20.好事、悪魔多し
そんな風に、日々気ままに好き勝手に、そしてとても幸せに過ごしていたある日のこと。突然、客人が私たちの屋敷を訪れてきた。
「ねえルクス、あなたが結婚しちゃったって本当なの!?」
そんな叫び声と共に、幼い少女が居間に飛び込んできた。ふわふわの赤毛が目を引く、とても可愛らしい子供。彼女は男爵家の一人娘なのだと、ルクスが教えてくれた。
お付きの者もつけずにたった一人で馬車に乗ってやってきた彼女は、あいさつもそこそこにルクスに駆け寄り、涙目で迫っている。
「ええ、そうですよティナ。彼女はアウロラ、僕の大切な妻です」
おっとりと答えるルクスの両手をつかんで、ティナと呼ばれた少女は彼の顔を見つめた。少し舌っ足らずな高い声で、必死に言い立てている。
「ひどい! あたしをお嫁さんにしてって、前から言ってたじゃない!」
「ええ、ですが僕には彼女しかいないんです」
「ひどいひどい! ウェルがそそのかしたんだって、あたし知ってるもん!」
「きっかけは確かに彼でしたが、今はそんなこととは関係なく、彼女のことを大切に思っているんですよ」
「だからって、天使の加護持ちをそばにおくとか、絶対駄目だってば!」
その言葉に、あ、と声を上げそうになる。ティナは、私とルクスが一緒になったきっかけがウェルだということを知っている。そして今彼女は、天使の加護という言葉を口にした。ということは。
「……ねえルクス、もしかして彼女は……」
「ええそうよ、あたしも悪魔。というかむかつくから、ルクスに話しかけないでよ」
私の問いに答えたのは、ティナのほうだった。彼女は幼い顔をしかめて、私に向き直る。
「リビ・ティナの名において命じるわ。黙ってなさい!」
一瞬、頬がむずむずした。でもそれだけだ。
「……ごめんなさい、効いてないのよ」
「腹立つ! うわーん、ルクス!」
なおも騒ぎながら、ティナはルクスに抱きついた。
会話から察するに、彼女はルクスのことが好きらしい。しかし彼女は、まだ幼い子供だった。そんな訳で、私も特に嫉妬することなく、そんな二人を見ていられた。
むしろ、彼女のことを可愛らしいなと思ってしまってすらいた。二人の親密な雰囲気は、どちらかというと年の離れた兄妹のようだったから。
「ウェルのやつ、あたしがずっとルクスのこと好きだって知ってたから、わざと他の女を連れてきたんだわ! ひどい! あの悪魔!」
確かにウェルは悪魔だけれど、と言いそうになって、口をつぐむ。ルクスは自分の腹のあたりにくっついているティナを見ながら、困ったように微笑んでいた。
「ティナ、僕と君は年も離れていますし、いずれ僕が他に妻を迎えるのは予想していたでしょう」
「十四歳しか離れてない! あたしはまだ七歳にもなってないけど、十年もしたら十七で、その時ルクスは三十一! ほら、ぴったりじゃないの」
頬をぷくりと膨らませて抗議していたティナが、くるりとこちらを見た。
「……ううん、それよりも。今はまず、あんたについて調べないとね。アウロラって言った? ちょっと顔貸して。ルクスはここで待っててね」
ぱっとルクスから離れて、ティナがつかつかと歩み寄ってくる。彼女は私の服の袖をひっつかむと、そのまま部屋を飛び出した。
廊下をまっすぐに、ティナは突き進む。小さな足をせっせと動かして、私の袖をしっかりとつかんだまま。
「あの、ティナ」
「なれなれしく名前を呼ばないでよ……って言いたいところだけど、仕方ないわね。特別に許してあげる」
「ありがとう。それで、あなたはどこに向かっているの?」
「二人きりで話ができるところよ。誰かに盗み聞きなんてされたら面倒だし」
「だったら、いい場所を知っているわ」
そう言うと、ティナはぴたりと足を止めた。それから私に向き直り、頭のてっぺんからつま先まで、じろじろと遠慮なく見つめている。品定めでもしているような、そんな目つきだ。
「……罠を仕掛けられるほど頭が回るようには見えない。どっちかというとお人よし、というか色々抜けてる感じ。ついでにあたしのことをただの子供だと思って甘く見てる気もする。うう、腹立つ」
そんなことをぶつぶつとつぶやいていたティナが、可愛らしく腕組みをして胸を張った。
「じゃ、そこまで案内なさい」
女王のように堂々と、ティナが命令する。うっかり微笑んでしまいそうになるのをごまかしながら、ひとつうなずいて歩きだした。
そうして私たちは、庭の芝生に座っていた。いつものようにクッションを積み上げて、それによりかかるようにして。
「……何これ」
「この芝生は、屋敷からも、周囲の森からも離れているから、誰も立ち聞きなんてできないわ。見晴らしがいいから、こっそり近づくのも難しいし」
「そうじゃなくて、この座り方。なんであたしたち、地べたに座ってるの?」
「ええと……」
考えながら、ひとつずつ説明していく。私の悪い噂を聞いて、ルクスが私を妻としたこと。私がたまたまルクスとウェルの正体を知り、ルクスが隠していた事情を知ったこと。そうしてルクスに協力すべく、進んで令嬢らしからぬ行いをしていること。
「……人間にしては、いい心がけじゃない」
一通り聞き終えたティナは、なんともいえない複雑な顔をしてそう答えた。
「で、そんな風変わりな格好をして、地べたでくつろいでいるって訳ね。これはこれで、ルクスの手柄に……なるのかしら」
七歳とは思えないほど、彼女の言葉からは高い知性が感じられる。彼女もまた悪魔のようだし、見た目で判断してはいけないのだろう。
「それに、私もルクスと一緒に色々なことをするのが、とても楽しいの。ほら、こうやって寝転がってみて」
むっつりと黙り込んだティナにそう言って、いつものようにごろりと寝転がる。ティナは青緑の目を真ん丸にしていたが、やがておそるおそる横たわった。
「青い空、草と土の香り、優しいそよ風。それらを全身で感じられて、とても素敵でしょう?」
「……まあ、そうと言えなくもないような……? 思ったより、悪くはないけど」
歯切れは悪かったものの、ティナの口調は少し和らいでいた。
「私は家を追い出されて、結果こんな楽しみを覚えてしまった。でもルクスは、こんな私を受け入れてくれた」
「それは、悪魔としての使命を果たすためでしょう。妻がへんてこなことをしているというのは、彼にとっては好都合だもの」
「そうね、それもあると思うわ。でも彼は、私がどれほどとっぴなことを言っても、いつも一緒にいてくれたの。芝生でのお昼寝も、風変わりな服での外出も、貴族が絶対にうろつかないようなところでの買い食いも、全部二人一緒に体験した」
ルクスと過ごした日々を思い出しながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。彼と共に過ごした時間は、決して長くない。けれどその時間は、今までの十九年の人生よりも、ずっと濃密で、温かいものだった。
「彼が私のことをどう思っているのか、本当のところはまだよく分からない。でも私は、彼に感謝しているの。こんな幸せをくれてありがとうって、いつも思っているわ」
ティナは何も言わない。彼女は私のすぐ近くに横たわったまま、微動だにしない。それでも、あと一言だけ、言っておきたいことがあった。
「だから私は、ルクスのそばにいたい。彼を支えて、彼にも幸せになってもらいたいの」
そのまま、二人そろって黙り込む。けれど不思議なくらいに、居心地の悪さは感じなかった。ティナと会ったのは今日が初めてで、しかも彼女は私のことを良く思っていないというのに。
「……ひとまず、今は引いてあげるわ。あんた、人間にしてはいい根性してるし。しばらくルクスを預けておいても、ぎりぎり、本当にぎりぎり許せそうな気がするし」
隣から、とても悔しげな声が聞こえてくる。それはとても小憎らしい口調だというのに、やはり微笑ましく思えてしまった。
「でも、あくまでも今だけよ。もうちょっとあたしが育ったら、その時は真っ向勝負を挑むから、覚えてなさい」
「ええ、分かったわ」
口元をほころばせて、短く答える。ティナは何やら考え込んでいるようだったが、やがてぽつりと言った。
「空って、広いのね。知らなかった」
幼いその声からは、こまっしゃくれた響きは消えていて、代わりにただ純粋な感動がにじんでいた。




