2-7 怪物の正体
怪物は、目の前の人間を見て、首を傾げる。本来なら自分とそう変わらない体長の人間を、高い視野から見下ろすのは奇妙な感覚だった。
呆然としているオルコットの横を通り過ぎ、男子生徒の前に立つ。彼らは自分の正体がなにか、なんて見当もついていないだろう。
大きく息を吸い込んで、喉を震わした。
「ギャウスギャギャギャッギャア!!」
とても生物から出るとは思えないような甲高い音が、深秋の冷たい空気に轟く。
得体の知れない化け物を目の当たりにした男子生徒たちが後ずさりをする。それを見て、内心で快哉を叫ぶ。作戦は今のところうまくいっているようだ。
未知とは、謎とは、無限の恐怖だ。分からないということは、目に見える刃や銃弾よりも頭を鈍らせ、体を硬直させる。立ち向かうという選択肢が脳裏に浮かばないほどに。
「まもっ……魔物は森の外には出られない! 早く外に逃げるぞ!」
男子生徒の一人が叫ぶ。
そう、森の周辺には障壁が張られている。魔界開口領域から魔物を逃さないようにする措置だ。彼の言う通り森から出さえすれば、魔物に襲われることはない。
しかし、それこそがこちらの思惑だ。立ち塞がることはせず、彼らが森から逃げ出すのを見送る。そして、自分も彼らを追うように森を出た。
「ここまで来ればもう安心……って、な、なんで森の外まで追いかけてくるんだ」
「魔物は出てこられないはずだろ!?」
森から出て、すっかり安心したのか。少年たちは、地面に尻をつけて、油断しきっていたようだ。そんなところに、自分が現れたのだから、咄嗟に立ち上がることもできず、這い這いの体で逃げていく。
森から出られる理由は単純なことだ。だって、自分は魔物ではないのだから。
情けない姿で三々五々散っていく男子たちを見て、ほくそ笑む。あとは、彼がなんとかしてくれるという確信があった。
遠く、人の目では届かないほどの場所から一筋の光が飛んでくる。その光は流星のごとき軌道を描いて、やがてこちらへと近づいてきていた。冷え冷えとした光を放つそれは、寸分の乱れもなく見事に男子の一人を捉えた。
「うぐっ、」
流星を思わせる軌道で飛んできた形なき光線は、彼の頭を貫いた。直撃するやいなや、男子生徒は目を上向きにして、泡を吹いて倒れた。
瞬く間の出来事だった。
「えっ!? お、おい! どうした!? なにがあった!?」
隣の仲間が気絶していることに気づいた男子生徒が、倒れた生徒の元に駆け寄る。
こうなってしまえばこちらの思う壺だ。弓手に背を向けてしまえば、二の矢に気づくこともできない。
継いで放たれた光の矢は、二人目の男子生徒に直撃した。先に倒れていた男子に重なるように、二人目も泡を吹いて倒れ込む。
常人の視力では捉えられないだろうが、森の外、二キロ以上離れた寮の屋上には弓手がいる。
計画を打ち明けた時、森の外にさえ追い立ててくれれば、障害物がないからある程度の距離からでも撃ち抜けると言った「彼」は確かに正しかったようだ。
「あ……、あ……、い、いぇ……、っっ、防げ!」
もう一人はぎりぎり魔法を使う余裕が残っていたようだ。浅い呼吸ながら、自身を三百六十度取り囲むように障壁魔法を展開した。彼を守るための透明な壁が出現する。
実際、一撃は防げた。矢が障壁に当たると、やや障壁にヒビが入ったが、障壁が割れることはなく、少年の身には届かなかった。
「は、はは。なめやがって……。これくらい、来る場所さえわかれば、なんてことな、」
どこかにか、誰かにか煽るようにつぶやいた、少年の体が突然固まった。
視線の先、自分に向かい来る何かを認識して、顔をこわばらせた。
「え、」
次に飛来してきたのは矢、どころではない。たとえるなら、隕石。鋭い光が束となって、塊となって、こちらに向かってきている。早さも範囲も、先ほどと比べものにならない巨大な飛来物だ。
「い、防げ!!!!」
少年は、先ほどの障壁魔法に、障壁魔法を重ねがけする。今度はさらに分厚く、強固な障壁だ。
しかしながら、その巨大な流星は、彼の努力をあざ笑うように、紙をぶち抜くようりたやすく、障壁を割って、少年を貫いた。
少年は目を剥いて倒れた。
これだけ巨大な魔法が直撃しても、失神魔法である限り、直接的な怪我はないと思うのだが、しばらくはなにかしらの後遺症は残りそうだ。さすがに容赦がないと顔が引きつる。
あたりをキョロキョロと見渡す。倒れているのは三人。もう一人、いるはずなのだが、森の外には姿は見えない。
一度、来た道を戻って捜索すると、自分が現れた場所からほぼ変わらない場所で最後の一人が見つかった。
森に取り残された最後の一人は、茶髪の男で、集団の中ではリーダー格だったと思うのだが、もはや腰が抜けて動けないような有様だった。なんなら少しアンモニア臭がする。
なんにせよ、あとはこいつを気絶させれば、俺たちの勝ちだ。
この様子なら、威勢よく脅せば、這い這いの体で森から逃げていくだろう。――その見込みは果たして、甘かった。
森に戻ってきて自身に近づきつつある怪物を見て、彼はガクガクと震えていた。そして迫り来る脅威に対し逃げるか、立ち向かうかを逡巡したのち、後者を選んだらしい。焦りと恐怖で何度か杖を取り落としながらも、最終的には両手で杖を構えた。
「は、は、は、はは、爆ぜ、は、ははは爆ぜろ」
声を震わせながら唱えつつある呪文を聞いて、げ、と顔が引き攣る。
つっかえた発音のせいで、杖が呪文を認識できていないようだが、彼が詠唱しようとしている呪文はミア・ロタティマレ。これは爆破魔法の詠唱である。当然だが、人を相手に使う魔法ではない。目の前の生き物が人間だと思っていないだろうから仕方ない部分ではあるが。
動揺した四年生の爆破魔法に人を殺せるほどの威力が出るとは思わないが、防御無しで無傷でいられるというわけではない。
障壁魔法を使えば、弾くことは出来るが、「この状態」では、別の魔法を使えない。それが出来るほど、自分は器用ではない。
しかし避けるには対象が広範囲すぎて、時間が足らない。無理やり森から押し出して、彼になんとかしてもらうしかない。
破れかぶれに、突進を決意したその時だった。
「失神せよ」
冬の凍てる空気を震わす凜然とした声は。声に気付いて振り返るより先に、魔法の光線が自らの側を横切った。突進よりもよっぽどはやく、四年男子に辿り着き、直撃した。
少年は白目を剥き、口から泡を吹き、背中からばたりと倒れる。
失神魔法だ。屋上から魔法の矢を放っていた彼も、この魔法を付与していた。
声の方を振り返る。いつの間に杖を拾い上げていたのだろう。オルコットが発動光の残る杖を構えて立っていた。
「首を突っ込まないでください、と申し上げたはずですが。――ザック・ウィンター」
「……バレてたか」
魔法を解く。自分を包んでいた膜が弾けて、元の身体を取り戻す。一介の男子学生であるザック・ウィンターの姿に。




