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<全30ep> やさしい記録のつくり方  作者: 第三ひよこ丸


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15/30

第15話 書いてしまった形

 朝から降り続いている雨は、強さを変えることなく、ただ同じ調子を保ったまま通り全体に広がっていた。細かい粒は遠目には煙のように見えるが、アーケードの切れ目を越えた場所では確かに線となって落ち、地面に当たるたびに細かな跳ね返りを繰り返している。その繰り返しは単調であるはずなのに、屋根のある場所とない場所とで音の厚みが変わるせいで、同じ通りの中にいながら、聞こえてくるものの密度だけがわずかにずれているように感じられた。

 屋根の下では音が吸われて丸くなり、外ではそのまま落ちて硬く響く。その違いは小さいが、歩く人間の足取りに微妙な差を生み、傘を差すか差さないかという判断さえも、無意識のうちに分けているように見える。


 店の中はいつもより暗く、外の光は雨によって均され、輪郭だけを残している。入口付近の床には、開け閉めのたびに入り込んだ水が薄く広がり、乾ききらないまま重なっている。そのため境界はすでに曖昧で、どこまでが新しい濡れでどこからが前のものなのかを区別する意味はなくなっていた。残っているのは、ただ濡れているという状態だけで、それが時間の積み重なりとして床に定着している。


 机の上にはノートとペンが置かれている。ここ数日と同じ配置であるはずなのに、今日はその距離が妙に近く感じられた。手を伸ばせば触れられるという事実が、単なる物理的な位置ではなく、選択の位置として迫ってくる。書くか、書かないか。そのどちらかを選ばなければならない場所に、もう来ているという感覚だけが、先にあった。


 入口のベルは鳴らないまま、時間だけが進む。昼を過ぎると、雨音がわずかに強まり、通りを行き交う人の数もさらに減っていく。足音よりも水の音のほうがはっきりと残るようになり、外の動きはほとんど見えなくなる。それでも通りが途切れているわけではなく、誰かが来ては去り、その痕跡だけがすぐに消えていく。その連続があることで、かろうじて時間が進んでいることだけが分かる。


 ノートを開く。


 白いページが現れる。その白さはこれまでと変わらないはずなのに、ただ何も書かれていないという状態ではなく、これから何かが置かれる前提としてそこにあるように見えた。空白というより、まだ決められていない場所。そのままにしておくこともできるが、それが続かないことも同時に分かっている。


 ペンを持ち、紙に置く。


 ここで止めることもできる。これまでと同じように、触れる直前で手を引き、そのまま何も書かずに終えることもできる。だが、その選択を繰り返してきた結果が、今のこの状態だった。残さなかったものは消えてはいないが、どこにも置かれていないまま、曖昧な形で留まり続けている。その曖昧さを保つことが正しいのかどうか、もう分からなくなっていた。


 ペン先が動く。


 最初に書いたのは、帰り道のことだった。毎日ではないが、何度か一緒に歩いた記憶。その具体的なやり取りや、どこで何を話したのかは思い出せない。それでも、並んで同じ方向へ歩いていたという感覚だけは残っている。その感覚を、出来事としてではなく、時間として書く。説明を足さず、足りない部分を補おうとせず、そのままの曖昧さを含んだまま言葉に置く。


 続けて、別の断片を書く。ひとりで帰った日のこと。教室でほとんど会話をしなかった時間。笑っていた気もするが、何を話していたのかは分からない場面。それぞれが独立したまま存在しているはずのものを、順番を決めずに並べていく。


 だが、書いているうちに、それらは自然とつながり始める。前後関係が生まれ、ばらばらだったものがひとつの流れに近づいていく。意識して整えたわけではない。それでも、文章になった瞬間に、読みやすい形へと寄っていく。


 その過程で、違和感が残る。


 この並び方は、もともと存在していたものではない。今ここで選ばれた結果でしかない。それでも、一度書かれてしまえば、それが最初からそうであったかのように見える。


 手を止めるかどうか、一瞬だけ迷う。

 だが、止めなかった。

 そのまま書き続ける。


 最後まで書き終えたとき、ページの上にはひとつの形が残っていた。完全ではないが、読み通すことができる。断片だったものが、途中で途切れることなく、ひとつの流れとして成立している。


 ペンを置く。

 書いてしまった、という感覚が遅れてやってくる。


 それは何かを成し遂げたというよりも、戻れない位置に立ったことを理解する感覚だった。これまで避けていた境界を越えてしまったことで、同じ状態には戻れない。その事実だけが、静かに残る。


 ページを見返す。


 そこにあるものは嘘ではない。だが、すべてがそのままの形で存在していたわけでもない。選ばれたものと、選ばれなかったもの。その差が、このページの上にそのまま表れている。


 

 そのとき、入口のベルが鳴り、顔を上げると、真緒が立っていた。傘を軽く振って水を落としながら中に入る。その動きはいつもと変わらないが、視線はすぐに机の上へ向かう。


「雨、降ってるんや」

「もう、朝から雨が降っとぉ」


 短いやり取りのあと、真緒はノートに気づき、そのまま手を伸ばす。


「……書いたん?」

「ああ、書いた」


 真緒は椅子に座る前にノートを引き寄せ、そのまま読み始める。途中で止まることはないが、読む速さは一定ではない。ある部分ではゆっくりになり、別の部分では流すように進む。その差が、そのまま受け取り方として現れている。

 最後まで読み終えたあと、すぐには何も言わない。


「……きれいにまとまってるな。読めるし、流れもあるし、変なとこもない。でもな、それ、こんなにきれいやったっけ」


 視線はページの上に残ったまま動かない。


「それを、こんなふうにされたら……ちゃうやろ!」


 言葉は途切れず、そのまま続く。


「分かりやすいし、間違ってへん。でもな、最初にあったやつは、こんなんちゃうかったやん。もっとバラバラで、どこからどこまでか分からんくて、でもそれがそのまま残ってたやろ。それを整えたら、そら読めるようにはなる。でも、その分だけ消えてまうやつもあるやん」


 少しだけ間を置く。


「それを残したかったんちゃうん?」


 問いは静かだが、避けられない。

 僕は答えずにノートを見る。そこにある形は、確かに成立している。だが、その成立の裏で失われたものがあることも、はっきりしている。


 やがて、ノートを閉じる。


 書いてしまったものは戻らない。だが、それで終わりではない。その上に何を重ねるのか、それとも何も重ねないのか。その選択はまだ残っている。


 外では雨が続いている。通りは変わらずそこにあり、同じ場所に少しずつ違うものが積み重なっていく。


 一度書かれた形だけが、確かにここに()()()()()

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