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勇者の数字  作者: 竹津りょう
第2章 シェリル・オルコットの秘密
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2-5 もふもふの不在


 しんしんと雪が降っている。フードまである厚い外套を貫くほどの寒さは、刺すような痛みさえ感じる。

 ザックは寒さに耐えながら、雪降る夜の街を歩いていた。夜闇の中では、月光に照らされた雪が、先行く道の灯りのように思える。

 立ち止まることは許されないかのように、追い立てられているかのように一歩一歩前へと進む。

 どうして、足場の悪い雪の中、自分は歩いているのだろう。自分はどこへと向かっているのだろう。それすら分からないのに、ザックは歩みを止めない。いや、止められない。


 ふかふかとした雪の感触をブーツの底で感じながら、懐かしい気持ちになる。

 学園のある東部では、滅多に雪が降らない。寒冷地の孤児院にいた頃は冬になるとしょっちゅう雪遊びをしていたものだが、今となっては雪の冷たさをすっかり忘れてしまっていた。


 歩いていくうち、朧げに男の背中が見えた。男の背中には薄いシャツ一枚が雪に濡れて肌にぴったりと張り付いている。こんな厳寒の地で、外套もなしのシャツ一枚で立ち尽くしているなんて、正気の沙汰ではない。思わず顔が険しくなる。

 目を凝らして、男を見る。黒黒とした髪に、すらりとした立ち姿。顔は見られないが、見覚えのある容貌に首を傾げる。


「ゼノ?」


 ゼノだと確信を持つ材料があったわけではないが、声に出してみると彼以外いないだろうという根拠のない自信を抱く。 


「そんな格好で何しているんだよ。凍死するぞ」


 慌てて駆け寄ったが、男の反応はない。もしやゼノではなかったのだろうか、と不安に思うと、目の前の男は振り向かないままにこう言った。


「ザックは嘘つきだ」


 ゼノの声だ。ひどく冷たく、失望したような声だった。

 その言葉を聞いて、血管に氷水が流し込まれたかのように急激に体が冷えていく。


「……なんのことだよ」


 振り返ったゼノの顔にはドラゴンのような鱗が浮かび上がっている。そのことに気づいて息を呑むと、ゼノは悲しげに笑った。

 ぐにゃりと彼の美しい顔が歪んでいく。頭部から突起のようなものが現れ、みるみるうちに皮膚を突き破った。背中からは羽が、頭部からは角が、皮膚には鱗が現れ、次第に彼は人ならざる姿へと変貌していく。


 情けないことに、ゼノの変身を目の当たりにしてもザックは声が出なかった。

 なんの意味もなく、手が前に出る。手を差し伸べるでもなく、人外の彼を介錯するでもない。中途半端な内心を表しているような手は、ゼノに届かない。


「魔王にさせないって言ったくせに」


 そう言ってザックを見る緑の瞳は、昏い光を湛えていた。



■■■■■



 と、いう夢を見たわけだ。まったく縁起でもない夢である。

 起きた時は、生きた心地がしなかった。起き抜けでゼノの部屋に飛び込んで、寝ぼけ眼のゼノの身体に異変がないことが確認できたところで、ようやく息をつけた。


 それでも今日一日は気が気でなかった。その落ち着きのなさは側から見ても分かる様で、放課後になって購買部に訪れると、シトウから心配されたほどだった。

 なにせオルコットと四年生たちのやり取りを見てからもう五日が経つ。妙案が浮かばないストレスと不安が悪夢を呼んだのかもしれない。

 このままだと、あの夢の中のゼノがオルコットに変わることだってある。できれば、あの森自体に足を踏み入れさせたくないが、それが難しいようであれば、次の機会を最後にさせなければならない。


 客の少ない購買部で、カウンターに肘をつきながらもの思いに耽る。

 考えても妙案が出ないので、頭がパンクする前に他のことを考えることにする。主題は魔王の復活の方法について、だ。


 今は第五水晶値、つまり魔王への適性を持つ人間を作らない方向性で動いている。しかし、魔王の復活のロジックさえ分かれば、復活を阻止することも可能かもしれない。であれば第五水晶値なんて気にする必要もない。


 まず基本に立ち返ろう。そもそも、本当に魔王は生きた人間を器にして、復活することがあるのだろうか。

 既に肉体を失った魂が受肉する方法として有名なものが死霊魔術だ。新鮮かつ五体満足な死体があることが前提条件になるが、本来の魂と肉体の結びつきを書き換えることで、別の魂を死体に入れて、疑似的な復活が可能になる。

 ここで重要なのは、生きた肉体ではそれができないということだ。なぜなら死霊魔術の原則は、一魂一器。つまり一つの肉体に一つの魂しか入らない。

 魂の総量は人によって異なり、厳密に言うと肉体における魂の許容量は一個半くらいはあるそうなのだが、それを加味しても二人分の魂を受け入れるのは不可能だ。

 その為、魔王の封印が解けて、魔王の魂が生きた人間に取り憑いた時点で、受け入れ可能な魂の量が超過する。

 魂を器に収めるためには、既存の魂を削ったり、押し出したり、と手間がかかる。そして無防備な魂同士の衝突は、片方だけが一方的に負けるということは考えられない。いくら強靭な魔王でも、ある程度の魂の損傷は覚悟する必要があると。


 それならなぜ、魔王は復活の器として生きた人間しか選ばないのだろうか。賢者の第五水晶値が高いものを処分するという言葉が本当だとすると、死んだ後の器は魔王にはならない。死霊操術の原則からすると死んだ肉体を選んだ方が手っ取り早いし、理屈に合っているというのに。

 それとも、魔王の魂は死霊魔術の原則に当てはまらない何かしらの秘密がある、とか。


「……わけがわからなくなってきたな」


 死霊操術はそも、理論の学びは許可されているものの、実践のほとんどは禁止されている分野だ。あたりまえだが、死んだ人間を蘇らせるなんて人倫に悖る。大学まで進学しないと、まず詳しいことは学べないし、学んだとしても魔法史の一助として知るくらいのことにしか使えない。


 もしかしたら博識なオルターなら、詳しいことを知っているかもしれない。

 勢いのまま、「オルタ-」と呼びかけようとして気付く。あの購買部のアイドルが今日は不在だということに。


「シトウ! オルターは今日いないのか?」


 呼びかけると、奥の調合室から声だけ返ってきた。


「暫く休むってさ。風邪なんだと」


「それはまた……珍しい」


 ザックが購買部のアルバイトを始めてからオルターがいない日はなかった。いつでもちゃきちゃき働く購買部屈指の働き者がいないとなると心配だ。

 お見舞いに行こうにも、オルターがどこに住んでいるか分からない。そもそも住所どころか、年齢も、アルバイトを始めた経緯も知らない。オルターは昔から自分のことを深く語りたがらない、謎多きモモンガだった。


「いつから体調崩してたんだろ。知らなかったな。あいつ、一匹でなんでもかんでも抱え込みそうだから心配だな」


 この四年間で相談事を受けたことすらない。ザックは幾度となくオルターに悩みを打ち明けてきたというのに。


「それを言うならお前もな」


 頭上に影がかかると同時、シトウの声が近くなった。見上げると、作業が一段落したらしいシトウがザックを覗き込んでいた。


「やけにマイナーな本を読んでいたり、突発的にバイトを休んだり、最近のお前少し変だぞ。学生なんだからバイトなんて二の次、三の次でいいが、なんか思い詰めてんなら、相談しろよ。頼りねぇかもしれんが、年長の功で助言くらいはできる」


 大きな手がポンと頭に置かれた。先ほどまで魔法薬を煎じていたせいか、薬草臭さがつんと鼻につく。


「……どうも」


 孤児院を出てからというもの、大人から心配されることがなかったので、照れくさいようなむず痒いような心地がして、声が小さくなる。

 それにしても、オルターのことは心配だ。四年間、彼には助けられてきた。オルターに相談すると、的を射たアドバイスをくれるし、そうでなくても話しているだけで考えがまとまってすっきりする。優れた魔法使いでありながら、知識量も膨大で、ザックの頼れる相棒だった。そんな彼が風邪を引いて苦しんでいるというのに、何もできないのはどうにも歯がゆい。

 先月だって変身魔法の特訓に長い時間付き合ってもらった。色々な出来事がありすぎて、変身魔法の特訓をした日が遠い昔のように感じるけれど。


「あ」


 唐突に、あるアイデアが閃いた。


「俺が俺でなければ、いいのか」


 ぐっ、と拳を握りしめる。うまくいくかは分からない。だが、試してみる価値はある。ひょっとしたらオルコットの件の解決の糸筋につながるかもしれない。

 この閃きもオルターのおかげだ。オルターが帰ってきたらお礼を言わなければ。

 ひとつ胸のつっかえがとれて晴れ晴れした顔のザックと対照的に、隣のシトウは引き攣った顔をしていた。


「その……色々悩むことも多いかもしれないが……お前にも、お前の良さがあるから、そんな自分を卑下しなくてもいいんだぞ」


「……え? 何の話?」


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