3-6 謝罪
「なんで、よりにもよってお前なんだよ!!!」
「なんだ。それだけ元気よく飛び起きれるなら大丈夫そうだな」
怒鳴りながら起床したマクドゥーガルを見て、ザックは胸を撫で下ろす。
魔界に降りて、頭から血を流して意識を失っていたマクドゥーガルを見つけた時は肝が冷えたものだ。頭部に大きな腫れがある。何かの拍子に頭を打って失神していたのだろう。
「治癒魔法を……」
「いい、自分でやる。お前にやらせたら逆に傷が開きそうだ」
率直な言い草に腹が立たないわけではないが、正直得意とは言い難い魔法なので、マクドゥーガル自身ができるならそれに越したことはない。
「治癒」
ヴィンセントは、杖を自身の頭部に向けて、呪文を唱えた。
魔力が杖の先からあふれて、広がり、患部を覆う。そして傷口へと魔力が浸透する前に、魔力が霧散して、魔法が消えた。
ヴィンセントは想定外の魔力反応に目を見開く。と同時、ヴィンセントの端正な顔から、鼻血が一筋伝う。
「あ、れ。頭がクラクラする」
ヴィンセントの手から杖が零れ落ちた。空いた右手が、俯きそうになる額を支える。
「多分、瘴気酔いじゃないか?」
個人差があるので断定できないが、濃い瘴気を長い時間吸い込むと体調が悪くなることがある。ザックは精々胸がムカムカするくらいだが、マクドゥーガルは瘴気で魔法の使用に影響が出やすい体質なのかもしれない。
「治癒魔法は地上に戻ってから、他の人に頼もう。簡単な止血だけするぞ」
ザックはハンカチを取り出して細く割く。包帯がわりにマクドゥーガルの頭に巻き始める。
貧乏人のハンカチなんて不衛生だ、とか詰られることを覚悟したが、意外にもマクドゥーガルは大人しく手当を受けていた。
包帯を巻き終わると、マクドゥーガルはぽつりとつぶやいた。
「……なんで来たんだよ」
ヴィンセントのぶっきらぼうな言い草にザックの顔が険しくなる。
「なんで、って……来ないほうが良かったか?」
ザックの方も思わず喧嘩腰になってしまう。しかし、ヴィンセントは「そういうわけじゃなくて」と俯いた。
「……僕だったら自分のことをバカにしてきて、家柄をカサにきて、威張り散らかすボンボンのことなんか絶対助けない」
小さい、小さい声だった。肩はガックリ落ち、視線は地面を彷徨っている。ザックの知っている傲慢不遜ことヴィンセント・マクドゥーガルと似ても似つかない様子である。
何を言うか悩んで、「自覚があるなら直せよ」と一言だけ返した。
「うるさいな! 今更後には退けないんだよ!」
マクドゥーガルは噛みつくように言ったが、言葉の勢いほどの威勢はなかった。怯えた子犬が、虚勢を張るために吠えているようだった。
偉い家柄のご子息様というのは、軽んじられないために、強がらないといけないかもしれない。ザックにはよくわからない世界だ。
不意にマクドゥーガルは、視線を地面に落とす。青のまなざしが顔の影で黒く見えた。
「本当は、わかってるんだ。僕が、僕のことを嫌いなのに、他の人だって僕のことを好きになるはずがない」
マクドゥーガルの声は震えていた。「他の人」というのは誰のことを指しているのかわからないが、マクドゥーガルの涙ぐんだ声を聞くと、それ以上何も言えなかった。
本当はいち早くここから出たかったのだが、平静を失った状態のマクドゥーガルを箒に乗せる方が危ないだろう。マクドゥーガルが落ち着くまで、隣でしばらく待っていた。
やがてマクドゥーガルが鼻を啜る音が聞こえなくなると、彼は充血した瞳でザックを見やった。
「お前いつから気付いてたんだ」
「何が」
「とぼけるなよ。僕が浮遊魔法使えないこと前から知ってたんだろ? じゃなきゃ僕の箒に触れておいて、あの反応の薄さは説明がつかない」
「あー……」
あまり触れられたくないことだろうと思っていたので、言うつもりはなかった。しかし、そこまで言われたら、誤魔化すのも妙かと思い、ザックは若干の気まずさを滲ませながらも正直に言った。
「一年の時から」
マクドゥーガルの瞳が大きく開かれたのを見て、ザックは慌てて補足する。
「言っとくけど、不審に思ったのが一年の時ってだけで、最初から全部知ってたわけじゃない。タネに気付いたのはさっき箒を触った時だ」
「……そんな前から、どうやって気付いたんだ」
正直言いづらい。
しかし、じっと正面から見据えられれば逃げ場はない。観念して、口を開く。
「一年の時、一番飛行姿勢が綺麗だったのがお前だった。だから、よく観察してたんだ。参考にするために」
浮遊魔法の呪文の発音、魔力の流し方、箒の跨がり方、マクドゥーガルの一挙一動を彼にバレないようにチラチラ見ていたわけである。自分をバカにする人間を参考にするなんて屈辱的だったのだが、背に腹は代えられないし、プライドで飯は食えない。
そして、観察を続けていくうち、ある違和感に気付いた。
「対物に魔法を使う場合、普通は何かしらの反動があるはずなんだ。たとえば浮遊魔法の場合、魔力が箒に漲ると、少しだけ振動を感じる。魔力の注ぎ方が上手いとその振動を極力減らすことはできるけど、まったくゼロにすることはできない。あのオルコットでさえも、だ。それなのにお前が浮遊魔法を使った時はその反動が全くないから、不自然だった。だから、少なくとも普通の浮遊魔法では飛んでないんだろうな、とは思っていた。箒に仕込みがあることは気付いていなかったよ。そんな特殊な箒、一般流通してないし」
言うと、マクドゥーガルの顔がみるみるうちに青ざめていく。
「それ、他の奴も……」
続く言葉はなかったが、マクドゥーガルが何を気にしているかは察しがついた。
「俺が気がついたのは、俺が落ちこぼれで、勉強のために他の人の魔法の挙動を見る癖があったからだ。普通はそんな細かいところ意識して見ないし、気が付かないと思う」
嫌いな奴をつぶさに観察し続けた異常者であることを打ち明けるのは正直気まずいので、言いたくはなかったがこの期に及んで隠し通しても仕方がない。
「あの箒ってやっぱり、特注品なのか?」
「……浮遊魔法の補助機能のついた箒はまだ開発途中だから、市場には出回ってない。入学の時に、父上が僕のために特別に用意した」
「ふぅん」
マクドゥーガルの身内は飛行関係の魔法道具を販売している会社を運営している。うちうちに開発をした箒であれば、誰にも怪しまれずに持ち込みも可能だったのかもしれない。
「……ゼノ・ウィンターには俺が浮遊魔法を使えないこと言ったのか?」
唐突な問いかけだった。ザックは、マクドゥーガルの意図が読めずに眉を寄せた。
「は? なんでゼノに言うんだよ」
「じゃああの優等生ぶったシェリル・オルコットには告げ口をしたか? くすくす嘲笑していたクラスメイトには?」
「それこそ言う理由ないだろ」
「俺は……お前のこと馬鹿にしてたのに?」
「お前が俺のことを馬鹿にしてたから、俺が報復としてお前が浮遊魔法使えないって周囲に言いふらすって? 阿呆らしい。お前が浮遊魔法が苦手なことと、俺がお前への態度を変えることとに何の関連性があるんだよ」
言うと、マクドゥーガルは決まりが悪そうに俯いた。
なにはともあれ、マクドゥーガルは見つかったし、手当も一区切りついた。あとはとっとと魔界から出るだけだ。今の所魔界の穴は見えないので、魔界の穴を探すことから始めることになるが、足を怪我したマクドゥーガルを長い時間連れ回すわけにはいかない。その上、いつ魔物が近づいてくるか分からない状態ではゼノのような戦力なしで地上を歩くのは危険だ。秋口にゼノと魔界に落ちた時は、魔界の穴が見つかってから浮遊魔法で地上に上がったが、今回は魔界の穴を探す段階から箒で移動する方がいいだろう。
「跨がれるか?」
「あぁ」
浮遊魔法をかけた箒にザックが跨がると、マクドゥーガルもその後ろに腰掛けた。
とん、と地面を蹴って足を離すと、魔法の力で箒はぐんぐんと高度を上げていく。普段よりも重量が増したせいで、安定性を保つのが難しい。上下に揺れながら天井近くを目指す。
「下手くそ」
「二人乗りは初めてなんだよ」
「二人乗りじゃなくてもお前は下手だ」
「うるさいな」
飛行術に関してはギリギリ及第点を貰えている身である。返す言葉がない。
ゆらゆら不安定ながら上空へと向かっていく最中、後ろから軽く背を叩かれた。「いいか、よく聞け」とマクドゥーガルが言う。
「お前は箒を握り込む力が強すぎる。一度魔力を込めたらあとは力むな。波に乗るように身体を箒に委ねろ。それから魔力の注入は呼吸と同じリズムで行え。……さっきよりはマシになる」
「へ?」
アドバイス、だろうか。あのマクドゥーガルが? 怪訝に思ったが、下手したら自らも巻き込まれて墜落しかねないとなれば、いくら彼とて少しは協力するかと思い直す。
言われてみれば、墜落への恐怖が強いせいか、箒に乗っている時はいつも全身ガチガチになるくらい力んでいる。
この緊張状態で脱力するというのは難しいが、意識して肩の力を抜こうとする。手は箒の柄に添えるだけ。背筋を伸ばして、視野を高く持つ。
最初は、箒との距離を感じて少し怖かった。それゆえについ前のめりになると、マクドゥーガルが「姿勢!」と檄を飛ばす。
やがて、箒の推進に安定感が生まれ始めた。上下の揺れが少なくなったことで、スピードも乗るようになった。
「お、おぉ……」
思わず感嘆の声が漏れた。先ほどの飛行とは快適さが雲泥の差だ。
今までのザックの飛行は常に緊張と隣り合わせだった。柄を握る手には汗が滲み、呼吸は浅く、姿勢は前のめり。風を切る心地よさを感じる余裕もなかった。
飛ぶというのはこんなにも気持ちがよく、心がわくわくするのか。ザックにとって初めての体験だった。
欲を言えば、ここが空のない地下ではなく、青い空の下であれば、よかったのだが。
「すごいな、マクドゥーガル! こんな安定して飛行できたのは生まれて初めてだ!」
誰に教えてもらったよりも、彼のアドバイスは抜群に効いた。感動のあまり、声が弾む。
マクドゥーガルは、「そうか」とぽつりと呟いた。
「飛行術に関する本はたくさん読んだんだ。……僕にはあまり意味がなかったけど」
そう言い放ったマクドゥーガルはどんな表情をしていたのだろうか。振り返らなかったが、なんとなく想像はついた。
マクドゥーガルが今味わっている感情は、きっと自分にも覚えがあるものだった。
血が滲むほどの努力。その努力が実らない無力感。周囲の人間が簡単にそれができてしまった時の嫉妬心。
「分かるよ」
そう言うと、後ろで息を呑んだ気配がした。
きっとマクドゥーガルは、ザックの共感なんて要らない。名家の息子と、孤児では同じにされたところで屈辱に感じるだけだろう。それでも、勝手に口から溢れたのだから仕方がない。
同じにするなと癇癪を起こされるかと思ったが、意外にもマクドゥーガルは静かだった。静かなまま、ぼそりと呟いた。
「今まで悪かった」
咄嗟に言葉が出てこなかった。それは、あのマクドゥーガルに自分の言動を悪く思って、謝る機能があったことに驚いたというのもあるが、「今まで」を謝られたことにより、「今まで」を思い出したからでもある。自らの不出来を嘲られて、その度惨めな思いをした苦い記憶である。
「僕より才能がなくて、恵まれてない奴は僕より不幸じゃなきゃ許せなかったんだ。だから、その、色々と馬鹿にするようなことを言って悪かったよ」
謝罪にしては引っかかる部分はあるが、否定しきれない事実ではあるのでそこは一旦流すことにする。
肝要なのはあのマクドゥーガルが謝罪をしたという事実だろう。
当たり前だが、マクドゥーガルからの謝罪なんて予期していなかった為、返答なんて持ち合わせていない。なんと返そうか悩んで、暫く無言になってしまった。
今までとこれからを考えて、声になったのは数分ほど後のことだった。
「お前のことは性格が悪いクソ野郎だとは思ってるけど、そんなに傷付いていないし、気にしていない。耳が痛いけど、大体は事実だしな。でも、今更謝られて許すつもりもない」
今となってはマクドゥーガルの言葉一つで心は波立たない。もう怒ったり悲しんだりする閾値はとうに超えてしまった。多少苛立ちはするものの、簡単に流せる。
それでも、最初からそんなに達観していたわけではない。彼の暴言にいちいち傷付いていた少年の頃の自分は確かにいて、その時の自分が許せないと言うから、素直にマクドゥーガルの謝罪を受け入れることはできない。
「……分かってる」
悔いているような声だった。
高慢な態度が常であるマクドゥーガルからしおらしい声が発せられるなんて、ぶつくさ皮肉られるよりもよっぽど調子が狂いそうだ。箒の操縦に集中力を割いているせいで、振り返って彼がどんな表情を浮かべているかも分からないのが、余計に気になった。
「でも、お前が謝罪したことは覚えておくよ。そのうち許してもいいと思えたら、許すこともあるかもしれない」
ティーブレイクのついでに、あるいは晴天を見上げて感動したタイミングで、あるいは自分が死ぬ直前に、マクドゥーガルの謝罪を思い出すことがあるだろう。その時に気が向けば、マクドゥーガルから受けた非礼を許そうと思う。下手したら一生許さないかもしれないけれど、彼から受けた仕打ちを思えば、そのくらいの受け取り方でいいだろう。
「……そうか」
噛み締めるような相槌が後ろから聞こえてきた。それきり、マクドゥーガルは黙りこくっていた。
まさかマクドゥーガルから謝罪を受ける日が来るなんておもいもしなかった。人生、何が起こるかわからないものだ。
次回は7/20(月)更新!




