第8章:猟奇的な女子
痛み指数:[Pain Scale: ■■■■■□□□□□ 5/10]
ステータス:Psychological Harassment(精神的蹂躙)
小学生の頃、私の記憶に深く刻み込まれた女子が二人いる。 その一人が明里だ。現代の言葉を借りるなら、彼女は紛れもない「ストーカー」だった。おそらく本人にその自覚はないだろうが、彼女の執着は子供の「いたずら」という境界線を軽々と越えていた。
男子小学生にとって、放課後の遊び相手は同性の友人と相場が決まっている。男子は男子、女子は女子。それが暗黙の秩序だった。 ところが、彼女は違った。授業中だろうが放課後だろうが、隙あらば私にからんでくるし、ちょっかいをかけてくる。その執拗な追跡がいつ始まったのかは定かではないが、小学5年生の冬、プレハブの仮設校舎で起きた「あの事件」だけは、脳細胞に焼き付いて離れない。
プレハブ教室の中央では、ストーブの上のヤカンが、雲を吐き出す龍のように猛烈な湯気を吹き上げていた。私は教師の目を盗んでは、家から持ち込んだ餅や蜜柑をストーブの上に並べて焼くことに情熱を注いでいた。 もちろん教師に見つかるようなヘマをすることなく。
結露で真っ白に曇った窓を眺めながら、私の左目には「天然の曇りガラス」でも嵌め込まれているのだろうかと、ぼんやり考えていた時だ。背後に座る明里が、いつものように私の背中をつついてきた。 またか。一体何がしたいんだ、こいつは。 無視を決め込んでいたその刹那、複数の衝撃音が同時に爆発した。
シュ、バスン、グサ、ガン!
目から火花が飛び散った。鼻の下の急所に、金槌で殴られたような、のたうち回るほどの激痛が走る。 彼女は、硬質なプラスチック製の下敷きを水平にして、背後から何の前触れもなく全力で私の顔面に叩き込んだのだ。あまりの痛さに、私は授業中であることも忘れ、人目も憚らず涙を流した。
「ごめん。……痛かった?」 泣きじゃくる私を見て、彼女は珍しくしおらしい声を出した。
「痛えよ! お前にも同じことやってやろうか!」 怒鳴り返したものの、女子に手を上げるわけにもいかず、袖で涙を拭った。
「明里、やりすぎだ。怖すぎるわ」
「いいわよ。私にもやってみて」
「……いや、無理。死ぬぞ」
「ごめんね、桜が泣くなんて……」
ざわつくクラスメイトたち。しかし、うつむく明里と泣いている私の姿を見て、連中は勝手に納得したような顔で囁き合った。 「またいつもの痴話喧嘩か」
ちげーよ! 断じて違う! 私の心の叫びを余所に、何事もなかったかのように授業は再開された。そんな不条理な日常が卒業まで続くことになる。
彼女の猟奇的な行動は、6年生の夏、プールの授業後にクライマックスを迎えた。 私はプールの授業が終わると、いつも猛ダッシュで教室へ戻るのを日課にしていた。濡れて肌に張り付く、あの気味の悪い水泳パンツを一秒でも早く脱ぎ捨てたかったからだ。
教室のドアをガラリと開け、誰もいないことを確認して、自席の前で一気にパンツを下ろした。 ふう、爽快……! 解放感に浸る私。だが、このルーティーンを影で監視している「追跡者」がいることなど、想像さえしていなかった。
「見た!」
突然絶叫が響いた。 ドアの前に立っていたのは、肩で激しく息を切らした明里だった。彼女は、生まれたままの姿になった私を、射抜くような視線で凝視していた。 母親や看護師以外の女性に、初めて「聖域」を晒した瞬間だった。
「……本当に、見たのか?」
「ええ、見たわ」
慌ててタオルで股間を隠す。彼女は、フルマラソンを完走した直後の選手のように全身を震わせながら、勝ち誇ったような異様な輝きを瞳に宿していた。私の俊足に、女子である彼女が追走してくるとは、完全に計算外だった。
「ハァ、ハァ……小さいわね」 ポツリと彼女がのたまった。
「うるせえ! 泳いで冷えたから縮んでいるだけだ!」
「じゃあ、もう一回見せてよ」
「バカか! 見せるわけねーだろ! それよりお前、その格好でいいのか」
ようやく、彼女は自分の姿に気づいたらしい。水浸しの女子用スクール水着のまま、髪から滴を垂らして教室に立っている自分に。
「キャッ! こっち見ないでよ!」
「見るか! さっさと更衣室へ行け!」
こんな調子で、歪で、しかし熱烈な関係は続いていった。 ――あの日が来るまでは。




