第4話 40目前、無職目前
「……お先に失礼します」
会計事務所の玄関ドアを開けながら、まだ残っている社員の人達に声をかける。
「お疲れ様」
「お疲れ~」
私が定時の17時にあがるのはいつものこと。
返事を返してくれるのは年配の社員の人達。彼らの声に、頭を下げて事務所を出た。
松本雅、39歳。独身。
黒縁の眼鏡に紺色のスーツ。黒いストレートの髪を下の方で一本にまとめている。女性にしては、少し背が高い(172センチ)せいもあって、ヒールのある靴ではなく、白いスニーカーを履いている。
会計事務所の事務員として働いて5年。
母方の祖母の友人の紹介で勤めることになったけれど、正社員ではなくアルバイト。
前の仕事で身体を壊したこともあって、体調を見ながらの勤務ということだったのだけれど……今月いっぱいで退社することになっている。
「あら、お疲れ様」
色んな所がキラキラしているヒラヒラしたワンピースを着た一人の女性がにこやかに、事務所の玄関前で私に声をかけてきた。
小柄ながらに豊満な体型、男性であれば惹きつけられそうな彼女は、この会計事務所の所長の娘さんだ。私がこの事務所を辞めることになった原因。
彼女が離婚して実家に戻ってきた。
そのため、私がやっている仕事を彼女がやることになり、私はクビになったのだ。
たぶん、私の後見をしてくれていた祖母の友人が亡くなったのも、理由の一つだろう。
私の地味さと比較するせいか、彼女の華やかさが事務所の中でも際立っている。
痩せ気味な私に対して、出るところ出ている彼女に、若手社員たちは、鼻の下を伸ばしているのを知っている。
「……失礼します」
彼女とすれ違いざまに挨拶をすると、私は無表情のままドアを締めた。
私は表情を変えることもなく、家に帰るために最寄り駅のほうへと向かった。
会計事務所のあるターミナル駅から私が住む家は、電車とバスを乗り継いで一時間ほどのところにある。
去年までは事務所近くのアパートから徒歩で通っていたのだけれど、祖父が亡くなり、祖母だけになってしまったというので、今年の春から同居することになった。
しかしその祖母も祖父を追いかけるように、先月亡くなってしまった。
私の両親は、私が高校を卒業して小さな工場に就職すると同時に離婚した。私が独り立ちするまで待っていたらしい。
そして、それぞれに新しい家庭を持って、私のことは放置。そんな私を不憫に思ったのが、母方の祖父母。私は書類上、彼らの養子となったことで、今の家を相続した。
――ちゃんとお留守番できてるかな。
私は電車の窓から外を見ながら、家で飼っている二匹の猫のことを思い出す。
祖母の家では、キジトラとサバトラの姉弟猫がいる。祖父母が大事にしていたこともあり、二匹とも、そろそろ二十歳になる。
多少、ヨロヨロすることもあるけれど、食欲は旺盛。私が疲れて帰ると、必ず玄関まで出迎えてくれる二匹だ。
私が頑張って働いてこれたのは、この二匹のおかげが大きかったかもしれない。
――それも、今月いっぱいのことだけど。
私は斜め掛けのバッグからスマホを取り出し、駅に着くまで猫動画を見て癒されることにした。
家のある駅に到着すると駅前の商店街で夕飯の買い物をして、バスに乗る。駅からはバスで10分、バス停からは歩いて5分ほどの古い住宅街の中に私の家はある。
――はぁ。次の仕事、どうしよう。
年齢と収入、それに自分の体調のことを考えると、これ、という仕事が見つからない。
つり革を掴みながら思わず大きなため息をつくのと同時に、降りるバス停の名前のアナウンスが流れた。
人通りの少ない道を歩くと、祖母から譲り受けた古い木造平屋の一戸建てが見えてくる。そこそこ広い庭には、大きな桜の木が一本たっている。春には桜が見頃だが、今はそろそろ厚手のコートが必要になりそうな晩秋。紅葉した葉が散り始めている。
ガラガラという引き戸の音がひびく。灯りのともっていない家の中は、寒々しく、暗い。
「ただいまぁ」
それでも自然と言葉が出る。その声を聞いて、奥の部屋から、トトト、と追いかけっこをするように現れたのが、キジトラとサバトラの姉弟猫。
「にゃー」
「ニャー」
スニーカーを脱いで家にあがる私の足元をウロウロする姿に、笑みを浮かべる。
「来週誕生日だけど……この子たちがいるだけマシかもね」
金曜日の夕方に、誰とも食事の約束もなく、猫の待つ家に帰る私。
40目前、無職目前である。




