第二話 苦だァ!
……暖かい。
手を掲げてみる。小さいな。ふふ、可愛らしい。
……お腹が減りました。
誰か、精進料理を─
「おぎゃあ!おぎゃあああ!!」
侍女が慌てて寝室へ入ってくる。
「おーよちよち、おなかすきましたねぇ。」
泣き喚く私を抱き上げ、哺乳瓶を口に入れる。
……なるほど、これが、苦か。
荘厳なる父、慈悲深き母、世話焼きな侍女、頼れる兄。
アミターナ様が仰る通り、ここには私を悲しませることは何も無かった。
「……パティ。この世はね、苦が多いんだよ。」
10歳の誕生日を迎えた僕は、隣に控える侍女のパティに微笑む。
「坊っちゃま、またそれですか?貴方がそうやって食事を拒否するから……」
パティの小言にそっと耳を塞ぐ。
「まあ!シド坊っちゃま!ちゃんと聞きなさいな、貴方のわがままで厨房が困ってるんですよ!」
パティは僕の皿にどんどんと料理を乗せる。
厚切りのローストビーフ。香ばしいシェパーズパイ。大ぶりなロブスター。
「沢山食べないと、大きくなりませんよ?お兄様のナディル殿下なんて、十四歳であんなご立派で……」
パティの方にずいっと皿を押し戻し、グリーンピースの皿を引き寄せ二、三粒取る。
「はい、食べたよ。ごちそうさまでした。」
「少ない!それだとご馳走にならないでしょうが!」
皿を覗いてわなわなと震えるパティを横目に椅子から飛び降りる。
「ふふ、『ごちそうさまでした』って言うのはね、作ってくれた方への感謝、頂いた生命への感謝なんだよ。」
「またその変な宗教ですか……。流行らせないでくださいね?王族としての責任というのが……」
パティの言葉は、きっとこの世界では当たり前の事なのだろう。
「……無常、かな。」
にこにこと微笑みパティの小言を聞いていると、バン!と食堂の扉が開かれた。
「シド!シドはいるか?」
扉の前に立つのは兄のナディル。
十四歳とは思えない背丈、健康的に焼けた肌、短く清潔に整えられた金髪は、汗が光っている。
鋭い眼差しは、普段は王族としての威厳を湛えているが、今は優しさで柔和に細められていた。
「シド!まだ飯を食っていたのか?食べ終わったら乗馬に行こう!」
爽やかに伸ばされる手に躊躇う。
「ああ、兄さん。乗馬は、馬への苦にはならないのだろうか。」
パティはまた始まった……と、顔を顰める。
「シド坊っちゃま!いい加減になさい、王族としての─」
「いい、いい。よせ、パティ。シド、お前は優しい子だよ。でもな、馬ってのは走るのが喜びなのさ!兄と馬を喜ばせに行こう!」
ナディルの勢いに飲まれて、渋々外へ向かう。
二頭の馬が佇んでいる。ナディルがいそいそと一頭に飛び乗る。
「ほら、シドも乗れ!」
急かされて僕も飛び乗る。瞬間、馬が駆け出した。
「うわぁ!!」
手綱を必死に掴み目を瞑る。
「苦だ!苦だ!!苦だァ!!」
「はは、シド、シド!目を開けろ!馬が怖がる!」
恐る恐る目を開けると、眼前には広がる野原。
風にそよぐ草木は、ドキリとするほど青い匂いがする。
「な?馬も嫌がってないだろ?」
ふと自分が跨る馬を見つめると、息を弾ませて落ち着かないように足踏みをしている。
「……分からないよ、僕は馬に話を聞けないんだから。」
ナディルは遠くを眺めて苦笑する。
「……そうか。まあ、いいんじゃないか?お前は考えすぎる。気楽に行こうぜ!」
頬を撫でる風に、僕はくしゃみをした。
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