第3章:野獣死すべし
痛み指数:[Pain Scale: ■■■■■■■□□□ 7/10]
ステータス:Cognitive Damping(いじめによる認知機能の減退)
小学校に入学するまで、私の世界は半径数メートルの「家族」と「病院」だけで完結していた。退院後も、人混みを避けるために外出は禁じられていた。 病院の大人たちに「いい子だね、よく我慢したね」と褒められ、無菌室のような環境で育った私は、人間関係の築き方など微塵も知らなかった。
そんな純粋培養の子羊が、小学校という名の「野獣の檻」に放り込まれたのだ。 そこにいたのは、攻撃的で、感情的で、理由もなく嫌なことを強制してくる凶暴な野獣たちだった。
「いじめ」という言葉すら知らなかった私は、ただ困惑し、叩かれ、罵られた。 そして、あまり語られない残酷な真実を思い知ることになる。——「いじめられると、人間はバカになる」のだ。過度なストレスは思考を停止させ、脳のパフォーマンスを著しく低下させる。
だが、体育授業への参加を医師から許された小学3年生の頃、私の中で何かが弾けた。 それまで抑圧されていた憂さ晴らしを爆発させるように、私は自分を虐めていた子供たちを次々と「制圧」していった。鬱々とした暗闇との決別。一気に活発な子供へと変貌を遂げた。
ところが、神は私の「平穏なシステム」を許さなかった。 動きすぎたせいか、移植した角膜が剥離しかけ、再手術を余儀なくされたのだ。 再びの入院。そして、逃げ場のない眼球への注射。 流石に慣れた。だが、慣れてはいけなかった。視力がほとんどないことに加え、針を見続けすぎて先端恐怖症が麻痺したせいか、私はゴミや虫が飛んてきても瞬き一つせず、すべてを眼球で受け止めてしまう「バグ」を抱えることになった。
勉強面でも、奇妙なスタートを切っていた。 珠算塾を経営していた伯父のおかげで、入学時点で4桁の暗算をこなしていた私は、教師たちから「神童」と持て囃された。
本人にとっては当たり前のことだったが、どうやら普通ではなかったらしい。 しかし、私の才能はそこがピークだった。
もし、いじめで脳を削られていなかったら、私はもっとマシな大人になっていたのだろうか――知らんけど。
退院時、眼科医から言い渡された二つの禁忌が、私の学力を決定的に縛り付けた。
「タバコを吸ってはダメだよ」 そして、「本を読んじゃダメだよ」と。
人生という名のレースのスタートラインで、私は号砲を聞くことさえ禁じられたのだ。
音からすべてを学ぶしかなかった。 暗算は得意だが、漢字が書けない。読解力がない。神童も学ばなければただの人に成り下がる。授業中も友人とふざけ合い、家ではテレビと漫画に耽った。
「漫画は『本』ではない」 そう自分に都合よく医師の言葉を解釈し、自由気ままに遊んで過ごした。
このまま気楽に過ごせれば、どんなに素晴らしかったか。 だが、5歳の時に産声を上げた、あの『私』という名のエンティティが、私の人生を激しく翻弄し始める。
テストの最中、あるいはスポーツの試合の決定的な瞬間。 ここ一番という場面で現れ、私の完璧な流れを冷酷に断ち切るのだ。 『私』が現れない時の私は、テストも運動も群を抜く成績だった。だが、『私』が降臨した瞬間、手に入れかけていた成功は指の間から零れ落ちていく。
『私』は味方なのか、それとも破壊者なのか。 その答えは、未だに出ない。 しかし、私はこの不可解な「バグ」を抱えたまま、不条理な人生を闊歩していくしかないのだ。
ここで、謝罪をしなければなりません。いじめを克服した私は、小学校卒業まで、私をいじめていた奴ら全員に「悪魔のような仕打ち」をし続けた「いじめっ子」になり果てたことを。
彼らの脳が無事に成長していることを願う。 ――知らんけど。
いじめはダメ!
他人の人生を破壊する権利は誰にもない!




