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勇者の数字  作者: 竹津りょう
第2章 シェリル・オルコットの秘密
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2-3 深夜の密談


 オルコットが寮から出るのを魔法で感じ取ったゼノは、自室から屋根に上がって彼女の動向を確認していたらしい。スレート葺きの屋根は傾斜があって、普通に立つのも難しそうだが、バランス感覚と筋力だけでザックの部屋まで移動したらしい。人間離れした身体能力である。


 再びゼノは窓枠を掴んで屋上に戻ったが、貧弱なザックは魔法の力に頼って、屋上に上ることにした。

 屋上から落ちないようにと気をつけながら、眼下の景色からオルコットの姿を探す。

 寮の先は暫く平坦な道が続き、これといった遮蔽物もなく、開豁(かいかつ)としている。身を隠すような茂みもないので、足跡を見失うことはないはずなのだが、森へ向かうルートを見ても、人影一つ見つからない。


「どこだ?」


「あそこ。透明魔法をかけているから見えにくいけど、景色が微かに揺らいでる」


 ゼノが指差した場所を見る。なんの変哲もない無人の校庭だ。しかし、目を凝らすと時折、真夏の陽炎のように景色が揺らいでいるような箇所があることに気付く。

 透明魔法は完全に自分の姿を透かすわけではない。周囲の風景と自分を馴染ませることで、自分をいないものとする。カメレオンの擬態に近い魔法だ。触れることもできるし、動くと景色とのズレが起きやすい。


「追いかける?」


 こんな夜中に女子が一人、出歩くなんて不審だ。特に、彼女が魔湧の森に立ち入るようなら放ってはおけない。


「もちろん」


「オーケー」


 言うと、ゼノが屋上からひょいと飛び降りる。真っ直ぐ落下して──音もなく着地したのを見届けた。ちなみにこの寮は六階建てだ。

 普通この高さでは、強靭な足腰があったとしても無傷で着地はできないので、着地の直前に風魔法を使って落下の衝撃を和らげたのだろう。そう推測はつくのだが、それにしては魔法を使うまでの予備動作も、魔法を使った後の浮き上がりも見えなかった。着地の直前に風魔法を使ったのだろう。繊細な魔法捌きである。ザックにそんな芸当はできないので、最初から風魔法を使って、緩やかに着地する。


「追跡するなら俺たちも透明魔法を使った方が良いな」


「そうだね」


 ゼノが杖を構えた。


透明に(イェ・ルーンア)なれ(・トゥルーク)


 彼が杖を一振りすると、ゼノの1メートル四方が透明化の対象になった。

 複数人で行動する際は、個々で透明魔法をかけると相手の行動が見えなくなってしまうので、一人がまとめてかけるのがセオリーだ。名誉の為に言うが、決してザックが苦手だからゼノにやらせたわけではない。


 近すぎず遠すぎない距離でオルコットを追ってしばらくすると、ゼノは「足跡」とぼそり呟いた。

 なんのことかと首を傾げると、ゼノは言葉を続ける。


「オルコットはどうやって、足跡を付けずに森に向かっているんだろう」


 少し先を行く揺らぎ。彼女の辿ったであろう道を見つめてみたが、足跡らしきものは見つからない。足跡を消している、というより足跡そのものができる気配がない。透明魔法を使ったとて、実体を消すことはできないので、これまた魔法の効果だろう。よほど彼女は自分の行動を人にばらしたくないらしい。


 足跡を消す、なんてピンポイントな魔法はザックの知る限り存在しないので、それが実現できそうな魔法がないか、脳内で魔法辞書を手繰る。


「超低空での浮遊魔法で地面に足をつけないとか、地面への硬化魔法によって跡がつかないようにしたとかそのあたりじゃないか?」


「あぁなるほど」


 少しの間の後ザックが出した回答に、感心したようにゼノが相槌を返す。

 多種多様な魔法を習得していても、それを実践に活かせなければ意味がない。求める結果に応じて最適な魔法を選んで行使できるのが、優秀な魔法使いの証明である。加えて、繊細なコントロールが必要な魔法の同時使用もそつがない。それを考えると、やはりオルコットは飛び抜けて優秀な魔法使いだった。


「俺たちも足跡を隠した方がいいかな」


 そう言って、ゼノが杖を構えたので、慌ててザックが制止する。


「ぶっつけ本番で失敗するくらいならやる方がリスクだ。深夜で目立たないし、俺たちを尾行するような奴らもいるとは思えないし、必要ないだろ」


「それもそうか」


 納得したゼノが杖を下ろす。そのことに安心する一方で、こいつはきっと一発で成功しそうだなとぼんやり思った。確信に似た予想があってもゼノを止めたのは、自分はゼノが失敗して尾行がオルコットに露見することを恐れたのではなく、目の前で彼の天才性を見せつけられることを無意識に厭ったのかもしれない。だとしたら、自分の器の小ささが嫌になる。


 隣に聞こえないように小さく溜め息をつくと、ゼノがもう一度「足跡」と言った。彼の視線の先は、オルコットの足元でもなく、自分たちの足元でもない。別の方向から森へと続く複数人の足跡を見ていた。



■■■■■■



 オルコットを尾行し始めて、大体三十分くらい経っただろうか。オルコットの目的地は予想した通り、魔湧の森だったようで、立ち入り禁止のロープが張られている少し手前で透明魔法を解除して、姿を現した。彼女の後を追ってザックたちも森へと足を踏み入れる。やっていることは先ほどと変わらないはずなのに、魔力の揺らぎを追いかけるのと比べて、実際のオルコットを認識したうえで尾行するのは、罪悪感が増す。


 初めのうちは、緊張で心臓がばくばく鳴っていた。いくら事情があったとしても、学園のマドンナをつけ回す行為は世間的に容認されまい。もしも、クラスの誰かに知られでもしたら、変態ストーカーの誹りはまず免れないだろう。いや、校内での評判ががた落ちするだけならまだマシな方だ。なにせ相手は建国と共に歴史を紡いできた、名門魔法使い一家の一人娘である。そんな彼女に害を与えるような虫けらなど、一瞬で踏み潰されるに違いない。

 いつ彼女に尾行がばれるだろうかとそんな心持ちで戦々恐々と彼女の後を追っていったが、どこまでついていっても、彼女が後ろを振りかえる事はなかった。次第に緊張は薄れ、むしろオルコットに気付かれないことの方が不安に感じてきた。


 なにせ目の前のオルコットの後ろ姿ときたら、肩は落ち、背は丸く、とぼとぼとした歩き方だ。普段の彼女とは別人のようだった。オルコットの歩き姿はいつだって、自信に満ちあふれている。胸を張り、背を伸ばし、毅然とした様子で闊歩している。


 彼女らしくない様子に先日からの違和感が濃くなっていく。そして、その違和感の答えと対面するまでに、森に入ってそう時間はかからなかった。


「センパイ。遅いですよ」


 少し開けた場所に待ち構えていたのは、クスクスと笑う四人の男子生徒。ネクタイの色は白。つまり一学年下の四年生だ。

 知った顔だろうか、と脳内を探るも購買部で何度か見かけた記憶が蘇った程度で名前までは出てこなかった。ゼノにも問いかけるように視線を投げたが、彼は肩をすくめるだけだった。見覚えはないらしい。

 大人数いるとなると誰か一人くらいには、尾行を感づかれてもおかしくない。念のため、近くの茂みに身を隠して、様子をうかがうことにする。


「申し訳ありません」


 オルコットが目を伏せて言った。美しい琥珀の瞳が隠れてしまった。


「あ、こっち近付く前に杖、捨ててくださいね。五年生の首席様が本気出したら俺たちなんて一瞬ですもんね、怖い怖い」


 諦めたような顔でオルコットは胸元の杖を、地面に落とした。 杖、というのは魔法使いにとって、最も重要な魔法道具である。杖と同じような役割を果たす魔法道具はないわけではないが、取り扱いが難しいか、あるいは一部の魔法の使用に制限される。それを考えると、魔法使いの最大の武器を奪われるというのは丸裸でハンズアップしてるも同然。無防備そのものの姿である。


「どうする? 割って入った方がいいかな?」


 ゼノに耳打ちされて、悩む。只事ではない様子なのは既に察している。しかし、現時点ではオルコットに危害を加えられているわけではない。オルコットを庇い、後輩たちを糾弾する理由としては弱い。暗い顔のオルコットに罪悪感を覚えながら、「……いや、まだだ。余計な手出しはするな。様子を窺おう」とゼノに囁き返す。


 ゼノが頷いたと同時、オルコットは手に持っていた鞄から四冊のノートを取り出した。


「約束の提出物です。テーマと筆跡は変えてあります」


 目を凝らして見えたタイトルと、オルコットの言及からして、何らかの魔術論文に対して持論を述べる類のレポートだろう。四年生の課題の中では、時間と労力がかかるうえ、評価への影響力も高い。昨年のゼノもひいひい言っていたので、手伝ってやった記憶がある。


 課題の代行のように思えるが、不正への関与なんて清廉潔白なオルコットらしくない。

 ノートを受け取った生徒はペラペラとノートを捲って確認した後、笑みを深めた。


「さすが、首席生徒」


「次は一週間後に。錬金術の課題があるので、よろしくお願いしますね」


 男子生徒達が口々に言うのを聞いて、オルコットは俯いた。


「その、私はこのようなことをいつまで続ければいいのでしょうか」


 そう訊ねるオルコットの声は暗い。やはりこの取り引きはオルコットの本意ではないようだ。

 男子学生たちは、オルコットの言葉を聞いて粘ついた笑みを浮かべた。


「別にいつやめてもいいんですよ、俺たちは」


「そうそう。やめたいなら、もう来なくて良いですよ」


 あまりにもあっさりとした引き際に嫌な予感がした。それはオルコットも同じだったようで、自分の要望が通ったにもかかわらず、依然不安そうだった。


「その代わり、うっかりあなたの大切な秘密をバラしてしまうかも知れませんが」


 続いた言葉で、一瞬でオルコットの顔が青ざめた。――なるほど、これか。


「あのオルコット家のご令嬢が、『あんなこと』をしているなんて校内で知れたら、貴方だけでなく、家の評判も落ちるでしょうが、それで構わないならお好きにどうぞ」


 それができないと分かっている者の煽り方だ。詳しい事情は分からないザックでさえ、不快に感じる。


「やります」


 オルコットは俯いたまま、つぶやいた。

 その様子を見て、男子生徒の一人が嘲るように笑った。


「そうだよなぁ! 誰にもばらされたくないよな。あのシェリル・オルコットがあんな姿で――」


 これ以上は聞いてはいけない、そう思うのと同時、咄嗟に口が動いた。


雨よ(イェ・ルーンア)降れ(・ウェルウィジー)


 できる限り声を潜めて、呪文を唱えた。

 バケツをひっくり返したような豪雨が一瞬でザックたちを濡らした。もちろん、降雨範囲はザックとゼノだけでなく、近くにいたオルコットや四年生が立っている場所も含まれている。


「うわっ!」


「雨!?」


「予報なんかなかったぞ!?」


 ドドドドと滝のような雨音に紛れて、男子生徒たちの動揺の声が聞こえる。

 驟雨に慌てふためいている彼らを見て、胸を撫で下ろす。降雨魔法は、四年生であれば既に習得しているはずだが、彼らの様子を見ている限りでは、この驟雨が魔法によるものだとは気付いていなさそうだ。


「それじゃあ、次は一週間後にお願いしますよ!」と言い捨てて、男子生徒たちは走り去っていく。


 雨音に隠れて「よかったの?」とゼノが訊ねてくる。

 ゼノに手出しはするな、と言った手前、ばつが悪かったが、咄嗟に口が動いてしまったので、仕方がない。この先は自分たちが耳にするべきではない、と思った。


 彼らが立ち去ってからしばらくして、ザックは降雨の魔法を解除する。

 森の中、残されたのはオルコット一人だ。

 美しい栗色の髪が水分含んで顔に張り付いている。長い睫毛に水滴が溜まり、瞬きのたびに頬を伝う。まるで涙を流しているかのように見えて、どきりとする。


 雨に濡れても、彼女の美貌が陰ることは無い。宝石が泥に塗れていても、宝石の価値が落ちることはないように。

 しかし、どこか痛ましい。それはきっと雨に打たれたからだけではないだろう。


 ややもして杖を拾い上げたオルコットは、手首だけ回して杖を振る。思案顔で「……雨」とだけぽつりと呟いた。オルコットは、自身の髪を伝うしずくを見つめている。そして、ぶつぶつと何事かを唱えていた。


「雲のない空。予兆のない局所的かつ一時的な降雨。微かに魔力を帯びた水滴。雨が降ったにも関わらず湿度の大幅な変化はなし」


 僅かに聞き取れた言葉は魔法による降雨の特徴だった。

 まずい。そう思った時には既に遅かった。


「――いるのですね」


 目が、合った。琥珀の瞳が冷たい眼差しで透明魔法の壁の先を見ている。

 気付いてるはずがない──と現実逃避する時間はない。すでにオルコットの杖が自分たちの方を向き、魔法発動の予兆となる燐光が周囲を舞っていた。


捕縛せよ(ミア・ラルガルーン)!」


防げ(イェ・アルト・レーン)!」


 ザックの前にずいと歩み出たゼノが、瞬時に障壁魔法を張る。光の縄が蛇のように向かいくるのを、魔法障壁が弾いた。


 しかし、透明魔法は完全に割れた。

 今オルコットの目の前で、びしょ濡れのネズミが二人、何もない場所から姿を現した。

 オルコットは透明魔法が割れて、ザックたちを目の当たりにしても驚きはしなかった。しかし、眉が寄せられ、美しい顔が苦渋の顔に歪んだ。


「――やはり、あなた方でしたか」



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