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勇者の数字  作者: 竹津りょう
第3章 ヴィンセント・マクドゥーガルの悲憤
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3-7 再会


 しばらく無言で魔界を飛んでいると、突如としてマクドゥーガルが声を張り上げた。


「おい! 右を見ろ! 魔界の穴だ!」


 言われるがまま右手を見ると、ある一箇所から光が差し込んでいる。先ほどのように数十人を飲み込むほどの巨大な穴ではないが、二人が通り抜けるには十分な大きさだ。

 マクドゥーガルが指摘する頃には、すでに魔界の穴は進行方向の後方にあったため、慌てて方向転換をした。そのせいで、ぐらりとマクドゥーガルのバランスが崩れた。


「あっ、悪い! 大丈夫か!?」


「いや、大丈……」


 マクドゥーガルはすぐに体勢を戻したが、代わりにきらりと光るなにかが落ちていくのに気づいた。

 落下のスピードの中で、わずかに見て取れたそれは、翼を模したアクセサリー。ザックの記憶が確かなら、マクドゥーガルの制服の胸を飾っていた家紋のブローチだった。魔界に来てから何かの衝撃で留め具が壊れていたのだろう。急旋回の勢いで制服から外れてしまったようだ。


「あれはっ、お父様から貰った大切な……!!」


 マクドゥーガルが魔界の底に向かって手を伸ばそうとしたので、背筋に冷たいものが走る。


「おい、動くなって!」


 箒がぐらりと揺れたのを見てザックが鋭い声を放つと、マクドゥーガルはハッとして動きを止めた。マクドゥーガルの指先は空を切り、つかみ損ねた金色はみるみるうちに奈落へと落ちていく。


「あ……」


 茫然自失の声が地下の空洞でむなしく響く。宝飾品の煌めきが見えなくなると、堪えるような吐息が背後でこぼれた。


「……悪かった。急に箒を揺らして。早く上に戻ろう」


 続いて、沈鬱な声が聞こえてきた。

 その尋常ならざる様子に、ザックはおそるおそる尋ねる。


「落としたのって、いつも胸につけていたブローチだよな?」


「……あぁ。でも、いいんだ」


 ちらりと後ろを盗み見ると、マクドゥーガルは項垂れている。

 自分に言い聞かせているような様子だ。到底その言葉通りの意味で、彼の返事を受け取れない。

 魔界の構造上一度穴が閉じたら、同じ場所に戻ってくることはほぼ不可能に等しい。もしも、彼の落とし物を取りに戻るなら今がぎりぎりだ。しかし、底が見えないほど瘴気が溜まった地面に降りるのはリスクが伴う。加えて、穴もいつ閉じるか分からない。

 ここはマクドゥーガルの内心は見ないふりして、地上に帰るのが賢い判断だ。魔界の穴を目的地に据え、魔力を調整しながら箒の推進力を強める。


 頬を切る風を感じながら、地上へと向かう最中、マクドゥーガルの悲壮な声が脳内にリフレインした。

 ──お父様から貰った大切な、か。

 

 穴を抜けて地上の世界に帰ってくると、新鮮な空気と眩い日光に迎えられて、目を細める。

 そうっと地面に足をつけて、ザックはマクドゥーガルを箒から下ろした。

 ちら、と穴の大きさと縮小のペースを確認する。──まだ幾分かの余裕が残されている。完全に閉じ切るまで十分くらいは保ちそうだ。

 ザックは一つため息をつく。覚悟はもう、できていた。


「ここで待ってろ。俺は少しだけ中に用事がある」


「用事って、お前まさか」


 マクドゥーガルの瞳が大きく見開いた。ザックは唇に笑みを乗せた。


「……大切なものなんだろ?」


 自分には家族がいない。家族がいないから、家族からもらった大切なものが、自分にとってどれだけ重要なものかよく、分からない。よく分からないからこそ、蔑ろにしてはいけないのだと思う。

 ホリデーの時につまらなそうに家族からのプレゼントを抱えていたヴィンセントを覚えている。その彼が、毎日胸に付けるほど大切にしているブローチだ。それは、単なる装飾品に収まらない意味があるのだろう。


「お前は絶対にそこから動くなよ! いいな!」


 再び箒にまたがり、魔界に飛び降りる。一日に三度も魔界に降りるとなると、もはや一切のためらいもなかった。重力と、飛行魔法の推進力を借りて下降していく。


「おい! ザック・ウィンター!! 戻れよ、馬鹿!!」


 マクドゥーガルの必死な呼び声を背中に受けて、ザックはさらに下へと潜っていく。



■■■■■



 瘴気で淀む空気の中、ザックは地面に着陸する。

 こうも暗く、瘴気が溜まっていると、魔物が近寄って来そうだ。すぐ飛び立てるように周囲への警戒を払いつつ、ズボンのポケットから二つのものを取り出した。一つは杖、そしてもう一つはマクドゥーガルの箒の破片だ。

 杖を右手に、破片を左手に。呪文を唱える。


主人(ミア・ドゥーアー)の痕跡(ローン・ザリス)を辿れ(・トーバ・キュール)


 破片から光が溢れ、溢れた光が二筋の線となって別々の方向へと進んでいく。一本は先ほどザックが飛び込んだ魔界の穴に、もう一本はザックから見て左斜め前へとまっすぐ伸びていく。

 これは対象物の所有者の気配を辿る魔法である。無くし物を探すときに重用する。つまり魔界の穴に伸びた方はマクドゥーガル本人、もう一方はマクドゥーガルの落とし物へとつながっているはずだ。


「持っていてよかったな」


 ゼノとて箒に触れれば、この箒の持つ性能に気付く。意図しないところで、秘密が露見するのはマクドゥーガルの立場だったら嫌だろう。そう思ってゼノから隠すために咄嗟に持ってきてしまっただけなのだが、今となってはその行為が功を奏した。箒の破片は今だけでなく、マクドゥーガルの捜索にも役立ってくれた功労者である。


 光線の導きを追っていくと、やがて光が瘴気溜まりを貫いた。どろりとした瘴気に包まれて、光の先が見えない。となると、この瘴気の中にマクドゥーガルのブローチはあるのだろう。ままよ、と覚悟を決めて瘴気の中に飛び込む。


 しばらく歩いているうちに、光線が途絶え、足元にきらりと光る装飾品があることに気づいた。

 しゃがみ込んで、よくよく観察してみたが、マクドゥーガルが常日頃から身につけていたブローチに間違いない。

 留め具の部分は壊れていたが、羽を形取ったブローチ本体は繊細な意匠をしているのに少しの欠けも削れもない。この高さから落ちても無事だったのはブローチにかけられている保護魔法のおかげだろう。

 有名な魔法使い一族の家紋がついているような装飾品は、捏造品との混同を防ぐ為に本物には特殊な保護魔法がかけられていると耳にしたことがある。

 やはり、名門一族は持ち物からして違うのだなぁと呑気な感想を抱きながら、ブローチをハンカチで包み、ポケットに入れる。そして、そのまま飛び立とうとした矢先のことである。


  目の前の瘴気がすーっと左右に晴れていった。瘴気をかき分けてできた道筋に作為的なものを感じる。この道を辿ってこい、と誰かに手招きされているようだった。

 行くべきではない、行ってはいけない、早く帰らなくてはいけない。胸中の思いとは別に、脚が前へと前へと誘われていく。

 なぜだか自分の脚が自分のものではないかのようだった。そして、これまた不思議なことに、自分の思うまま脚が動かないのに、それに対する焦りや恐怖がない。お腹が空いたら目の前のご馳走を平らげるように、喉が渇いたら水で喉を潤すように、()()に向かうことは当然のように感じた。理性と感情が剥離して、別々の命令を出す。そして、今の自分には理性の命令が届かなかった。


 しばらく歩いていくと、台座につながれた黒い石を見つけた。忘れもしない、三ヶ月前に出会った魔王の封印石だ。石の中では、黒い光と白い光が回遊しながら戦っている。しかし、三ヶ月前と違うのは、鎖は三ヶ月前より劣化が増し、封印石のヒビはさらに大きく広がっていることだ。そして、白い光は以前よりも動きが鈍くなっているように見えた。

 濃度の高い瘴気が石からあふれ、渦巻き、ザックの鼻孔を通る。重油を流し込まれたかのように、重苦しく、不快な空気であるはずなのに、なぜか今日は甘く感じた。紅茶にドロドロに溶かした砂糖のような甘さ。


 ふとゼノと初めて魔界の穴に落ちたとき、彼は封印石を見つける直前に、なにかに誘われたと言っていたことを思い出す。ザックが導かれるようにここに来たのも、同じ現象かもしれない。

 ザックはおそるおそる、石肌に手を伸ばす。

 ゼノはあのとき、石に触れて、黒い光──魔王の魂によってその手を弾かれた。第五水晶値の意味を知らなかったあの時は、勇者の素質が高いゼノに対して攻撃をしているのだと思っていた。今思えば、魔王の魂がゼノがいる方向に向かって石に衝突を繰り返していたのは、ゼノの肉体を求めて石を壊そうとしていたのだろう。魔王の依代として極上の肉体であるゼノが目の前にいたとあらば、鼻先に人参をぶら下げられた馬のように突進を繰り返していたことにも理由がつく。

 ザックがあのときのゼノと同様に呼び寄せられるようにここに来たことを思うと、同じ現象が起こるのではないか。それを確認するために封印石に触れようとした。そして、ザックの指先が石にかすめる直前、思い直してその手を下ろした。

 答え合わせは必要ない。したところで何の意味もない。ザックにとっての「最悪」が間近に迫っていたとして、やることは何も変わらない。誰も魔王にさせないためにできることをするだけだ。


人類(おれたち)は、魔王(おまえ)に負けない。」


 魔王の適合者さえいなければ封印が解き放たれたとしても、直ちに被害が起こるわけではない。魔王の魂が依代を探しているうちに、再封印がなされる可能性は十分にある。

 これはザック・ウィンターからの宣戦布告ではない。人類の代表としての宣戦布告だ。俺たちは誰も魔王になんかならない。世界を終わらせたりなんかしない。

 ザックは、封印石に背を向ける。もう、先ほどの甘美な誘いは聞こえなくなっていた。 




 ザックが箒にまたがって地上に戻ろうと思ったときには、魔界の穴は随分と縮小していたようで、すぐにそれを見つけることができなかった。

 とりあえず天井付近まで近付けば分かるだろうと、高度を上げると、魔界の穴から不安そうにこちらを覗くマクドゥーガルが目印となった。マクドゥーガルと目が合うと、彼は大声でザックの名前を呼んだ。


「おい! ザック・ウィンター! もう穴が閉じるぞ! 早くしろ!」


切迫詰まったその声に引っぱりあげられるように、上昇速度をぐんと上げて、地上へと向かう。

ザックの身体が穴を通り抜けたと同時、魔界の穴は閉じて、魔界と人間界は完全に隔たれた。

なんとか地上に戻れたことで、気が抜けたのだろう。箒から浮力が失われて、地面に叩きつけられるようにして着地した。


「うわあっ!」


  情けない声とどすん、と鈍い着地音。穴があった場所に尻を強か打って、じんじんとした痛みが臀部を襲う。


「いたたたた……」


「おい、大丈夫か!?」


「あぁ……うん。にしても、結構ぎりぎりで危なかったな」


穴の収縮がもう少し早かったら、上半身と下半身が別の世界にお別れしていたかもしれない。そう思うと、ゾッとしないものがある。


「……とんだ命知らずだな、お前は」


  呆れ半分、安堵半分といった顔つきでこちらを見ているマクドゥーガルに、ポケットから取り出したものを差し出す。


「ほら、これだろ」


 ポケットから取り出したハンカチの包みを解くと、日光を受けて煌めくブローチが姿を見せる。

  マクドゥーガルはザックの掌に載ったブローチをじっと見ているが、なぜだかすぐには受け取ろうとはしなかった。


「これがどのくらい価値があるか知っているか」


「知らない」


 宝飾品の価値は自分にはさっぱりだ。ブローチを纏う金や埋め込まれた宝石が本物かどうかも自分には分からない。


「出所隠蔽のためにバラしても郊外に家が買える」


「ふぅん」


 驚きはしなかったが、そんな高いもの自分の手の中にあるのは落ち着かないので早く受け取ってくれとは思った。


「見つからなかったって言っても良かったのに……お前は馬鹿だな」


 そこまで聞いて、彼が回りくどく何を勘繰っていたのか察しがついた。その瞬間、さしものザックも腸が煮えくり返った。

 つまり、マクドゥーガルは高価な宝飾品をどうして盗まなかったのかと言いたいらしい。

 孤児の貧乏人にだって、プライドくらいはある。泥棒と同一視されてどうして腹を立てずにいられよう。しかし、ザックが本格的に憤慨する前に、マクドゥーガルが「いや、馬鹿は僕か」とぼそりと呟いたので、怒るタイミングを逸した。どこかもの寂しげな様子に毒気が抜かれたとも言える

 マクドゥーガルはザックが差し出したブローチを受け取った。両手でぎゅっと握りしめた。

 絶対に失いたくないものでありながら、どこか自分の知らないところに手放したそうに見えた。大切なもの、というのは、えてしてそういうものなのかもしれない。


「ありがとう」


 小さな声だった。しかし、確かに彼はザックの目を見て、礼を言った。

 マクドゥーガルから謝罪だけでなく、お礼を言われることがあるとは。嫌味や皮肉もないまっすぐな感謝を受けて、妙な気分だ。なんと返すか悩んで、結局言葉にできず、口を噤んでしまった。




「それにしても、ここはどこだろう。早く学園に戻らなければならないし、そう遠くないところならいいんだが」


 ザックに尋ねた、というより独り言のようにマクドゥーガルが言った。

 ザックもマクドゥーガルと同じように周囲をぐるりと見渡す。先ほど上に上がってきた時は、周囲を観察する余裕がなかったが、改めてあたりを見渡すと、周辺は木々で囲まれており、地面はふっくらとした土が敷き詰められていることが分かる。ただし、ザックたちが座っている場所は比較的地面が固く、人の足によって踏みしめられていた形跡がある。そして、近くには切り傷だらけのボロボロの木人。

 間違いない、ゼノが最近まで鍛錬で使っていた場所だ。


「ここは魔湧の森だ。変なところに出なくて良かったな」


 初めて魔界に落ちて地上に戻った時も、戻ってきたのは魔湧の森だった。魔界の穴がつながる場所がランダムにもかかわらず、比較的近所に戻ってこられているのは、魔界開口領域の限定性ゆえだろう。校庭の真ん中をぶち抜くようなイレギュラーでもなければ、同じような場所に開く可能性がかなり高い。とはいえ、学園への帰り方もわからないような辺鄙な田舎に飛ばされる可能性もあったので、見覚えのある場所にたどり着けたことはやはり幸運だ。

 ザックが胸をなでおろす一方で、マクドゥーガルはなぜか、不審そうに顔をしかめた。


「なんで周囲が森だからって、ここが魔湧の森だって断言できるんだ? 魔界開口領域は限られているとはいえ、別の森林公園の可能性もあるだろ? なんならさっきみたいに魔界開口領域以外でも魔界の穴が開くこともあるわけだし」


「え、それは」


 ──マズイ、墓穴を掘った。背中を冷や汗が伝うのを感じる。

 普通は入ったことがないはずなのだ。この風景を見て、魔湧の森だと分かるのは、魔湧の森に行ったことがある者だけだ。

 それも変わり映えしない森の景色を見て、即答するなんて普通はおかしい。マクドゥーガルからすれば、よっぽど確信があるように思えるだろう。


「そういえばさっきの授業中、妙なことを聞いてきたよな。僕に魔湧の森に入ったかどうかって。お前がここの景色見て魔湧の森だって分かったのとなんか関係があるのか?」


 思い出して欲しくないタイミングで余計なことを思い出されてしまった。点と点が繋がってしまえば、ザックの言動は更に不審を深めるものになってしまう。

 探るような視線を向けられて、咄嗟に顔を逸らしてしまったのも悪手だ。やましいことがあると自分で言っているようなものである。

 どうやって誤魔化そうか、ザックが頭をぐるぐるさせていると、側でため息ひとつ溢れた。


「訊かれたくないことなら、訊かないから安心しろ」


 その言葉に驚いて、森の奥へと逃がしていた視線が瞬時にマクドゥーガルの方に戻る。マクドゥーガルの顔をまじまじと見つめてしまった。


「……なんだよ」


「マクドゥーガルが俺のことを気遣うようなことを言うと、変な感じがするな」


「お前、人の厚意をなんだと思って……」


 マクドゥーガルの顔がひくひく引き攣っている。まぁ普段の仕打ちを思えばこのくらいの意趣返しは許されてしかるべきだろう。

 魔界ほどではないにしろ、魔湧の森も強い瘴気が漂っている。一刻も早くここから出なければ。そう思って立ち上がると、遠くから集団の影が見えた。

 白いジャケットを着た見覚えのない集団だ。ただし、知識としてその衣装がどういった立場を表しているかは知っている。


「魔界救助隊だ」


 暗い魔界の中でも目立つような発光素材で身を包んだ彼らはザックとマクドゥーガルに気付いたのか、こちらに駆け寄ってきた。


次回は7/23(木)更新!

次が三章ラストになります。

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