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勇者の数字  作者: 竹津りょう
第3章 ヴィンセント・マクドゥーガルの悲憤
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3-5 ヴィンセント・マクドゥーガル


 ヴィンセント・マクドゥーガルにとって、一年に二度ある長期休暇ほど億劫な時期はなかった。首都の実家に帰ったとしても、自分の帰還を喜ぶ人物は誰もいない。いてもいなくても変わらない存在として扱われる。透明人間のように過ごすだけの虚しい期間だ。

 今年のウィンターホリデーは実家に帰らず、寮で過ごすと決めた理由も家族との不和による部分が大きい。広い屋敷で多くの使用人がいたって一人ぼっちなら、最初から一人を選んだ方が寂しさが紛れる気がした。


 それでも、何があっても実家に帰らないと言えるほど、強い意志を持っていたわけではない。父親か、母親か、あるいは同じく帰省しているだろう二人の兄から一度でも「顔くらい見せに帰ってこい」と言われたら、きっと自分は先の宣言を覆して実家に帰っていたことだろう。むしろ、それを切望していたまである。

 しかし、現実は非情で、母から「好きにしなさい」の一言だけ手紙で返ってきただけで、ザックが焦がれた言葉は誰からも貰えなかった。


 今となっては実家で腫れ物扱いされているヴィンセントとて、生まれた時から祝福を受けなかったわけではない。まだ言葉も覚束ない幼児の頃は、溺愛とまでは言わないまでもほどほどに愛されていた記憶が僅かに残っている。徐々に周囲が持っている期待と自分の才能が釣り合わなくなり、期待を裏切った先にあったのが失望と無関心だったというだけだ。

 ヴィンセントは生まれた時から体が貧弱で、魔法の才能も二人の優秀な兄と比べてチンケな物だった。特にマクドゥーガルの専門魔法領域である飛行術が苦手だったのが、父には許しがたかったのだろう。飛行術の基礎となる浮遊魔法が一向に上達しない三男坊に失望して、ヴィンセントがエレメンタリースクールに入学する頃にはすっかり興味を失っていた。母は初めの頃は熱心に魔法を教えてくれたが、やはり彼女も途中で匙を投げた。ヴィンセントはいないものとして、三男の分の愛情は二人の兄へと割り振られた。


 そんな出来損ないだったから、本来はこの学園への入学資格すらなかった。たまたま欠員が出たということで、繰り上げ合格となっただけだった。その知らせを聞いて喜び勇んで補欠合格の通知を父に伝えると、彼は表情一つ変えずに「手間をかけさせるな」とだけ呟いた。

 そこで、父が裏で手を回しただろうことを悟った。マクドゥーガル家の三男が、名門魔法学園に入れないことは父にとっては看過できない恥らしい。

 マクドゥーガルの家紋は翼を意匠に組み込んである。それだけ飛行術にプライドを持っている。飛べない魔法使いは人間ですらない。それがマクドゥーガル家の常識だった。


 寮に居残った経緯が経緯なだけに、ホリデー中は鬱屈とした気分に支配されていた。そこに気に食わない同級生二人組と遭遇し、さらには気に食わない同級生の片方と誕生日が同じだと言われて、苛立ちが抑えきれなかった。それは気に食わない同級生ことザック・ウィンターと共通点があることすら許せなかった、というわけではない。孤児である彼ですら自分の誕生日を祝ってくれるような存在が隣にいることが許せなかったというのが真相だ。

 何故なら、ヴィンセントの誕生日はあの日の一ヶ月以上前だったからだ。

 家に仕える執事伝いに、ウィンターホリデーにプレゼントが届くと伝えられた時は呆然とした。両親はヴィンセントの誕生日を忘れていたのか。それとも間違って覚えていたのか。

 どちらにせよ子供の誕生日ですら、まともに覚えていない両親だということに違いはない。

 こうなると最早プレゼントが来たことすらも僥倖だった。二人の兄に突っぱねられた物の処分先だったかもしれないが。



■■■■■



 暗い。痛い。熱い。苦しい。


 深淵で揺蕩っていたヴィンセントの意識が浅瀬まで浮上してきて、身体の異常をこれでもかと伝えてくる。依然瞼は重く、暗闇に身を委ねていると、視覚以外の感覚が研ぎ澄まされていく。頭は金槌で打たれたかのようにガンガン痛むし、足は熱を持ってズキズキ痛む。


 こうなった理由はわかっている。突如として出現した魔界の穴、あれに動揺して箒を手放したのが全ての失敗だった。

 あの箒は浮遊魔法が使えないヴィンセントにとっての生命線だ。あれがなければ、ヴィンセントは飛ぶことができない。


 墜落の瞬間は風魔法で浮き上がることで事なきを得たが、問題は脱出だった。

 周囲は皆浮遊魔法を使って穴から脱出している。自分も早く脱出しなければ、と杖を構えて、ふとあることに気付いてしまったのだ。

 穴から出るだけなら簡単だ。風魔法でも、跳躍魔法でも、ここから這い出ることができるだろう。

 しかし、皆が浮遊魔法で浮上している中、一人だけ別の魔法を使っていたら皆にどう思われるだろう。しかも学年でも浮遊魔法は得意とされているこの自分が、である。

 一度の違和感は遅効性の毒となって思考を冒し、いつか決定的な疑念を生むだろう。そうなってしまえば、この五年の苦労が水の泡だ。そうなると、浮遊魔法で戻るしかない。


 ──できる。僕はできる。


 息を深く吸う。瘴気混じりの苦くて重い空気が肺に溜まる。

 杖を握る右手は震えている。震えが止まらない右手の手首を、もう一方の手で押さえて、杖先を自身に向けて呪文を唱えた。


浮け(イェ・サルータ)


 杖に注いだ魔力が変質して、魔法に変わる。浮遊魔法はヴィンセントを包み込み、浸透し、浮力をもたらす。

 ヴィンセントの身体が僅かに持ち上がった。たった数センチだが、靴先は地面から離れた。

 ほんの少しの浮上だというのに、心まで浮き上がるようだった。達成感により、地下深くに減り込んでいた自信が僅かに回復する。──できる、僕はできるんだ。


 浮遊魔法は一度かけたら終わりではない。常に魔法を保ち続ける集中力とコントロールが必要になる。ゆっくり時間をかけながら、1メートルほど浮いた。

 上を見る。天井は遠い。それでも着実な一歩ならぬ一浮きだ。


 脱出へ向けて自身に活を入れたその時、頭上に影がかかった。見れば、悠々と上空を目指す同級生の姿だ。箒に跨がってぐんぐん上昇していく同級生のうちの一人は、ヴィンセントが魔法の才能を馬鹿にし続けた男だった。彼でさえ、箒があれば危うげなく上っていけるのだ。

 それなのに学年でもトップクラスの飛行魔法の使い手が、箒なしでは後輩にも劣るような浮遊しかできない。それを見て、誰かは疑問に思うだろう。いつもの鮮やかな飛行術はどうしたのだろうと。

 浮遊魔法を使わず地上に戻ったら疑念を抱かれる。そう思って浮遊魔法を使ったが、この拙さでは、使わない方がましなくらいだ。

 拙い浮遊魔法で戻ってきたヴィンセントを、下手くそだとクラスメイトたちが嘲笑する未来が脳裏によぎる。


 ──僕は学園(ここ)でまで、出来ないやつと思われるのか。

 不安が胸を巣食い、魔力のコントロールが乱れた。途端、ぐらりと体勢が崩れる。


「あっ」


 か細い悲鳴が喉から漏れた。全身を包む浮遊の力は消え、重力に従って地面へと引き寄せられる。

 地面まではたった1メートル、されど1メートルの高さだ。無防備な体が打ち付けられて、無傷ですむほどの高さではない。そして、唐突な落下に受け身をとれるほどの時間はなかった。

 あたりどころが悪く、固い地面に頭を打った。その瞬間、ヴィンセントの意識は途切れた。


 意識が戻るまでどれだけの時間を要したのか分からない。数分か数十分かあるいは数時間か。なにせ、閉ざした視界では時計を見ることもできない。今わかることは固い地面の上で自分は倒れているということだけ。全身を鈍い痛みが苛んでいる。着地の際、当たりどころが悪かったのだろう。すぐに手足を動かせない。それどころか、瞼を開けるのさえ億劫だった。

 それに、痛みをおしてまで頑張らなくてはいけない理由なんてない。このまま暗い闇の中に取り込まれたって、誰も気にしないだろう。


 ふと、もう随分長い間父に名前を呼ばれていないな、と思い出す。視線すら向けられていない。たとえ失望の眼差しであっても、無関心よりましだ。


「お父様、僕を見て」幼少期のヴィンセントが泣き喘いでいる。


「名前を呼んで」少年のヴィンセントが切実に訴えている、


 今の自分は、父を前にして、何を求めるのだろう。


「──セント」


 暗闇の中、遠くから声が聞こえる。男の声だ。


「──ヴィンセント」


 徐々に近付いてくる声は切実さを帯びている。こんなにも必死に名前を呼ばれたことはない気がする。

 耳で捉えられる声の輪郭はぼやけていて、声の主はまだ分からない。けれど、父親だったら嬉しいなと思った。

 なにせ、咄嗟に父親の声を思い出せるほど彼と会話した記憶がないのである。

 お父様、まだヴィンセントは貴方かどうか分からないのです。不出来な息子で申し訳ありません。だから、もう一度、僕の名前を呼んでくださいませんか。次はきっとあなたの期待に応えますから。聴覚に意識を向けて、全身全霊で耳を澄ませる。


「──ヴィンセント・マクドゥーガル!! しっかりしろ!」


 ──今一番聞きたくない男の声で、暗闇から意識が無理やり掘り起こされた。


キャラの過去編を書くのが一番好きまであります。


次回は7/16(木)更新!

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