1-1 夢物語
――魔物たちを従えた魔王による人間界大侵攻が始まってから五十年。アンドレア王国は暗黒の時代を迎えていた。
最前線に立つ王国兵は、魔王に捻り殺され、無力な国民は魔物に甚振られる。人々は、街や村の周囲を塀や壁で囲い、魔物たちの侵入を防ごうとしたが、凶暴なドラゴンの前では塀も壁も一瞬で瓦礫の山だ。そうなるともう、人々に打つ手はない。
噛み殺され、踏み殺され、斬り殺され、焼き殺され、叩き殺された。
魔物たちに見つかってしまったらもう、生き残る目は残されていなかった。さればこそ、多くの国民は山の中、森の中に隠れ、魔物達に見つからないよう息を潜めて、ひっそりと暮らしていた。
しかし、どれだけ巧妙に隠れていても、人間達の居所を魔物は嗅ぎつけて、襲ってくるのだった。
森の中に隠れていたある村も、どこからか現れた魔物に見つかってしまい、滅びの運命にあった。
圧倒的な魔物たちの強さに村の誰もが諦め、滅びの運命を受け入れようとした。
そこに現れたのが一人の青年だった。長い金髪を携え、強き意志を碧眼に宿した彼は、聖剣で魔物を切り伏せ、瞬く間に村の危機を救った。
彼こそ後の救国の英雄レイモンド・オズバーン。レイモンドは闇を裂く光で、夜を断つ朝で、絶望を打ち砕く希望だった。
『勇者レイモンド・オズバーン物語』第一章より
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ザックは昔から本を読むのが好きな子供だった。娯楽の少ない孤児院では、大抵の子供達は暇を持て余して外遊びに興じている。外で遊ぶのも嫌いではないけれど、どちらかというとザックはインドア派で、一人で図書室に引き籠もっている方が向いている性分だった。
本を読んでいる時だけは、「恵まれない子供」として他人の同情心を煽る存在であることを忘れられる。冒険活劇であれば物語の主人公になったかのような万能感を得られ、学問の本は未知の世界への探究心を擽られる。孤児院の図書室はあまり充実していないとはいえ、十になる頃には図書室の蔵書を全て読み尽くすほど、ザックは本の虫だった。孤児院の運営費は飲食物や日用雑貨に優先的に充てられるため、図書室の棚に新顔が増えることは稀で、それゆえに一冊の本を反芻するように何度も読み返した。その中でも特に、ページの角が擦り切れるまで繰り返し読んだ本がある。
それは勇者一行が魔王を倒し、この国に平和を齎した話だ。実話を元にしているが、大げさなフィクションも盛り込められていて、子供の冒険心を大いにくすぐり、読み始めればたちまち物語の世界に魅了された。
それを夢中になって読んでいると、大抵ゼノが図書室にひょっこり顔を出す。ゼノはザックが読んでいる本に興味を示すが、ゼノ自身は文字を読むのが苦手なので、自分からは読もうとしない。なのでザックは、ゼノも楽しめるように彼が来たときは読み聞かせをしてやっていた。
ゼノ、というのは孤児院に後から入所した弟分だ。弟分と言っても、実の弟ではないし、歳差があるわけではない。しかし、どこかぼうとして頼りなさげなので、施設の先輩としてザックはよく世話を焼いていた。
「勇者レイモンドってかっこいいよなぁ。いつか魔王が復活しても倒せるように、勇者くらい強くなりたいな」
本を読み終わって嘆息すると、ゼノはしっくり来てなさそうな顔で「ザックは勇者になりたいの?」と尋ねてきた。
「そりゃあそうだろ。かっこいいもん」
魔王の封印から既に千年が経った。千年続いた平和が覆される気配は今のところない。平和ボケしている大人達は、千年の封印の間に魔王は弱りきってしまったのだと言う。だから魔王の復活なんて夢にも思っていないようだったが、ザックからすると彼らは危機感が足りないと思う。今日平和だったからと言って明日も平和である保証はない。魔王の復活は、いずれ必ず来る決定事項だと思って、備えた方が良いに決まっている。
「じゃあ、俺も勇者を目指そうかな」
ザックがくどくど勇者の素晴らしさを語って聞かせると、先ほどまでしっくりきてなさそうなゼノがそう言った。ゼノも勇者の魅力を分かってくれたのだと思い、嬉しくなった。
「いいじゃん! でも、勇者は一人しかなれないから競争だな」
「え、なんで一人しかなれないの?」
純粋な問いかけに、ザックは言葉を詰まらせた。
理由なんて考えたことがなかった。勇者が出てくるどの本にも、二人以上の勇者は登場しなかった。魔王討伐を担った勇者一行の挿絵はいつも勇者と、剣士と、魔法使いと、賢者と鍵師の五人だった。だから、勇者は選ばれし一人だけがなれる特別な称号だと思っていた。
「なんでって、そういうもんなんだよ」
自分でもうまく説明ができない。押し切るような言い方で言うと、ゼノは肩を落とした。
「そっか、一人しかなれないんだ……。ザックと一緒になれたら良かったのに」
残念そうに俯くゼノを見て、気の毒に思えてきた。
ゼノは内向的な性格で、施設の他の子供と馴染めていない。ザックに置いてけぼりにされるのが不安なのかもしれない。
みるからに落ち込んでいる様子のゼノが不憫に思えて、彼の背中を励ますように叩いた。
「まぁ、もし俺が勇者になったら、お前は仲間として採用してやるから心配するな」
ゼノは背丈が高く、運動神経がいい。勇者一行には勇者の親友である剣士がいたことだし、ゼノも彼と同じようにいい相棒となるはずだ。
すると、ゼノの顔がぱっと明るくなった。
「じゃあ俺が勇者になった時には、ザックもついてきてくれる?」
「当たり前だろ!」
に、と笑って返すとゼノも嬉しそうに微笑んだ。
――いつか、こんな会話を交わしたのを覚えている。
学園に通う少し前だっただろうか。あれから随分月日が経って、自分は十六になった。勇者になりたいなんて夢物語すら吐けないくらいに、今のザックの前には辛辣な現実が立ちはだかっていた。




