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勇者の数字  作者: 竹津りょう
第2章 シェリル・オルコットの秘密
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2-6 シェリル・オルコットの秘密

注意 未遂ですが、モブが性加害を行おうとするシーンがあります。


 ──もう何年も、歯が折れた櫛で髪をとかしている。


 鏡台の前で髪をまとめるたび、シェリル・オルコットは憂鬱な気持ちになる。どれだけ外で「名家の令嬢」として振る舞ったとしても、否応なく自分の立場を思い知らされるからだ。斜陽の一族の娘という自分を。


 教科書に名前が載るほどの名家が今となっては凋落の一途をたどっている。財産は枯れ、過去の栄光だけで家の斜陽を隠している。

 魔法使いの家は面子が全てだ。一度、弱いとみなされてしまったら、瞬く間に他の家に食い散らかされてしまう。だからこそ、家計が苦しい中でも父は本邸を手放すことはしなかったし、使用人の解雇もしなかった。経済的に困窮している様を他人に見せるわけにはいかない。そのかわり、家の中の骨董品は少しずつ姿を消したし、食事のクオリティは日に日に下がった。張りぼての豪邸でシェリルは育てられてきた。


 そんな家庭の経済状況をよく知っていたから、シェリルは幼い頃から何も欲しがらなかった。ただ、家の再興を目指して勉学に励んできた。

 家の経済状況を思えば、本来はこの学園に通うのも躊躇われた。いくら国立とはいえ、六年間魔法教育を受けるというのは、金銭的に容易なことではない。


 シェリルの成績なら、奨学金の対象になるだろうが、その申請をする選択肢は元よりなかった。奨学金は憐れな庶民の為のものだという暗黙の了解が学園内にはある。名門魔法使いに属する自分がその資格を奪い取ってしまったら、オルコット家は端金さえ払うのが惜しい吝嗇家だと軽蔑の対象となるだろう。また、オルコット家の財産状況さえ、把握されかねない。国立の授業費さえはらうのが苦しいほど普段は見窄らしい暮らしをしているのかと疑われてしまう。それは実際のところ事実ではあるのだが、事実だからこそ少しの疑義も許してはならなかった。一度疑いの眼差しで見られてしまえば、その印象を覆すことはできない。

 家の経済状況を隠し通すことは最優先。しかし、シェリルは少しでも家計の負担にならないようにしたかった。家を支えたかった。



 「それ」は家計を少しでも助けるために始めた金策だった。

 名門魔法使い一族が、本業以外で金を稼いでいると周囲に知れたら、それこそ今まで父が隠し通していた苦労が水の泡だ。だからこそ、絶対に誰にもシェリルが働いているとバレないように細心の注意を払ってきた。シェリル・オルコットではありえない姿で、シェリル・オルコットでは有り得ない言動で、周囲の目を欺いてきた。

 四年も演じてくれば、こなれてくる。偽りの姿さえ、自分の一側面のように思えてきた。最早こちらの姿でいる方が、自然体のように振る舞えている気がする。そう思うほどに馴染んでしまったから――油断した。


「──ってオルコット先輩なんだ?」


 ある日のこと、後輩の男子が決定的な写真とともに核心を突いた一言が突き付けてきて、シェリルを愕然とさせた。

 言い逃れのできない状態で、シェリルの秘密を暴かれた。そうなると、シェリル・オルコットとは遠い姿でいたことがウィークポイントとなる。盾が矛となって自分に刃を向けた。

 確信を深めた男子生徒は、にやりとタチの悪い笑みを浮かべて、声を潜めた。


「バラされたくなかったら、今日の夜、話をしましょう」


 それが、すべての始まりだった。




 秘密を握られたあの日から、シェリルは後輩の男子生徒たちに脅されて、いいように使われている。課題の代行から魔法薬の素材の採取、挙げ句に貴重な魔法道具の譲渡まで。

 いくら下級生の単元とはいえ、四人分の課題を不自然がないようにこなすのは大変苦労のいることだった。筆跡を変え、答えに辿り着くまでの過程を変え、参考文献も変えた。時間がみるみるうちに削られていく。本来やっていたことまでできなくなり、少しずつ神経はすり減り、余裕がなくなっていくのを感じる。


 それでも、このまま彼らの言いなりになっていても状況はなにも改善しない。怯えているような顔をしてはダメだ。毅然と立ち向かわなければならない。

 ──だって、私はオルコット家の跡取り、シェリル・オルコットなのだから。



■■■■■



 シェリルは後輩男子たちとの約束の日、強い覚悟をもって、魔湧の森へと向かった。──次こそ、次こそは彼らの支配から解放されなければ。

 先日は、クラスメイトに尾行を許す失態を犯してしまったが、同じような失敗を繰り返すわけにはいかない。さいわいにも、シェリルの秘密は彼らにばれていないようだが、あの場に立ち会わせればいつ彼らがシェリルの秘密に触れるか分からない。森へ向かう道中は、普段に増して周囲への警戒を強めた。


 少しもおびえている様子を見せないように、表情を引き締めて、背筋を伸ばす。そうして待ち合わせ場所に向かうと、いつも通り意地の悪い笑みを浮かべた男たちが待ち構えていた。

 シェリルは男たちに言われて、近づく前に杖を地面に捨てると、早速先週指示された課題を男たちに渡した。


「どうも。さすがオルコット先輩、仕事が速くて助かります」


 シェリルから受け取ったノートブックをパラパラとめくって検分し、問題がないと判断したのだろう。バックにそれらをしまう。その代わりに、また別の書物を取り出してきた。


「それじゃ、次の仕事なんですが」


 シェリルは男の言葉を遮るように口を開けた。


「これ以上私が貴方がたに提供できるものはありません。課題の代行もいずれは露見します。本学の教授が気付かないはずがない。それはあなたがたにとってもリスクがある行為です。……あの件に対する口止め料はもう充分でしょう」


 毅然とした態度で、言い放つ。

 本当は、こうやって刃向かうのは怖い。

 生まれたときから人より劣る部分がなく、誰かに恥じるような生き方をしてこなかった。だから、自分の弱みに付け入れられるというのも初めての経験だった。それがこうも拠り辺がなく、心細いなんて知らなかった。それでも、負けるわけにはいかない。下を向きたくなる気持ちを抑え、心を奮い立たせて、彼らをまっすぐ見る。

 グループの中心らしき茶髪の男が顔をしかめた。この様子を見るとまだまだシェリルを利用する気だったようだ。


「そんなこと言ったって……」


 声を荒立てたそのとき、取り巻きらしき男が茶髪の男の肩を宥めるようにた叩いた。そして、耳元でぼそぼそとささやく。

 なにやらシェリルに聞こえないくらいの小声で話しあっているようだ。会話の合間合間で、シェリルの全身をなめ回すように見ているのをねちっこい視線から感じて、ぞわり、と寒気がする。

 ややもして、話がまとまったのだろう。茶髪の男は、下卑た笑みを浮かべながらシェリルと目を合わせた。 


「確かに、いくらオルコット先輩でも四人分の代行はボロが出てもおかしくないですね」


 彼の言うとおり連日の徹夜で、シェリルの身体にはすでに限界がきている。このまま続けていれば、無理がたたって、体を壊しかねない。いや、それだけですめばまだましだ。授業についていけず、課題の代行もばれ、家の名を汚すことだってありえる。


「でも、それができないなら他の何かを提供してもらわなきゃ」


「申し上げたでしょう。もう提供できるものはない、と」


 代行の労力を割いた。わずかながら持っていた貴重品のうち、家紋がついていないものはすべて手放した。

 シェリルができることは全てやったつもりだ。彼らはこれ以上なにを望むというのか。


「そうかなー? まだ先輩にできることってあると思うんですけど」


 男らが、にたりとした笑みを浮かべてにじり寄る。底知れぬ不気味さを感じて、無意識に一歩下がってしまった。


「オルコット先輩って美人ですよね」


「え……?」


 突拍子のない一言を耳にして、身体が固まった。


「俺たち、先輩のことずっと前から気になってて。……ねぇ、少し相手してくれませんか? 痛くはしませんから」


 その言葉が何を意図して発されたのか。それが分からないほど世俗のことに疎くはない。ぞっと、血の気が引いた。

 オルコット家の一人娘として、自分はいずれ家を継ぐ。どこの馬の骨とも知れない男に身を捧げるだなんて許してはならない。そんなことは、「シェリル・オルコット」として許されない。

 躊躇うシェリルに対して、男達は下品な笑みを深めながら、距離を詰める。


「嫌ならいいんですよ。貴方が誰にも知られたくない秘密を校内にばらまくだけだ」


 しかし、あの秘密を暴露されるのも駄目だ。それは、オルコット家の存続にさえ関わる問題だ。家族や使用人にも迷惑をかける。


 どちらを選んでも、それを弱みにさらに強請られるだけの袋小路。

 それでも選ばなければならなかった。シェリル・オルコットであるために、正しい選択を。


 逃げたい。──それは、シェリル・オルコットに許されない行為だ。

 泣きたい。──それは、シェリル・オルコットに許されない行為だ。

 シェリル・オルコットは誰よりも毅然と、いつでも凜然と立っていなければならないのだから。


 夜の暗がりよりも更に深い色で、目の前がまっくらに染まっていく。出口のない闇に取り残されて、手が震える。


 ──誰か、助けて。

 オルコットではないシェリルが、心の中で小さく叫んだ──その時だった。


 背後の茂みから、がさりと物音がした。

 自分の頭上に影がかかる。見上げて、思わず飛び出しそうになった悲鳴とともに息を呑んだ。

 自分よりも遙かに背の高い「なにか」。人ではない、見知った動物でもない。「なにか」としか言いようがない奇妙な巨体が、自分を見下ろしていたのである。


 雪男を彷彿とさせる巨体に赤茶の体毛を生やして、毛の奥に隠れた無数のグレーの瞳が一斉にこちらを見つめている。頭部には、巻き角が二本。腕らしき場所の尖端には、鋭い爪が生えている。シェリルの知識でも、見覚えのない異形であった。

 それを見て慄いたのは、シェリルだけではなかった。


「ま、魔物……!?」


「なんだ、この、気色悪い生き物は……!?」


 男たちが目を見開きながら震えている。慌てて杖を構えようとするも、焦りのあまり何人かは杖を手からこぼした。


「お、お前が呼んだのか……!?」


「わ、私は知りません!」 


 矛先がオルコットに向けられて、慌てて首をぶんぶんと振る。そもそも杖が取り上げられているというのに、どうやってタイミング良くこんな怪物を呼び出せるというのか。


「ギャウスギャギャギャッギャア!!」


 どこから声が出ているのかもわからない。釘でガラスを引っ掻くような叫び声が音波となって、空気を震わせる。

 魔物か? いやこんな奇怪な姿を持つ魔物は、どんな教本にだっていなかった。悪夢が形をなしたかのような怪物だ。新種の生物かなにかか?


 正直、足がすくんだ。この世のものならざる異形を見たら誰だって怖じ気付くだろう。しかし、恐ろしいという感情はやがて霧散した。シェリルは、シェリルだけはその生き物の正体に気付いたからだ。


「あの時」見たのと全く同じではない。「あの時」は脚が多くて、角は付いていなくて、体は一回り小さかった。

 しかし、「あの時」と同じだと心で知っていた。既知の生物のどれとも似ても似つかない独創的な異形は見たことがないのに、既視感があった。だからシェリルはもう、少しも怖くなかった。



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