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勇者の数字  作者: 竹津りょう
第一章 ザック・ウィンターの憂鬱
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1-8 vs三ツ首


 足場の消失と共に、落下は始まった。


 重力だけで十分なスピードが乗って、ザックを地下よりも深く、暗い世界へと引きずり込む。

 急展開に頭がついていかない。しかし、狼狽している暇はない。落下が始まったということは、着地のことを考えなくては成らない。

 地面まで何メートルくらいだ? 鉄塔が丸々入りそうなほどに高さに余裕がある。そうなると、数十メートルから100メートルは覚悟しなければならない。このままでは地面に叩きつけられて、潰れた蛙のようになるのは必至。

 数秒後の落下死を避けるには一体どうすればいい? 考える時間もない。落下に伴う時間は一瞬だ。咄嗟に杖を地面に向けて、反射的に声が出たのは奇跡だったと思う。


風よ(ヒューゲル)!」


 これ、と決めて魔法を発動させたわけではない。口が勝手に開き、舌が自然と音を乗せた。

 ザックの詠唱に呼応して、着地点から微弱な風が巻き上がる。風がザックを包み込むように受け止めて、急降下のスピードを和らげた。おかげで、思い切り地面に叩きつけられることはなく、落下死は免れた。


「ぐえっ!」


 結局、顔から着地したせいで潰れた蛙のような声は出たが。

 起き上がりざま、首を伸ばして上を見る。天井は高いが、どこまで見上げても空は見えない。唯一夜の色をしているのが、ザックが落ちてきた穴の部分だけである。あとはどこまでも赤黒い岩で空が覆われていた。


 地面は赤土に似た素材で、ところどころで蔦のような植物が這っている。実の部分がぼんやりと光っているおかげで、明かりがなくとも視界がきくのが幸いだ。しかし光源があっても、全体的に薄暗いことに変わりはない。

 閉塞的な空間で圧迫感を覚えるが、ここが地下だと思えばそれも当然だろう。

 人間にとっては地表が主な生息地域だが、魔物にとってはそうではない。魔界の地表は高温の炎で包まれており、とても生物が暮らせる環境ではない。魔物達は熱の届かない地下奥深くに居住している。今はまだ魔界の穴が開いており、わずかながら人間界の空が見えるが、あの穴が閉じてしまったら完全な地下空間にとじこめられる。

 日光も届かず、植物も少ない地下空間で光合成が成されているとは思えないのだが、なぜだか問題なく、呼吸は出来ている。ありがたくはあるが、自分の知っている世界のルールとは違う仕組みで回っているのが、不思議で不気味だ。

 このように魔界の常識と人間界の常識はまったくの別物だ。専門の調査資格を持った魔界調査隊が定期的に探検をしているが、それでも全貌は明らかになっていない。


 じっ、と自分が落ちてきた穴を見つめる。まだ穴は開いていて、人間界と繋がっているが、ザックが落ちてきた時よりも穴の大きさは小さくなっている。定期的に穴が空くということは、時限性で閉じるということでもある。穴が閉じきる前にここから脱出する手段を講じなければ。

 背伸びをして、穴に手がかかるような距離ではない。梯子や踏み台があったとしても、焼け石に水。

 こういった不慮の事故での落下は、専門のレスキュー部隊の派遣を待つべきとされているが、実のところ一度魔界の穴が閉じてしまうと救出率はかなり低くなる。

 なにせ魔界の穴が開くタイミングも場所も不定期なのだ。救助が当てにならないとなれば、自力で脱出できるに越したことはない。

 穴から抜け出す為には、と考えて、一つの結論に至る。


「まぁ……浮遊魔法しかないか」


 本来は箒を用いて使うことが多い魔法だが、箒の代替にできそうなものは見当たらない。となると、自分自身に浮遊魔法をかけることになる。

 箒なしでの浮遊はバランスを取るのが難しい。あまり得意ではないが、他に手段がないならやるしかない。


 杖の先を自分に当てる。呪文を唱えようと口を開いたその時――どしん、どしんと地面が揺れた。


 地震にしては、揺れ方が変だ。地面全体が揺れているというより、重く、大きな何かが着地して、その衝撃で地面が揺れているような感覚に近い。 そして、その音と衝撃はどんどん大きくなってくる。

 次いでグルルルルルルルと雷鳴を思わす重低音が地下空間に響き渡る。

 あまり動物には詳しくないが、確か獅子や虎が喉を鳴らした時はこういった音が飛び出る印象がある。つまり大きくて、強そうな生き物の鳴き声だ。

 魔界に存在する、大きくて強そうな生き物が即座に脳裏に浮かんで、顔が引き攣った。

 恐る恐る音の方向に視線を向ける。そして、見たことを後悔した。


 一見した感想は、岩。例えとして適切かどうかは分からない。なにせ巨大で、ゴツゴツして、歯が立ちそうにない生き物を見た時、それをいかにして表現すればいいかの訓練なんてしたことがない。

 その強大さを伝えようにも、地球上の生き物が比較対象にならない。攻撃力なら兵器を、巨大さなら船が比喩に上がるほどだ。

 呆然としているうち、目の前の岩か、兵器か、あるいは船が更にザックへとにじり寄ってきた。人の顔ほどのかぎ爪を蓄えた脚が一歩進むだけで、とんでもない衝撃波と騒音を生む。長い尾を引きずった跡が轍のようにずっと奥まで続いている。薄暗い世界の中、全身の鱗が僅かな光を反射して、ちかちか瞬くのが眩い。


 巨大で、美しく、恐ろしい生き物。間違いない、ドラゴンだ。それも運の悪いことにミツ首だ。

 ミツ首のドラゴンはヒュドラ系かケルベロス系の血が入っていたはず。どちらでも厄介な性質持ちに変わりはない。

 一口にドラゴンと言っても、大きさ、堅さ、重さは種族によって異なる。特に他の魔物と交わってより強く進化した種は殊更厄介だ。それが今目の前に立ちはだかっている。

 脳内に警鐘が響き渡る。今まで聞いたことのない大爆音が骨まで揺らした。 


 ときに、何かを行動するというのは、いくつかの選択肢を頭に浮かべて、その中から一つを選び取る行為だとザックは認識している。

 さきほどワームと遭遇したときだってそうだ。森から立ち去る、あるいは助けを呼ぶ、あるいは戦うといった選択肢が一瞬で現れ、少しの思考の末に、ザックはワームを倒すことを選んだ。

 しかし、今は違う。ザックの頭の中の選択肢は逃げるか逃げるか逃げるか逃げるか逃げるか逃げるか逃げるか逃げるか逃げるか逃げるか逃げるか逃げるか逃げるかしかない。それ以外の選択肢は全て黒で塗りつぶされている。

 戦ったらどうなるとか、そんなことを思い浮かべることもできない。雨が空に向かって降ることがないように、夜の次に昼が来ることがないように、あり得ないことは、想像することさえできない。

 唯一残された選択肢に縋るように、頭は身体に逃げろと命令を出し続けている。

 それなのに、足はちっとも動かなかった。まるで、地面と足の裏が接着剤で固定されているかのようだった。

 度を超えた恐怖は、拘束具なしに人を縛れるのだと初めて知った。そして、その知識はもう二度と必要になることはないのだと、迫り来る鋭い鉤爪を見て、そう思った。


 目の前の光景がひどくゆっくりに感じた。危険が迫り来た時、視覚の時間的精度が上がり、周囲の出来事が遅く感じることがあると、なにかの文献で読んだことがある。それが、これか。

 息もできないほど、ゆっくりと時間がすぎていく。身体は動かないのに視界は鮮明で、思考は速く、命数尽きるまでを数える余裕さえあった。


 だからこそ――天井の穴からすさまじいスピードで落下していく影を明瞭に捉えられた。

 ひゅるる、と風を斬る落下音がする。黒い人影が鋼の金属光を携えて降ってくる。迷いのない軌道で、その影はドラゴンの元に近付いていった。


 紫電一閃。鋼の煌めきが、ドラゴンの頭を三つまとめて正確に切り伏せた。首が飛んでいくと、ザックの目の前にまで迫ってきたドラゴンの腕ががくんと脱力した。

 ドラゴンの首を落とした犯人はとん、とドラゴンの背に乗っかるような形で着地した。その正体を認識してやっと、体の強張りが解けて、口がその人物の名前を勝手に呼んだ。


「……ゼノ」


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