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<全30ep> やさしい記録のつくり方  作者: 第三ひよこ丸


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第23話 終わらせた理由

 園内の通路を歩きながら、さっきの言葉が頭の中で何度も繰り返されていた。

『終わっていない』という前提は、それまで自分の中で整えていたはずの理解の上に、そのまま置き直される形で残っている。消えずに残るというよりも、うまく消しきれていなかったものが、別の言葉を与えられたことで輪郭を取り戻した、というほうが近い。


 『終わっている』と言い切っていたはずのものが、実際にはその言い方で固定していただけで、その下には別の状態がそのまま残っていたのではないかという考えが浮かぶ。その可能性を完全に否定することができない以上、『終わった』という認識そのものが、どこか仮のものだったようにも思えてくる。


 否定しようと思えばできるはずなのに、言い切るための根拠が見つからない。言葉の上では整理されているのに、その内側にある感覚がそれに追いついていない。そのずれだけが、はっきりと残る。


 真緒は変わらない歩幅で先を進み、分岐でも迷う様子を見せずに歩いていく。その背中を少し離れて追いながら、どこで声をかけるべきかを考えているうちに、結局タイミングを逃したまま、次の檻の前で自然に足が止まる。こちらもそれに合わせて立ち止まり、同じ方向へ視線を向ける。


 中にいる動物はさっきまで見ていたものとは違う種類のはずなのに、動きの単調さだけがどこか似ているように感じられる。一定の距離を行き来するその動きは、変化がないようでいて、同じではないはずの時間を確実に重ねている。その繰り返しを見ていると、時間だけが別の層で進んでいるような、少しずれた感覚になる。


 何か言わなければいけない気がして、少しだけ間が空く。その間は長くはないはずなのに、言葉を探している時間としては十分に長く感じられる。


「さっきの話やけど。終わってへんっていうのは、どういう意味なん?」


 口に出してから、自分が何を求めているのかがはっきりしていないことに気づく。説明を求めているのか、それとも別の何かを確かめようとしているのか、その違いが曖昧なまま問いだけが前に出ている。


 問いかけた側である自分のほうが、その中身を整理できていない。


「そのままやろ。終わってへんから、終わってへんだけや」


 振り向かずに返ってきたその言葉は、説明というよりも状態の確認に近い。理由を補足することも、言い換えることもなく、そのままの形で置かれる。


 その言い方に対して、『説明になっていない』と言い返すことはできるはずなのに、その言葉が喉の奥で止まる。説明を求めているつもりだったが、本当にそれで納得できるのかどうか、自分でも分からない。


 むしろ、説明に置き換えた瞬間に、いま感じている違和感そのものが消えてしまうのではないかという感覚がある。分かりやすい形に整えたときに、こぼれ落ちるものがあるような気がして、そのまま言い切ることを避けてしまう。


 視線を檻の中へ戻す。動物は同じ距離を往復し続けている。その単純な動きは、見ている側に解釈の余地を与え続ける。


「それだけで、続くもんなん? ……続いてるやんってことか」


 自分で言い直すように口にすると、その言葉の軽さに少しだけ引っかかる。続いているという事実をなぞっているだけで、その理由には触れていない。

 それでも、その言い方しかできないことに気づく。


「たまたまやろって言えばそれまでやけど。たまたまで、ここまで来ると思ってるん?」


 少し遅れて返ってきたその一言は、こちらの言い方をそのまま揺らす形で置かれる。たまたま、という言葉の中に含めてしまっていたものの量に、そこで初めて気づかされる。


 偶然の積み重ねとして処理していた時間の中に、意識的に選ばれていた部分があったのだとすれば、その前提は少し変わる。すべてが偶然だったとは言い切れない以上、自然に終わったという理解もまた、どこか都合のいい形で整えられていたのかもしれないと思い始める。


 言葉を探しながら、視線を少しだけ落とす。足元の通路は均されていて、歩きやすいはずなのに、どこに焦点を合わせればいいのか分からないまま、ぼんやりと見てしまう。


「終わらせる理由は、あったやろ。会う回数も減ってたし、連絡も減ってたし、そのまま続けるほうが無理やったやろ」


 並べながら、それがどこまで理由として成立しているのか、自分でも確信が持てない。言葉としては整っているはずなのに、その内側にある実感が追いついていない。

 説明として使ってきた言葉を、そのまま並べているだけのようにも感じる。


「それ、理由ちゃうやろ? 続けようとしてへんだけやん」


 短く返されたその一言で、さっきまでの並びが簡単に崩れる。理由だと思っていたものが、ただの結果の説明にすぎなかった可能性が浮かび上がる。


 何もしていなかったわけではない。けれど、何かを維持しようとしていたのかと問われると、その問いに対して明確に肯定できるほどの行動は思い出せない。


 息を吐く。


「続ける理由も、なかったやろ。終わらせる理由も、なかったんやと思う」


 言いながら、その言葉がどこか言い訳のように聞こえることに気づく。どちらも決定的ではなかった状態を、そのまま『自然』と呼んでいたのだとすれば、その言い方は、自分にとって都合がよかっただけなのかもしれない。


「自然に消えたんちゃうやろ。消しただけやろ?」


 少し間を置いて落ちてきたその言葉に、反射的に否定しようとして、言葉が出てこない。消したつもりはない、と言いかけて、その言い方自体がどこか曖昧であることに気づく。


 つもりではなかったとしても、結果としてそうなっている以上、その違いにどれほど意味があるのかは分からない。意図していなかったということが、どこまで免責になるのかも、はっきりしない。


 どうしてそうなったのかを考える。これまで何度も考えてきたはずの問いなのに、そのたびに、自然にそうなったという形で処理してきた。そのほうが楽で、それ以上踏み込まずに済んだからだということを、ここでようやく認める。


 言葉を探しながら、ゆっくりと口を開く。


「……めんどくさかったんやと思う。続けるのが」


 言ったあとで、それだけでは足りないことが分かる。言いやすい言葉を選んだだけで、その奥にあるものまでは拾いきれていない。


 少し間を置く。その間に、別の言葉が浮かびかけて、うまく形にならないまま消えていく。その感覚だけが残る。


「ちゃんと続けようとしたら、いろいろ決めなあかんやろ。どこまで関わるかとか、どれくらい時間使うかとか」


 続けながら、その一つ一つが具体的に思い浮かぶわけではない。ただ、選ぶことそのものに対する重さだけが、遅れて実感として残る。

 決めることを避けたまま続けることはできても、どこかでその負担は増えていく。その手前で止めたのだとすれば、それは自然に終わったのではなく、負担を避けるための選択だったのかもしれない。


「それ、今でも無理なん?」


 静かに差し込まれたその問いに、すぐには答えられない。


「……分からん。分からんけど、そのまま終わったことにしてたほうが楽やったんやと思う」


 そう言いながら、それがどこまで理由として通用するのか分からなくなる。楽だった、という事実は残るが、それだけで説明しきれるものではない。


 檻の中の動きを見続ける。同じ動きが繰り返されているはずなのに、さっきとは違うものを見ているような感覚になる。その違いが何なのかは分からないまま、視線だけがそこに留まる。


「怖かったんかもしれん。続けることが、どこまで行くか分からん状態で、そのまま関わり続けるのが。俺、……逃げたんやろな」


 言葉にしてから、それが一番近い形だと感じる。完全ではないが、他の言い方よりもずれが少ない。

 真緒はすぐには何も言わない。その沈黙の中で、さっきまでの言葉がそのままの形で残り続ける。


「逃げたままでもええん?」


 少し遅れて、静かに問われる。


「よくはないやろ。……でも、どうしたらええかは分からん」


 答えながら、それ以上が続かない。分からないという状態が、そのまま残る。

 分からないままでいることが、これまで続いてきた理由でもあったはずなのに、そのままではいられない場所に来ていることだけは分かる。


 しばらく何も言わない時間が続く。動物は変わらず同じ動きを繰り返していて、その中で時間だけが確かに進んでいく。


「行こか」

「……せやな」


 それだけ交わして、歩き出す。

 来たときと同じ通路を戻りながら、さっきまでの言葉が頭の中で何度も繰り返される。終わらせた理由が、完全ではない形でも言葉になったことで、それをどうするかという問いが、前よりもはっきりと残る。


 答えは出ていない。それでも、何も考えないままにしておくことだけは、もうできない。


 そのまま出口へ向かう途中、通路の端にある小さな売店の前を通る。立ち寄るつもりはなかったが、真緒がわずかに歩調を緩めたのに合わせて、こちらも足を止める。


 棚には動物を模した小さな雑貨が並んでいる。どれも似たような形をしていて、特別目を引くものがあるわけではない。その中に、見覚えのある色の組み合わせが混ざっていることに気づく。


 手に取るほどでもなく、視線だけを少しだけ寄せる。

 前に、一度だけ見たことがある。

 というより、見たことがあるどころではなく、持っていたはずのものに近い。あのとき選んだものと、ほとんど同じ形をしている。


 それがここにある理由は特にない。ただ売られているだけで、それ以上でもそれ以下でもないはずなのに、目に入った瞬間に、時間の感覚だけがわずかにずれる。


 何も言わずに視線を外そうとして、ほんの少しだけ遅れる。


 隣で真緒も同じ棚を見ていることに気づくが、何も言わない。そのまま、どちらからともなく視線を外す。


 それで終わるはずのものが、終わらずに残る。


 思い出したというより、思い出さずに済ませていたものが、そのままの形で表に出てきたような感覚だけが残る。

 言葉にはならないまま、それが残り続ける。


 店の前を離れ、再び歩き出す。

 出口に近づくにつれて、外の光が少しずつ強くなる。園内の空気とは違う匂いが混ざり始め、外へ戻る準備が整っていく。


 ゲートを抜ける直前で、一瞬だけ足が緩む。振り返ることはしないが、ここで交わした言葉と、さっきの光景が、そのままの形で残っているのが分かる。


 そのまま外に出る。


 同じ場所のはずなのに、少しだけ違って見える。その違いが何なのかは分からないが、確かに何かが変わっている。


 歩き出しながら、これから何をするのかを考える。すぐに答えが出るわけではない。それでも、何も考えないままにしておくことだけは、もうできない。


 その変化だけが、確かに残っていた。

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