の一つ一つは理解できるのに、同じ言語を話していると思えなかった。目の前の人間が宇宙人のように思えた。


 ――俺に負けないように? 俺がお前に勝ってる部分がいくつあるって言うんだ。彼にそのつもりがないことは分かっているが、嫌味にしか聞こえない。

 今、ゼノの全てが、ザックにとっての逆鱗だった。


 ザックが汗水垂らして働いている間、ゼノは自分の鍛錬に時間を費やせることも、その鍛錬がすぐに成績に現れることも、皆がザックの隣にいるゼノにばかり関心を向けることも。なにもかもが腹立たしくて仕方がなかった。


 自分には才能がないから奨学金をもらえない。奨学金を貰えないから勉学の合間を縫ってアルバイトをする。アルバイトをするから、人より魔法や座学に割ける時間が少ない。人より魔法や座学に割ける時間が少ないから成績が上がらない。成績が上がらないから、誰からも評価されず、奨学金を貰えない。悪循環だ。


「……ともかく、ルールはルールだ。それを守れないんじゃ、いくら結果が伴っていても意味がないだろ」


 全ての苛立ちがゼノに向かっていく。声を荒げてゼノを詰めると、ゼノはびくりと肩を揺らした。それを見て、ザックは我に返り、すっかり怒りのボルテージが下がってしまった。自分の方が悪いことをしたような気分になっていく。


「……悪い。少し言いすぎた」


「いや、悪いのは俺だから謝らなくていいけど……。今日なんか機嫌悪い? なんかあった?」


 普段ザックがゼノに対して強く当たることがないので、その語気の荒さに驚いているようだった。それから一拍遅れて、「もしかして、今日の変身魔法のテストのことを気にしてる?」と加えて聞かれて、思わず苦い顔になった。


「……別にそういうわけじゃないけど」


 声が尻すぼみになる。それだけではないにしろ、元はと言えば今日の試験が不機嫌のきっかけなのは事実だ。八つ当たりの自覚はあったので指摘されて、バツが悪くなった。

 ゼノはザックの否定を受け入れずに、「気にすることないって」と励ますように肩に手を置く。


 見苦しい姿を見せたザックに彼はなんと声をかけるのだろうか。ぱっと思いつくのは「ザックは座学で挽回すればいいし」「次までにはきっとできるようになるよ」だとか。どれを言われても今の自分にはあまり嬉しくないだろうな、と思う。いっそ触れないでほしかったのだが、そこまで細かい機微が分かる人間ではないことは今までの付き合いで分かっている。励ましてくれる気持ちだけはありがたいので、何を言われてもとりあえず礼は言うつもりだった。このときまでは。


「だって、今日は偶々調子が悪かっただけだろ?」


 無邪気な問いかけに、目の前が真っ暗になった。そして、先ほどの「ザックに負けないように」の意味が遅れて理解できた。

 ゼノは、マクドゥーガルのように嫌味や皮肉を言う人間ではない。放った言葉は全て本心だ。ただ心の底から、ザックが出来なかったのはザックが不出来であるからではなく、偶々出来なかっただけだと、そう信じ込んでいる。


「ザックなら大丈夫だよ。簡単な変身魔法くらい、次はA判定もらえる。だからそんなに凹む必要ない」


 あぁそうだ、この男からすればザックはずっと兄貴のような存在だった。だから、ゼノには分からないのだ。自分にとって簡単な魔法が、目の前の幼馴染みが血と汗が滲むような思いで努力したって容易にできない魔法なのだということが。


 今日の授業、嘲るか哀れむかのどちらかの反応に二極化していたあの時、ゼノがどんな表情を浮かべていたのかを思い出した。彼の反応はそのどちらでもなかった。ただ意外そうに目を丸くしていただけだった。

 ゼノから寄せられる信頼は、出来ないこと侮辱されるよりも、出来ないことをフォローされるよりもずっと、ザックの心を抉った。

 変身魔法ができないはずがないという前提のもとに立っているゼノがひどく遠くに見えた。

 肩に置かれた手を乱暴に振り払う。追い討ちを喰らって、平常心を保てるほど、自分の心は強くなかった。


「……俺はお前とは、違う」


「ザック?」


 振り払われた手を見て、ゼノは困惑しているようだった。その顔を見て、罪悪感の棘が胸に刺さる。

 ゼノには悪気がない。ゼノは俺を励ましてくれてる。だから、ゼノは悪くない。じゃあ、この苦しいのは誰のせいなんだ。劣等感と嫉妬で胸がはち切れそうになるのは、誰が悪いんだ。答えはとっくに知っている。――俺に才能がないせいだ。


「……ちょっと頭冷やしてくる。もう夜遅いんだから、お前は寮に戻っておけよ」


 冷たく言い放つと、ゼノが置いてけぼりの迷子のような顔をした。それが余計に癪に触った。俺を置いていったのはお前の方だろうに。




 肩をいからせて、森の奥に向かってずんずん進んでいく。目的地はない。ただ今は、ゼノと少しでも離れたかった。

 秋夜の冷たい風が火照った頬を撫でる。頭に血が上ったザックを宥めているかのような夜風だった。自然にさえ気を遣われているようで、情けなさが募る。


「……八つ当たりとかださすぎだろ、俺」


 冷静さを取り戻すと、自分の言動の幼稚さに頭を抱えたくなる。溜め息が重石となって足取りが重くなり、自然に歩みは止まった。

 ゼノの規則破りやデリカシーのなさに非がないとは言わないが、前提としてザックの頭を煮やしたのは、変身魔法の失敗や家庭教師の解雇があったからだ。つまりはただタイミングが悪かっただけなのに、その咎を全てゼノに押しつけるかのような拒絶は、あまりに見苦しい言動だった。

 それが分かっていても、素直に謝る気になれないのが、自分の未熟さだ。もう少し頭を冷やす必要があった。


 その時、がさり、と後方の茂みの方から音がした。背後から近付く影が、ザックの影に重なった。

 自分より大きな影を見て、はぁと溜め息をついた。――追いかけてきたのか。


「……戻ってろ、って言ったろ」


 うんざりしながら振り返った。後ろにいたのは、ばつの悪そうな顔をしたゼノ――ではなかった。


「…………………は」


 人間というのは想像を絶する展開に直面すると、声の一つも出なくなるらしい。

 目の前の光景を端的に表現すると、ミミズのような環形動物が目の前に立ちはだかっている。ただし、そのミミズらしき生物は体の半分を地面に横たえている状態でも、ザックを見下ろすことができるほど大きいものとする。

 蛇のようにのそりのそりと身体をうねりながらザックに近付いてくる。

 頭とおぼしき尖端部分には大きな空洞がある。口のようにも見えるそれには、穴に沿って鋭い歯が生えていて、涎のような体液がとめどなく溢れている。

 その得体の知れない生き物を見るのは初めてだったが、ずっと昔から知っていた。知識として自分の頭に住み着いていた。


 恐らく、これはワームという魔物の一種である。

 教科書でしか見たことがないから確信が持てないが、今はその知識が合っているかはどうでもいい。肝要なのは、この森が()()()()と呼ばれる所以が今、目の前にいるという事実だけだ。


 逃げなければ、と後ずさりをするが、ワームが身体を擦って進む距離は思いのほか長い。今は互いに警戒をしているので、大きく動き出してはいないが、ザックが背を向けたら長い体長であっという間にザックに追いつき、口内の粘液を吐きかけて攻撃してくるに違いない。


 呼気が荒くなる。動揺のあまり、目の前が眩む。どうすれば、今目の前の危機を乗り越えられるだろう。自分のような脆弱な魔法使いにできることなんてたかがしれている。


 どうしよう、どうしようと胸は早鐘を打つ。そして、頼もしい背中が脳裏を過った。――そうだ、近くにゼノがいる。彼は、何度も魔湧の森に立ち入っていると言っていた。こういうときの対処も熟知しているはずだ。声を張り上げるなり、魔法で狼煙を上げるなりすれば、不審に思ってザックの元に駆けつけてくれるはずだ。


 よく知らない生き物を、しかもあからさまに自分に敵意を露わにしている魔物を自分が――簡単な変身魔法さえ失敗する自分が何とかできるとは思えない。素直に近くにいるゼノに助けを乞うべきだろう。

 ――だって、俺が。俺なんかには。

 自身を閉じ込める狭い暗闇。暗闇は、ザックを蔑む声で生成されている。身の程を知れ、と囁く声は残酷で、しかし甘い。

 実際、自分は凡才の出来損ないだと認めてしまった方が楽だ。出来ないことは諦めて、相応の立場に満足して、強者に阿って生きればいい。

 それが分かっていても、黒暗々の中で僅かに光る石ころを蹴り飛ばすことはできなかった。


「………………俺だって」


 心の声に反発するように、か細い声が漏れた。それは、僅かながら残っていた意地の欠片。後ずさろうとするザックをその場に留めた錨。


「……ッ俺だって!」


 怖くない、と言ったら嘘になる。未知の生き物と対峙して、平然といられるほど肝は太くない。それでも自分を奮い立たせて、杖を構えた。

 ゼノの手を撥ねのけたくせ、どの面下げて助けてくれと言えるんだ。それに、ここでザックがゼノに頼ったら、本当に自分達の間には、決定的な溝が生まれてしまう気がした。強者と弱者、助ける者と助けられる者。だって、今もゼノは、ゼノだけは、ザックのことを頼れる兄貴分だと思っているのに。

 これ以上、ゼノの前で格好悪い人間になりたくなかった。


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