19.夢のような日常を
私たちの計画は、おおむね順調だった。私は自由きままに生きて、貴族たちの間に悪評が流れるように仕向ける。そうして私が堕落したと認められれば、ルクスは悪魔としての義務を果たせる。
先日のお出かけは大成功だった。私たちの新しい服をおひろめすることもできたし、平民たちの生活を知ることもできた。おまけに、地元の不良少年たちとも知り合えた。いい感じに、まともな令嬢としての道を踏み外している。
そして今日は、二人一緒にくつろいでいる。庭の芝生に大きなクッションをたくさん置いて、その上に転がっているのだ。本におやつ、その他暇つぶしの道具なんかも、たっぷりと持ち込んだ。
やりたいことをやれるようになったとはいえ、こうして何もせずのんびりするのは、私にとって大切な時間だった。
「ああ、幸せ……お出かけするのもいいけれど、こうやってあなたと二人でのんびりしているほうが好きよ」
「僕もです。こうして貴女とくつろいでいると、悪魔だとか使命だとか、そういったものを忘れていられますから」
「……その、あなたにとって、やっぱり悪魔としての使命は重荷なのかしら」
ルクスの言葉が気になって、おそるおそる尋ねてみる。
「どうでしょうね。きっと、それがなければもっと楽に生きられたのではないか、とは思うのですが……でも、その使命のおかげで貴女と出会い、こうして一緒に楽しくくつろいでいられる。そう考えると、悪魔でよかったな、とも思ってしまうんです」
ルクスは若葉色の目を細めて、こちらへ笑いかけてきた。ふと、彼が目を細める。
「アウロラ、そのまま動かないで」
そう言って彼は、私の目の前に手のひらを向ける。ふわっと、淡い光がそこからわき上がった。
「はい、もういいですよ」
「今のは何?」
「ふふ、今からお見せします」
ルクスはやけにご機嫌だ。かたわらに積み上げている本やら何やらの中から、何も書かれていない紙を取り出して、そっと手を当てる。
と、紙の上に絵が浮かび上がってきた。ミルクティー色の髪にすみれ色のぱっちりとした目の、若い女性の絵だ。軽くひらひらした淡い紫のドレスを着て、手首には金のブレスレット。その髪には綺麗な青い羽の蝶が止まっていて、まるで髪飾りのようだった。
「……これ、私よね?」
「はい。さっきの貴女の姿を、そのまま魔法で写し取りました」
「ああ、だから動かないでっていったのね。蝶が逃げてしまうから」
「そうなんです。貴女の協力のおかげで、とても素敵な肖像画ができました。僕の部屋に飾りましょう。ふふっ、嬉しいです」
ルクスは嬉しそうに、私の姿が描かれた紙をしまい込んでいる。その姿を見ていたら、どうしても我慢ができなくなった。
「ねえ、ルクス。私も、あなたの肖像画が欲しいわ。ね、お願い。それとも、自分の姿は写し取れないの?」
クッションの上に頬杖をついて、上目遣いに彼を見つめておねだりする。ルクスは色の白い頬を赤く染めていたが、やがてつっかえながら説明を始める。
「できない訳ではないのですが……その、自分ではやりづらいですし、どんな表情をすればいいのかが分からなくて。貴女に協力をお願いしてもいいでしょうか」
ええ、と答えると、彼は私の手のひらに、自分の手のひらをぴったりと合わせてきた。意外と大きな彼の手が温かくて、胸が豪快に高鳴る。彼に何度触れても、いっこうに慣れることがない。毎回毎回、新鮮などきどきを味わっている。
しかしそのときめきとは違う、不思議な感触が一瞬だけ全身を駆け抜けた。ルクスがほっと息を吐いて、微笑みかけてくる。
「……これで、貴女も一回だけさっきの魔法を使えますよ。手のひらを向けて、写し取りたいものに意識を集中してください」
「じゃあ後は、あなたが素敵な表情をするまでひたすら待てばいいのね」
「ええっと……そうですが、なんだか緊張しますね」
ルクスはそう言って照れている。すかさず手をかざそうとしたら、ルクスは困ったように手で顔を隠してしまった。
「照れた顔を残されるのは、さすがに恥ずかしいです。……それにしても、天使の加護って面白いですね。悪意のない、安全な魔法ならあっさり通じてしまうのですから」
「そうね。ウェルの偉そうな命令は効かないし、でもあなたの素敵な魔法はちゃんとかかる。最高だわ」
そんなことを語り合いながら、草の上に寝転がる。その新緑よりももっと生き生きとしてみずみずしいルクスの若緑の目に、うっとりと見とれながら。
またある日、私は屋敷の馬場にいた。馬が普段過ごす馬小屋と、その外にある小さな運動場だ。小さな、といっても、自分の足で走りたくないと思うくらいには広い。
私は乗馬服をまとって、一頭の若馬の前に立っていた。馬の横にはルクスが立ち、ひときわ優しく微笑んでいた。
「この子はとびきりおっとりした子ですから、初心者の貴女でも無理なく乗りこなせると思いますよ」
これから私は、乗馬の練習をするのだ。これは間違いなく、貴族の令嬢にあるまじきはしたない行いだった。
貴族の女性は、絶対に馬にまたがったりなどしない。もちろん、乗馬の訓練などすることはない。やむを得ない場合に、男性と相乗りすることもあるにはあるけれど、その時は男性に支えられながら横向きに乗るのだ。当然ながら、女性ものの乗馬服などありはしない。
けれど私は、馬を走らせる貴族の男性たちを見て、ずっと憧れていたのだ。私も、あんな風に馬と一緒に走ってみたい。風を切って走るのは、きっと楽しいだろう、と。
もちろん、そんな思いは厳重に封じ込めていた。間違いなくお母様に大反対されるからだ。
というよりも、こんなことを考えていることがばれてしまえば、屋敷に軟禁されかねない。お母様ならそれくらいやる。そう確信できたから。
でも今なら、そんなことを気にしなくてもいい。たぶん。
だから私は、おそるおそるルクスに打ち明けてみた。男性と同じように、一人で馬に乗ってみたい、と。
そして彼は「それは素敵ですね、一緒に遠乗りに行けたらとても楽しそうです」と言って、すぐに準備を整えてくれたのだ。
彼は魔法で、私にぴったりの乗馬服を作ってくれた。ルクスの乗馬服とおそろいの、明るい黄緑色の服だ。生まれて初めてのズボンは、想像していたよりもずっと動きやすかった。
馬の乗り方の基本をさっと学んで、いよいよ馬にまたがる。期待と緊張にがちがちになっている私に、ルクスは穏やかに語りかけてきた。
「大丈夫です、僕がついていますから。何があっても、貴女のことは守ります」
たったそれだけの言葉が、驚くくらい私の心を落ち着かせてくれる。それと同時に、甘いときめきも感じてしまったけれど。
どぎまぎしながらルクスの手を借りて、馬にまたがる。どうにかこうにか、正しい位置に腰を落ち着けることができた。
「それでは、ゆっくり落ち着いていきましょう。危なくなったら、しっかりとくらにしがみついてくださいね」
そう言ってルクスが手綱をとり、馬のすぐ横を歩き出す。馬もおとなしく、彼に従って歩き始めた。
足を通して、じんわりと馬の体温が伝わってくる。危なげない足取りに合わせて、心地良く体が揺れる。いつもは見上げているルクスのひまわり色の頭が、ずいぶんと下の方に見えている。きらきらと輝いていて、とても綺麗だ。
ああ、これが夢にまで見た乗馬。しかも、大好きなルクスがついていてくれる。なんて素敵なんだろう。なんて私は、幸せ者なんだろう。
感動に我を忘れていたその時、馬が不意にぴょんと跳ねた。それはさほど大きな動きではなかったが、すっかりほうけてしまっていた私は、派手に姿勢を崩してしまった。とっさにくらにしがみついたものの、体がずるりと滑り落ちていく。
まずい、落馬する。そう思った次の瞬間、私はしっかりと受け止められていた。
「大丈夫ですか、アウロラ。馬が虫に驚いてしまったみたいです」
やけに近くで、ルクスの声がする。ぱちぱちとまばたきをしながら、視線を動かした。
少し遅れて、ようやく状況が理解できた。馬からずり落ちた私を、ルクスが受け止めてくれたのだ。彼は軽々と私を抱え上げたまま、心配そうな目で私を見つめていた。互いの前髪が触れてしまいそうなほど近くに、彼の顔がある。
「だ、だいじょうぶ、よ……」
あまりの恥ずかしさに、ばっと視線をそらして消え入るような声でそう答えた。さっきまで馬の体温を感じていたというのに、今では全身でルクスの体温を感じてしまっている。そのことがものすごく嬉しくて、とてつもなく恥ずかしい。
けれど私の声が弱々しかったからか、ルクスはさらに心配そうな顔で私の顔をのぞきこんできた。
「どこか痛いのではありませんか? あなたにもしものことがあったら、僕は……」
「ああ、いえ、本当に大丈夫よ。ただ……」
「ただ?」
「……幸せだなって、そう思ってしまって」
私の言葉に、ルクスはきょとんとした顔をする。明らかに訳が分かっていないようだったが、彼は目を細めて優しく微笑んだ。
「そうですね、僕も幸せです。貴女が来る前、僕はずっと一人で悩んでいました。今はこうして、二人で笑っていられます。本当に、幸せです」
そんな嬉しいことを言われてしまったせいで、私はさらにときめいてしまっていた。恥ずかしいのに、彼の腕にがっちりと抱え込まれてしまっていて、どこにも逃げ場がない。
のんびりとこちらを眺めている若馬の姿が、目の端にちらちらと見えている。気のせいか若馬は、ほんの少しおかしそうな目でこちらを見ているようにも思えた。




