1-5 泣きっ面に蜂とはよく言ったもので
アルバイトと学業の両立は難航を極めた。
普段ですら、あまり余裕がないスケジュールだというのに、この一週間は更に隙間時間という隙間時間を全て潰して、模写の時間に充てた。あまりにペンを握る時間が長すぎて、ペンだこが出来た。じくじく痛むのを堪えていると、オルターが塗り薬を作ってくれた。彼からの厚意に報いるためにも必ず結果を出さないといけないと、一層奮起した。
そして、いよいよテスト当日となった。
テストは、第二魔法実践教室で行われた。出席番号順に呼ばれて、クラスメイトたちは続々と課題をこなしていく。今のところ殆どの生徒がA評価かB評価をもらえているようだ。最低でも、Bはとっておかないと単位取得は厳しいだろう。他のクラスメイトの試験中、頭の中でシミュレーションを行っていると、にわかに教室がざわめいた。
教室の中央に現れたのは青鹿毛の綺麗な馬体。クラスメイト達が息を呑む。しなやかな筋肉を蓄え、大きすぎず小さすぎず、バランスの取れた体型。品評会のサラブレッドたちと並んでも、見分けがつかないほど完璧な馬への変身だ。
教師が合図をすると、馬体は歪み、その姿は縦に伸び、黒々とした美しい毛並みは影が縮むように短くなる。やがて馬は元の姿――ゼノ・ウィンターという美青年の姿へと変貌した。
「ゼノ・ウィンター、課題は兎から馬への変身。前回より更に精度が良くなっていた。評価S。このクラスでは二人目だ。これからも精進したまえ」
「ありがとうございます」
さすがゼノと言ったところか。身近な人物が褒められていることは誇らしいはずなのに、どうしてか素直に喜べない。複雑な気分だ。
ゼノが終わると、いよいよ自分の番だ。
くじ引きの結果、ザックの課題は豚から羊への変身だった。まだ容易な方の動物を引き当てられて、安心する。
一般的にはホモサピエンスから離れた姿や体積であればあるほど、難易度が上がる。今回で言えば才女シェリル・オルコットの課題、象から蝶への変身が最も難しい課題だった。学年首席の彼女でなければ到底S評価をとれなかったろう。
「次で最後か。ザック・ウィンター、前に出たまえ」
呼ばれて、前に進み出る。緊張のあまり、喉が渇く。鼓動がどくどくとやかましい。
「課題は豚から羊への連続変身だな。準備ができたら始めてくれ」
昨日、課題に出そうな動物の変身は一通り行った。豚に関しては成功率二割。写真や絵がない状態で。だが、昨日模写のために豚は何度も写真で見た。記憶の中の豚を頭の中に思い描く。
汗とともに杖を握りしめる。全身に力を込めると、魔力弁が開くのを感じた。
心臓の隣に位置する魔力嚢から魔力が排出され、排出された魔力は血液に乗って指先へと運ばれていく。やがて指先から杖に魔力が流れ込んでいくのを感じる。杖に充分に魔力が充填されたと確信し、杖の先を自らへと向ける。一呼吸置いた後、明瞭な声で呪文を唱えた。
「変身」
魔力の帯が杖から放たれる。
自分の体が魔力の膜で包まれていく。咄嗟に熱いと感じた。こうやって、自分に向けて魔法を発射させると、魔法として「成る」前の魔力の温度を体感する。魔力の熱でどろりと自分が溶けていくかのような錯覚を覚える。そして、粘土をこねるかのように、自分の貌を変えていく。
蹄のある四つの足。凹凸のある皮膚。二つの大きな耳。大きく発達した鼻。豚の特徴を思い出して、一つ一つ自分へと反映していく。
ゼノは数秒で馬に変身した。自分に同じことができるとは思わない。時間がかかることを恐れるな。正確に、着実に、それだけでいい。
やがて視点がグッと下がるのを感じた。素足が、素手が教室の床に触れた。
教師が目を丸くした。周囲のクラスメイトがごくりと唾を飲み込んだ音が聞こえた。
とりあえすなにかしらには変身できたようだ。はたして成功したのだろうか。
周囲を見渡すと――何人かがザックからの視線を避けるように下を向いた。オルコットにいたっては、痛々しいものを目の当たりにしたように顔を強張らせた。
「……ふ、ふふ。ふふふっ」
音のない空間に、一人の笑い声が溢れた。笑い声に引っ張られて視線を向けると、マクドゥーガルが身体を震わせていた。
「ふふふふ、わーはっははっはははは! いやぁすごい! 五学年にもなってこんな変身見ることになるなんて思わなかったよ!」
マクドゥーガルの失笑が教室に響き渡る。
マクドゥーガルにつられて何人かが申し訳なさそうに、しかし我慢できないと言ったように笑みを零す。押し殺すような笑い声が、ちくちくとザックを刺した。
慌てて自分の姿を確認できる物を探して、窓に映る獣に気付いた。それが自分だと気付いて、顔の中心に熱が集まるのを感じる。窓に映っていたのは、下半身が豚で、首から上が人間の、さながら人面豚と言ったクリーチャーだった。顔が人間なのに、鼻と耳だけ大きく膨らんでいるのが無様さを強調させる。誰がどう見たって、失敗だろう。
嘲笑の中、一人靴音を鳴らして、中央に歩み出た者がいた。オルコットだ。彼女はちらりとザックの方を見やった。しかし、苦しそうな顔ですぐに視線を逸らした。それはまるで、見るに堪えないというような表情だった。
「……ヴィンセント・マクドゥーガル。誰だって失敗はあるでしょう。懸命に課題に取り組んだ人の失敗を笑うなんて無礼にも程があります」
優等生の彼女は善意で庇ってくれているのだろう。しかし、遥か上方から差し伸べられる慈悲の手は、自分をより一層惨めにさせた。
「そうだよな。学年首席様が簡単にこなした変身の何段階もレベルの低い変身魔法さえできない奴を笑っちゃ可哀想だよな。なぁ坊や、エレメンタリースクールと間違って入学してきたのか? それにしてはハキハキ喋れて偉いじゃないか」
マクドゥーガルの嘲りなんていつものことだ。いつもはそう堪えないのに、言い返せず、下を向いた。
「皆静粛に」
教授が手を叩くと、教室に静寂が走る。
「ザック・ウィンター、魔法は解いてよろしい」
言われて、ザックはぼそぼそと魔法解除の呪文を唱える。ザック・ウィンターという肉体を押し込めていた魔力の膜が弾け、一瞬で人の身体に戻った。視点がグッと上がり、二つの足で、地面を踏み締める感覚を取り戻す。
「今回の評価はつけられない。後日補講の連絡をする」
「……分かりました」
暗澹たる気持ちを抱えたまま、そのまま授業は終わった。教室から出る直前、教授に呼び止められた。
「君は前回の変身魔法も不出来だったな。悪いが、四年間の成果が見られない。もう少し魔法の練習に励みたまえ」
眉をひそめながら苦言を呈されて、顔が赤くなるのを感じた。
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嫌な出来事は重なるものだ。
今日の放課後は、家庭教師のアルバイトだった。
アルバイトの時間が終わると、いつも生徒の母親がにこやかに玄関まで見送ってくれるのだが、今日は少し硬い顔だった。
「先生、今月の月謝です」
玄関口で封筒を差し出されて、驚く。いつもの月謝の支払日より少し早い。そのことを伝えたが、夫人は首を横に振った。
「いえ、先生には急なことで申し訳ないのですが、家庭教師は今日までにしていただきたくて。その……、先生の実技の成績はあまり振るわないと噂で聞きました。先生は成績優秀で学園に入学したとお聞きしましたから、受験対策については申し分ないのでしょうけど、私としては息子には合格がゴールでなく、その先を見据えた教育をさせてあげたいものですから、その、ね?」
言外に力不足だとそう言われている。渡された封筒はいつもより嵩がある。多少多めに払っても、ザックの指導はもう子供に受けさせたくないらしい。望外の収入に喜ぶ気持ちには流石になれなかった。
「力及ばず申し訳ありません。今までお世話になりました。ご子息が無事、目標の学校に入学でき、素晴らしい魔法使いになれるようお祈り申し上げます」
こうなるともう打つ手立てはない。深々とお辞儀をした後立ち去ろうとすると、夫人は「最後にひとつだけきいてもいいかしら」と引き留めてきた。
「その、先生の他にウィンターという名字の方は同じ学年にいらっしゃるんですか?」
唐突な問いかけに不審に思いながら、答える。
「え、えぇ。ゼノ・ウィンターという同級生がおりますがそれがなにか」
道理で、と夫人が口の動きだけで呟いた。夫人は致命的な過ちを犯してしまったことに気付いた顔だった。
そしてその瞬間、ザックも気が付いた。彼女は本当はザックではなく、ゼノに家庭教師を頼みたかったのだろうと。
ゼノは入学してからめきめきと頭角を現し、二年に上がる頃には、将来有望な魔法使いだと校外にも知れ渡っていた。その評判を聞いて、彼女はウィンターという学生に家庭教師を頼んだのだろう。
収入源がなくなった以上のショックが胸を衝く。叫びたくなるほどの衝動を堪え、とぼとぼ帰路を辿った。
寮を入ってすぐの右手には掲示板と郵便物ボックスがある。アルバイトから帰ると掲示板に自分の名前が書いてあった。掲示板に名前が書かれているということは、寮監が配達員から郵便物を代わりに受け取り、郵便物ボックスに入れたことを示す。確かに郵便物ボックスを見てみれば、自分宛の手紙が投函されていた。
差出人の欄には、孤児院のシスターの名前があり、その名前を見た瞬間、先ほどまでの暗い気持ちはどこへやら、一気に心が躍った。
身内のいないザックにとって、孤児院のシスターや兄弟たちからの手紙が、日常の癒やしだった。特に嫌なことが重なった今日は、懐かしいシスターの文字をなぞるだけで、彼女のぬくもりを思い出して泣きたくなる。
シスターはザックやゼノとは十歳近く離れた柔和な雰囲気を持った女性で、ザックにとって姉のような存在だった。学園の入学と共に孤児院も退所したが、定期的に文通は行っている。
部屋に着くのも待ち遠しく、部屋に戻る道中、寮の廊下で開封した。歩き読みは行儀が悪いが、すれ違う人もそうそういないだろうと自分に言い訳をして、文面を追う。
シスターからは孤児院の弟分妹分の様子が事細かに記載があった。親しい人もいない学園生活において、自分のことをよく知る人物からの手紙は胸に染みる。しかし、追伸、と補足された文章を見て、眉間に皺が寄った。
「ゼノからは便りがないですが、元気ですか? いつでも二人で孤児院に遊びにきてくださいね」と締められていた。
「……またゼノか」
無意識に口からこぼれた言葉に驚いた。そして、口から出た言葉を恥じた。
ぼーっとしているところのあるゼノだ。筆マメではないことくらい容易に想像がつく。個人の問題だと思ってお世話になった孤児院に手紙を出すようわざわざせっつくことはしていなかったが、長年面倒を見てきたシスターからすれば心配するのは当然のことだ。
偶には近況を伝える手紙くらい出せとこづくくらいはお節介でもないだろう。忘れる前にゼノの寮室に寄って、一言言ってから自分の部屋に戻ろうと思った。
学園内の寮は男子寮、女子寮と別れている。ザックの学年は男子寮六階に全員収まっていて、ゼノはザックの部屋の三つ隣だ。
ゼノ・ウィンターの名前が刻まれたドアプレートを当てにして辿り着いた扉にノックを二つ。しかし、応答はない。
腕時計の長針は、十時を回っている。寝るには早い時間とはいえ、どこかに出かけているにしては帰りが遅い。寮の門限はとうに過ぎている。とすると、寮の談話室にでもいるのだろうか。それなら明日適当なタイミングで伝えればいいだろう。
そう思い、自分の部屋に入る直前、廊下の窓に視線をやった。何かを見ようとして窓を見たわけではない。窓ガラスを透けて差し込む月明かりがあんまりにも眩しかったから、気がとられた。ただそれだけだ。しかし、6階の窓から見下ろす外の世界に、ぽつんと人影が見えて、視線が一気に引き寄せられた。
門限を過ぎた夜に、人が見えるだけでも気になるのに、その影の向かう先が学園内の森であることに気付くといよいよ顔が険しくなっていく。――おいおい、あの森は立ち入り禁止だぞ。
目を凝らすと、森へ立ち入るその影は、すらりとした長身の男性体型をしている。髪の色は夜闇に馴染んでよく見えないので、黒かそうでなくとも黒に近い色をしているのだろう。
夜の暗がりの中でも、目を引くような存在感のある後ろ姿だった。
「……ゼノ?」
確信を持てるほどの情報量はなかったはずなのに、声に出してみると、先ほどの背中が見覚えのある幼馴染みのものに変わって見えた。




