第五話 ヨハンと魔導師教授陣(四)
「ど、どうすんだ、ヨハン教授?」
「キース、それから猫車くん、向こうにいるグロマス教授を呼んできて。かならず二人いっしょに行くんだよ。いいね?」
「了解っ!」
「ええで!」
ヨハンの指示に、キースと猫車英吉は急いで駆けだした。まだ若干陽が高い時間ではあるが、こんな森の中ではじきに暗闇になってしまうだろう。ヨハンは、ほんの数メートル前に姿を現した熊を注意深く見つめた。
「タケル、あの熊のことわかる?」
「うん、あれはツキノワグマだね」
幼少時から図鑑好きで、動物にもくわしいタケルは即答した。
「ツキノワグマ?」
「ほら、胸元に白い半月状の模様があるでしょ? 北海道とかにいるヒグマと比べれば体長も小さくて、おとなしい植物食の熊だよ」
「じゃ、人を襲ったりはしないってこと?」
「まあ、ふつうはね、ニナ。でも、興奮してるときは注意しないと――――」
ウガアアアアッ!
そのとき、ツキノワグマが立ち上がって雄叫びを上げた。「ヒグマに比べれば小型」というだけで、実際のその身長は一七〇から一八〇センチくらいはあるように思える。すくなくとも、取っ組み合いをして人間が勝てるような相手ではない。
「た、助けてぇ!」
すっかり腰を抜かしてしまったデュランが悲鳴をもらした。
「ニナっ! お願い」
「うん、瞬速魔法!」
あらかじめ懐から取り出しておいた指揮棒を振って、ニナがヨハンに魔法をかけた。すると、ヨハンは一瞬にしてデュランが座り込んでいるそばに移動したのだ。
「防壁魔法!」
続いてヨハンが防壁魔法を使って、自分の周りに魔法の障壁を作った。ツキノワグマが近づいてきて鋭い爪を振るったが、その攻撃はむなしく空を切った。
「ケガはない? デュラン」
「は、はい、大丈夫ですヨハン教授。でも、どうやらアイツを怒らせてしまったみたいで……」
ようやく落ち着きを取り戻したデュラン。ゆうに一九〇センチ以上はある、長身でがっしりとした体格のデュランだが、初めての巨大動物との遭遇には動揺を隠せない様子だった。
「魔法障壁を張ったから、今のところは平気さ」
「でも、動物園の檻の中にいるヤツとは、迫力が比べ物になりませんね。まさに破壊者です!」
デュランの言葉にうなずきながら、つぎの一手を考えるヨハン。
(さて、どうしようかな……。かなり興奮してるから、このままおとなしく帰ってくれそうにもないし)
ヨハンは、興奮状態のツキノワグマを見ながら独り言ちた。まずは、火球魔法で攻撃……はやめとくか。樹海の中は火気厳禁だったっけ。それじゃあ雷撃魔法か、氷塊魔法は? それとも……
「如何した、皆様」
「熊が出たのね?」
そのとき、突如としてヨハンたちの前に姿を見せたのは御影丸疾風と旋風の忍者兄妹であった。すばやい身のこなしからツキノワグマの前に立つと、二人は懐から苦無や手裏剣を出して臨戦態勢をとった。
「えっ? 二人とも、いつの間に?」
風のように現れた疾風と旋風に、驚きの声を上げたニナ。そんな彼女を安心させるように、二人の忍者は意気を上げる。
「我らに任せよ。征くぞ旋風」
「オッケー! いくわよ兄貴」
「ふむ。この程度の熊など、我が一太刀のもとに切り捨ててくれるわ」
つづいて響いてきたのは、剣術の達人・薪村刀の声だった。彼女は銘剣・牙竜をゆっくりと鞘から抜くと、長い髪をなびかせながら必殺の構えを取った。
「ちょ、ちょっと待ってよみんな! ダメだよ攻撃なんかしちゃ!」
「何事かな、タケル殿」
「ああ、ひょっとしてツキノワグマって、特別天然記念物とかなんとかいうあれのやつ?」
「べつにそういうわけじゃないけど、無許可で野生動物を傷つけたり殺したりしたら大変だよ!」
あー、やっぱダメなんだ。ヨハンはどの魔法を使うかで迷ったまま、攻撃を躊躇していた自分にとりあえず安堵した。
「では、どうすればいいのだ? このままでは埒が明かないぞ」
いら立ちを見せる薪村刀の言葉に、タケルは悩ましく顔に手を当てた。
「うーん、なんとかして危害を加えずに、熊をおとなしく森に帰す方法を考えないと――――」
ヒュッ!
そのときだった。
タケルたちの背後から一陣の風が駆け抜けたような高い音が聞こえたかと思うと、つぎの瞬間ツキノワグマが音もなくその場に倒れこんだのだ。
「こ、これは? いったいどうしたんだろ」
仰向けになって寝そべっているツキノワグマのもとに、ヨハンは恐るおそる近づいた。どうやら銃や魔法ではないが、なにかの攻撃を受けたものと思われる。
「兄貴、ちょっと見てこれ!」
「むっ?」
旋風が指さした先には、なにやら細い針状のものが刺さっていた。疾風と薪村刀も近寄って、ツキノワグマの胸元を確認する。
「どうやら、吹き矢のようだな」
「フキヤ? なにそれ」
薪村刀の見立てに、思わず聞き返したヨハン。御影丸兄妹が、その言葉に解説を付け加える。
「長い筒に矢を詰めて、強く息を吹いて撃つ飛び道具よ。この矢の先っぽに、毒針が仕込まれているってわけ」
「我ら忍びも使う武器のひとつだが……これは一体だれが?」
「儂じゃよ。みな、大事ないかの?」
「グロマス教授!」
それは魔法薬毒学の専門講師、老ドワーフのグロマス教授だった。彼は手にした吹き矢の筒をなでながら学生たちの安否を気遣った。
「俺たちが呼んできたんだよ、ニナさん、タケル」
「ええ感じに間に合ったみたいやな」
「みんな無事です。ありがとうございました」
タケルは頭を下げながら、みなの無事を報告した。グロマス教授の登場が遅かったら、実際なにが起こっていたかわからない。
「でも、ツキノワグマに毒針なんか使って……死んじゃったのかしら」
倒れたまま、微動だにしないツキノワグマを見ながら、心配そうな表情を浮かべるニナ。だがグロマス教授は、自慢の白髭をしごきながら優しく微笑む。
「ほっほっ。毒など使っておらん。これは即効性の眠り薬じゃ。ほんの二、三時間もすれば何事もなく目を覚ますじゃろうて」
「それにしても、すばらしい腕前でした。さすがグロマス教授!」
ジャン=クリストフ・デュランは、心からの拍手と称賛の言葉を贈った。今回の吹き矢のようにスマートな解決方法は、黒魔導師を目指す彼にとっても、もっとも手本にすべき選択肢であると実感していた。
「うむ。魔法は強力じゃが、時として強すぎる力は弊害をも生む。何事も適材適所が肝心、ということじゃな。なあヨハン教授」
急に名前を呼ばれたので、ちょっとドキッとしながら返事をしたヨハン。えーっと、今のって、ぼくのこと言ってる?
「そ、そうね。そうですね、グロマス教授。――――それじゃ、そろそろみんなを集めて帰りますか」
「そうですな、ヨハンはん。ほな行きまひょか」
「……耀子はん、いたの?」
「へえ。最前から、そこに」
駕籠の中から顔をのぞかせた宝天寺耀子が、にっこりとヨハンに微笑みかけた。
「それで、グロマス教授?」
「ん、なにかねヨハン教授」
辺りはすっかり夜。鳴城獅賀大学への帰りのバスの中、疲れた学生たちはほとんどが寝息を立てていた。ヨハンは、隣の席のグロマス教授にそっと話しかけた。
「今日集めた野草って、いったいなんに使うの? 魔法薬とか魔法具とか?」
「ほっほっほっ」
グロマス教授はいつものようにおだやかに笑いながら、荷物の中から一本の瓶を取り出した。
「これじゃよ」
「なにこれ。……わっ、これ、もしかしてお酒?」
ヨハンは栓を開けて瓶の口に鼻を近づけると、その強烈なアルコール臭に思わず顔をしかめた。
「ホドヨォド村名物の、ドワーフ特製魔法酒じゃ。うまいぞぉ! どうじゃ、お前さんも一杯」
「…………いや、遠慮しときます」
校外学習にかこつけて、個人的な魔法酒造りを手伝わされた魔法学部の学生たちには、くれぐれもこのことは黙っておこうと心に誓ったヨハンであった。
続く




