夜の輪郭
夜は、思ったよりも静かだった。
もっと重たいものが来ると思っていたのに。
街灯の下、
影はちゃんと形を持っている。
滲んだり、溶けたりはしない。
それが、少しだけ安心だった。
彼女は歩きながら、
自分の足音を数えていた。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
数えなくても消えない音が、
ここに自分がいる証みたいで。
夜は怖い。
でも、全部を飲み込むほど強くはない。
昼に置いてきた気持ちが、
少しずつ浮かび上がってくる。
あの沈黙。
言えなかった言葉。
言わなくてよかったのか分からない想い。
どれも、
夜の方が正直だった。
自販機の前で立ち止まる。
光がまぶしい。
ボタンを押す理由は、
喉が渇いたからじゃない。
「一回、止まりたかった」
それだけ。
缶を取り出して、
開ける音が夜に響く。
思ったより大きくて、
少しだけ恥ずかしくなる。
一口飲んで、
苦い、と感じた。
大人の味、とかじゃなくて。
ただ、苦い。
それでも嫌じゃなかった。
夜は、
好き嫌いをはっきりさせてくれる。
誤魔化しがきかない分、
優しい。
歩き出す。
家までの道は、
もうほとんど覚えている。
なのに今日は、
初めて通る道みたいだった。
世界は変わっていない。
変わったのは、
受け取る側だけ。
「この夜を、覚えていたいな」
ふと思う。
特別な出来事があったわけじゃない。
泣いたわけでも、
誰かと分かり合えたわけでもない。
それでも。
夜にひとりで歩いて、
自分の気持ちを誤魔化さなかったこと。
それだけで、
十分だった気がした。
家の前に着く。
鍵を取り出す手が、少し冷たい。
ドアを開ける前、
一度だけ振り返る。
夜は、
ちゃんとそこにあった。
逃げなかった自分も、
そこにいた。
「……大丈夫」
今度は、
ちゃんと自分に向けて言えた。
ドアが閉まる。
夜は外に残る。
でも、
全部置いてきたわけじゃない。
この静けさだけ、
胸の奥に連れてきた。




