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勇者の数字  作者: 竹津りょう
間章 ゼノ・ウィンターの絶望
18/24

1.5-2 魔王になる条件


 ザックは終業後、寮に戻ると、自分の部屋ではなく、ゼノの部屋に一目散に向かった。

 ゼノの部屋の前に立って中の様子を探るが、在室している気配がない。普通は物音なり、ドアの隙間から室内灯が漏れるなりするものだが、そういった人の気配が一切しないのである。

 ちらと不在の可能性が頭を掠めたが、ザックにはゼノがここにいるという奇妙な確信があった。幼馴染みの勘というやつかもしれない。


「ゼノ、いるんだろ? 入っていいか?」


 ノックと共に声をかけてみたが、返答はない。

 ドアノブに手をかけると、容易に回った。鍵はかかっていないようだった。


「……入るからな」


 少し悩んだが、そのまま扉を開けて、身体を滑り込ませた。いいとは言われなかったが、駄目とも言われなかった。無言は肯定と見なす。


 部屋の中は、ただただ暗かった。天井から吊られたランプシェードは明かりの役目を果たさず、室内を飾るだけのオブジェと成り果てている。

 窓に浮かぶ星混じりの夜景が、部屋の中を夜色に染める。唯一の光源は、机の上の燭台だ。

 そして、壁にぴったりと寄せられたベッドの上には、大きな塊。それは、ベッドの上で、蝋燭の炎をぼうとした顔で見つめていた。


「ゼノ」


 呼び掛けると、大きな塊――ゼノは、ザックの方を向く。無断の侵入者に驚いている様子はない。ただ、彼のグリーンアイは虚な色を帯びていた。


「……いるなら返事くらいしろよ」


 それに対する返事はなく、ゼノは視線を下に落とした。


「ザック、俺は……魔王になりたくない」


 ゼノの声は掠れていた。血色も悪い。それは今日に限った話ではなく、ここ数日ずっとそうだった。授業にはかろうじて出ていたが、まったく集中できておらず、講義の内容を右から左へと聞き流しているだけのようだった。ちなみに、茫然自失としていても魔法の実践は成功させてしまうのだから、天性の才能は恐ろしい。


「人を引き裂いても、踏み潰しても、ちぎり捨てても、何とも思わないような、簡単に人を害せるような生き物になりたくない」


 ゼノが挙げたのは、かつて魔王が行った悪行の数々だ。ザックが幼い頃、何度も読み聞かせをした本の中で、魔王が人間をどうやって虐殺したか、事細かに記載があった。


「お前はそうはならないだろ」


 ゼノは昔から暴力や暴言とは無縁の人間だ。そんな男が、残虐性の獣に堕ちるなんて想像もつかなかった。


「……分からない。昔から俺の心には、黒いモヤモヤがあった。今までそれが何かは分からなかったけど、今思うとこれが魔王の素質なのかもしれない」


 ゼノは、自分の右手をしばらく眺めて、それから胸のあたりをグッと押さえた。


「あの日、ザックと魔界の穴に落ちて魔王の魂に呼ばれた時、黒いモヤモヤが心の中に広がって、早く地上に戻らないといけないって分かっていても、どこからか俺を呼ぶ声に逆らえなかった。行きたいとか行かなきゃ、というより、行く以外の選択肢が頭に浮かんでこなかった。また、同じことが起こる気がする。今は落ち着いてるけど、次は心ごと飲まれて、とんでもないことをしてしまうんじゃないかと思って、怖い」


 最後、ゼノの声が少し震えていた。

 ゼノの大きな手が、剣胼胝が何度も潰れて硬くなった逞しい手が、胸から少しずつ上に上っていって、やがてゼノ自身の首に緩く添えられた。


「……そうなる前に俺は」


 冷たい戦慄が背筋を走って、ゼノの腕を掴む。


「バカなこと考えるなよ」


「しないよ、今は」


 物悲しげにゼノは微笑んだ。


「馬鹿みたいだよな。俺が、俺なんかが勇者になろうだなんて少しでも考えてたなんて」


 自嘲する声を聞いて、ザックはハッとした。

 俺なんか。ザックが胸中で自分に繰り返し言い聞かせた言葉だった。それをゼノの声で再生されるのは奇妙な感覚だった。


 努力が結果に繋がらないことと、努力が無駄になること、どちらが空しいかなんて天秤にかけることはできない。だって、ザックにはできる人間の気持ちがわからない。ご馳走を目の前にしてゴミ箱に捨てられる人間の気持ちは、ご馳走に辿り着くことすらできない人間には理解できない。

 それでも、圧倒的な才能が羨ましくて、嫉妬さえ感じたゼノが自分と同じに自信を失って打ちひしがれている姿を見て、ちっとも嬉しいとは思えなかった。

 ザックはゼノの肩を掴む。俯くゼノの顔を上に向かせる。


「ゼノ。お前は魔王にならない。大丈夫だ」


 ゼノから不安を取り除こうと、力強く言ったが、ゼノは疑惑の目で見るだけだった。


「気休めの励ましは要らない」


 普段温厚なゼノにして刺々しさを感じる。毛を逆立てた狼のようだと思った。凶暴で、孤高で、痛ましい。


「気休めでこんなこと言わない。第五水晶値が上がる理由についてアテがついた。まだ仮説の段階だが、一考の余地がある。俺の仮説が正しければ、第五水晶値の上昇を抑えられる」


 険しい顔つきをしていたゼノの表情がほんの少しだけ、解けた。


「……ほんとうに?」


 縋るような、小さな声。どんな小さな希望にさえ寄りかかってしまいそうな危うさを感じる。だからこそ、ここでゼノの不安を取り除くことに失敗したら、二度と立ち上がれないんじゃないか、上を見上げることができないんじゃないか、と密かに焦燥を感じる。ザックは、心中の揺らぎを隠して、自信満々に振る舞ってみせた。 


「俺の仮説だと、瘴気を取り込んだ多寡と、第五水晶値に相関性があるはずだ。つまり、瘴気をこれ以上取り込まなければ第五水晶値は上がらない」


 半信半疑といった顔で見てくるゼノに、更に畳み掛ける。


「魔界の穴は言わずもがな、魔湧の森だってその外と比べたら薄ら瘴気が漂っている。そこに長い間通っていたんだろ? 俺も今まで第五水晶値がゼロだったっていうのに、このタイミングで急上昇したのを思うと、魔界の穴に落ちた出来事が無縁とは思えない。お前の第五水晶値が高いのは瘴気を人より吸い込んだからだ。お前が魔王に向いているからとかじゃない。……だから、今後お前が瘴気を吸わなければ魔王にならない。安心しろ」


 重ねて、大丈夫だと肩を叩く。彼を安心させるように力強く。――ザックの内心の不安は伏せて。 


「それをなんだ、魔王になるかもだなんて気にしすぎだよ。お前はそんな大それたことできるタイプじゃないだろ」


「……そうだね」


 ゼノの強張った顔がやっと解れたように、唇に笑みが浮かんだ。

 それを見て、ザックも安堵の息をつく。

 脳裏の黒い懸念には、今は目を逸らすことにした。


 ゼノには意図的に話さなかったことがある。恐らく第五水晶値の上昇は、瘴気を吸い込んだ量「だけ」では影響されないだろうということだ。


 ザックの第五水晶値はたしかに先月までゼロだった。しかし、瘴気を吸ったのは先月が初めてではない。今まで何度か瘴気を吸ったことがある。

 印象に強く残っているのは、二年生の時のこと。教授と六年生の引率ありで、魔湧の森を探検するという実習があった。その時だって、何度か魔物に遭遇した。その際教授がすぐさま討伐し、死んだ魔物が瘴気を放ったが、その時だってザックの第五水晶値は少しも上昇しなかったのだ。


 瘴気を吸うと第五水晶値が上がる。これはかなり当てにできる仮説だとは思う。しかし、瘴気を吸う以外に、第五水晶値が上がる条件があると踏んでいる。それを見逃していたら、きっといつか致命的な事故が発生するだろう。


 しかし、今それをゼノに言うことは躊躇われた。ただでさえ、焦燥している彼に追い詰めるような材料は渡すわけにはいかない。まずは、瘴気を吸った量と第五水晶値の相関関係を証明しなければ。


 ――大丈夫。俺が、ゼノを魔王にさせない。

 それが、勇者になれない自分にできる使命だろう。

次回から二章更新予定です。


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