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勇者の数字  作者: 竹津りょう
第一章 ザック・ウィンターの憂鬱
11/17

1-9 弟分


 黒髪の青年がドラゴンの背からこちらを見下ろしている。どんな表情をしているかまでは、距離があってよく分からない。じっと目を凝らすと、ゼノの口が開いたのが見えた。しかし、言葉としてザックの耳に伝わることはなかった。何かが言葉になる前に、ゼノはドラゴンの切り口を見て、剣を構え直したからだ。


 傷口が膿んだように泡立っていく。その泡は次第に集まり、肉と化し、首を形作っていく。――どうやらこのドラゴンはヒュドラの再生能力を継いでいるらしい。

 ゼノはというと、ドラゴンの上で呑気にこてんと首を傾げている。なんで斬ったのに倒れないのだろうかと怪訝そうな様子だ。

 ヒュドラ系だと認識していないか、あるいはヒュドラ系の特徴を知らないか。どれであっても、知識がなければ勝てる相手ではない。


「あれはヒュドラ系のドラゴンだ! ヒュドラ系は、傷口を熱で焼かないと再生するぞ!」と叫んだ。


 彼に声が届いたかは定かではないが、ザックが声を張ったタイミングでゼノの構えた刃が火炎に包まれたので、恐らく聞こえたようだ。


 その時、ヒュドラの特徴の一つを思い出して、ひやりと汗が流れた。ヒュドラの体液は猛毒だ。飛び散った血液に触れればゼノもただでは済まない。ゼノに防御魔法をかけようとした瞬間、あることに気付いて、すぐに閉口した。――既に魔力の被膜がゼノの全身を覆っている。

 ヒュドラについての知識がないのにどうして? 感覚的に危機察知をしたのか? それにしても、偏りのない均一な防護膜だ。魔法の同時利用の難易度は高いというのに。

 身の無事を喜ぶ気持ちよりも先に、才能に対しての嫉妬を感じて、自分が嫌になる。


 ザックの陰鬱な気持ちなどつゆ知らないだろうゼノの動きは軽やかだった。手、足、尾を切り刻んで、行動を制限させながら、再び三つの首をあっという間に落としていく。

 命尽きたドラゴンから瘴気が放出されると共に、ゼノは剣を納めた。そして、ザックの方を見た。視線を向けられて、どきりとした。魔湧の森で突っぱねるような言い方をしてしまったのが尾を引いていた。啖呵を切っておきながら、助けてもらうなんて惨めなこと極まりない。なんと声をかければいいか分からなかった。


 しかし、先ほどの勇ましさはどこへやら、なぜかゼノの方が気まずそうな表情を浮かべている。

 やがて、怒られることを覚悟したような顔でゼノが近付いてきた。でかい図体を縮こませて、こちらの機嫌を窺う様子はまるで耳を垂らした子犬のようだった。


「その、帰れ、って言われたのについてきてごめん。ザックに言われたとおり、本当はすぐ帰ろうと思ってたんだ。でも、魔法を発動させた気配がしたから気になって。ザックのことだから俺が心配することもないかなとは思ったんだけど、アルバイト終わりで疲れてそうだったし、万が一なにかあったらと思って……」


 しどろもどろの弁明である。こちとら咎めるつもりは微塵もないというのに。そもそも助けた側が申し訳なさそうにするのは一体何なんだ。


「……別に、お前が謝る必要ないだろ」


 本当はザックの方が謝るべきだし、礼を言うべきなのだ。それでも、先ほどまでの鬱屈が邪魔して、素直に言葉が出てこない。つっけんどんな態度になってしまい、自己嫌悪が募る。


 その時、ふっと周囲が暗くなったのを感じた。

 上空から僅かながら差し込んでいた月明かりが消えたのだ。天井を見上げれば、いつの間にか穴は随分と小さくなっていた。


「まずい! 魔界の穴が閉じる!」


 慌てて、浮遊魔法を発動させようとしたが、もう間に合わなかった。

 呪文を唱える先に前に、ジュウと音を立てて、上空の穴は消滅して、完全に地下空間に閉じ込められてしまった。


「あ……」


 地面を這う蔦の光源があるからまったくの暗がりというわけではないが、上からの光がなくなっただけで空間の明度が一気に下がった。天井は高いのに閉塞感を覚える。


「まずいことになったな」


 ぐ、と唇を噛む。未知の世界に閉じ込められた焦燥感が胸を満たす。加えて、自分のせいでゼノまで巻き込んでしまった。魔湧の森でのやり取りのこともあり、申し訳無さがずん、と背にのしかかってくる。

 しかし、当のゼノは呑気なものだった。


「そんな焦らなくても大丈夫だよ。いつも30分くらいうろちょろしたらまた穴を見つけて、そこから出られてるし」


 聞き捨てならない言葉が聞こえた気がした。いつも、とは。


「お前、もしかして魔界の穴に落ちるのが初めてじゃないな?」


 途端、勢いよく視線が逸らされた。図星のようだ。


「その……魔界第一下層は大した魔物も出ないし、剣の実践に丁度よくて………」


「……いつからだ?」


「魔法武器術を習ってからだから、三年生の時、かな。最初は流石に偶然落下しただけだけど」


 最初以外はむしろ自分から進んで落ちているみたいな口ぶりである。頭が痛くなる。今度魔界入管法を読ませた方がいいかもしれない。


「でも、ここ最近はなんか妙な感じがするんだよね。昔より強い魔物と遭遇することが多くなっている気がする。初めて落ちたときは、もっと弱い魔物ばかりだったんだ。さっきのドラゴンも初めて見たし」


 ゼノの指摘にハッとする。


「そうだ。第一下層で遭遇する魔物なんて、大抵スライムかワームだ。ドラゴンなんて第三下層レベルの魔物だぞ。確かに変だ」


 魔界の穴から落ちて繋がっている場所は魔界の第一下層と呼ばれる場所だ。そこから、魔物達は下へ下へと居住地を広げている。研究によると、殆どの魔物は下層の方に身を潜めていて、縄張り争いに負けた魔物が上層へと追いやられているらしい。そのため、魔物の中でも弱い生き物ばかりが第一下層におり、人間界に登ってくるのも大抵そう強くはない。それこそザック程度の魔法使いが倒せるくらいには非力である。


 一応、ドラゴンのような強い魔物が低下層にいたという記録もある。しかし、それは魔王が勢力を振るっていた時代だ。魔王と共に魔物たちが人間界に侵攻していた時は、強いも弱いも関係なく、様々な魔物が第一下層に存在したとかなんとか。


「……まさか、な」


 嫌な予感が頭を掠める。千年はとうに過ぎている。伝説に従えば、いつ魔王が復活してもおかしくはない。その兆候がいままで見えていなかったから、誰もそのことを話題にあげていなかっただけで。

 まぁ今はそのことを考えても仕方がない。とりあえずは、脱出が先決だ。


「じゃあ魔界の穴を探し、」


 言葉は途中で、喉の奥に引っ込んだ。辺りを見れば、二人の周囲を囲むように、ぞろぞろと魔物が集まってきていたことに気付いた。光源に集る蝿のように、ワームと、弾性のある半透明の跳ねる物体――おそらくスライムがうじゃうじゃ群がってきている。

 先ほどのドラゴンのように、下層の魔物はいないが、それにしても数が多い。顔という顔がないので感情は読めないが、明らかに敵意を感じる。逃走経路はない。そもそも、逃がしてはくれないだろう。


「協力して、倒すぞ」


 深呼吸をして、杖を構える。ゼノは魔界の第一層に落ちたのは初めてではないらしいし、ザックだってワーム相手なら自分の力でも倒せた。数は多いが、二人がかりならなんとか捌けるだろう。そうはいっても、まったく恐怖がないわけではない。緊張で乾いた唇を舌で濡らす。

 しかしゼノは――少しも気負った様子なく、さらりと「俺がやるよ」と言ってのけた。そして、緊張感なく剣を構えて、魔物の前に歩み出た。


「元はと言えば、俺が規則を破ったからザックに迷惑をかけることになったわけだし、俺が適当に倒すよ。ザックには魔界の穴探しに専念してほしい」


「それは……お前が一人でこの量の魔物を倒すってことか?」


「え、うん」


 なんてことないことかのように頷かれて愕然とした。

 ゼノが魔物に一人で立ち向かうのは、ザックを庇っているから、ではない。遠慮しているというわけでもない。ましてや責任感から負担を背負っているわけでもない。

 二人がかりで一足す一の計算を解くことがないのと同じで。二人がかりで蟻を踏み潰す必要がないのと同じで。ゼノにとって誰かの助けを借りる必要がないほど相手だというだけだった。ザックにとってはそうでなくとも。


 ゼノが剣を振るうたび、血しぶきが上がり、瘴気が溢れる。

 公園でユスリカを緩慢に追い払うような緊張感のなさで、ばったばったと魔物を屠っていく。危うげな様子は微塵もない。ザックがワーム一匹を倒すのにかかった時間で、ゼノは三十匹を屠れる。


 同じ常識で生きている人間だと思えなかった。いや、思いたくなかった。こんなに近くにいるのに、ゼノは遠い世界の住人のようだった。

 一刻も早くここから離れたいと思った。魔界から脱出したい、というより、ゼノと一緒にいるのが耐えがたい。近くにいると自分が惨めになる。同じような境遇で生きていたのに、どうしてこうも自分達の間には埋めがたい差ができてしまったのだろう。

 目を皿のようにして、天井を見つめているうち、色が違う一カ所を見つけた。よくよく見ると、それは夜の色をしている。


「ゼノ! 魔界の穴だ!」


 ザックの指差した方向を見て、ゼノも頷く。

 周囲の魔物はすっかり後退気味だった。いくら知能のない魔物でも、同胞がばったばったと切り伏せられては、進んで人間に襲いかかりはしないようだ。今のうちに近くまで行けば、邪魔されずに上まで浮遊できるだろう。


 穴の近くまで駆けて、駆けて――その途中、足音が一つ消えた。

 ここにはゼノとザックしかいない。消えた一つ分の足音は自分でなければ、ゼノでしかありえない。振り返ると、ゼノはぴたりと足を止めていた。彼の視線は、魔界の穴の方を向いていない。出口を目の前にして、動かなくなった彼を不審に思い、名前を呼び掛けた。


「ゼノ?」


「……なにかに、呼ばれてる気がする」


「……は?」


 声のようなものは自分の耳には聞こえてこなかった。ゼノはきょろきょろと辺りを見渡したあと、何かに引っ張られるかのように、魔界の穴とは反対方向に歩き始めた。はっきりしないものに釣られているのに、足取りに迷いはなく、ずんずんと進んでいくものだから、言いようのない不安を覚える。

 彼の進路には、ガス溜まりのように瘴気が集中している場所がある。しかし、ゼノは躊躇いもなく、足を踏み入れた。


「ゼノ!」


 声をかけても、ゼノは振り返らなかった。あっという間に、瘴気の闇に紛れて、ゼノの背が見えなくなる。

 ちらりと、魔界の穴を見上げる。いつから開いているか分からないが、既に穴の縮小は始まっている。ゼノを追いかけて行ったら、脱出に間に合わないかもしれない。そう思った瞬間、ザックに二つの選択肢が生まれた。ゼノを追いかけるか――置いていくか。


 だって次、魔界の穴が見つかるのはいつになるか分からない。その間、ずっと、この薄暗い空間にいなければならないと思うと、脱出の一手を選ばない理由はなかった。

 魔界の探索を選んだのはゼノだ。たとえ、脱出に時間がかかっても自業自得だ。それに彼は、今までに何度も魔界に落ちていると言った。一人にしても大丈夫だ。むしろ自分がいる方が足手纏いだろう。魔物が集まってくるよりも前にとっとと出るべきだ。これは自分の為ではない。ゼノの為でもあるのだ。


 よし、と決心して、杖の先を自分に向ける。そして浮遊魔法の呪文を唱えようとして――瘴気の壁の向こうに吸い寄せられていくゼノの後ろ姿がフラッシュバックした。『……なにかに、呼ばれてる気がする』と自分の耳に聞こえない声に引きずられていくゼノが、大丈夫に見えるのか、自分は。本当に?


「…………ッッッ! あぁ、もう!」


 ザックは自分に向けていた杖を下ろし、猛然とゼノの後を追いかけた。

 杞憂だと思う。ゼノが危ない目に遭う想像なんてできないし、たとえゼノのような強い男が危険な目に遭うならそれこそザックにできることなんてない。だから、本当は一人でとっととここから出て、外で彼の帰還を待つべきだ。それが分かっていても、その選択肢を選ぶことができなかった。


 ザックにとって、ゼノはいつだって放っておけない弟分だった。図体がでかくなっても、自分よりも圧倒的に強くなっても、いつだってそれは変わらない。


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