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<全30ep> やさしい記録のつくり方  作者: 第三ひよこ丸


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第09話 直さない記録

 店を閉める時間が近づくと、通りの空気はゆっくりと落ち着いていき、昼間に比べて人の動きのあいだに間が生まれ、音と音とが重ならずに離れていくことで、全体がほどけるように静かになっていく。

 その変化は急に訪れるものではなく、気づいたときにはすでにそうなっているという種類のものであり、どこからが境目だったのかをはっきり示すことはできないままに移り変わっていく。

 

 アーケードの残っている区間は早くから暗くなり、取り払われた部分から差し込んでいた光も建物の影に押されるように細くなっていき、通りの奥まで届かなくなるが、その変化もまたはっきりとした線ではなく、明るさと影の境目がゆるやかに混ざり合い、どこからが明るくどこまでが影なのかを判断する必要自体が薄れていくことで、通り全体が同じ色に近づいていくように見える。


 シャッターを下ろす前に通りを一度見ておくという動きは、いつからか自然に続くようになっていた。特別な理由があるわけではないが、そのまま閉めてしまうと何かを置き去りにしたまま終わるような感覚が残る気がするからだ。手を止めて視線を外に向けることだけは変わらず続いている。

 

 立ち止まる人は少なく、ほとんどがそのまま通り過ぎていくが、その足取りは昼間よりもわずかに速い。


 店の中に戻ると、机の上にはノートが開いたまま置かれていて、そこには同じ出来事から作られたいくつかの記録が並んでいる。それぞれは大きく違うわけではないのに、わずかな差によって別の形になっており、その差が小さいほど一つに決めることが難しくなり、どれかを選べば他が消えるわけではないという感覚だけが残る。

 

 椅子に座り、そのまま眺めていると、どこか一箇所でも手を入れれば全体が変わることは分かっている。だが、その変化がどちらに向かうのかが分からないため、動かさないまま置いておくという選択が残り、何もしていないはずなのに、そのまま時間だけが過ぎていく。


 ペンに手を伸ばしかけて止めると、その動きだけが中途半端に残り、書き足すことも書き直すこともできる状態のまま、どちらにも進まない形になる。そのどちらも今ある形を崩すことになる以上、崩した先が見えないままでは理由が足りず、結果として何もしないという状態が続く。

 ノートの上にはいくつもの形が並び、どれも間違いではないが、どれも決定ではなく、選ばれなかった形も消えずにそのまま残っているため、どこまで関わるべきなのかが定まらないまま、視線だけが行き来する。


 

 入口のベルが鳴る。


 閉める直前の時間に鳴ることは多くないため、その音だけが少しはっきりと響き、顔を上げると、あの男が立っていた。外の光が落ちている分だけ輪郭がやわらかく見え、昼間に会ったときよりも力が抜けているようにも感じられる。


「まだ大丈夫ですか?」

「大丈夫です」


 そう答えると、男は自然な動きで中に入り、前と同じ椅子に座る。


「遅い時間にすみません。でも、少しだけ話したくて来ました。あのあと家で考えてみたんですが、どれを見てもやっぱり違う気がして、それでも何が正しいのかは分からなくて、だからそのままにしておくのも違う気がして、結局ここに戻ってきたという感じです」


 男はノートに視線を落とし、しばらく何も言わないままページの上を目でなぞり、読むというよりもそこにある形を確かめているように見え、その時間が少し長く続いたあと、息を整えるようにして再び口を開く。


「さっきも言いましたけど、やっぱりどれも違う気がするんです。でも、じゃあ正しい形があるのかって考えると、それも分からなくて、思い出しているときはこんなふうにまとまっていなかったはずなんです。もっと行ったり来たりしていたし、同じところに戻ったりして、その順番もはっきりしていなかったはずなんです。でも、それをそのまま書くと読めなくなるし、だから整えると今度は違うものになるし、どこまでやればいいのかが分からなくなってきて」


 言葉はやわらかく続き、その迷い自体がそのまま形になっている。


「一つに決める必要はありますか?」


 そう聞くと、男はすぐには答えず、少し考えたあとにゆっくりと首を振る。


「あると思っていました。でも、今は分からないです。決めた時点でそこから外れたものが消えてしまう気がして、でも全部を残そうとするとまとまらなくて、どれも違うけどどれも自分の中にはあったものだと思うので、一つにまとめなくてもいいんじゃないかとも思うんですが、それだと残らない気もして」


 矛盾したままの言葉が、そのまま落ちていく。

 僕は一度うなずき、ノートを閉じる。


「では、今ある形をそのまま残します。ただし、そのまま渡すことはしません。いくつかの形を一つにまとめるのではなく、それぞれを残したまま、読める形に置き直します」


 そう言うと、男は小さく息をつく。


「そのまま、でも読める形にするということですね。整えすぎずに、でも崩れすぎないように、という感じでしょうか。難しそうですが、それが一番近い気がします」


 言葉が一つのまとまりとして続く。

 引き出しから紙を取り出し、ペンを持ち替える。


「ここに写します」


 男は黙って見ている。

 ノートにあるいくつかの形を順に確認しながら、どれか一つを選ぶのではなく、それぞれの断片をそのまま置き、順番は固定せず、ただ読める最低限のつながりだけを残しながら書いていく。

 書いては止まり、少し戻り、言葉を選び直すが、そのたびに整えすぎないように意識し、崩れすぎない位置を探るようにして手を動かし、言い切られていない部分や揺れている部分はそのままにして、順番が前後している箇所も無理に直さず、ただ読める形だけを保つ。


 書き終えたあと、一度手を止めて全体を見返すと、整ってはいないが崩れてもいない状態が残り、その中間にある形が静かに定まっている。


 紙を封筒に入れ、差し出す。


「確認してください」


 男は受け取り、ゆっくりと読み始める。途中で何度も視線が止まり、そのたびに少し戻って確かめる動きがあり、その繰り返しが前よりも長く続く。


 やがて読み終え、少し考えてから口を開く。


「前より近い気がします。整いすぎていないし、でも読めないわけでもなくて、こんな感じで思い出していたような気がします。完全に同じではないと思いますが、これ以上近づけようとするとまた違う形になってしまう気がするので、ここで止めておくのがいいと思います」

「これで大丈夫ですか?」

「はい。これで大丈夫です。たぶん、これ以上は変わらないと思います。ありがとうございます」

「こちらこそ」


 男は封筒を丁寧に持ち直し、立ち上がる。


「また、何かあれば来ます」

「はい」


 そのまま店を出ていく。

 扉が閉まり、店の中は静かになる。


 机の上にはノートだけが残り、そこには書かなかった部分や選ばなかった断片がそのまま残っていて、それらは消えたのではなく、ただ渡さなかったという形で残っている。

 ノートを閉じ、引き出しに戻す。


 シャッターをゆっくりと下ろすと、外の光が細く区切られ、最後には完全に遮られる。

 店の中は暗くなり、さっきまでのやりとりの形だけが、わずかに残る。


 それをそのままにして、明かりを落とした。

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