21.縛られていた私
そうやってティナと芝生で話し合った後、二人連れだってルクスの待つ居間に戻ってきた。
「おかえりなさい、二人とも。何を話していたんですか?」
「ただいまあ、ルクス。女同士の秘密のお話よ」
ルクスの顔を見るなり、ティナはぱあっと顔を輝かせて、ルクスの腕にしがみつく。そのまま三人で、居間の椅子に腰を下ろした。私の向かいにルクス、ルクスの隣にティナだ。
「秘密ですか。ずいぶんと仲良くなったんですね?」
「仲良くなんかないもん。あたしが仲良しなのは、ルクスだけだもん」
ティナはルクスの肩にぎゅっと頭を押しつけて、幸せそうに目を細めている。友人とはいえ成人した男性に対するふるまいとしては少々不作法ではあるけれど、誰もとがめる者はいない。
「そういえば、ティナは一人で遊びに来たの? 普通、ご両親とかお付きの人とかがいると思ったのだけれど」
ふと疑問に思って、そんなことを尋ねてみる。ティナは得意げに笑って答えた。
「だって余計な人間がいたら、ルクスと安心してお喋りできないじゃない。一人が一番楽ちんよ」
「それはそうかもしれないけれど……よくご両親が、許してくれたわね」
「うちの両親は、あたしの言うことなら何でも聞くのよ。……産みの両親をとりこにして手駒にするのは、あたしたち悪魔の基本中の基本だから」
後半はささやくようにして、ティナが説明する。彼女にがっちりと腕を組まされているルクスは、申し訳なさそうに目を伏せた。
そういえば彼の両親は幸せなまま一生を終えたとかなんとか、そんな感じのことを聞いた覚えがある。
つまり優しいルクスは、育ててくれた両親を操り、堕落させることに失敗したのだ。孝行息子だと人は言うだろうし、私も素敵なことだと思う。けれど、悪魔としてはあまり褒められたものではないらしい。
「そうだったの。……私、つい最近まで一人で出かけたことがなかったから、うらやましいわ」
話をそらそうと、とっさにそんなことを口にする。その言葉に、ティナが首をかしげた。
「そうなの? あたしみたいな子供ならともかく、あんたみたいな大人なら、一人での外出くらい普通じゃない? 一人って言っても、どのみち御者はくっついてくるんだし。町の劇場なんかに遊びに行く時ならともかく、よその家を訪ねる時はねえ」
「え、でも家から出る時は必ず侍女を連れて行きなさいって、お母様が」
「ええー、なにそれ」
「貴女のご実家は、とてもきっちりとしたお家なのですね」
ティナは目をむいていて、ルクスは神妙にうなずいている。
「今どき、そんな古くさいことを言ってる家、聞いたことないわ。あんたの実家、ちょっと厳しくない?」
「お母様が、伯爵家の令嬢として恥ずかしくないようにと、いつもそう言っていて……」
きょとんとしながらそう返すと、ティナはさらに切り込んできた。
「うちは格下の男爵家だからゆるいっていうのはあるけど、伯爵家の友達のところでもそんなに厳しくないわよ。あたしの友達はほぼみんな、あたしと同世代の小っさいのばかりだけど、結構気楽に一人で互いの家を行き来してるもん」
「……友達」
「どうしました、アウロラ」
ティナの言葉に、ふと気づいたことがあった。口ごもる私を心配するように、ルクスが声をかけてくる。
「今、気がついたわ。私、そもそも訪ねていきたいと思えるような友人がいなかった。だから自分の家が厳しいのだと、気づくことすらできなかった」
「なにそれ、寂しいんだ」
ちゃかすティナに構うことなく、頬に手を当てて話し続ける。
「そもそも舞踏会やお茶会がとても苦手だったというのもあるけれど……そういうところでたまに他の令嬢と知り合っても、『あの娘はあなたの友人にはふさわしくありません』って、お母様が」
「まーた『お母様』だ。親を手玉に取ってるあたしからすると、そんな風に親に縛られるのって歯がゆいっていうか、気持ち悪いっていうか」
ティナは鼻で笑っている。私とお母様の関係を侮辱しているのは確かなのだけれど、不思議と反論する気にはならなかった。
「……でも僕からしても、アウロラの母君は少し……厳しすぎる方のように思えました」
ためらいがちに、ルクスが言葉を添える。普段他人を悪く言わない彼からすると、かなり珍しい物言いだった。ティナが目を丸くして、ルクスの顔を見上げる。
「ルクス、こいつの母親に会ったことあるの?」
「アウロラに結婚を申し込みに行った時に。ですがアウロラは、その時性根を叩き直すとの名目で、人里離れた山小屋にただ一人放り込まれていました。ですから僕は、ご両親から結婚の許可をいただいて、その足でアウロラを迎えに行ったんです」
それを聞いて、ティナがべえっと舌を出した。なんともお行儀の悪い仕草だったが、彼女には不思議なくらい似合っていた。
「うっわ、こいつの両親って、えげつないことするんだあ。まっさか、アウロラがその仕打ちにめそめそしてたってことはないわよね? もしそうだったら、あたし幻滅するなあ」
幻滅も何も、そもそも彼女は私のことを良く思っていないはずなのに。どう答えたものかと悩んでいると、ルクスがにっこりと笑って言葉を返した。
「ええ、彼女は大変たくましく過ごしていましたよ。僕たちが初めて会った時、彼女は清らかなせせらぎのそばで、地面に寝転がって昼寝していました。それも、寝間着のまま」
「……それはそれで、反応に困るわね。初対面がそれとか、訳分かんない」
「でも、彼女はとても生き生きとしていたんです。不便で粗末な暮らしをしているだろうに、とても幸せそうで。思えば、僕はあの時、アウロラに惹かれていたのかも」
「うわー、それ以上言わないで! ルクス、それってただの気の迷いだから! ほら、あたしを見てよ、そこの女よりずっと魅力的でしょ!」
「ええ、君はとても可愛らしいですね。でも僕はやはり、アウロラの夫ですから」
「ううう、あたしが大人になったら、絶対に離縁させてやるー!!」
ふわふわの赤毛をふりたてて、幼い声できいきいとティナがぐずる。そんな彼女に、ルクスはあくまでも穏やかに微笑みかけていた。
つられて笑顔になりながら、胸の奥がぎゅっと痛むのを感じていた。
子供の頃から私は、ずっと息苦しさを感じていた。普通の令嬢になりたくて、でもなれなくて。
あの息苦しさは、不出来な自分への罰なのかもしれないと思っていた。そして、自由にのびのびと過ごしている今の自分に、ほんの少し後ろめたさを感じていたのだ。
でも二人の話を聞いていたら、そんな風に考える必要はないのだと、自然とそう思えていたのだ。
なぜかひとりでに、涙がぽろりとこぼれ落ちた。にぎやかに話していた向かいの二人が、ぴたりと口をつぐんでこちらを見る。心配そうな顔のルクスと、けげんそうな顔のティナ。
そんな二人に笑いかけ、今の気持ちを言葉にする。
「大丈夫よ、悲しい訳ではないから。ただ、今の私は息ができているんだって実感したら、安心しちゃって」
「何言ってんのよ、あんた。息ならずっとしてるじゃない」
「そうね、でも、これが素直な気持ちなのよ」
やっぱり訳分かんない、と首をかしげるティナの隣で、ルクスはとても優しい視線をこちらに向けていた。彼は唇だけで、良かった、と語りかけてくる。
彼の若葉色の目を見ていたら、さらに胸がぎゅっとしめつけられた。苦しくて、温かくて、嬉しい。
もう一度、今度は彼をまっすぐに見つめて微笑みかける。その拍子に、また涙がひとつぶ転がり落ちていった。温かな涙の粒が、お気に入りの淡紫のドレスにぱたりと落ちて、濃い紫の染みになる。
それを見ていたら、幸せだなあ、と思った。あまりにも唐突な感情に驚きながらも、私は心からの笑みを浮かべ続けていた。




